赤羽トレーニングセンター その2 / 2006年10月25日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
晴れの日が続いていたと気を緩めていたら、雨の日が続いたりしております。
Tシャツになったり、上着を着たり、、、、、
天気に振り回されています。
日本中が。
ざまーみろってな感じです。
自然に振り回されています。
かなり素敵です。
この程度なら。
「北風と太陽」の話じゃないけど、自然に振り回されると、自分がどーしよーもなく「無力」だとゆー事がわかります。
ありがたや。ありがたや。
もう、なされるがまま。全く抵抗できない気持ちよさに酔いしれています。
雨で葉っぱがガンガン散りやがって、落ち葉の掃除が大変だし、公園を散歩すれば、イチョウの木の下は「ぎんなん」が潰れていてうんこ臭いし、、、
注意して見ていると、「ぎんなん」を拾っている人って意外と多いんだと気づきます。
ぎんなんって美味しいもんな~。
ついでに落ちてるうんこも拾ってくれたらな~。なんて思ってしまいます。
犬の飼い主!しっかりしろ!
パリの街なんてうんこだらけだし、セントラルパークの回りもうんこだらけだし、富士山もうんこだらけだし、地球はうんこだらけだよ。ったく!
この文章もうんこだらけになってきたので、水に流しましょう。(うまくない)
とにかく、自然は偉大だとゆー事です。(何だ?そのまとめは)
え~、話は変わりますが、久々に「坊主」になりました。
バリカンの13ミリカット!
かなり髪の毛を伸ばしていたので、別人の様になりました。
20センチ以上切りました。(写真撮り忘れた)
髪の毛をずーっと伸ばしていたので、冬になったら「パーマあてましょうね」って(いつの言葉だよ)パーマ屋さんと(美容師さんでいいでしょ)約束してたのに、、、、
ごめんね。赤松ぅ~。
でもなんだか「うきうき」して顔が綻んでしまった。
「坊主」にしてみると、色々な人に、色々なことを言われる。
「あれ?どーしたの?何か悪さしたんでしょ」とか、
「煙草吸ったのが見つかったんだ」とか、(これは同年代のおじちゃんね)
「あ、今度は囚人の役ですか?」とか、(どーゆーこと?)
「ハンカチでも出すのか?このハンカチ王子!」(なんか、悲しい)等等
考えてみたら、日本では「坊主頭」の印象がすこぶるいくないのだ。
「坊主」=「囚人」は、なんか納得いかない。
さらに考えてみたら(どーでもいいような気がするけど、、、)
「ハゲ」の印象もすこぶるいくない。
海外では、「坊主」も「ハゲ」も印象がすこぶるよい。
子供の頃、ユル・ブリンナーが大好きだった。素敵な「王様」だった。
「鬼警部アイアンサイド」のテリー・サバラスも大好きだった。
スポーツなんて「ハゲ」だらけ。
マイケル・ジョーダンなんて「神様」だ。(そー言えば、七福神にもハゲが多い。ま、いっか)
サッカーなんてチームに2、3人「ハゲ」がうよっている。
引退したけど、イタリアのレフェリーだったコリーナさんなんか、血が出るくらい「ハゲ」だった。
でも、みんな本当にかっこいい!
日本でも、そろそろ「坊主」や「ハゲ」が、かっこいいと思われるような大人の社会になったら、(昔はかっこいいハゲが結構いたんだけどな)この国も捨てたもんじゃないよ。
ま、いっか。
僕が初めて「坊主」になったのは、中学三年の時。
たいした動機なんかなかったんだけど、一度は「坊主」になってみたかった。
「坊主」になってみると、考えられないくらい「楽」だった。
まず、頭が軽くなる(脳みそ関係ない)。びっくりするくらい。
なんか、アドバルーンの気持ちが少しわかった様な気がした。(ウソつけ)
で、顔を洗った勢いで、頭も洗える。
で、顔拭いた勢いで、頭も拭ける。
大変な勢いだ。
髪型考える必要ないし、ドライヤーも整髪料もいらない。
ま、欠点をあげるとすれば、冬に「弱い」。
初めて「坊主」にした時は、時期を誤ってしまい、中学の卒業アルバムに「坊主」のまま載る羽目になった。(野球部でさえ、既に坊主はいなかった、、、)
で、初めて「ハゲ」にした時は、まだ、銀座セゾン劇場の頃にやった、「ポップコーン」というウエストエンドで人気があった芝居をやった時。
別に頼まれた訳でもなかったんだけど、剃った。
なんか、「剃り」たかった。
でも、髪の毛を剃るのがあんなに大変だなんて知らなかった。
安全カミソリで「スー」っと剃れると思ってた。
風呂場に新聞紙を敷いて、カミソリで剃ってみた。
「ずずずずー」って中途半端に剃れたと同時に「ギャー」って悲鳴をあげた。
痛いなんてもんじゃなかった。
髪の毛を濡らしてもう一度試した。
「ぞぞぞぞー」って中途半端に剃れたと同時に「ウギャー」って悲鳴をあげた。
痛いなんてもんじゃなかった。
しばらく考えて、はさみで出来る限り切る事にした。
「シャギー、シャギー」って音がして、「バッサバッサ」新聞に髪の毛が落ちた。
で、石けんで泡を物凄くたててから、カミソリで剃った。何度も剃った。
その都度軽く「ヒッ」って小声で叫んだ。
頭が血まみれになっていた。
「白い泡」と、いたる所から流れ出る鮮やかな「血の紅」が混ざりあって、パティシエがつくる美味しそうなスイーツみたいだった。
とりあえず、「ハゲ」完成。
でもよく見ると、初めてだったし、一人で剃ったので、いろんな所に剃り残しがあって、長い毛も結構残っていて、血は止まってないし、泡も残っているし、なんだか排水溝みたいだった。(どーなの?)
二年くらい前にも、突然「坊主」にしてみた。
その時にも、いろんな人にいろんな事を言われた。
「役づくりですか?」ってのが多かった。
「役づくりですか?」って聞かれると、答えに困ってしまう。(役のつくりかたなんか知らないしね、、、)
「坊主」になる事は、やっぱり特殊な事みたいだ。
でも、おじちゃんになってから「坊主」になるのはちょっと「愉快」。
鏡を見ると、ハッキリと自分の顔が見える。
髪の毛がないから、ストレートに「顔」。
びっくりする。
こんな顔だったんだと、しげしげと眺めてしまう。
「あれ?」って思いながら、、、、
でも、その「あれ?」がなんなんだか思い出せない。
朝起きて、寝ぼけながら顔を洗っていると「悲鳴」をあげそうになった。
「マイ・ダディー!」僕のお父さん!(いらないね、訳は)
「あれ?」の意味がわかった。
僕の「父親」にそっくりだった。
鏡を覗くと、そこには僕の「父親」がいた。
思わず「うっわー、親父そっくり!」と声に出してしまっていた。
知らない間に、顔がどんどん自分の父親に似てきていた事がわかった。
可笑しかった。笑ってしまった。「愉快」だった。
なんだかスッキリした。
そして、歳をとるって「遺伝子」に逆らえなくなる事なんだって気づいた。
いつの間にか、ちゃんと「設計図」通りに出来上がっているのがわかった。
「愉快」で「愉快」で仕方が無い。
勝村家の「お父さん」が、また出来上がろうとしている。
逆らえない。
非常に心地いい。
若い頃にどれだけ格好つけても、いい服着て調子に乗っても、かっちょいい車に乗っても、どんなに身体鍛えても、頭が腫れるくらい本読んでも、偉そうに語っていても、最終的には勝村家のお父さんになっていく。
圧倒的な力ではなく、知らないうちに、緩やかに、、、、
北風の寒さに負けまいと、コートの襟を強く握りしめていたおじちゃんが、太陽の暖かさに、ゆっくりとコートのボタンを外す様に、、、、、
大変に「愉快!」
ざまーみろ!俺!
我が家には、「息子」がいないので、兄貴の「息子」が今ゆっくりと「太陽の暖かい日差し」を浴びている。
成長して、勝村家のお父さんになる。
笑える。ざまーみろだ。
逆らえない。
地球人全員が逆らえない。
死ぬ程最高に「愉快」。
でも、それって悪いことではない。
とても「しあわせ」なことだ。
僕の身体の中には、親父がいて、お袋がいて、会ったことのないじいちゃんがいて、ばあちゃんがいて、ひいじいちゃんがいて、ひいばあちゃんがいて、ひいひいじいちゃんがいて、ひいひいばあちゃんがいて、、、、、、、
逆らえない。
見えない「設計図」通りに、「正確」に出来上がっていくからこそ、僕は全てを受け入れて、勝村家のお父さんが完成するまで、「逆らえない」からこそ、死ぬ程逆らってやる。(ま、今まで通りね)
「愉快」に楽しみながら、逆らいながら、死ぬまで生きてやるのだ。
そう、死ぬまで生きていくのだ。
堂々と、「死ぬまで生きてやる宣言!」を発表してみちゃおうかな。
明確な意志を持って。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その2
その日から、トレーニングは始まった。
まず、コースを選ぶ。
毎日時間が有り余っている僕は、「毎日来れます」と緊張しながら言ってしまった。
コーチは「ヘェ~、そうなんだ。じゃぁ、ちゃんとやろーか」と素敵な笑顔で答えてくれた。
純情で?力が有り余っている僕は、その「笑顔」に答えなければ!
なんて思ってしまった。
最初は、ベンチプレスからだった。
いきなり、50キロのバーベルを持たされた。
うんこ漏らすかと思った。
コーチは、「わかった。じゃぁ、35キロからいこーか」と言って、メニューを組んでくれた。
50キロは身体能力を見るために持たされただけだったようだ。
よかった。うんこ漏らさなくて、、、、、
でも、50キロのバーベル持たされた時は、顔面に身体中の「血」が集まったんじゃないかと思った。
目からも鼻からも、押せば「血」が出て来そうだった。
トレーニングは実に論理的で合理的だった。
当時は運動が出来る奴は頭が悪い。みたいに言われていた。
でもコーチは、頭が良くなければ、運動も出来ないし、良い筋肉は作れない。と豪語していた。(今考えれば、当たり前の事である)
コーチのトレーニングを見ていると、すべて計算されていて圧巻だった。
「重さ」と闘っている人を初めてみた。
コーチの言葉の説得力は「身体」だった。
筋肉という名の「鎧」を纏った、まさに戦士だった。
後でわかった事だが、コーチは大会前で身体も心も「切れて」いた。
か細い僕も毎日、毎日、筋肉の張りとの闘いだった。
階段もまともに上がれない。
しかし、ハマった。まんまとハマった。完璧にハマった。
身体を「いじめる」事が楽しくて仕方が無い。
コーチは「身体を作るには、まず食べる事だ。ただ食べるんじゃなくて、筋肉をつけるために必要なものを食べろ」と言って、「必要な食べもの」を教えてくれた。
ちなみにコーチは、毎日「バナナ」、「レバー」、「プロテイン」なんかを時間を決めて「もさもさ」摂取していた。
そう。「摂取」
コーチは、「一番安くて筋肉が付きやすいには、『たまご』だ。勝村は若いんだから、コレステロールは運動で燃えるから心配しなくていい、一日20個くらい食べるんだぞ」とアドバイスしてくれた。
「、、、、、、、、は、はい?」
そーいえば、コーチが大量の生卵を飲んでいるのを見た事があった、、、(トカゲかよ)
生卵を産まれて初めて飲んでみた。
「ブォワァー」ってそのまま吐いた。
あんなにつるつるしてるのに、喉を通らない。
もう一回試した。
「ブォワァー」ってまた吐いた。
無理。
で、調理して食べる事にした。
朝、目玉焼を2つ。昼、オムレツで3つ。夜、もー食べたくない。
どんなにがんばっても一日5個が限界だった。
でもなるべくがんばって食べた。
「バナナ」はかかさなかったし、屋台の焼き鳥やを見つけると必ず「レバー」を頼んだ。ラーメン屋では「レバニラ炒め」もー、修行に近い。
晴れの日が続いていたと気を緩めていたら、雨の日が続いたりしております。
Tシャツになったり、上着を着たり、、、、、
天気に振り回されています。
日本中が。
ざまーみろってな感じです。
自然に振り回されています。
かなり素敵です。
この程度なら。
「北風と太陽」の話じゃないけど、自然に振り回されると、自分がどーしよーもなく「無力」だとゆー事がわかります。
ありがたや。ありがたや。
もう、なされるがまま。全く抵抗できない気持ちよさに酔いしれています。
雨で葉っぱがガンガン散りやがって、落ち葉の掃除が大変だし、公園を散歩すれば、イチョウの木の下は「ぎんなん」が潰れていてうんこ臭いし、、、
注意して見ていると、「ぎんなん」を拾っている人って意外と多いんだと気づきます。
ぎんなんって美味しいもんな~。
ついでに落ちてるうんこも拾ってくれたらな~。なんて思ってしまいます。
犬の飼い主!しっかりしろ!
パリの街なんてうんこだらけだし、セントラルパークの回りもうんこだらけだし、富士山もうんこだらけだし、地球はうんこだらけだよ。ったく!
この文章もうんこだらけになってきたので、水に流しましょう。(うまくない)
とにかく、自然は偉大だとゆー事です。(何だ?そのまとめは)
え~、話は変わりますが、久々に「坊主」になりました。
バリカンの13ミリカット!
かなり髪の毛を伸ばしていたので、別人の様になりました。
20センチ以上切りました。(写真撮り忘れた)
髪の毛をずーっと伸ばしていたので、冬になったら「パーマあてましょうね」って(いつの言葉だよ)パーマ屋さんと(美容師さんでいいでしょ)約束してたのに、、、、
ごめんね。赤松ぅ~。
でもなんだか「うきうき」して顔が綻んでしまった。
「坊主」にしてみると、色々な人に、色々なことを言われる。
「あれ?どーしたの?何か悪さしたんでしょ」とか、
「煙草吸ったのが見つかったんだ」とか、(これは同年代のおじちゃんね)
「あ、今度は囚人の役ですか?」とか、(どーゆーこと?)
「ハンカチでも出すのか?このハンカチ王子!」(なんか、悲しい)等等
考えてみたら、日本では「坊主頭」の印象がすこぶるいくないのだ。
「坊主」=「囚人」は、なんか納得いかない。
さらに考えてみたら(どーでもいいような気がするけど、、、)
「ハゲ」の印象もすこぶるいくない。
海外では、「坊主」も「ハゲ」も印象がすこぶるよい。
子供の頃、ユル・ブリンナーが大好きだった。素敵な「王様」だった。
「鬼警部アイアンサイド」のテリー・サバラスも大好きだった。
スポーツなんて「ハゲ」だらけ。
マイケル・ジョーダンなんて「神様」だ。(そー言えば、七福神にもハゲが多い。ま、いっか)
サッカーなんてチームに2、3人「ハゲ」がうよっている。
引退したけど、イタリアのレフェリーだったコリーナさんなんか、血が出るくらい「ハゲ」だった。
でも、みんな本当にかっこいい!
日本でも、そろそろ「坊主」や「ハゲ」が、かっこいいと思われるような大人の社会になったら、(昔はかっこいいハゲが結構いたんだけどな)この国も捨てたもんじゃないよ。
ま、いっか。
僕が初めて「坊主」になったのは、中学三年の時。
たいした動機なんかなかったんだけど、一度は「坊主」になってみたかった。
「坊主」になってみると、考えられないくらい「楽」だった。
まず、頭が軽くなる(脳みそ関係ない)。びっくりするくらい。
なんか、アドバルーンの気持ちが少しわかった様な気がした。(ウソつけ)
で、顔を洗った勢いで、頭も洗える。
で、顔拭いた勢いで、頭も拭ける。
大変な勢いだ。
髪型考える必要ないし、ドライヤーも整髪料もいらない。
ま、欠点をあげるとすれば、冬に「弱い」。
初めて「坊主」にした時は、時期を誤ってしまい、中学の卒業アルバムに「坊主」のまま載る羽目になった。(野球部でさえ、既に坊主はいなかった、、、)
で、初めて「ハゲ」にした時は、まだ、銀座セゾン劇場の頃にやった、「ポップコーン」というウエストエンドで人気があった芝居をやった時。
別に頼まれた訳でもなかったんだけど、剃った。
なんか、「剃り」たかった。
でも、髪の毛を剃るのがあんなに大変だなんて知らなかった。
安全カミソリで「スー」っと剃れると思ってた。
風呂場に新聞紙を敷いて、カミソリで剃ってみた。
「ずずずずー」って中途半端に剃れたと同時に「ギャー」って悲鳴をあげた。
痛いなんてもんじゃなかった。
髪の毛を濡らしてもう一度試した。
「ぞぞぞぞー」って中途半端に剃れたと同時に「ウギャー」って悲鳴をあげた。
痛いなんてもんじゃなかった。
しばらく考えて、はさみで出来る限り切る事にした。
「シャギー、シャギー」って音がして、「バッサバッサ」新聞に髪の毛が落ちた。
で、石けんで泡を物凄くたててから、カミソリで剃った。何度も剃った。
その都度軽く「ヒッ」って小声で叫んだ。
頭が血まみれになっていた。
「白い泡」と、いたる所から流れ出る鮮やかな「血の紅」が混ざりあって、パティシエがつくる美味しそうなスイーツみたいだった。
とりあえず、「ハゲ」完成。
でもよく見ると、初めてだったし、一人で剃ったので、いろんな所に剃り残しがあって、長い毛も結構残っていて、血は止まってないし、泡も残っているし、なんだか排水溝みたいだった。(どーなの?)
二年くらい前にも、突然「坊主」にしてみた。
その時にも、いろんな人にいろんな事を言われた。
「役づくりですか?」ってのが多かった。
「役づくりですか?」って聞かれると、答えに困ってしまう。(役のつくりかたなんか知らないしね、、、)
「坊主」になる事は、やっぱり特殊な事みたいだ。
でも、おじちゃんになってから「坊主」になるのはちょっと「愉快」。
鏡を見ると、ハッキリと自分の顔が見える。
髪の毛がないから、ストレートに「顔」。
びっくりする。
こんな顔だったんだと、しげしげと眺めてしまう。
「あれ?」って思いながら、、、、
でも、その「あれ?」がなんなんだか思い出せない。
朝起きて、寝ぼけながら顔を洗っていると「悲鳴」をあげそうになった。
「マイ・ダディー!」僕のお父さん!(いらないね、訳は)
「あれ?」の意味がわかった。
僕の「父親」にそっくりだった。
鏡を覗くと、そこには僕の「父親」がいた。
思わず「うっわー、親父そっくり!」と声に出してしまっていた。
知らない間に、顔がどんどん自分の父親に似てきていた事がわかった。
可笑しかった。笑ってしまった。「愉快」だった。
なんだかスッキリした。
そして、歳をとるって「遺伝子」に逆らえなくなる事なんだって気づいた。
いつの間にか、ちゃんと「設計図」通りに出来上がっているのがわかった。
「愉快」で「愉快」で仕方が無い。
勝村家の「お父さん」が、また出来上がろうとしている。
逆らえない。
非常に心地いい。
若い頃にどれだけ格好つけても、いい服着て調子に乗っても、かっちょいい車に乗っても、どんなに身体鍛えても、頭が腫れるくらい本読んでも、偉そうに語っていても、最終的には勝村家のお父さんになっていく。
圧倒的な力ではなく、知らないうちに、緩やかに、、、、
北風の寒さに負けまいと、コートの襟を強く握りしめていたおじちゃんが、太陽の暖かさに、ゆっくりとコートのボタンを外す様に、、、、、
大変に「愉快!」
ざまーみろ!俺!
我が家には、「息子」がいないので、兄貴の「息子」が今ゆっくりと「太陽の暖かい日差し」を浴びている。
成長して、勝村家のお父さんになる。
笑える。ざまーみろだ。
逆らえない。
地球人全員が逆らえない。
死ぬ程最高に「愉快」。
でも、それって悪いことではない。
とても「しあわせ」なことだ。
僕の身体の中には、親父がいて、お袋がいて、会ったことのないじいちゃんがいて、ばあちゃんがいて、ひいじいちゃんがいて、ひいばあちゃんがいて、ひいひいじいちゃんがいて、ひいひいばあちゃんがいて、、、、、、、
逆らえない。
見えない「設計図」通りに、「正確」に出来上がっていくからこそ、僕は全てを受け入れて、勝村家のお父さんが完成するまで、「逆らえない」からこそ、死ぬ程逆らってやる。(ま、今まで通りね)
「愉快」に楽しみながら、逆らいながら、死ぬまで生きてやるのだ。
そう、死ぬまで生きていくのだ。
堂々と、「死ぬまで生きてやる宣言!」を発表してみちゃおうかな。
明確な意志を持って。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その2
その日から、トレーニングは始まった。
まず、コースを選ぶ。
毎日時間が有り余っている僕は、「毎日来れます」と緊張しながら言ってしまった。
コーチは「ヘェ~、そうなんだ。じゃぁ、ちゃんとやろーか」と素敵な笑顔で答えてくれた。
純情で?力が有り余っている僕は、その「笑顔」に答えなければ!
なんて思ってしまった。
最初は、ベンチプレスからだった。
いきなり、50キロのバーベルを持たされた。
うんこ漏らすかと思った。
コーチは、「わかった。じゃぁ、35キロからいこーか」と言って、メニューを組んでくれた。
50キロは身体能力を見るために持たされただけだったようだ。
よかった。うんこ漏らさなくて、、、、、
でも、50キロのバーベル持たされた時は、顔面に身体中の「血」が集まったんじゃないかと思った。
目からも鼻からも、押せば「血」が出て来そうだった。
トレーニングは実に論理的で合理的だった。
当時は運動が出来る奴は頭が悪い。みたいに言われていた。
でもコーチは、頭が良くなければ、運動も出来ないし、良い筋肉は作れない。と豪語していた。(今考えれば、当たり前の事である)
コーチのトレーニングを見ていると、すべて計算されていて圧巻だった。
「重さ」と闘っている人を初めてみた。
コーチの言葉の説得力は「身体」だった。
筋肉という名の「鎧」を纏った、まさに戦士だった。
後でわかった事だが、コーチは大会前で身体も心も「切れて」いた。
か細い僕も毎日、毎日、筋肉の張りとの闘いだった。
階段もまともに上がれない。
しかし、ハマった。まんまとハマった。完璧にハマった。
身体を「いじめる」事が楽しくて仕方が無い。
コーチは「身体を作るには、まず食べる事だ。ただ食べるんじゃなくて、筋肉をつけるために必要なものを食べろ」と言って、「必要な食べもの」を教えてくれた。
ちなみにコーチは、毎日「バナナ」、「レバー」、「プロテイン」なんかを時間を決めて「もさもさ」摂取していた。
そう。「摂取」
コーチは、「一番安くて筋肉が付きやすいには、『たまご』だ。勝村は若いんだから、コレステロールは運動で燃えるから心配しなくていい、一日20個くらい食べるんだぞ」とアドバイスしてくれた。
「、、、、、、、、は、はい?」
そーいえば、コーチが大量の生卵を飲んでいるのを見た事があった、、、(トカゲかよ)
生卵を産まれて初めて飲んでみた。
「ブォワァー」ってそのまま吐いた。
あんなにつるつるしてるのに、喉を通らない。
もう一回試した。
「ブォワァー」ってまた吐いた。
無理。
で、調理して食べる事にした。
朝、目玉焼を2つ。昼、オムレツで3つ。夜、もー食べたくない。
どんなにがんばっても一日5個が限界だった。
でもなるべくがんばって食べた。
「バナナ」はかかさなかったし、屋台の焼き鳥やを見つけると必ず「レバー」を頼んだ。ラーメン屋では「レバニラ炒め」もー、修行に近い。
続く。
赤羽トレーニングセンター その1 / 2006年10月18日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
天気がよくて、とてもシアワセな日々を過ごしております。
夏に太陽をあんまり見なかったんで、じっくりと眺めたりしていると、時間があっとゆーまに過ぎてしまい驚きます。
もー10月も半ばです。
今年もいつの間にか、あとちょっと。
「テーマパーク・原田」では、恒例の「餅つき」の準備の話がちらほらと聞こえ始め、、、、
毎年、毎年、「早っいぇーな~!」なんて言いながら、ちょっぴりうれしいような、面倒くさいような、それはそれで楽しい時期になってきました。
土日が休みだったので、「天気もいいし」どっかで行こうかな~、なんて思っていたところに、友人から、「IKEYA」とゆー、スウェーデンの家具屋を紹介してもらったので、ちょっぴり出掛けることになった。
「IKEYA」は、すんごい「いい品物」が、「たーくさん」あってしかも「安っしー」らしい。
「いい品物」「たーくさん」そして「安っしー」
安物買いにはたまらない、「買い物三原則」である。
友人がミョウに興奮して教えてくれたので、僕もミョウに興奮してしまった。
第三京浜の「港北インター」のすぐ近くに「IKEYA」はあるらしい。
僕の興奮はおさまらない。
「港北インター」の手前の「都筑インター」に近づいた。
興奮している僕は娘に、「このインターの横に、『日本盲導犬協会』があるんだ
ぞ。昔は茅ヶ崎にあったんだけど、その頃「盲導犬」のドラマを撮っていたんだ
よ。で、その後ここに移ったんだよ」なんて「いい気に」なって説明していた。
僕は、盲導犬に関してちょっと詳しい。
「ラブの贈り物」というドラマで、盲導犬を育てる「パピーウォーカー」の役をパート2までやった。(偉大な監督であり、偉大な役者であった、僕の本当のとうちゃんみたいな、藤田敏八さんが御存命だったら、パート3、4と続いていた作品だった)
その他にも、「盲導犬クイール」というドラマでも、やはり、クイールを育てる「パピーウォーカー」の役を演じた。
ま、言ってみれば、日本一の「えせパピー」だ。(なんだ、それ?)
で、「都筑インター」でおりて「IKEYA」を探した。
、、、、、いくら探しても見つからない。
「あれ?おっかしーなー?」
なんて言っていると、娘が、
「ここでおりるんじゃなかったんじゃない?」
「し、しまったー!」
興奮しながら、「盲導犬協会」の説明なんかしちゃって、おりてる最中に、
「あ、ほら、ここ、ここ!ここが盲導犬協会!」なんて得意になって説明していた「バカ親父」、、、、、、
親父も恥ずかしかったが、その娘も恥ずかしかったに違いない。
赤ら顔の家族は、黙ったまま「IKEYA」に向かった。
人生の教訓。
「興奮し、得意になれば、まわりもみんな赤ら顔」
「赤ら顔」ながらもバカ親父は、心に誓っていた「ある事」を反復していた。
それは、「コストコ」で痛い目にあった「買い過ぎ」。
意味も無く興奮して買った「3個つながりメープルシロップ」は、家で使っているメープルシロップの他にもう一本在庫があったために、未だに袋のまましまってある。
他の大量に買った商品もほとんど「手つかず」の状態のままだ。
段ボールで買った「トイレクイックル」をよく見たら、詰め替え用だった、、、、、
一度開けると、「袋」が閉じられなくて、「ウエットシート」乾いちゃうから、 未だに袋が開けられない、、、、
だから、今回は行く前から決めていた。
「今日は下見!」
午後から約束があったので、11時に着いた。
駐車場の「P」の文字を見た瞬間に、僕の興奮はマックスに達していた。
そして店内に入った時に、台所に置く予定の棚の「サイズ」をメモった紙を車に置き忘れてきた事に気づいた、、、、、、
自分が嫌になってきた。
凄かった。一日ではもったいない気がした。近所にホテルを作って、泊まりがけで買い物したかった。ディズニー・シーみたいに、、、
結局、何も買わないつもりだったけど、余計な物をじょろじょろ買ってしまった、、、、
![大蛇](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101801.jpg)
下見のはずが…
二メートルを以上もある蛇が…我が家に…
IKEYAのオススメらしく、何千匹も売ってた…
買っちゃった…
「コストコ」に続き、「IKEYA」も素晴らしかった。
「買い物好き心」をくすぐられ、鷲掴みにされた上、「恋心」までも抱いてしまいそうだ。
参った。このままだと、我が家はただの「物置」になってしまいそうだ。
ま、嫌いじゃないけど、、、、
必ず、近いうちに行ってやるぞ!(誰に言ってんだ?)
![オードリー](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101802.jpg)
上司の一人が社長に就任。
社長室に飾ってと、永遠のアイドル「オードリー」のでかいパネルをプレゼント
でも、僕も欲しくって同じものを買ってしまった。
下見でしょ!
で、午後の用事。
僕が働いていた頃の上司が癌で手術したんだけど、見事生還した。
「快気祝い」
昔の上司3人と20数年ぶりで一緒に酒を飲んだ。
生還した上司は、昔スキーに行った時、崖から落ちて木に頭をぶつけて脳挫傷。
(スキーは決してうまくない、、、ただ落ちた)
リハビリで何とか生還した。
で、半年前に胃がんが見つかって手術。
生還したが、肝臓に転移していたのが見つかり、手術。
みんな、正直「もーダメだ」と思っていた。
それが、今月に本人から電話があって、治ったから「快気祝いしよー」だって、、、、、
世の中には化け物がいるもんである。
流石に酒は一杯しか飲まなかったが(飲んだんだよ。この人)、昔の話で久々に大笑いした。
で、日曜日。
「のぼるくん」を母親の「さゆり」と遊ばせる事にした。
「さゆり親子」は「羽根木公園」に向かった。
初めて行ったんだけど、家族連れでいっぱいだった。
グラウンドがあって、真剣に野球やっていたり、子供たちが元気に遊びまわっていて、活気のある楽しい公園だった。
僕は普段、「代々木公園」に行っているので、全然違う雰囲気に戸惑った。
「代々木公園」にはあまり子供がいない。
ま、場所がら仕方ないんだけど、公園ってこーなんだよねって感じを思い出した。
知り合いの映画監督に偶然会った。
なんだか「偶然」が多い。
子供と遊んでいる監督に、
「あれ?子供いたっけ?」って聞くと、
「次に撮る映画の子役のオーディションを兼ねて遊んでいるんですけど(遊びながら、自然な表情とかも見ているらしい)、今年撮るはずだったのが来年に伸びちゃって、、、でも、3ヶ月も経つと、この子たち大きくなっちゃいますよね~」と笑いながらも困っていた。
子供の成長は早い。
いろんな物語が、公園にはあるもんだなとちょっと笑ってしまった。
親子がみんな楽しそうだった。
「さゆり親子」は、自分たちが親子だってわかっているんだろーか?
ちょっと不安はあったが、二匹は淡々としている。
何を考えているのか全くわからない。
こんなマイペースが羨ましい。
のぼるが初めて我が家に来た時に、お母さんに会いたいんだろーな~と思い、
1ヶ月後くらいに「さゆり」の飼い主の奥野に電話した。
「『さゆり』に『のぼるくん』を会わせてあげたいんだけど、、、」
すっかり犬の親になりきってしまっている「サル顔」の奥野は、
「ありがとう!すぐに連れてきてあげて」なんて興奮して涙声になっている。
「のぼるくん」を連れて行って、親子の再会に僕らも息を飲んだ。
母親の「さゆり」は、目に涙をためてる。(ように見えた)
興奮して「のぼるくん」に向かって行った。
ここだけ、「スローモーション」になった。(ように見えた)
ちょっぴり胸がキュンとしている僕らの目の前で、「さゆり」は「のぼるくん」の上に乗り、腰をふりはじめた、、、、、
「うわー!」っと奥野が叫び、あわてて「さゆり」をどけた。
「子供なんだぞ、お前の子供なんだぞ!」と興奮して「真っ赤」な顔で「さゆり」に説明している。
みんながっかり、、、、
これまた興奮してる「さゆり」のうけ口から「白い下の歯」が覗いていて、小バカにされているようで、やや「赤ら顔」の僕らは余計にがっかりした。
そんな「さゆり」に後2年くらいたったら、もう一回子供を産ませるらしい。
大丈夫なのか?
![のぼる1](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101803.jpg)
さゆりの服でコスプレ。
でも、のぼるくんがデカすぎてサイズが合うのがほとんどない。
![のぼる2](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101804.jpg)
ちょいワル
のぼるくんに背伸びさせてみました(_ _)
![のぼる3](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101805.jpg)
かつらを付けて、おばちゃんみたいになったのぼるくん。
ほんとは、ミック・ジャガーにしたかった
![さゆり](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101806.jpg)
さゆり。
なんか、風格がある
「のぼるくん」は先日代々木公園で、たくさんの犬と出会った。
興奮し過ぎた「のぼるくん」は、みんなの前でゲロ吐いた、、、、
なんだか恥ずかしくて、僕はちょっぴり顔が「赤く」なった。
大丈夫なのか?
ここで人生の教訓を思い出した。
「興奮し、得意になれば、まわりもみんな赤ら顔」
大丈夫なのか?バカ犬。そしてバカ親父の僕。
とにかく、「世界中」様々な心配はつきない、、、、、
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その1
二十歳の時、働いていた会社を辞めた。
なんにも考えていなかった。とにかく、辞めたいと思った。
辞めたらスッキリした。
今までの仕事が自分に向いていなかった事がよくわかった。
なんだか、ドロドロの身体をシャワーで洗い流して、真っ白い大きなバスタオルで拭いているような「爽快感」だった。
しかし、何も考えずに辞めるという事は、シャワーの後「下着」の用意もしていないんだという事にも気づいた。
「全裸」
これから当分は、人生を「全裸」で過ごさなければならない。
だけど「爽快感」が「全裸」を包み込んでくれていた。
忙しく働いていたので、本当に少なかったけど、「蓄え」に近いものはあった。
バイトする気もなかったので、ゆっくり「次」を考えればよかった。
それに、2年近く働いた。
次の就職までの間、失業保険を貰いながらのんびりと「楽」がしたかった。
手続きをしようとしたら、「そんなみっともないこと!」と母親に叱られた。
何故?みっともないのかよくわからなかったが、母親が嫌がってるので、仕方なく諦めた。(後年、母親はそんの事言った覚えがない。「もったいなかったわね~」とのたまった。ったく!)
毎日、毎日、家で「ごろんごろん」してた。
毎週水曜日の夜に、浦和にある「駒場サッカー場」でのサッカーの練習だけが、「生き甲斐」になっていた。
浦和の1部リーグの「ピースロン」というチームに入っていた。
浦和のリーグは1部で優勝すると翌年の開幕戦は、駒場の「芝」のグラウンドで試合が出来た。サッカー小僧たちの夢であった。
「生き甲斐」意外は「ごろんごろん」している。
人間はこーやってダメになっていくってのがよくわかった。
というか、少しダメになりかけていた。
ある日、母親から「みっともないから、昼間は外に出ないで」と言われた。
そんなに昼に外に出ていたつもりはなかったが、いい大人が目的もなく「だらだら」生きているのが耐えられなかったのだろう。
母親からすれば、僕はかなり「みっともない」存在だったのだ。
仕方ないから、サッカーチームの会社でもある「ピースロン」に就職して、サッカーしながら働くのも悪くないと思った。
先輩に相談すると、その会社は精密機械の部品を作っているそうだ。
先輩は、「勝村、お前、工場の中に一生いるのは嫌だろ?止めといた方がいいぞ」と言われた。
見学にまで行ったのだが、素直にしたがった。
さー、どーしよー。
脳みそが筋肉で出来ていた若者は(僕ね)、まず「身体を鍛えよう」と考えた。
(なんだか清々しい)
考えても、何も解決しないのは経験上わかっていた。「筋肉レベル」でわかっていた。
とにかく、動いた方が「得策」だと思った。
バカ者は、いや、若者は、昔「赤羽」という町に出掛けた時に見かけた、「赤羽トレーニングセンター」を思い出した。
早速、赤羽にその頃の愛車、原付のオレンジ色の「HONDA タクト」で向かった。
東口側の商店街の中の建物の2階に「赤トレ(長いから略す)」はあった。
温厚そうな、ちょっぴり肉付きのいい会長が対応して下さった。
コーチは僕より小柄だった。
真っ黒に日焼けした端正な顔とはまるでアンバランスな、「Tシャツからはみ出ている腕は」僕の腿とたいしてかわりがないように見えた。
初めて間近で、肉眼で捉えた、本物の「ボディービルダー」だった。
圧巻だった。ちょっと恐いくらいだった。
天気がよくて、とてもシアワセな日々を過ごしております。
夏に太陽をあんまり見なかったんで、じっくりと眺めたりしていると、時間があっとゆーまに過ぎてしまい驚きます。
もー10月も半ばです。
今年もいつの間にか、あとちょっと。
「テーマパーク・原田」では、恒例の「餅つき」の準備の話がちらほらと聞こえ始め、、、、
毎年、毎年、「早っいぇーな~!」なんて言いながら、ちょっぴりうれしいような、面倒くさいような、それはそれで楽しい時期になってきました。
土日が休みだったので、「天気もいいし」どっかで行こうかな~、なんて思っていたところに、友人から、「IKEYA」とゆー、スウェーデンの家具屋を紹介してもらったので、ちょっぴり出掛けることになった。
「IKEYA」は、すんごい「いい品物」が、「たーくさん」あってしかも「安っしー」らしい。
「いい品物」「たーくさん」そして「安っしー」
安物買いにはたまらない、「買い物三原則」である。
友人がミョウに興奮して教えてくれたので、僕もミョウに興奮してしまった。
第三京浜の「港北インター」のすぐ近くに「IKEYA」はあるらしい。
僕の興奮はおさまらない。
「港北インター」の手前の「都筑インター」に近づいた。
興奮している僕は娘に、「このインターの横に、『日本盲導犬協会』があるんだ
ぞ。昔は茅ヶ崎にあったんだけど、その頃「盲導犬」のドラマを撮っていたんだ
よ。で、その後ここに移ったんだよ」なんて「いい気に」なって説明していた。
僕は、盲導犬に関してちょっと詳しい。
「ラブの贈り物」というドラマで、盲導犬を育てる「パピーウォーカー」の役をパート2までやった。(偉大な監督であり、偉大な役者であった、僕の本当のとうちゃんみたいな、藤田敏八さんが御存命だったら、パート3、4と続いていた作品だった)
その他にも、「盲導犬クイール」というドラマでも、やはり、クイールを育てる「パピーウォーカー」の役を演じた。
ま、言ってみれば、日本一の「えせパピー」だ。(なんだ、それ?)
で、「都筑インター」でおりて「IKEYA」を探した。
、、、、、いくら探しても見つからない。
「あれ?おっかしーなー?」
なんて言っていると、娘が、
「ここでおりるんじゃなかったんじゃない?」
「し、しまったー!」
興奮しながら、「盲導犬協会」の説明なんかしちゃって、おりてる最中に、
「あ、ほら、ここ、ここ!ここが盲導犬協会!」なんて得意になって説明していた「バカ親父」、、、、、、
親父も恥ずかしかったが、その娘も恥ずかしかったに違いない。
赤ら顔の家族は、黙ったまま「IKEYA」に向かった。
人生の教訓。
「興奮し、得意になれば、まわりもみんな赤ら顔」
「赤ら顔」ながらもバカ親父は、心に誓っていた「ある事」を反復していた。
それは、「コストコ」で痛い目にあった「買い過ぎ」。
意味も無く興奮して買った「3個つながりメープルシロップ」は、家で使っているメープルシロップの他にもう一本在庫があったために、未だに袋のまましまってある。
他の大量に買った商品もほとんど「手つかず」の状態のままだ。
段ボールで買った「トイレクイックル」をよく見たら、詰め替え用だった、、、、、
一度開けると、「袋」が閉じられなくて、「ウエットシート」乾いちゃうから、 未だに袋が開けられない、、、、
だから、今回は行く前から決めていた。
「今日は下見!」
午後から約束があったので、11時に着いた。
駐車場の「P」の文字を見た瞬間に、僕の興奮はマックスに達していた。
そして店内に入った時に、台所に置く予定の棚の「サイズ」をメモった紙を車に置き忘れてきた事に気づいた、、、、、、
自分が嫌になってきた。
凄かった。一日ではもったいない気がした。近所にホテルを作って、泊まりがけで買い物したかった。ディズニー・シーみたいに、、、
結局、何も買わないつもりだったけど、余計な物をじょろじょろ買ってしまった、、、、
![大蛇](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101801.jpg)
下見のはずが…
二メートルを以上もある蛇が…我が家に…
IKEYAのオススメらしく、何千匹も売ってた…
買っちゃった…
「コストコ」に続き、「IKEYA」も素晴らしかった。
「買い物好き心」をくすぐられ、鷲掴みにされた上、「恋心」までも抱いてしまいそうだ。
参った。このままだと、我が家はただの「物置」になってしまいそうだ。
ま、嫌いじゃないけど、、、、
必ず、近いうちに行ってやるぞ!(誰に言ってんだ?)
![オードリー](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101802.jpg)
上司の一人が社長に就任。
社長室に飾ってと、永遠のアイドル「オードリー」のでかいパネルをプレゼント
でも、僕も欲しくって同じものを買ってしまった。
下見でしょ!
で、午後の用事。
僕が働いていた頃の上司が癌で手術したんだけど、見事生還した。
「快気祝い」
昔の上司3人と20数年ぶりで一緒に酒を飲んだ。
生還した上司は、昔スキーに行った時、崖から落ちて木に頭をぶつけて脳挫傷。
(スキーは決してうまくない、、、ただ落ちた)
リハビリで何とか生還した。
で、半年前に胃がんが見つかって手術。
生還したが、肝臓に転移していたのが見つかり、手術。
みんな、正直「もーダメだ」と思っていた。
それが、今月に本人から電話があって、治ったから「快気祝いしよー」だって、、、、、
世の中には化け物がいるもんである。
流石に酒は一杯しか飲まなかったが(飲んだんだよ。この人)、昔の話で久々に大笑いした。
で、日曜日。
「のぼるくん」を母親の「さゆり」と遊ばせる事にした。
「さゆり親子」は「羽根木公園」に向かった。
初めて行ったんだけど、家族連れでいっぱいだった。
グラウンドがあって、真剣に野球やっていたり、子供たちが元気に遊びまわっていて、活気のある楽しい公園だった。
僕は普段、「代々木公園」に行っているので、全然違う雰囲気に戸惑った。
「代々木公園」にはあまり子供がいない。
ま、場所がら仕方ないんだけど、公園ってこーなんだよねって感じを思い出した。
知り合いの映画監督に偶然会った。
なんだか「偶然」が多い。
子供と遊んでいる監督に、
「あれ?子供いたっけ?」って聞くと、
「次に撮る映画の子役のオーディションを兼ねて遊んでいるんですけど(遊びながら、自然な表情とかも見ているらしい)、今年撮るはずだったのが来年に伸びちゃって、、、でも、3ヶ月も経つと、この子たち大きくなっちゃいますよね~」と笑いながらも困っていた。
子供の成長は早い。
いろんな物語が、公園にはあるもんだなとちょっと笑ってしまった。
親子がみんな楽しそうだった。
「さゆり親子」は、自分たちが親子だってわかっているんだろーか?
ちょっと不安はあったが、二匹は淡々としている。
何を考えているのか全くわからない。
こんなマイペースが羨ましい。
のぼるが初めて我が家に来た時に、お母さんに会いたいんだろーな~と思い、
1ヶ月後くらいに「さゆり」の飼い主の奥野に電話した。
「『さゆり』に『のぼるくん』を会わせてあげたいんだけど、、、」
すっかり犬の親になりきってしまっている「サル顔」の奥野は、
「ありがとう!すぐに連れてきてあげて」なんて興奮して涙声になっている。
「のぼるくん」を連れて行って、親子の再会に僕らも息を飲んだ。
母親の「さゆり」は、目に涙をためてる。(ように見えた)
興奮して「のぼるくん」に向かって行った。
ここだけ、「スローモーション」になった。(ように見えた)
ちょっぴり胸がキュンとしている僕らの目の前で、「さゆり」は「のぼるくん」の上に乗り、腰をふりはじめた、、、、、
「うわー!」っと奥野が叫び、あわてて「さゆり」をどけた。
「子供なんだぞ、お前の子供なんだぞ!」と興奮して「真っ赤」な顔で「さゆり」に説明している。
みんながっかり、、、、
これまた興奮してる「さゆり」のうけ口から「白い下の歯」が覗いていて、小バカにされているようで、やや「赤ら顔」の僕らは余計にがっかりした。
そんな「さゆり」に後2年くらいたったら、もう一回子供を産ませるらしい。
大丈夫なのか?
![のぼる1](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101803.jpg)
さゆりの服でコスプレ。
でも、のぼるくんがデカすぎてサイズが合うのがほとんどない。
![のぼる2](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101804.jpg)
ちょいワル
のぼるくんに背伸びさせてみました(_ _)
![のぼる3](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101805.jpg)
かつらを付けて、おばちゃんみたいになったのぼるくん。
ほんとは、ミック・ジャガーにしたかった
![さゆり](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/2006101806.jpg)
さゆり。
なんか、風格がある
「のぼるくん」は先日代々木公園で、たくさんの犬と出会った。
興奮し過ぎた「のぼるくん」は、みんなの前でゲロ吐いた、、、、
なんだか恥ずかしくて、僕はちょっぴり顔が「赤く」なった。
大丈夫なのか?
ここで人生の教訓を思い出した。
「興奮し、得意になれば、まわりもみんな赤ら顔」
大丈夫なのか?バカ犬。そしてバカ親父の僕。
とにかく、「世界中」様々な心配はつきない、、、、、
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その1
二十歳の時、働いていた会社を辞めた。
なんにも考えていなかった。とにかく、辞めたいと思った。
辞めたらスッキリした。
今までの仕事が自分に向いていなかった事がよくわかった。
なんだか、ドロドロの身体をシャワーで洗い流して、真っ白い大きなバスタオルで拭いているような「爽快感」だった。
しかし、何も考えずに辞めるという事は、シャワーの後「下着」の用意もしていないんだという事にも気づいた。
「全裸」
これから当分は、人生を「全裸」で過ごさなければならない。
だけど「爽快感」が「全裸」を包み込んでくれていた。
忙しく働いていたので、本当に少なかったけど、「蓄え」に近いものはあった。
バイトする気もなかったので、ゆっくり「次」を考えればよかった。
それに、2年近く働いた。
次の就職までの間、失業保険を貰いながらのんびりと「楽」がしたかった。
手続きをしようとしたら、「そんなみっともないこと!」と母親に叱られた。
何故?みっともないのかよくわからなかったが、母親が嫌がってるので、仕方なく諦めた。(後年、母親はそんの事言った覚えがない。「もったいなかったわね~」とのたまった。ったく!)
毎日、毎日、家で「ごろんごろん」してた。
毎週水曜日の夜に、浦和にある「駒場サッカー場」でのサッカーの練習だけが、「生き甲斐」になっていた。
浦和の1部リーグの「ピースロン」というチームに入っていた。
浦和のリーグは1部で優勝すると翌年の開幕戦は、駒場の「芝」のグラウンドで試合が出来た。サッカー小僧たちの夢であった。
「生き甲斐」意外は「ごろんごろん」している。
人間はこーやってダメになっていくってのがよくわかった。
というか、少しダメになりかけていた。
ある日、母親から「みっともないから、昼間は外に出ないで」と言われた。
そんなに昼に外に出ていたつもりはなかったが、いい大人が目的もなく「だらだら」生きているのが耐えられなかったのだろう。
母親からすれば、僕はかなり「みっともない」存在だったのだ。
仕方ないから、サッカーチームの会社でもある「ピースロン」に就職して、サッカーしながら働くのも悪くないと思った。
先輩に相談すると、その会社は精密機械の部品を作っているそうだ。
先輩は、「勝村、お前、工場の中に一生いるのは嫌だろ?止めといた方がいいぞ」と言われた。
見学にまで行ったのだが、素直にしたがった。
さー、どーしよー。
脳みそが筋肉で出来ていた若者は(僕ね)、まず「身体を鍛えよう」と考えた。
(なんだか清々しい)
考えても、何も解決しないのは経験上わかっていた。「筋肉レベル」でわかっていた。
とにかく、動いた方が「得策」だと思った。
バカ者は、いや、若者は、昔「赤羽」という町に出掛けた時に見かけた、「赤羽トレーニングセンター」を思い出した。
早速、赤羽にその頃の愛車、原付のオレンジ色の「HONDA タクト」で向かった。
東口側の商店街の中の建物の2階に「赤トレ(長いから略す)」はあった。
温厚そうな、ちょっぴり肉付きのいい会長が対応して下さった。
コーチは僕より小柄だった。
真っ黒に日焼けした端正な顔とはまるでアンバランスな、「Tシャツからはみ出ている腕は」僕の腿とたいしてかわりがないように見えた。
初めて間近で、肉眼で捉えた、本物の「ボディービルダー」だった。
圧巻だった。ちょっと恐いくらいだった。
続く。
フェデラー~冷蔵庫の掃除屋~猛禽類の餌 / 2006年10月11日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
なんだか、嵐が色々と爪痕を残していきやがって、、、、
ジャパン・オープンも大変だったようです。会場を移して試合が行われるなんて、想像もしていなかった。選手の皆様も、観客の皆様も大変だったでしょう。
で、嵐が去った土曜日、行ってきちゃいました。
フェデラー観に。
チケットなかったんだけど、手下の藤原くんが(いつから?)当日券売り場に並んでくれて、なんとか自由席の(指定が全て完売)チケットをゲットしてくれました。パチパチパチ、、、、(テニス関係の会社なんだから、指定席くらい何とかなんね~のか?あ?)
あ!、すみません、僕の中の悪魔が、、、、
ありがと、手下の藤原くん。
でもな~、最前列の席がほとんど空いてたんだよな~、、、、
舞台でもありがちなんだけど、、、、、、、、
失礼なんだよ!あんなみっともない事すんなっつーの。
ま、いっか。いや、よくない。文化水準が低いんだよ!
何か特別な理由があったと思いたい。
やっぱり、どーしてももう一回観てみたかった。テニスという名の芸術を。
西日が激しく当たる、一番上のオレンジ色のシートに腰掛けた。
今日の相手は、アガシを引退に追い込んだと紹介されていた。ベッカー。
余談だが、テレビでドイツのブンデスリーガでバイルンミュンヘンの試合をみていたら、あの、往年の名選手、「ボリス・ベッカー」が試合を観戦していた。一瞬だけカメラが捉えていたが、なんかすごい、大人になったとゆーか、おっさんになりすぎていたとゆーか、、、昔、いきなり髭はやして試合に出ていた時にも驚いたが、今回もまた驚かされた。
ま、いっか。
アガシを引退に追い込んだって紹介が気にくわなかったが、ちょっと期待した。
フェデラーがセンターコートに登場した。
またしてもぞわぞわと身体が震えた。
フェデラーはいつも変わらない。
ま、2回しかみた事ないんだけど。
なんか、「すー」っといる。
力みとか、緊張とか何も感じられない。
ただ、そこにいる。
歩き方なんか、銭湯帰りのおっちゃんみたいだし、、、(試合中はあんなに美しい動きなのに、、、ちょっとおもろい)本当に、その辺を歩いている近所の人みたいだ。
前の試合までは、なんとなく場内が騒がしかった。
昔の川崎球場みたいな感じ。(わかる人はわかる)
でも、フェデラーの試合が始まると、会場がいつの間にか一つになっている。広島球場みたいな感じ。(見た事ないけど)
みる者を圧倒的に引きつけてしまう。でも、本人はたんたんとマイペース。
それでいて、試合中に、何手も先を読んでいる棋士のようでもあり、アドリブのうまい芸人のようでもあり、F-1のレーサーのようでもあり、、、、、
なんだか、すべての形容が当たっているようでもあり、まったくはずれているようでもある。
ま、かんたんにゆーと、「フェデラー」
それだけである。
試合は1時間かからなかった。でも、今回も大満足だった。
また観たいと思った。
先週にフェデラーの事書いたから、このくらいにしとこー。
でも、やはり次に観る時は、ウインブルドンのセンターコートで観てみたいものである。
先週の僕は、「クレーマー、クレーマー」だった。父子家庭。
フェデラーも、もちろん二人で行った。娘が3日に観に行った時は、学校があったからフェデラーの試合を観る事が出来なかった。興奮したとうちゃんがフェデラー、フェデラーってうなされていたもんだから、彼女もどーしても自分の目で
観たくなってしまったんだね。
帰りの車の中で、フェデラーの試合と、前の女性の試合の何がどんなふうに違ったか聞いてみた。
彼女は、少しだけ考えた。そして、
「性別じゃない?」と答えた。
次に日、原田芳雄さんのお孫さんから娘に電話があって、一緒に遊ぶ事になった。待ち合わせの場所まで歩いている途中に、車が止まっていた。
中で、手を振っているおじちゃんたちがいた。
このブログには欠かす事の出来ない、奥野とユータだった、、、、、
偶然すぎる。
聞けば、今からキッチュの「折り顔展」の最終日に行くらしい。
暇だったので、僕だけ真夏みたいな格好で参加した。
キッチュもいた。
話してたら、いきなり芳雄さんが一人で入ってきた。
ぐ、偶然すぎる。
で、5人で隣の喫茶店に入った。「昼間にいきなり会うと恥ずかしいな」なんて言いながら、運転のユータと、この後仕事のキッチュ以外はビールを飲んだ。
真っ昼間っから、喫茶店でビール。
なんか、ちょっぴり罪悪感があって、違うロケーションだったり、これぞ休日!
みたいな幸福感もあって、贅沢な午後を過ごした。
余韻も楽しんだ。昼間にちょっと酔って話すのも悪くない。
余談だが、芳雄さんの家の庭にはサンドバックが吊るしてある。で、毎日トレーニングをしている。近所の僕はたまに芳雄さん家まで走って、一緒にサンドバックを叩いたりしてた。(最近行ってないけど、、、)
その間の会話、
「おはよっす」
「おー」
のみ。(大人のくせに昼間に会うとしゃべれない)
で、汗かいて、芳雄さんが、
「ルービ(ビールね)飲むか」
「ええ」と僕。
で、飲み始めたら二人でしゃべるしゃべる。ただのおしゃべり。
しかし、ちょっと酔ったのが間違いだった。
勢いついちゃった。
「じゃぁ、このまま家でやるか」と芳雄さん。
返事するまでもない僕ら。
ユータが車だって言ってんのに、タクシー探してる芳雄さん。
勢いが衰えないまま、飲み始めた。奥さんも2階から降りてきた。
みんなグイグイ飲んでいる。
いきなりだからつまみがない。
普段なら、つまみはたくさんあるんだけど、奥さんが芳雄さんはご飯を外で食べてくると思ったらしく珍しく何にもなかった。
ここで、冷蔵庫の掃除屋と異名を持つあたいの(持たないでしょ)出番。
見て欲しい。
![冷蔵庫の掃除屋の仕事](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/20061011.jpg)
冷蔵庫の掃除屋の仕事
気づいたのが遅く、大分なくなってしまった。
あっとゆーまに作った。
メニュー。
かりかりに焼いた豚とほうれん草のちょい炒めサラダ風
豚バラ冷しゃぶサラダ、ボイルしたネギたっぷり、大根おろし添え
かぼちゃの煮付け
牛肉、野菜炒め、プルコギ風(油とみりんを間違えたから)
湯豆腐
焼き肉(子供たち用)
子供たちがいたから、10時に打ち切られたが、僕らは15時くらいから飲んでいる。しかし僕らだけなら、3時くらいまではいたと思う。
この日、総勢9人。非常にこじんまりとした「宴」だった。
(なにせ、テーマパーク・原田だかんね)
で、今回のメインイベント。
娘のお弁当。
10日は最後の「クレーマークレーマー」の日。
しかも、お弁当を作らねばならない。
僕は、お弁当に「ちょっと痛い思い出」を持っている。
元佃煮やの彼女こと、マイ・マミーはお弁当作りのセンスが欠落していた。
高校生の時の僕のお弁当。
アルミニウムのお弁当箱に、ご飯が5分の4入っている。上に空いた5分の1のスペースに「焼いたしゃけの切り身」
のみ。
がっはっはっはっはっは、、、、、
誰にも見せられなかった。
でも、仲良しだった橋村が、僕が残したしゃけの皮を「皮が1番うまいんだよ」
と言って食べてくれた。橋村は弁当を持って来た事がなかった。いつもパンを買っていた。ありがと。橋村。
ちょっと泣きそうになってしまった、、、、
ある日、マミーは突然、「冷凍食品」を弁当に入れて来た。
「味の素、中華包み上げ」
美味しかった。まぁ、しゃけのスペースに入っていただけなんだけど、これがあなた、死にそうなくらい美味しかった。
家に帰って、マミーに話すと、一週間「味の素、中華包み上げ」が入ってきた、、、
高校生の僕は、味の素に「中華包み上げを製造中止にして下さい」と電話したかった。
おいしかったのに、大好きなのに食べたくない。
哲学的に表現すれば「絶対矛盾の自己同一」(ほんとか?)
だ・か・ら、自分の娘の弁当をつくるからには、満足して貰わなければならない。
で、「冷凍食品厳禁」をテーマにしてみた。
そして食べるときまで、中味を教えない。
娘は緑の野菜を食べない。
道は厳しい。
長くなってきたからかいつまむ。(もっとはやく気づけよ)
10日の朝、5時に起きて作ったお弁当のメニュー。
3色ご飯(鮭、ごま塩、おかか)
ポテトの肉巻きあっさり塩こしょう味
枝豆入り、すり山芋入り、鶏肉団子巾着、関東煮
豚ヒレ肉のソテー、コールスロー添え
シュウマイ(保険)
完璧。
しかし、作った後で考えてみたら全部「肉!」
俺の娘は猛禽類か!
![猛禽類の餌](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/200610111.jpg)
これが猛禽類の餌
緑が少ない。都会の公園か。
大失敗。もー少しがんばんなきゃ、、、、
次はすごいよ。
てなわけで、お隣の国がやってくれました、、、、、
僕が、政治的な発言をしても仕方ないんだけど、、、、、、
自分でちゃんと考えたい。
フェアに考えたい。と思う。
ちょっとテレビをみたら、いろんな人がいろんな事を言っていた。
だれも間違っていないと思う。
だけど、日本人の大好きなフランスだって、何度も何度も同じ事をやった。
フランス産のワインを飲まないって、たくさんの人が言ってた。
今年のヴォジョレー・ヌーヴォは今までで1番の輸入量らしい。
ってことは、世界でトップである。
遠くに住んでいる憧れの人が犯した「罪」
隣に住んでいるよくわからない、かわった人が犯した「罪」
様々な問題を孕んでいる。
しかし、「罪」は「罪」である。
フェアに考えなければならない。
「罪」とはもちろん人類に対してではなく、この「星」に対してである。
過去の歴史の責任も真剣に考えなければいけない。
(もちろん考えていない人はいないと思う)
しかし、戦争を体験していない僕らの責任の事である。
真剣に考えなければ。と僕は思う。
でなければ、僕らも隣の国も同じである。
今度、入閣された高市早苗議員の過去の「発言」を「今」みんなで考えなければならない。
僕は何も無ければ、後30年ちょっとで死ぬ。
後20年くらいしたら、僕の娘が自分の子供に「お弁当」を作って行くのだ。その子供も子供に「お弁当」を作って行くのだ。親が、大人が、美味しい「お弁当」を子供に作り続けるのだ。
自分の頭で考えなければいけない。
一人、一人が。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
なんだか、嵐が色々と爪痕を残していきやがって、、、、
ジャパン・オープンも大変だったようです。会場を移して試合が行われるなんて、想像もしていなかった。選手の皆様も、観客の皆様も大変だったでしょう。
で、嵐が去った土曜日、行ってきちゃいました。
フェデラー観に。
チケットなかったんだけど、手下の藤原くんが(いつから?)当日券売り場に並んでくれて、なんとか自由席の(指定が全て完売)チケットをゲットしてくれました。パチパチパチ、、、、(テニス関係の会社なんだから、指定席くらい何とかなんね~のか?あ?)
あ!、すみません、僕の中の悪魔が、、、、
ありがと、手下の藤原くん。
でもな~、最前列の席がほとんど空いてたんだよな~、、、、
舞台でもありがちなんだけど、、、、、、、、
失礼なんだよ!あんなみっともない事すんなっつーの。
ま、いっか。いや、よくない。文化水準が低いんだよ!
何か特別な理由があったと思いたい。
やっぱり、どーしてももう一回観てみたかった。テニスという名の芸術を。
西日が激しく当たる、一番上のオレンジ色のシートに腰掛けた。
今日の相手は、アガシを引退に追い込んだと紹介されていた。ベッカー。
余談だが、テレビでドイツのブンデスリーガでバイルンミュンヘンの試合をみていたら、あの、往年の名選手、「ボリス・ベッカー」が試合を観戦していた。一瞬だけカメラが捉えていたが、なんかすごい、大人になったとゆーか、おっさんになりすぎていたとゆーか、、、昔、いきなり髭はやして試合に出ていた時にも驚いたが、今回もまた驚かされた。
ま、いっか。
アガシを引退に追い込んだって紹介が気にくわなかったが、ちょっと期待した。
フェデラーがセンターコートに登場した。
またしてもぞわぞわと身体が震えた。
フェデラーはいつも変わらない。
ま、2回しかみた事ないんだけど。
なんか、「すー」っといる。
力みとか、緊張とか何も感じられない。
ただ、そこにいる。
歩き方なんか、銭湯帰りのおっちゃんみたいだし、、、(試合中はあんなに美しい動きなのに、、、ちょっとおもろい)本当に、その辺を歩いている近所の人みたいだ。
前の試合までは、なんとなく場内が騒がしかった。
昔の川崎球場みたいな感じ。(わかる人はわかる)
でも、フェデラーの試合が始まると、会場がいつの間にか一つになっている。広島球場みたいな感じ。(見た事ないけど)
みる者を圧倒的に引きつけてしまう。でも、本人はたんたんとマイペース。
それでいて、試合中に、何手も先を読んでいる棋士のようでもあり、アドリブのうまい芸人のようでもあり、F-1のレーサーのようでもあり、、、、、
なんだか、すべての形容が当たっているようでもあり、まったくはずれているようでもある。
ま、かんたんにゆーと、「フェデラー」
それだけである。
試合は1時間かからなかった。でも、今回も大満足だった。
また観たいと思った。
先週にフェデラーの事書いたから、このくらいにしとこー。
でも、やはり次に観る時は、ウインブルドンのセンターコートで観てみたいものである。
先週の僕は、「クレーマー、クレーマー」だった。父子家庭。
フェデラーも、もちろん二人で行った。娘が3日に観に行った時は、学校があったからフェデラーの試合を観る事が出来なかった。興奮したとうちゃんがフェデラー、フェデラーってうなされていたもんだから、彼女もどーしても自分の目で
観たくなってしまったんだね。
帰りの車の中で、フェデラーの試合と、前の女性の試合の何がどんなふうに違ったか聞いてみた。
彼女は、少しだけ考えた。そして、
「性別じゃない?」と答えた。
次に日、原田芳雄さんのお孫さんから娘に電話があって、一緒に遊ぶ事になった。待ち合わせの場所まで歩いている途中に、車が止まっていた。
中で、手を振っているおじちゃんたちがいた。
このブログには欠かす事の出来ない、奥野とユータだった、、、、、
偶然すぎる。
聞けば、今からキッチュの「折り顔展」の最終日に行くらしい。
暇だったので、僕だけ真夏みたいな格好で参加した。
キッチュもいた。
話してたら、いきなり芳雄さんが一人で入ってきた。
ぐ、偶然すぎる。
で、5人で隣の喫茶店に入った。「昼間にいきなり会うと恥ずかしいな」なんて言いながら、運転のユータと、この後仕事のキッチュ以外はビールを飲んだ。
真っ昼間っから、喫茶店でビール。
なんか、ちょっぴり罪悪感があって、違うロケーションだったり、これぞ休日!
みたいな幸福感もあって、贅沢な午後を過ごした。
余韻も楽しんだ。昼間にちょっと酔って話すのも悪くない。
余談だが、芳雄さんの家の庭にはサンドバックが吊るしてある。で、毎日トレーニングをしている。近所の僕はたまに芳雄さん家まで走って、一緒にサンドバックを叩いたりしてた。(最近行ってないけど、、、)
その間の会話、
「おはよっす」
「おー」
のみ。(大人のくせに昼間に会うとしゃべれない)
で、汗かいて、芳雄さんが、
「ルービ(ビールね)飲むか」
「ええ」と僕。
で、飲み始めたら二人でしゃべるしゃべる。ただのおしゃべり。
しかし、ちょっと酔ったのが間違いだった。
勢いついちゃった。
「じゃぁ、このまま家でやるか」と芳雄さん。
返事するまでもない僕ら。
ユータが車だって言ってんのに、タクシー探してる芳雄さん。
勢いが衰えないまま、飲み始めた。奥さんも2階から降りてきた。
みんなグイグイ飲んでいる。
いきなりだからつまみがない。
普段なら、つまみはたくさんあるんだけど、奥さんが芳雄さんはご飯を外で食べてくると思ったらしく珍しく何にもなかった。
ここで、冷蔵庫の掃除屋と異名を持つあたいの(持たないでしょ)出番。
見て欲しい。
![冷蔵庫の掃除屋の仕事](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/20061011.jpg)
冷蔵庫の掃除屋の仕事
気づいたのが遅く、大分なくなってしまった。
あっとゆーまに作った。
メニュー。
かりかりに焼いた豚とほうれん草のちょい炒めサラダ風
豚バラ冷しゃぶサラダ、ボイルしたネギたっぷり、大根おろし添え
かぼちゃの煮付け
牛肉、野菜炒め、プルコギ風(油とみりんを間違えたから)
湯豆腐
焼き肉(子供たち用)
子供たちがいたから、10時に打ち切られたが、僕らは15時くらいから飲んでいる。しかし僕らだけなら、3時くらいまではいたと思う。
この日、総勢9人。非常にこじんまりとした「宴」だった。
(なにせ、テーマパーク・原田だかんね)
で、今回のメインイベント。
娘のお弁当。
10日は最後の「クレーマークレーマー」の日。
しかも、お弁当を作らねばならない。
僕は、お弁当に「ちょっと痛い思い出」を持っている。
元佃煮やの彼女こと、マイ・マミーはお弁当作りのセンスが欠落していた。
高校生の時の僕のお弁当。
アルミニウムのお弁当箱に、ご飯が5分の4入っている。上に空いた5分の1のスペースに「焼いたしゃけの切り身」
のみ。
がっはっはっはっはっは、、、、、
誰にも見せられなかった。
でも、仲良しだった橋村が、僕が残したしゃけの皮を「皮が1番うまいんだよ」
と言って食べてくれた。橋村は弁当を持って来た事がなかった。いつもパンを買っていた。ありがと。橋村。
ちょっと泣きそうになってしまった、、、、
ある日、マミーは突然、「冷凍食品」を弁当に入れて来た。
「味の素、中華包み上げ」
美味しかった。まぁ、しゃけのスペースに入っていただけなんだけど、これがあなた、死にそうなくらい美味しかった。
家に帰って、マミーに話すと、一週間「味の素、中華包み上げ」が入ってきた、、、
高校生の僕は、味の素に「中華包み上げを製造中止にして下さい」と電話したかった。
おいしかったのに、大好きなのに食べたくない。
哲学的に表現すれば「絶対矛盾の自己同一」(ほんとか?)
だ・か・ら、自分の娘の弁当をつくるからには、満足して貰わなければならない。
で、「冷凍食品厳禁」をテーマにしてみた。
そして食べるときまで、中味を教えない。
娘は緑の野菜を食べない。
道は厳しい。
長くなってきたからかいつまむ。(もっとはやく気づけよ)
10日の朝、5時に起きて作ったお弁当のメニュー。
3色ご飯(鮭、ごま塩、おかか)
ポテトの肉巻きあっさり塩こしょう味
枝豆入り、すり山芋入り、鶏肉団子巾着、関東煮
豚ヒレ肉のソテー、コールスロー添え
シュウマイ(保険)
完璧。
しかし、作った後で考えてみたら全部「肉!」
俺の娘は猛禽類か!
![猛禽類の餌](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/200610111.jpg)
これが猛禽類の餌
緑が少ない。都会の公園か。
大失敗。もー少しがんばんなきゃ、、、、
次はすごいよ。
てなわけで、お隣の国がやってくれました、、、、、
僕が、政治的な発言をしても仕方ないんだけど、、、、、、
自分でちゃんと考えたい。
フェアに考えたい。と思う。
ちょっとテレビをみたら、いろんな人がいろんな事を言っていた。
だれも間違っていないと思う。
だけど、日本人の大好きなフランスだって、何度も何度も同じ事をやった。
フランス産のワインを飲まないって、たくさんの人が言ってた。
今年のヴォジョレー・ヌーヴォは今までで1番の輸入量らしい。
ってことは、世界でトップである。
遠くに住んでいる憧れの人が犯した「罪」
隣に住んでいるよくわからない、かわった人が犯した「罪」
様々な問題を孕んでいる。
しかし、「罪」は「罪」である。
フェアに考えなければならない。
「罪」とはもちろん人類に対してではなく、この「星」に対してである。
過去の歴史の責任も真剣に考えなければいけない。
(もちろん考えていない人はいないと思う)
しかし、戦争を体験していない僕らの責任の事である。
真剣に考えなければ。と僕は思う。
でなければ、僕らも隣の国も同じである。
今度、入閣された高市早苗議員の過去の「発言」を「今」みんなで考えなければならない。
僕は何も無ければ、後30年ちょっとで死ぬ。
後20年くらいしたら、僕の娘が自分の子供に「お弁当」を作って行くのだ。その子供も子供に「お弁当」を作って行くのだ。親が、大人が、美味しい「お弁当」を子供に作り続けるのだ。
自分の頭で考えなければいけない。
一人、一人が。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
フェデラー観戦記 / 2006年10月05日
テニスを愛する皆様。番外編です。勝村政信です。
正確には、番外編はいつものブログでせう。
テニスのブログですもの。
観て参りました。テニス。実は初めてなんです。
考えてみたら、スポーツ観戦ってそんなにしていない事に気づいた。
多分、最初が「野球」。だったと思う。
僕の小さい頃には、野球を観ることが当たり前みたいな時代だった。
スポーツ=野球
そんな時代だった。
ちょっと大きくなってからは、「サッカー」。国立競技場には4、5百人くらいしか客がいなかった。次が「プロレス」。昔の蔵前国技館に兄貴と観に行って、前の客と喧嘩になった。(バカ兄弟)次が「相撲」。枡席で観たので狭かったけど、なんだか飲み物でたり、食べ物でたり、お土産くれたりで楽しかった。
プロフェッショナルなスポーツ観戦は、その程度だ。
最近では、海外で「サッカー」を観ている。これはそのうち改めてブログに書こうと思っている。
で、さっき観て来た「テニス」
場所は「有明コロシアム」
細かい説明は長くなるから省く。(潔いぞ!)
センターコートにフェデラーが登場した。(簡単すぎないか?)
![AIG4](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/aig4.jpg)
記念すべき対戦表
片仮名でフェデラーってのもちょっとね…
ま、いっか。
ちょっと鳥肌がたった。
ちょっと見、長身のヘアーバンドしたタランティーノ。(失礼でしょ)
テレビで見るよりも、かなり細身である。手足も随分と細い。
とても世界で活躍する様には思えない。そんな第一印象だった。
練習が始まった。随分と静かに始まるもんだと思った。
なんだかさっきより、いや、前の試合も含めて、センターコートが狭く見える。
軽く、本当に軽く相手のコートに球を打った。
その瞬間から、僕はフェデラーから目が離せなくなった。何かが違う。よくわからないけど、「何かが違う」
まず、美しい。
試合中もそうだが、コートの何処にいてもフェデラーだとわかる。
これはふざけて書いているんじゃなくて、本当にそう思った。
無駄な動きがまったくない。
何処にいても、速く動いていても、ゆっくり動いていても、身体がぶれていない。だから正確に確認できるし印象的なのだ。
決まった振りを完璧に踊っているようだ。
クラシックバレエのダンサーのように。
約20年前、パリオペラ座のバレーを観に行った時に、パトリック・デュポンがスカートをはいてソロで華麗に踊っていた。優雅で、力強く、実に美しかった。
踊りが終わっても、ちょっと席が立てなかった。
そんな経験はこの20数年で2、3回しかない。
フェデラーを観ていたらその時のパトリック・デュポンと重なった。
とにかく、観ていて美しい。それ意外の形容が思いつかない。
試合が始まると、驚いた事にさらに美しさが増した、、、、、
まず、基本的な事なんだろうけど、常にラケットのスイートスポットを簡単に正確に捉えている事に驚いた。
ゴルフのようにボールが止まっているわけではない。
ご存知のように止まっているボールでさえ打つのは難しい。
僕も球技を長く経験しているが、毎回同じ場所を正確に捉えるのは至難の技だ。
プロだから出来るというものでもない。
余談だが、サッカーの川淵キャプテンが日本代表の時、ドイツからデッドマール・クラマンというコーチがやってきた。彼が日本の代表選手にやらせた最初の練習が、サッカーを始めたばかりの子供たちが初めに練習するのと同じ、「サイドキック」だったそうだ。
今のサッカーの日本代表選手を見ても、試合中正確に基本の「サイドキック」の出来る選手はほとんどいない。
今日の他のテニスの試合を見ても、毎回正確に捉えていた人はいなかった。
試合が進んでも、一挙手一投足に無駄がなく全て流れるようだ。(ブルース・リーの太極拳みたいだ)停滞する事がない。血液だってサラサラに違いない。
(いらないでしょ。ギャグは)もー、開いた口が塞がらない。
しかも疲れていない。コートチェンジの束の間の休みに、対戦相手は流れる汗をタオルで何度も拭い、ペットボトルの水を何度も飲んでいた。
しかし、フェデラーは普通に座っていた。朝起きて今から新聞読みそうな感じで、、、、
桁違い。
しかし、試合は接戦だった。
僕のまわりのバカどもは(失礼)アホどもは「フェデラー調子悪いんじゃない?」だの「本気だしてねんだよ」だのとのたまっていた。
アホか!おまいらはー!黙って100年に一人の天才をみてぃおきぃー!
ってな感じだ。
フェデラーは、試合中アジャスティングしているのだ。アホは気づかない。
世界の超一流選手が「この大会」に照準を合わせてくる訳が無い。参加しているメンバーを見れば一目瞭然だ。日本に来るのも、季節に合わせるのも、食事も何もかも大変なのだ。だから、試合中に自然に調節機能が働くのだ。
働いちゃうのだ。生きるってそーゆーこと。
これも余談だが、(だんだん長くなってきたね)僕は20歳の時、トレーニングセンターに通っていた。ボディービルダーがうようよしてた。でも驚いたのが、ボディービルダーは普段「ブクブク」なのだ。食っちゃー鍛えて食っちゃー鍛えての繰り返し。バンバン食べる。口から出そうなくらい食べる。拷問に近い。食べないと筋肉が付かないから、我慢してとにかく食べる。食べないで鍛えると、せっかくの筋肉が痩せて行ってしまうから。
で、大会前に死ぬ程減量する。ここが勝負。きれいに減量しないと、筋肉の形や、張りがなくなってしまう。ボクサーと同じだ。
(この話もブログに書こうっと。ラッキー)
だから、フェデラーくらいの選手になると、この程度の大会など、試合中に「鍛えながら減量する」くらいの調整が出来てしまうのだ。
しかも、相手のいい状態を引き出しながら、、、、
ここも、普通の選手との違いであろう。
相手をトップコンディションに連れ込んでしまう。連れ込んでしまうのよ。
で、最高の状態の相手と対戦する。お互いのいい所だけで勝負が出来るようにフェデラーがディレクションしてしまっている。
これには参った。
相手はこの大会に「照準」を合わせて来ている。
しかも相手は、絶対に敵わない事がわかっている。でも、フェデラーが最高の状態をわざわざ作ってくれている。気持ち良く最高の試合が出来る。相手はフェデラー。負けて当然。負けて悔いなし。拍手バチバチ。
まるで魔法使いだ。
日本最強の横綱に「双葉山」がいた。双葉山は自分からは相手を攻めなかった。
必ず、相手の攻撃を受けてから闘った。最高最強の横綱だ。
横綱の「プライド」を唯一体現した力士だ。
そんな王者の「プライド」をもフェデラーは獲得している。
今日の試合中、フェデラーは2回だけ軽く叫んだ。
線審に対してと自分に対して。
![AIG3](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/aig3.jpg)
このスコアのちょっと前にフェデラー軽く吠えた
テレビだと気づかなかった事があった。それは、審判員の数の多さだ。主審を入れて10人もいた。ボールボーイ&ガールは6人。プレーヤーは2人。
なんてスポーツだ。やれやれだ。
貴族のスポーツだった事がよくわかった。
しかし、線審もボーイズ&ガールズのレベルが低いのは仕方ないが、残念だった。集中して流れていた動きを何度か壊してしまっていた。
ま、それもフェデラーのような選手が何回も来てくれれば解消できるでしょ。どんなスポーツでも超一流選手は、まわりをも育ててしまうかんね。
今日は練習5分くらい。第一セットは51分。第二セット終了時間1時間41分。すごいでしょ。時間でみても、僕の言う試合中での「調整」が証明されるし、決まった振りを踊っているってのも理解してもらえると思う。
後、不思議なのは、フェデラーの試合はずーっと観ていたいと思ってしまった。
他の試合には、「ここで決める」みたいなポイントがあった。だから観ている僕は疲れた。選手に感情移入してしまうから。当然の事だけど。
でも、フェデラーの試合は疲れなかった。しかも終わって欲しくなかった。
不思議な感情が芽生えた。何故だかわからない。
このブログは水曜の試合を観て帰って来てからすぐに書いた。
このブロックだけは次の日の朝書いている。
今朝の「毎日新聞」を朝の6時過ぎに読んでみたら、「フェデラー思わぬ苦戦。
グランドスラムにもっとも近い男も人の子だった」と書いてあった。
(2時間ドラマのサブタイトルかよ)
これが日本のスポーツ記事を書く記者の限界なのかしらん?「仕留めるのに1時間41分も費やした」とも書いてあった。
スコアは7-6、7-6
考えてみて下さい。第一セット、第二セット全く同じスコア。
かかった時間。第一セット51分(写真撮っといていかった)
第二セット50分。
![AIG1](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/aig1.jpg)
第一セット
![AIG2](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/aig2.jpg)
第二セット
終わったばかりで、みんな興奮してサインを求めに走っていた
「知らない相手」リズムつかめず。とも書いてあった。
まー、これはフェデラーの試合後の言葉だけど、何故、鵜呑みにできるのか?第一セット、第二セットで1分しか違わない!
この結果を見て、リズムがつかめていないと受け取っていいんだろうか?
僕には、完全に試合を自分の「リズム」で「調整」しながらコントロールしていたとしか思えない。
自己批評が全く出来ていない。
10月3日の夕刊の「ドイツ1部好調ブレーメン」というサッカーの記事に対しても同じ思いで読んだ。
書いた人は僕なんかより頭もいいだろうし、文章を書く力もあるし、観戦経験も豊富なはずであろうに、、、、、ちょっと残念。
(まぁ、毎月ちゃんと新聞代金払ってるからちゃんと批評できる権利がある!)
もちろん僕の文章の方が優れているとも思っていない。
初めてのテニスのブログらしいことを書いたので、力を入れてみました。
で、最後に思った事は、初めて「テニス」を観た事が今日の一番の収穫だったかもしれない。とゆーこと。
勘違いしないで頂きたいが、初めてテニスを「観た」というのは、初めてテニスを「見に」行った事ではない。
「テニス」という「スポーツ」を初めて観る事が出来たということだ。
今日はフェデラーの他にも何試合か観る事が出来た。しかし、そのほとんどが、僕が今まで見て来た「テニス」っぽいスポーツだった。
肉眼でフェデラーを観て、「テニス」がみえた。
僕は30年くらい「サッカー」をやっているが、それは「サッカー」っぽいスポーツだ。たまに「サッカー」になる時がある。からやめられないのだが、、、
昔、サッカー小僧だった僕に「DONNEY」のラケットを買わせてしまうほど魅力的で美しかった、孤高の天才、ビヨン・ボルグを超えつつあるフェデラー。
強さと美しさを兼ね備えた「天才」を目の当たりにして、久々に「今日、死んでもいい」と思わせてくれたフェデラーに、心の底から敬意を払い、最後に一言いわせていただきたい。
「明日から俺もがんばっちゃおー!」
んで、「ウインブルドンの決勝が観てー!」
二言じゃん。
そんな訳で、今週二度目の、がんばって生きていきまっしょい!
正確には、番外編はいつものブログでせう。
テニスのブログですもの。
観て参りました。テニス。実は初めてなんです。
考えてみたら、スポーツ観戦ってそんなにしていない事に気づいた。
多分、最初が「野球」。だったと思う。
僕の小さい頃には、野球を観ることが当たり前みたいな時代だった。
スポーツ=野球
そんな時代だった。
ちょっと大きくなってからは、「サッカー」。国立競技場には4、5百人くらいしか客がいなかった。次が「プロレス」。昔の蔵前国技館に兄貴と観に行って、前の客と喧嘩になった。(バカ兄弟)次が「相撲」。枡席で観たので狭かったけど、なんだか飲み物でたり、食べ物でたり、お土産くれたりで楽しかった。
プロフェッショナルなスポーツ観戦は、その程度だ。
最近では、海外で「サッカー」を観ている。これはそのうち改めてブログに書こうと思っている。
で、さっき観て来た「テニス」
場所は「有明コロシアム」
細かい説明は長くなるから省く。(潔いぞ!)
センターコートにフェデラーが登場した。(簡単すぎないか?)
![AIG4](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/aig4.jpg)
記念すべき対戦表
片仮名でフェデラーってのもちょっとね…
ま、いっか。
ちょっと鳥肌がたった。
ちょっと見、長身のヘアーバンドしたタランティーノ。(失礼でしょ)
テレビで見るよりも、かなり細身である。手足も随分と細い。
とても世界で活躍する様には思えない。そんな第一印象だった。
練習が始まった。随分と静かに始まるもんだと思った。
なんだかさっきより、いや、前の試合も含めて、センターコートが狭く見える。
軽く、本当に軽く相手のコートに球を打った。
その瞬間から、僕はフェデラーから目が離せなくなった。何かが違う。よくわからないけど、「何かが違う」
まず、美しい。
試合中もそうだが、コートの何処にいてもフェデラーだとわかる。
これはふざけて書いているんじゃなくて、本当にそう思った。
無駄な動きがまったくない。
何処にいても、速く動いていても、ゆっくり動いていても、身体がぶれていない。だから正確に確認できるし印象的なのだ。
決まった振りを完璧に踊っているようだ。
クラシックバレエのダンサーのように。
約20年前、パリオペラ座のバレーを観に行った時に、パトリック・デュポンがスカートをはいてソロで華麗に踊っていた。優雅で、力強く、実に美しかった。
踊りが終わっても、ちょっと席が立てなかった。
そんな経験はこの20数年で2、3回しかない。
フェデラーを観ていたらその時のパトリック・デュポンと重なった。
とにかく、観ていて美しい。それ意外の形容が思いつかない。
試合が始まると、驚いた事にさらに美しさが増した、、、、、
まず、基本的な事なんだろうけど、常にラケットのスイートスポットを簡単に正確に捉えている事に驚いた。
ゴルフのようにボールが止まっているわけではない。
ご存知のように止まっているボールでさえ打つのは難しい。
僕も球技を長く経験しているが、毎回同じ場所を正確に捉えるのは至難の技だ。
プロだから出来るというものでもない。
余談だが、サッカーの川淵キャプテンが日本代表の時、ドイツからデッドマール・クラマンというコーチがやってきた。彼が日本の代表選手にやらせた最初の練習が、サッカーを始めたばかりの子供たちが初めに練習するのと同じ、「サイドキック」だったそうだ。
今のサッカーの日本代表選手を見ても、試合中正確に基本の「サイドキック」の出来る選手はほとんどいない。
今日の他のテニスの試合を見ても、毎回正確に捉えていた人はいなかった。
試合が進んでも、一挙手一投足に無駄がなく全て流れるようだ。(ブルース・リーの太極拳みたいだ)停滞する事がない。血液だってサラサラに違いない。
(いらないでしょ。ギャグは)もー、開いた口が塞がらない。
しかも疲れていない。コートチェンジの束の間の休みに、対戦相手は流れる汗をタオルで何度も拭い、ペットボトルの水を何度も飲んでいた。
しかし、フェデラーは普通に座っていた。朝起きて今から新聞読みそうな感じで、、、、
桁違い。
しかし、試合は接戦だった。
僕のまわりのバカどもは(失礼)アホどもは「フェデラー調子悪いんじゃない?」だの「本気だしてねんだよ」だのとのたまっていた。
アホか!おまいらはー!黙って100年に一人の天才をみてぃおきぃー!
ってな感じだ。
フェデラーは、試合中アジャスティングしているのだ。アホは気づかない。
世界の超一流選手が「この大会」に照準を合わせてくる訳が無い。参加しているメンバーを見れば一目瞭然だ。日本に来るのも、季節に合わせるのも、食事も何もかも大変なのだ。だから、試合中に自然に調節機能が働くのだ。
働いちゃうのだ。生きるってそーゆーこと。
これも余談だが、(だんだん長くなってきたね)僕は20歳の時、トレーニングセンターに通っていた。ボディービルダーがうようよしてた。でも驚いたのが、ボディービルダーは普段「ブクブク」なのだ。食っちゃー鍛えて食っちゃー鍛えての繰り返し。バンバン食べる。口から出そうなくらい食べる。拷問に近い。食べないと筋肉が付かないから、我慢してとにかく食べる。食べないで鍛えると、せっかくの筋肉が痩せて行ってしまうから。
で、大会前に死ぬ程減量する。ここが勝負。きれいに減量しないと、筋肉の形や、張りがなくなってしまう。ボクサーと同じだ。
(この話もブログに書こうっと。ラッキー)
だから、フェデラーくらいの選手になると、この程度の大会など、試合中に「鍛えながら減量する」くらいの調整が出来てしまうのだ。
しかも、相手のいい状態を引き出しながら、、、、
ここも、普通の選手との違いであろう。
相手をトップコンディションに連れ込んでしまう。連れ込んでしまうのよ。
で、最高の状態の相手と対戦する。お互いのいい所だけで勝負が出来るようにフェデラーがディレクションしてしまっている。
これには参った。
相手はこの大会に「照準」を合わせて来ている。
しかも相手は、絶対に敵わない事がわかっている。でも、フェデラーが最高の状態をわざわざ作ってくれている。気持ち良く最高の試合が出来る。相手はフェデラー。負けて当然。負けて悔いなし。拍手バチバチ。
まるで魔法使いだ。
日本最強の横綱に「双葉山」がいた。双葉山は自分からは相手を攻めなかった。
必ず、相手の攻撃を受けてから闘った。最高最強の横綱だ。
横綱の「プライド」を唯一体現した力士だ。
そんな王者の「プライド」をもフェデラーは獲得している。
今日の試合中、フェデラーは2回だけ軽く叫んだ。
線審に対してと自分に対して。
![AIG3](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/aig3.jpg)
このスコアのちょっと前にフェデラー軽く吠えた
テレビだと気づかなかった事があった。それは、審判員の数の多さだ。主審を入れて10人もいた。ボールボーイ&ガールは6人。プレーヤーは2人。
なんてスポーツだ。やれやれだ。
貴族のスポーツだった事がよくわかった。
しかし、線審もボーイズ&ガールズのレベルが低いのは仕方ないが、残念だった。集中して流れていた動きを何度か壊してしまっていた。
ま、それもフェデラーのような選手が何回も来てくれれば解消できるでしょ。どんなスポーツでも超一流選手は、まわりをも育ててしまうかんね。
今日は練習5分くらい。第一セットは51分。第二セット終了時間1時間41分。すごいでしょ。時間でみても、僕の言う試合中での「調整」が証明されるし、決まった振りを踊っているってのも理解してもらえると思う。
後、不思議なのは、フェデラーの試合はずーっと観ていたいと思ってしまった。
他の試合には、「ここで決める」みたいなポイントがあった。だから観ている僕は疲れた。選手に感情移入してしまうから。当然の事だけど。
でも、フェデラーの試合は疲れなかった。しかも終わって欲しくなかった。
不思議な感情が芽生えた。何故だかわからない。
このブログは水曜の試合を観て帰って来てからすぐに書いた。
このブロックだけは次の日の朝書いている。
今朝の「毎日新聞」を朝の6時過ぎに読んでみたら、「フェデラー思わぬ苦戦。
グランドスラムにもっとも近い男も人の子だった」と書いてあった。
(2時間ドラマのサブタイトルかよ)
これが日本のスポーツ記事を書く記者の限界なのかしらん?「仕留めるのに1時間41分も費やした」とも書いてあった。
スコアは7-6、7-6
考えてみて下さい。第一セット、第二セット全く同じスコア。
かかった時間。第一セット51分(写真撮っといていかった)
第二セット50分。
![AIG1](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/aig1.jpg)
第一セット
![AIG2](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/aig2.jpg)
第二セット
終わったばかりで、みんな興奮してサインを求めに走っていた
「知らない相手」リズムつかめず。とも書いてあった。
まー、これはフェデラーの試合後の言葉だけど、何故、鵜呑みにできるのか?第一セット、第二セットで1分しか違わない!
この結果を見て、リズムがつかめていないと受け取っていいんだろうか?
僕には、完全に試合を自分の「リズム」で「調整」しながらコントロールしていたとしか思えない。
自己批評が全く出来ていない。
10月3日の夕刊の「ドイツ1部好調ブレーメン」というサッカーの記事に対しても同じ思いで読んだ。
書いた人は僕なんかより頭もいいだろうし、文章を書く力もあるし、観戦経験も豊富なはずであろうに、、、、、ちょっと残念。
(まぁ、毎月ちゃんと新聞代金払ってるからちゃんと批評できる権利がある!)
もちろん僕の文章の方が優れているとも思っていない。
初めてのテニスのブログらしいことを書いたので、力を入れてみました。
今朝の「ぼやき」は以上。
で、最後に思った事は、初めて「テニス」を観た事が今日の一番の収穫だったかもしれない。とゆーこと。
勘違いしないで頂きたいが、初めてテニスを「観た」というのは、初めてテニスを「見に」行った事ではない。
「テニス」という「スポーツ」を初めて観る事が出来たということだ。
今日はフェデラーの他にも何試合か観る事が出来た。しかし、そのほとんどが、僕が今まで見て来た「テニス」っぽいスポーツだった。
肉眼でフェデラーを観て、「テニス」がみえた。
僕は30年くらい「サッカー」をやっているが、それは「サッカー」っぽいスポーツだ。たまに「サッカー」になる時がある。からやめられないのだが、、、
昔、サッカー小僧だった僕に「DONNEY」のラケットを買わせてしまうほど魅力的で美しかった、孤高の天才、ビヨン・ボルグを超えつつあるフェデラー。
強さと美しさを兼ね備えた「天才」を目の当たりにして、久々に「今日、死んでもいい」と思わせてくれたフェデラーに、心の底から敬意を払い、最後に一言いわせていただきたい。
「明日から俺もがんばっちゃおー!」
んで、「ウインブルドンの決勝が観てー!」
二言じゃん。
そんな訳で、今週二度目の、がんばって生きていきまっしょい!
祭りの準備 その2 / 2006年10月04日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
油断していたら10月になってしまいました。
学生たちは衣替え。
久しぶりに学生服を着た、ちょっと窮屈そうなお兄ちゃんたちや、ブレザーを着た小学生たちがじょわじょわ街に増殖しております。
外側から眺めていると、こんな事も季節が変わるって事の「サイン」なんだとあらためて気がつく。
なんだか昔には気がつかなかった事がたくさん「出没」してくる。
高校生の時に車の免許を取った時、世の中にはこんなにも「交通標識」が溢れていたんだと驚いた。免許持ってなかった時には、全くと言っていいほど、標識に気づかなかった。
「秋」にももっと目を凝らすと、まだまだたくさん気づいていない「何か」がたくさん「サイン」を送っているはずである。
秋にかかわらず、家のまわりをちょっと散歩すると、いちじく、枇杷、桃、ブルーベリー、栗、檸檬、姫りんご、葡萄、柿なんかが実をつけているを見かける。様々な花もそれぞれの季節ごとに咲いているし、虫だって嫌になっちゃうくらい出てくる。
自然の「サイン」もあれば、人工の「サイン」もたくさんある。
興味を持たなければ、何気にやり過ごしてしまうが、落ち着いて、余裕を持って目を開けば、今まで見ていなかった、見過ごして来た物が見えてくる。普段から目を磨いておく事が大事だ。
少しでも多くの「サイン」を受け取ってみたいものである。
ちなみに我が家では、夏に買った「ハイビスカス」の2鉢が、今でも元気に花咲かせっぱなし、、、、、いいの?
![ハイビスカス1](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/k_001.jpg)
沖縄のお友達。まだまだ咲きそう。
![ハイビスカス2](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/k_002.jpg)
もひとつ
まいっか。
ちょっとお知らせ。
今ちょっとすごいものが青山で行われている。
人の個展を宣伝しても何の得にもならないが、ポークソテーズで同じ「ど素人ボーカル」仲間のキッチュこと松尾貴史様が「折り顔」展を開いている。
「折り顔」とは折り紙で人の顔を折ったもの。説明すると非常に簡単。
僕も子供の頃、折り紙で色々折った経験がある。見本をみながら、、、
しかし、しょせん平面。2次元どまり。キッチュの「折り顔」は一枚の紙(平面)を立体に、3次元に立ち上げてしまう。しかも見本なし。
まさに紙(神)技(う、うまい)
昔、錬金術師という「黄金」を作り出す、妖しい人たちがいた。(今もいるのかな?)
キッチュは「錬顔術師?」「折顔術師?」とでも表現すればいいのだろうか?
一枚の紙から、「黄金」の様な「顔」を折り出してしまう。
「妖しい天才」である。
まぁ、キッチュには忘れた頃にもやって来て欲しくはないが、あの歪んだ性格だからこそ出来る離れ技。(失礼でしょ)
時間のある人は是非行って、見てあげて下さい。本当に凄いから。
ちなみに場所は、東京都港区青山2-9-15 03-3475-8606
space INTART
感動しますよ。
で、先週は松島海岸に行ってきたんですが、ちゃんと観光したわけじゃないからよくわかんなかった。でも、こんなのみつけた。
![松島海岸](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/k_003.jpg)
発見。意味不明。
よくわからない。
僕の生まれた日。
ちなみに、ヘミングウェイも同じ誕生日。
すぐに同じ誕生日の杉本哲太ちゃんに写メールした。たいした反応じゃなかった。でも、こーゆーのに興味がある人は、中島らもさんの「休みの国」を読むがいい。(なんだ、えらそうに)
松島海岸での一番の思い出は、どの船に乗っても、「カモメのえさあります。
100円」と書いた紙が貼ってあった。
船長さんの横には、必ず「かっぱえびせん」が山積みされている。しかも、駄菓子屋さんで売っている一番小さな30円のやつ。まぁ、値段の事は置いておくとして(納得出来ないが、、、)、何故僕の大好物のかっぱえびせんが「カモメのえさ」なのか置いておくとして(納得できないが、、、)、とにかく「かっぱえびせん」が山積みされている。
カモメのえさらしい。
しかし、えさのあげ方がわからない。
だって、広い海を動いてる船からどーやってカモメにえさをあげられるのかしらん? わかんないでしょ?
答えは簡単だった。
ためしにガソリンより高い「カモメのえさ」を買ってみた。するとあなた、かっぱえびせんのオレンジ色の袋を見た「カモメくん」たちが、何処から集まるのか船の後ろから何羽も何羽も飛んできて、えびせんを投げてくれるのを待ちながら、全速力で飛んでくるのだ。
それはそれは、世にも恐ろしい光景だった。
走る船の後ろから、何十羽もの「カモメ」が追いかけてくる。しかも、いつも見るカモメとはロケーションが違う。本気で飛んでいるカモメを真正面から見続ける経験なんてそうはないもの。本当に恐いのよ(何でおねえ言葉?)
ヒッチコックは、多分松島海岸でカモメにえさをやっている時に名作「鳥」を思いついたのでせう。(すみませんでした)
ま、いっか。
後、ジャパン・オープンの事は今日見にいっているので、明日の木曜にでも書きます。なんせ、テニスのブログですもの。
とにかくポークソテーズの話を今週で終わらせなければ、気になって次にいけない。まぁ、まさかこんなに長くなるとは自分でも思わなかったんで、、、、これも既に長いが、、、、、
ほんじゃ、多分、最終回。(た、多分?だと)
かの草月ホールでのギグを終えたばかりの僕らは、まだ悶々としていた。
多分、楽しかったのだ。全員が。みんな、音楽が好きになった頃に戻ったのだ。
何の思想もなく、何のこだわりもなく、気を使わない仲間とばか騒ぎしただけなのだ。しかも普段の自分のファンの前ではない。
宣伝のチラシは勝村政信と謎のバンド「ポークソテーズ」みたいな感じだった。
俺たちはムード歌謡か!和田弘とマヒナスターズか!
(昔、野田秀樹さんから聞いた話だが、久米宏さんがニュースステーションをやっていた頃、遊民社の人たちが番組の中のVTRに出ていた。で、劇団が地方公演に行った時に「ニュースステーションでお馴染みの夢の遊民社様御一行」と書かれていた事があり、愕然としたと、、、)
ちょっと違うか。
とにかく僕らはみんなロッカーである。基本が。(ぼ、僕ら?)
でもやっている事は、全く別物だ。息抜きにちょうどいい。普段私生活ではよく会っている仲間だが、同じステージに上がる事は滅多にない。
そして、それぞれの頭の片隅に「印税生活」の4文字がモジモジしていた。
なんだか「いけそう」な感じだった。
そんな時にはやはり、「風」が吹いてくる。
僕の心の友、デザイナーの中野裕通さんが、「エイズ救済ライブ」に誘われた。
しかし、中野さんは歌が歌えない。困った裕通くんは仲良しの政信くんに相談した。政信くんは考える間もなく、デモテープを裕通くんに渡した。
記念すべき、「ポークソテーズ」のセカンドギグが決まった。
今回は、かおりが仕事で参加出来ないので、「みっちょん」こと芳本美代子が初参加。しかも、中野さんがお礼に「みっちょん」のために衣装を作ってくれた。
アームに職のある人はあなどれない。(なんだ?アームって)
今回のギグは参加人数が多いため、時間制限があった。3曲だけのギグになった。僕らは参加者に全く興味がなかったので、誰が出るか知らなかった。
当日、楽屋には、羽田元首相。高円宮殿下。等がいらっしゃった、、、、
僕らは、言葉を失い、気も失いかけた。
しかも皆様、本格的にバイオリンでクラシックを引かれたり、オペラを歌われたりするらしい、、、、
僕らの3曲は、「WE ARE PORK SAUTES」「カレーライス」「ハンバーグの作り方」、、、しかもカラオケ、、、
場違いな僕らは、とりあえず楽屋を出た。みんな口を利かなかった。
1階の川の横のウッドデッキのある店に逃げる様に入った。昼間からビールを頼んだ。ビールがくるまでが嫌に長く感じられた。誰かが、「逮捕とかされないですよね?」と言った。普段ならシカトするところだが、別の意味でみんなシカトした。(本当に逮捕されると思ったのか!みんな!子供か!)
ビールが運ばれて来た。みんなゴクゴク飲んだ。味がしなかった。
酔わないし、ガンガン頼んでガンガン飲んだ。すんごい飲んだ。
気がついたらみんな泥酔に近かった。もーどーでもよかった。
みんな気が大きくなっている。そして笑っている。
楽屋に戻った。楽屋にはお酒が用意されている。しかも高級なやつ。
僕らの声は大きい。作家の島田雅彦さんがいた。隣にきた僕は「ねい、これ飲んでいい?シロ。ワインの。」変な倒置法でしゃべっている。しかも初対面でため口。
僕らは人数が多いからすぐにお酒がなくなる。もー総勢9人だか10人が「ねい、これ飲んでいい?これ?」といろんな著名人に話しかけている。
そして笑っている。
用意されているお酒のほとんどを「コックさん」のかっこしたバカどもが飲み干した。
そして笑っている。
ライブが始まった。来場したお客様は一人、3万円くらい払っているらしい。
それぞれの持ち時間が短いから、袖に全員が集まって談笑している。もちろん袖は暗い。キッチュがモーニングを着た男性と笑顔で楽しそうにため口をきいている。明かりが当たると高円宮殿下だった、、、、
殿下は本当に紳士だった。丁寧にいろいろなお話をして下さっている。
みんなも楽しそうに笑顔でいろいろな人とため口をきいている。
暗いから誰が誰だかわからない。
もーどーでもよかった。
とりあえず、泥酔に近い僕らの番が来た。酔っていても板の上に立てば大丈夫。
何も問題なく終えた。
ギグを終え、袖に戻ると西田ひかるちゃんが寄ってきて、「中野さん、コミックバンド始めたんですか?」とのたまった。
どーでもよかった。
「風」はまだおさまらない。
我らが「ポークソテーズ」にCDデビューの話が持ち上がった。
全員耳を疑った。
しかし、話は具体的に進み始めて行った。
レコード会社は、な、な、なんと!エーベックス!
しかも、NHKの「みんなの歌」からも声がかかった。
「夢の印税生活」
僕の頭の中では、既に役者を引退し、スペインに移住し、隠居生活をし、自家用ジェットで世界中を旅していた。
レコーディングの日が決まった。
当日、奥野が中心となり、スムーズに、実にスムーズにレコーディングが進んで行った。プロデューサーの女性はお腹に赤ちゃんがいて、「子供も楽しめる素敵な歌ね」と太鼓判!
また一歩、自家用豪華客船が近づいた。(なんて乏しい想像力)
録音も終わり、後はCDの発売を待つばかり、、、、、
今回のCD制作の中心で窓口でもある功労者、キッチュから連絡があった。
「プロデューサーの女性が、赤ちゃんを産む為に入院したそうです」
「それは、いかったいかった」
「で、ちょっと版権のことでいろいろ揉めているみたいで、入院してしまったし、ちゃんとした事が出来ないので、今回の事は無かった事にして下さいとゆー事です。で、もちろん会社側の問題ですので、レコーディングにかかった費用等は、こちらでお支払いします。と言われたよ」
僕の自家用ジェット機が墜落し、自家用豪華客船が沈没した。
しかし、NHKの「みんなの歌」の話は生きていた。
初めは「カレーライス」で行きましょう。と言ってくれていたのだが、「みんなの歌」も時間制限があった。「カレーライス」は5分くらいある。「みんなの歌」は2分30秒くらい。
無理。
で、急遽「ハンバーグの作り方」に決まった。
アニメーションは「ハクション大魔王」風のキャラクターだった。
僕らは大満足だった。
公園に遊びに行った時に「ハンバーグの作り方」を歌ってくれている親子がいた。僕は心の中で「俺が歌ってんだよ~ん」と叫んだ。
泣きながら。
こんなシアワセもあるんだと感無量になった。
それから、数年後に奥野の結婚式の2次会で久しぶりにバンドを組んだ。
ちょっとしか練習しなかったからめちゃめちゃだった。
でも楽しかった。死ぬ程楽しかった。
それ以来「ポークソテーズ」は活動していない。
次は、ユータが結婚する時にでも強引にやるつもりだ。
その次には、キッチュか哲太の子供が結婚する時にでも、2次会に強引に出てやろうと思っている。
後、15年くらい先の話になるが、、、
で、キッチュの息子とか、哲太の息子とか、僕の娘とか、みっちょんの娘とか、かおりの娘なんかに受け継いでもらって、いつか必ず「夢の印税」で「自家用ジェット機」と「自家用豪華客船」を買ってもらう。
なんせおいらたちはしつっこいかんね。
「夢」に「印税」が発生すれば、おいらたちは地球が買えるぞ!
僕らの「ポークソテーズ」は永遠に不滅なのだ!
了
「ポークソテーズ」の話、無事に終わったのだ。
しかし、記録的に長くなったのだ。
みなさま、途中であきらめてはいけない!
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『祭りの準備』 その2
続き
当日。
朝から集まり、揃いのはっぴ(デザイナーで僕の親友の中野裕通さんが作ってくれた)を着て、芳雄さんの家の裏にある豊川稲荷にお参りする。
(豊川稲荷は芸能の神様だ)
庭に戻ってから、鏡割りして乾杯。
火をおこし、餅米を炊く準備をする。火をおこすのは本当に手間がかかる。
特に、炭は大変だ。しかし、僕らは慣れてるし「秘密兵器」がある。
だんだん準備が整ってくる。
みんなちょっと興奮してくる。
そう、興奮して来るのだ。
何なんだろう?あの「興奮」は。
お囃子のBGMをかけて餅米の炊きあがりを待つ。
家の中では女子が搗き上がる餅を待ち構える。
「あんこ」「納豆」「おろし」「きな粉」などを用意している。
やはり女子も興奮している。
何なんだろう?あの「興奮」は。
餅米が炊きあがる。
芳雄さんの「じゃあ、一番餅行ってみよーかー!」
の声で興奮は最高潮に達する。
「よいしょー!よいしょー!」
と庭でも家の中からも叫び声がこだまする。
近所迷惑甚だしい。
恥ずかしがってなどいられない。
数十キロの餅米を搗き上げなければならない。
台所では、どでかい寸胴の前に金山一彦が仁王立ちしている。
カレーは金山が毎年仕切っている。(昔、バイトで料理人の経験のある彼は、なんでもつくれるし、なんでも美味い)
焦がさない様にゆっくりと、愛しむようにカレーをかき混ぜている。
カレーが不味かったら1年間文句言われ続けるから、金山は台詞を覚えている時より真剣だ。
そして、毎年メチャクチャ美味いカレーを作る。
その間も人々が入れ替わり立ち替わり現れては去って行く。
赤ちゃんも子供も大人もみんな餅を搗く。
「興奮」して、ちょっと気恥ずかしそうに。
それでいて何だかうれしそうに餅を搗く。
祭りは夜になっても続いて行く。
たくさんの人が、
たくさんの言葉が、
たくさんの思いが家中に溜まって行く。
ここで出会って結婚した人がいる。
ここで出会って仕事を一緒にした人がいる。
ここで出会って殴り合いの喧嘩をした人もいる。
ここで出会ってその後二度と会わない人もいる。
芳雄さんは、「俺の家は楽屋と同じだ」と言っていた事があった。
「祭り」はゆっくりと幕を閉じようとしている。
みんなベロベロになって三々五々移動を始める。
僕らはみんなの帰った部屋でちょっと飲む。
「祭り」の余韻に浸りながら。
そして僕は、「餅つきっていいなぁ~」と思う。
そして、原田芳雄さんを、改めて「カッコイイなぁ~」と思う。
次の日にみんなで集まり、後片付けをして別れる。
そしてみんなは、それぞれの「祭りの準備」を始める。
油断していたら10月になってしまいました。
学生たちは衣替え。
久しぶりに学生服を着た、ちょっと窮屈そうなお兄ちゃんたちや、ブレザーを着た小学生たちがじょわじょわ街に増殖しております。
外側から眺めていると、こんな事も季節が変わるって事の「サイン」なんだとあらためて気がつく。
なんだか昔には気がつかなかった事がたくさん「出没」してくる。
高校生の時に車の免許を取った時、世の中にはこんなにも「交通標識」が溢れていたんだと驚いた。免許持ってなかった時には、全くと言っていいほど、標識に気づかなかった。
「秋」にももっと目を凝らすと、まだまだたくさん気づいていない「何か」がたくさん「サイン」を送っているはずである。
秋にかかわらず、家のまわりをちょっと散歩すると、いちじく、枇杷、桃、ブルーベリー、栗、檸檬、姫りんご、葡萄、柿なんかが実をつけているを見かける。様々な花もそれぞれの季節ごとに咲いているし、虫だって嫌になっちゃうくらい出てくる。
自然の「サイン」もあれば、人工の「サイン」もたくさんある。
興味を持たなければ、何気にやり過ごしてしまうが、落ち着いて、余裕を持って目を開けば、今まで見ていなかった、見過ごして来た物が見えてくる。普段から目を磨いておく事が大事だ。
少しでも多くの「サイン」を受け取ってみたいものである。
ちなみに我が家では、夏に買った「ハイビスカス」の2鉢が、今でも元気に花咲かせっぱなし、、、、、いいの?
![ハイビスカス1](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/k_001.jpg)
沖縄のお友達。まだまだ咲きそう。
![ハイビスカス2](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/k_002.jpg)
もひとつ
まいっか。
ちょっとお知らせ。
今ちょっとすごいものが青山で行われている。
人の個展を宣伝しても何の得にもならないが、ポークソテーズで同じ「ど素人ボーカル」仲間のキッチュこと松尾貴史様が「折り顔」展を開いている。
「折り顔」とは折り紙で人の顔を折ったもの。説明すると非常に簡単。
僕も子供の頃、折り紙で色々折った経験がある。見本をみながら、、、
しかし、しょせん平面。2次元どまり。キッチュの「折り顔」は一枚の紙(平面)を立体に、3次元に立ち上げてしまう。しかも見本なし。
まさに紙(神)技(う、うまい)
昔、錬金術師という「黄金」を作り出す、妖しい人たちがいた。(今もいるのかな?)
キッチュは「錬顔術師?」「折顔術師?」とでも表現すればいいのだろうか?
一枚の紙から、「黄金」の様な「顔」を折り出してしまう。
「妖しい天才」である。
まぁ、キッチュには忘れた頃にもやって来て欲しくはないが、あの歪んだ性格だからこそ出来る離れ技。(失礼でしょ)
時間のある人は是非行って、見てあげて下さい。本当に凄いから。
ちなみに場所は、東京都港区青山2-9-15 03-3475-8606
space INTART
感動しますよ。
で、先週は松島海岸に行ってきたんですが、ちゃんと観光したわけじゃないからよくわかんなかった。でも、こんなのみつけた。
![松島海岸](http://katsumura.blog.tennis365.net/image/k_003.jpg)
発見。意味不明。
よくわからない。
僕の生まれた日。
ちなみに、ヘミングウェイも同じ誕生日。
すぐに同じ誕生日の杉本哲太ちゃんに写メールした。たいした反応じゃなかった。でも、こーゆーのに興味がある人は、中島らもさんの「休みの国」を読むがいい。(なんだ、えらそうに)
松島海岸での一番の思い出は、どの船に乗っても、「カモメのえさあります。
100円」と書いた紙が貼ってあった。
船長さんの横には、必ず「かっぱえびせん」が山積みされている。しかも、駄菓子屋さんで売っている一番小さな30円のやつ。まぁ、値段の事は置いておくとして(納得出来ないが、、、)、何故僕の大好物のかっぱえびせんが「カモメのえさ」なのか置いておくとして(納得できないが、、、)、とにかく「かっぱえびせん」が山積みされている。
カモメのえさらしい。
しかし、えさのあげ方がわからない。
だって、広い海を動いてる船からどーやってカモメにえさをあげられるのかしらん? わかんないでしょ?
答えは簡単だった。
ためしにガソリンより高い「カモメのえさ」を買ってみた。するとあなた、かっぱえびせんのオレンジ色の袋を見た「カモメくん」たちが、何処から集まるのか船の後ろから何羽も何羽も飛んできて、えびせんを投げてくれるのを待ちながら、全速力で飛んでくるのだ。
それはそれは、世にも恐ろしい光景だった。
走る船の後ろから、何十羽もの「カモメ」が追いかけてくる。しかも、いつも見るカモメとはロケーションが違う。本気で飛んでいるカモメを真正面から見続ける経験なんてそうはないもの。本当に恐いのよ(何でおねえ言葉?)
ヒッチコックは、多分松島海岸でカモメにえさをやっている時に名作「鳥」を思いついたのでせう。(すみませんでした)
ま、いっか。
後、ジャパン・オープンの事は今日見にいっているので、明日の木曜にでも書きます。なんせ、テニスのブログですもの。
とにかくポークソテーズの話を今週で終わらせなければ、気になって次にいけない。まぁ、まさかこんなに長くなるとは自分でも思わなかったんで、、、、これも既に長いが、、、、、
ほんじゃ、多分、最終回。(た、多分?だと)
かの草月ホールでのギグを終えたばかりの僕らは、まだ悶々としていた。
多分、楽しかったのだ。全員が。みんな、音楽が好きになった頃に戻ったのだ。
何の思想もなく、何のこだわりもなく、気を使わない仲間とばか騒ぎしただけなのだ。しかも普段の自分のファンの前ではない。
宣伝のチラシは勝村政信と謎のバンド「ポークソテーズ」みたいな感じだった。
俺たちはムード歌謡か!和田弘とマヒナスターズか!
(昔、野田秀樹さんから聞いた話だが、久米宏さんがニュースステーションをやっていた頃、遊民社の人たちが番組の中のVTRに出ていた。で、劇団が地方公演に行った時に「ニュースステーションでお馴染みの夢の遊民社様御一行」と書かれていた事があり、愕然としたと、、、)
ちょっと違うか。
とにかく僕らはみんなロッカーである。基本が。(ぼ、僕ら?)
でもやっている事は、全く別物だ。息抜きにちょうどいい。普段私生活ではよく会っている仲間だが、同じステージに上がる事は滅多にない。
そして、それぞれの頭の片隅に「印税生活」の4文字がモジモジしていた。
なんだか「いけそう」な感じだった。
そんな時にはやはり、「風」が吹いてくる。
僕の心の友、デザイナーの中野裕通さんが、「エイズ救済ライブ」に誘われた。
しかし、中野さんは歌が歌えない。困った裕通くんは仲良しの政信くんに相談した。政信くんは考える間もなく、デモテープを裕通くんに渡した。
記念すべき、「ポークソテーズ」のセカンドギグが決まった。
今回は、かおりが仕事で参加出来ないので、「みっちょん」こと芳本美代子が初参加。しかも、中野さんがお礼に「みっちょん」のために衣装を作ってくれた。
アームに職のある人はあなどれない。(なんだ?アームって)
今回のギグは参加人数が多いため、時間制限があった。3曲だけのギグになった。僕らは参加者に全く興味がなかったので、誰が出るか知らなかった。
当日、楽屋には、羽田元首相。高円宮殿下。等がいらっしゃった、、、、
僕らは、言葉を失い、気も失いかけた。
しかも皆様、本格的にバイオリンでクラシックを引かれたり、オペラを歌われたりするらしい、、、、
僕らの3曲は、「WE ARE PORK SAUTES」「カレーライス」「ハンバーグの作り方」、、、しかもカラオケ、、、
場違いな僕らは、とりあえず楽屋を出た。みんな口を利かなかった。
1階の川の横のウッドデッキのある店に逃げる様に入った。昼間からビールを頼んだ。ビールがくるまでが嫌に長く感じられた。誰かが、「逮捕とかされないですよね?」と言った。普段ならシカトするところだが、別の意味でみんなシカトした。(本当に逮捕されると思ったのか!みんな!子供か!)
ビールが運ばれて来た。みんなゴクゴク飲んだ。味がしなかった。
酔わないし、ガンガン頼んでガンガン飲んだ。すんごい飲んだ。
気がついたらみんな泥酔に近かった。もーどーでもよかった。
みんな気が大きくなっている。そして笑っている。
楽屋に戻った。楽屋にはお酒が用意されている。しかも高級なやつ。
僕らの声は大きい。作家の島田雅彦さんがいた。隣にきた僕は「ねい、これ飲んでいい?シロ。ワインの。」変な倒置法でしゃべっている。しかも初対面でため口。
僕らは人数が多いからすぐにお酒がなくなる。もー総勢9人だか10人が「ねい、これ飲んでいい?これ?」といろんな著名人に話しかけている。
そして笑っている。
用意されているお酒のほとんどを「コックさん」のかっこしたバカどもが飲み干した。
そして笑っている。
ライブが始まった。来場したお客様は一人、3万円くらい払っているらしい。
それぞれの持ち時間が短いから、袖に全員が集まって談笑している。もちろん袖は暗い。キッチュがモーニングを着た男性と笑顔で楽しそうにため口をきいている。明かりが当たると高円宮殿下だった、、、、
殿下は本当に紳士だった。丁寧にいろいろなお話をして下さっている。
みんなも楽しそうに笑顔でいろいろな人とため口をきいている。
暗いから誰が誰だかわからない。
もーどーでもよかった。
とりあえず、泥酔に近い僕らの番が来た。酔っていても板の上に立てば大丈夫。
何も問題なく終えた。
ギグを終え、袖に戻ると西田ひかるちゃんが寄ってきて、「中野さん、コミックバンド始めたんですか?」とのたまった。
どーでもよかった。
「風」はまだおさまらない。
我らが「ポークソテーズ」にCDデビューの話が持ち上がった。
全員耳を疑った。
しかし、話は具体的に進み始めて行った。
レコード会社は、な、な、なんと!エーベックス!
しかも、NHKの「みんなの歌」からも声がかかった。
「夢の印税生活」
僕の頭の中では、既に役者を引退し、スペインに移住し、隠居生活をし、自家用ジェットで世界中を旅していた。
レコーディングの日が決まった。
当日、奥野が中心となり、スムーズに、実にスムーズにレコーディングが進んで行った。プロデューサーの女性はお腹に赤ちゃんがいて、「子供も楽しめる素敵な歌ね」と太鼓判!
また一歩、自家用豪華客船が近づいた。(なんて乏しい想像力)
録音も終わり、後はCDの発売を待つばかり、、、、、
今回のCD制作の中心で窓口でもある功労者、キッチュから連絡があった。
「プロデューサーの女性が、赤ちゃんを産む為に入院したそうです」
「それは、いかったいかった」
「で、ちょっと版権のことでいろいろ揉めているみたいで、入院してしまったし、ちゃんとした事が出来ないので、今回の事は無かった事にして下さいとゆー事です。で、もちろん会社側の問題ですので、レコーディングにかかった費用等は、こちらでお支払いします。と言われたよ」
僕の自家用ジェット機が墜落し、自家用豪華客船が沈没した。
しかし、NHKの「みんなの歌」の話は生きていた。
初めは「カレーライス」で行きましょう。と言ってくれていたのだが、「みんなの歌」も時間制限があった。「カレーライス」は5分くらいある。「みんなの歌」は2分30秒くらい。
無理。
で、急遽「ハンバーグの作り方」に決まった。
アニメーションは「ハクション大魔王」風のキャラクターだった。
僕らは大満足だった。
公園に遊びに行った時に「ハンバーグの作り方」を歌ってくれている親子がいた。僕は心の中で「俺が歌ってんだよ~ん」と叫んだ。
泣きながら。
こんなシアワセもあるんだと感無量になった。
それから、数年後に奥野の結婚式の2次会で久しぶりにバンドを組んだ。
ちょっとしか練習しなかったからめちゃめちゃだった。
でも楽しかった。死ぬ程楽しかった。
それ以来「ポークソテーズ」は活動していない。
次は、ユータが結婚する時にでも強引にやるつもりだ。
その次には、キッチュか哲太の子供が結婚する時にでも、2次会に強引に出てやろうと思っている。
後、15年くらい先の話になるが、、、
で、キッチュの息子とか、哲太の息子とか、僕の娘とか、みっちょんの娘とか、かおりの娘なんかに受け継いでもらって、いつか必ず「夢の印税」で「自家用ジェット機」と「自家用豪華客船」を買ってもらう。
なんせおいらたちはしつっこいかんね。
「夢」に「印税」が発生すれば、おいらたちは地球が買えるぞ!
僕らの「ポークソテーズ」は永遠に不滅なのだ!
了
「ポークソテーズ」の話、無事に終わったのだ。
しかし、記録的に長くなったのだ。
みなさま、途中であきらめてはいけない!
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『祭りの準備』 その2
続き
当日。
朝から集まり、揃いのはっぴ(デザイナーで僕の親友の中野裕通さんが作ってくれた)を着て、芳雄さんの家の裏にある豊川稲荷にお参りする。
(豊川稲荷は芸能の神様だ)
庭に戻ってから、鏡割りして乾杯。
火をおこし、餅米を炊く準備をする。火をおこすのは本当に手間がかかる。
特に、炭は大変だ。しかし、僕らは慣れてるし「秘密兵器」がある。
だんだん準備が整ってくる。
みんなちょっと興奮してくる。
そう、興奮して来るのだ。
何なんだろう?あの「興奮」は。
お囃子のBGMをかけて餅米の炊きあがりを待つ。
家の中では女子が搗き上がる餅を待ち構える。
「あんこ」「納豆」「おろし」「きな粉」などを用意している。
やはり女子も興奮している。
何なんだろう?あの「興奮」は。
餅米が炊きあがる。
芳雄さんの「じゃあ、一番餅行ってみよーかー!」
の声で興奮は最高潮に達する。
「よいしょー!よいしょー!」
と庭でも家の中からも叫び声がこだまする。
近所迷惑甚だしい。
恥ずかしがってなどいられない。
数十キロの餅米を搗き上げなければならない。
台所では、どでかい寸胴の前に金山一彦が仁王立ちしている。
カレーは金山が毎年仕切っている。(昔、バイトで料理人の経験のある彼は、なんでもつくれるし、なんでも美味い)
焦がさない様にゆっくりと、愛しむようにカレーをかき混ぜている。
カレーが不味かったら1年間文句言われ続けるから、金山は台詞を覚えている時より真剣だ。
そして、毎年メチャクチャ美味いカレーを作る。
その間も人々が入れ替わり立ち替わり現れては去って行く。
赤ちゃんも子供も大人もみんな餅を搗く。
「興奮」して、ちょっと気恥ずかしそうに。
それでいて何だかうれしそうに餅を搗く。
祭りは夜になっても続いて行く。
たくさんの人が、
たくさんの言葉が、
たくさんの思いが家中に溜まって行く。
ここで出会って結婚した人がいる。
ここで出会って仕事を一緒にした人がいる。
ここで出会って殴り合いの喧嘩をした人もいる。
ここで出会ってその後二度と会わない人もいる。
芳雄さんは、「俺の家は楽屋と同じだ」と言っていた事があった。
「祭り」はゆっくりと幕を閉じようとしている。
みんなベロベロになって三々五々移動を始める。
僕らはみんなの帰った部屋でちょっと飲む。
「祭り」の余韻に浸りながら。
そして僕は、「餅つきっていいなぁ~」と思う。
そして、原田芳雄さんを、改めて「カッコイイなぁ~」と思う。
次の日にみんなで集まり、後片付けをして別れる。
そしてみんなは、それぞれの「祭りの準備」を始める。
了。