レ、ミゼラブル(後編) / 2006年07月26日
数年前、父に吉報が届いた。
農林水産大臣から勲章を戴ける事になった。しかも個人で。
家族中で舞い上がった。
七宝焼かなんかのメダルを戴き、ガラスの楯に写真が飾ってあった。
![七宝焼](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/022.jpg)
![表彰状](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/023.jpg)
七宝焼と表彰状。この賞は個人で、初めて貰った人達の一人。
肝心のガラスの楯は、母が何処にしまったか忘れてしまい、写せなかった。
ここでも「レ・ミゼラブル」
僕がお祝いに行った時に「いいね~このガラスの楯。写真もついてたんだ。」と、よくよく見ると粒子が以上に粗い、、、
何気なく母に「このガラスの楯どーしたの?」と小声で聞くと、勲章が戴けるって決まってから、何とかって会社から「折角ですから、ガラスの楯に写真とお名前を入れた物を作りませんか?」と連絡があって、進められ、5万円で作ったのだそーだ。
5万円。
あー。5万円。
こんな商売もあるのかと愕然とした。写真はテレビ出演した父を、テレビ画面から写真で写した物をコピーしてあるだけの物だった、、、
僕は母に「これさ、ハンズで揃えれば5千円かかんないんじゃないかな?」と、喉まで出かかったが止めた。
「レ、ミゼラブル」
何故かこの言葉が頭をよぎった。「ああ無情」
そんな父が今年の5月で引退した。
定年は過ぎていたが、アドバイザー的な立場で週に何回か出社していたのだ。
それも終わった。
人生のエピローグ近くの大きな節目である。
胸が詰まった。
野球が大好きで、僕たち兄弟を野球選手にするのが夢だった。
兄を川口工業高校(当時甲子園の常連だった)に入れようとしていたが、中学で兄は野球をやめた。
小学校の時に、兄は野球の「神童」と呼ばれていた。
高校に入ると兄はぐれた。
びっくりするくらいぐれた。
「レ、ミゼラブル」
またこの言葉が頭をよぎった。「ああ無情」
ならばと僕に期待をかけた。
僕は小太りだったので、父は本当は期待していなかったみたいだ。
しかし、コンプレックスと、兄以上になってやる!の強い思いが実を結び、町内
会の野球チームではキャプテン。
チームはかなり強かった。
野球の神童とまでは呼ばれなかったが、中心選手として活躍した。
活躍した僕は、町内の代表として当時の「沖縄海洋博」に確か2000円くらいで連れて行って貰った程だ。
何だったんだ。2000円。微妙。
しかし、僕は中学でサッカー部に入ってしまった、、、
「レ、ミゼラブル」
またまたこの言葉が頭をよぎった。「ああ無情」
父よ、あなたは強かった。
そんな子供達の事など気にせず、(気にしていたのかも知れない。いや、気にしていた)今でも町内会でソフトボールを毎週やっている。70歳なのに。
父が野球を教えた町内会の子供達の子供達に、今も野球を教えている。
町内会では、ちょっと顔の知られたじいさんである。
それだけでは無い、今でも体育館では、ミニテニス(これがかなりハード)。
公園で出来るグランドゴルフと言うのもやっている。
70歳なのに休みの日はほとんど家にいない。
「化け物」である。
誕生日のプレゼントは悩まずにすむ。
「スポーツ用品」
そー、スポーツ用品をプレゼントすれば喜ぶ。(中学生か!)
![三種の神器](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/021.jpg)
父のスポーツ「三種の神器」
グローブがビニール袋に入ってるのが、老人ならでは、、、
多分、乾燥を防いでいるのでは、、、
酒も飲まず、タバコも吸わず、人生を真っ直ぐに生きて来た父。
大先輩の俳優で書道家でもある梅津栄さんは、昔から父のつくった「佃煮」を食べてくださっていた。
他にも、大先輩の俳優で、父の作った「佃煮」を食べてくださっていた方がたくさんいらっしゃる。
梅津さんと共演させていただいた時に、こんな書を父に書いてくださった。
「勝村の父さんが造った黒色した貝から、おいしい、暖かい心味(こころあじ)の香りがしてくる。ありがとう。」
![梅津さんの書](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/020.jpg)
これが、梅津さんが父に書いてくれた書。
我が家にもたくさんある。
あ、最近Tシャツのバックプリントに「海人」
とか、「風」とか漢字書いてあるのは、みんな梅津さんの作品。
梅津さんの奥深い演技は、こんなやさしさと独創的な表現力が、全神経に宿っているからなんだなと、妙に感心した。
しかし、父には「レ、ミゼラブル」と言う言葉がよく似合う。
農林水産大臣から勲章を戴ける事になった。しかも個人で。
家族中で舞い上がった。
七宝焼かなんかのメダルを戴き、ガラスの楯に写真が飾ってあった。
![七宝焼](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/022.jpg)
![表彰状](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/023.jpg)
七宝焼と表彰状。この賞は個人で、初めて貰った人達の一人。
肝心のガラスの楯は、母が何処にしまったか忘れてしまい、写せなかった。
ここでも「レ・ミゼラブル」
僕がお祝いに行った時に「いいね~このガラスの楯。写真もついてたんだ。」と、よくよく見ると粒子が以上に粗い、、、
何気なく母に「このガラスの楯どーしたの?」と小声で聞くと、勲章が戴けるって決まってから、何とかって会社から「折角ですから、ガラスの楯に写真とお名前を入れた物を作りませんか?」と連絡があって、進められ、5万円で作ったのだそーだ。
5万円。
あー。5万円。
こんな商売もあるのかと愕然とした。写真はテレビ出演した父を、テレビ画面から写真で写した物をコピーしてあるだけの物だった、、、
僕は母に「これさ、ハンズで揃えれば5千円かかんないんじゃないかな?」と、喉まで出かかったが止めた。
「レ、ミゼラブル」
何故かこの言葉が頭をよぎった。「ああ無情」
そんな父が今年の5月で引退した。
定年は過ぎていたが、アドバイザー的な立場で週に何回か出社していたのだ。
それも終わった。
人生のエピローグ近くの大きな節目である。
胸が詰まった。
野球が大好きで、僕たち兄弟を野球選手にするのが夢だった。
兄を川口工業高校(当時甲子園の常連だった)に入れようとしていたが、中学で兄は野球をやめた。
小学校の時に、兄は野球の「神童」と呼ばれていた。
高校に入ると兄はぐれた。
びっくりするくらいぐれた。
「レ、ミゼラブル」
またこの言葉が頭をよぎった。「ああ無情」
ならばと僕に期待をかけた。
僕は小太りだったので、父は本当は期待していなかったみたいだ。
しかし、コンプレックスと、兄以上になってやる!の強い思いが実を結び、町内
会の野球チームではキャプテン。
チームはかなり強かった。
野球の神童とまでは呼ばれなかったが、中心選手として活躍した。
活躍した僕は、町内の代表として当時の「沖縄海洋博」に確か2000円くらいで連れて行って貰った程だ。
何だったんだ。2000円。微妙。
しかし、僕は中学でサッカー部に入ってしまった、、、
「レ、ミゼラブル」
またまたこの言葉が頭をよぎった。「ああ無情」
父よ、あなたは強かった。
そんな子供達の事など気にせず、(気にしていたのかも知れない。いや、気にしていた)今でも町内会でソフトボールを毎週やっている。70歳なのに。
父が野球を教えた町内会の子供達の子供達に、今も野球を教えている。
町内会では、ちょっと顔の知られたじいさんである。
それだけでは無い、今でも体育館では、ミニテニス(これがかなりハード)。
公園で出来るグランドゴルフと言うのもやっている。
70歳なのに休みの日はほとんど家にいない。
「化け物」である。
誕生日のプレゼントは悩まずにすむ。
「スポーツ用品」
そー、スポーツ用品をプレゼントすれば喜ぶ。(中学生か!)
![三種の神器](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/021.jpg)
父のスポーツ「三種の神器」
グローブがビニール袋に入ってるのが、老人ならでは、、、
多分、乾燥を防いでいるのでは、、、
酒も飲まず、タバコも吸わず、人生を真っ直ぐに生きて来た父。
大先輩の俳優で書道家でもある梅津栄さんは、昔から父のつくった「佃煮」を食べてくださっていた。
他にも、大先輩の俳優で、父の作った「佃煮」を食べてくださっていた方がたくさんいらっしゃる。
梅津さんと共演させていただいた時に、こんな書を父に書いてくださった。
「勝村の父さんが造った黒色した貝から、おいしい、暖かい心味(こころあじ)の香りがしてくる。ありがとう。」
![梅津さんの書](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/020.jpg)
これが、梅津さんが父に書いてくれた書。
我が家にもたくさんある。
あ、最近Tシャツのバックプリントに「海人」
とか、「風」とか漢字書いてあるのは、みんな梅津さんの作品。
梅津さんの奥深い演技は、こんなやさしさと独創的な表現力が、全神経に宿っているからなんだなと、妙に感心した。
しかし、父には「レ、ミゼラブル」と言う言葉がよく似合う。
元気なおじいちゃんの姿が目に浮かびます。
勝村さんのスポーツ好きは、お父さんの遺伝子なんですね、きっと。
もしかして・・・(ごめんなさい)と、思いお邪魔してみたら・・・
私事ですが、今日は私の5O才の誕生日なのでチョッと嬉しいものがあります・・・(勝手に喜んでごめんなさい)
勝村さんのお父様・・・本当に素敵な方なんですね。
「佃煮」好きの私としては、1度でいいので、勝村さんのお父様の「佃煮」を食してみたかったです。
5月で引退されたとの事ですが、お疲れ様でした。<(_ _)>
ところで、勝村さんのタフな所はお父様譲りなのですね・・・きっと!!
勝村さんのお父様に対する想いが伝わってきました。
強くて元気なお父様のように、勝村さんが今まで以上にご活躍されることを切に願っております☆
ところで、昨夜のスマスマのシマウマ、出演されるの知らなかったので見た途端笑ってしまいました。「勝村さん!!」って。「あいのり」面白いですね!まだお髭があったので「白夜のワルキューレ」の頃ですね。次回が楽しみです。
今夜は録画した「タイヨウのうた」がやっと見れそうです。勝村さんのお父さん役、楽しみです。
勝村さんのお父様が、勝村さんの心に温かいものを育むような方だったおかげで、私たちが勝村さんを見て、幸せな気持ちになるのでしょう。
『レ、ミゼラブル』は、『ああ無情』と訳されますが、実は、たくさんの愛と救いが描かれていたことを思い出しました。