赤羽トレーニングセンター その1 / 2006年10月18日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
天気がよくて、とてもシアワセな日々を過ごしております。
夏に太陽をあんまり見なかったんで、じっくりと眺めたりしていると、時間があっとゆーまに過ぎてしまい驚きます。
もー10月も半ばです。
今年もいつの間にか、あとちょっと。
「テーマパーク・原田」では、恒例の「餅つき」の準備の話がちらほらと聞こえ始め、、、、
毎年、毎年、「早っいぇーな~!」なんて言いながら、ちょっぴりうれしいような、面倒くさいような、それはそれで楽しい時期になってきました。
土日が休みだったので、「天気もいいし」どっかで行こうかな~、なんて思っていたところに、友人から、「IKEYA」とゆー、スウェーデンの家具屋を紹介してもらったので、ちょっぴり出掛けることになった。
「IKEYA」は、すんごい「いい品物」が、「たーくさん」あってしかも「安っしー」らしい。
「いい品物」「たーくさん」そして「安っしー」
安物買いにはたまらない、「買い物三原則」である。
友人がミョウに興奮して教えてくれたので、僕もミョウに興奮してしまった。
第三京浜の「港北インター」のすぐ近くに「IKEYA」はあるらしい。
僕の興奮はおさまらない。
「港北インター」の手前の「都筑インター」に近づいた。
興奮している僕は娘に、「このインターの横に、『日本盲導犬協会』があるんだ
ぞ。昔は茅ヶ崎にあったんだけど、その頃「盲導犬」のドラマを撮っていたんだ
よ。で、その後ここに移ったんだよ」なんて「いい気に」なって説明していた。
僕は、盲導犬に関してちょっと詳しい。
「ラブの贈り物」というドラマで、盲導犬を育てる「パピーウォーカー」の役をパート2までやった。(偉大な監督であり、偉大な役者であった、僕の本当のとうちゃんみたいな、藤田敏八さんが御存命だったら、パート3、4と続いていた作品だった)
その他にも、「盲導犬クイール」というドラマでも、やはり、クイールを育てる「パピーウォーカー」の役を演じた。
ま、言ってみれば、日本一の「えせパピー」だ。(なんだ、それ?)
で、「都筑インター」でおりて「IKEYA」を探した。
、、、、、いくら探しても見つからない。
「あれ?おっかしーなー?」
なんて言っていると、娘が、
「ここでおりるんじゃなかったんじゃない?」
「し、しまったー!」
興奮しながら、「盲導犬協会」の説明なんかしちゃって、おりてる最中に、
「あ、ほら、ここ、ここ!ここが盲導犬協会!」なんて得意になって説明していた「バカ親父」、、、、、、
親父も恥ずかしかったが、その娘も恥ずかしかったに違いない。
赤ら顔の家族は、黙ったまま「IKEYA」に向かった。
人生の教訓。
「興奮し、得意になれば、まわりもみんな赤ら顔」
「赤ら顔」ながらもバカ親父は、心に誓っていた「ある事」を反復していた。
それは、「コストコ」で痛い目にあった「買い過ぎ」。
意味も無く興奮して買った「3個つながりメープルシロップ」は、家で使っているメープルシロップの他にもう一本在庫があったために、未だに袋のまましまってある。
他の大量に買った商品もほとんど「手つかず」の状態のままだ。
段ボールで買った「トイレクイックル」をよく見たら、詰め替え用だった、、、、、
一度開けると、「袋」が閉じられなくて、「ウエットシート」乾いちゃうから、 未だに袋が開けられない、、、、
だから、今回は行く前から決めていた。
「今日は下見!」
午後から約束があったので、11時に着いた。
駐車場の「P」の文字を見た瞬間に、僕の興奮はマックスに達していた。
そして店内に入った時に、台所に置く予定の棚の「サイズ」をメモった紙を車に置き忘れてきた事に気づいた、、、、、、
自分が嫌になってきた。
凄かった。一日ではもったいない気がした。近所にホテルを作って、泊まりがけで買い物したかった。ディズニー・シーみたいに、、、
結局、何も買わないつもりだったけど、余計な物をじょろじょろ買ってしまった、、、、
下見のはずが…
二メートルを以上もある蛇が…我が家に…
IKEYAのオススメらしく、何千匹も売ってた…
買っちゃった…
「コストコ」に続き、「IKEYA」も素晴らしかった。
「買い物好き心」をくすぐられ、鷲掴みにされた上、「恋心」までも抱いてしまいそうだ。
参った。このままだと、我が家はただの「物置」になってしまいそうだ。
ま、嫌いじゃないけど、、、、
必ず、近いうちに行ってやるぞ!(誰に言ってんだ?)
上司の一人が社長に就任。
社長室に飾ってと、永遠のアイドル「オードリー」のでかいパネルをプレゼント
でも、僕も欲しくって同じものを買ってしまった。
下見でしょ!
で、午後の用事。
僕が働いていた頃の上司が癌で手術したんだけど、見事生還した。
「快気祝い」
昔の上司3人と20数年ぶりで一緒に酒を飲んだ。
生還した上司は、昔スキーに行った時、崖から落ちて木に頭をぶつけて脳挫傷。
(スキーは決してうまくない、、、ただ落ちた)
リハビリで何とか生還した。
で、半年前に胃がんが見つかって手術。
生還したが、肝臓に転移していたのが見つかり、手術。
みんな、正直「もーダメだ」と思っていた。
それが、今月に本人から電話があって、治ったから「快気祝いしよー」だって、、、、、
世の中には化け物がいるもんである。
流石に酒は一杯しか飲まなかったが(飲んだんだよ。この人)、昔の話で久々に大笑いした。
で、日曜日。
「のぼるくん」を母親の「さゆり」と遊ばせる事にした。
「さゆり親子」は「羽根木公園」に向かった。
初めて行ったんだけど、家族連れでいっぱいだった。
グラウンドがあって、真剣に野球やっていたり、子供たちが元気に遊びまわっていて、活気のある楽しい公園だった。
僕は普段、「代々木公園」に行っているので、全然違う雰囲気に戸惑った。
「代々木公園」にはあまり子供がいない。
ま、場所がら仕方ないんだけど、公園ってこーなんだよねって感じを思い出した。
知り合いの映画監督に偶然会った。
なんだか「偶然」が多い。
子供と遊んでいる監督に、
「あれ?子供いたっけ?」って聞くと、
「次に撮る映画の子役のオーディションを兼ねて遊んでいるんですけど(遊びながら、自然な表情とかも見ているらしい)、今年撮るはずだったのが来年に伸びちゃって、、、でも、3ヶ月も経つと、この子たち大きくなっちゃいますよね~」と笑いながらも困っていた。
子供の成長は早い。
いろんな物語が、公園にはあるもんだなとちょっと笑ってしまった。
親子がみんな楽しそうだった。
「さゆり親子」は、自分たちが親子だってわかっているんだろーか?
ちょっと不安はあったが、二匹は淡々としている。
何を考えているのか全くわからない。
こんなマイペースが羨ましい。
のぼるが初めて我が家に来た時に、お母さんに会いたいんだろーな~と思い、
1ヶ月後くらいに「さゆり」の飼い主の奥野に電話した。
「『さゆり』に『のぼるくん』を会わせてあげたいんだけど、、、」
すっかり犬の親になりきってしまっている「サル顔」の奥野は、
「ありがとう!すぐに連れてきてあげて」なんて興奮して涙声になっている。
「のぼるくん」を連れて行って、親子の再会に僕らも息を飲んだ。
母親の「さゆり」は、目に涙をためてる。(ように見えた)
興奮して「のぼるくん」に向かって行った。
ここだけ、「スローモーション」になった。(ように見えた)
ちょっぴり胸がキュンとしている僕らの目の前で、「さゆり」は「のぼるくん」の上に乗り、腰をふりはじめた、、、、、
「うわー!」っと奥野が叫び、あわてて「さゆり」をどけた。
「子供なんだぞ、お前の子供なんだぞ!」と興奮して「真っ赤」な顔で「さゆり」に説明している。
みんながっかり、、、、
これまた興奮してる「さゆり」のうけ口から「白い下の歯」が覗いていて、小バカにされているようで、やや「赤ら顔」の僕らは余計にがっかりした。
そんな「さゆり」に後2年くらいたったら、もう一回子供を産ませるらしい。
大丈夫なのか?
さゆりの服でコスプレ。
でも、のぼるくんがデカすぎてサイズが合うのがほとんどない。
ちょいワル
のぼるくんに背伸びさせてみました(_ _)
かつらを付けて、おばちゃんみたいになったのぼるくん。
ほんとは、ミック・ジャガーにしたかった
さゆり。
なんか、風格がある
「のぼるくん」は先日代々木公園で、たくさんの犬と出会った。
興奮し過ぎた「のぼるくん」は、みんなの前でゲロ吐いた、、、、
なんだか恥ずかしくて、僕はちょっぴり顔が「赤く」なった。
大丈夫なのか?
ここで人生の教訓を思い出した。
「興奮し、得意になれば、まわりもみんな赤ら顔」
大丈夫なのか?バカ犬。そしてバカ親父の僕。
とにかく、「世界中」様々な心配はつきない、、、、、
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その1
二十歳の時、働いていた会社を辞めた。
なんにも考えていなかった。とにかく、辞めたいと思った。
辞めたらスッキリした。
今までの仕事が自分に向いていなかった事がよくわかった。
なんだか、ドロドロの身体をシャワーで洗い流して、真っ白い大きなバスタオルで拭いているような「爽快感」だった。
しかし、何も考えずに辞めるという事は、シャワーの後「下着」の用意もしていないんだという事にも気づいた。
「全裸」
これから当分は、人生を「全裸」で過ごさなければならない。
だけど「爽快感」が「全裸」を包み込んでくれていた。
忙しく働いていたので、本当に少なかったけど、「蓄え」に近いものはあった。
バイトする気もなかったので、ゆっくり「次」を考えればよかった。
それに、2年近く働いた。
次の就職までの間、失業保険を貰いながらのんびりと「楽」がしたかった。
手続きをしようとしたら、「そんなみっともないこと!」と母親に叱られた。
何故?みっともないのかよくわからなかったが、母親が嫌がってるので、仕方なく諦めた。(後年、母親はそんの事言った覚えがない。「もったいなかったわね~」とのたまった。ったく!)
毎日、毎日、家で「ごろんごろん」してた。
毎週水曜日の夜に、浦和にある「駒場サッカー場」でのサッカーの練習だけが、「生き甲斐」になっていた。
浦和の1部リーグの「ピースロン」というチームに入っていた。
浦和のリーグは1部で優勝すると翌年の開幕戦は、駒場の「芝」のグラウンドで試合が出来た。サッカー小僧たちの夢であった。
「生き甲斐」意外は「ごろんごろん」している。
人間はこーやってダメになっていくってのがよくわかった。
というか、少しダメになりかけていた。
ある日、母親から「みっともないから、昼間は外に出ないで」と言われた。
そんなに昼に外に出ていたつもりはなかったが、いい大人が目的もなく「だらだら」生きているのが耐えられなかったのだろう。
母親からすれば、僕はかなり「みっともない」存在だったのだ。
仕方ないから、サッカーチームの会社でもある「ピースロン」に就職して、サッカーしながら働くのも悪くないと思った。
先輩に相談すると、その会社は精密機械の部品を作っているそうだ。
先輩は、「勝村、お前、工場の中に一生いるのは嫌だろ?止めといた方がいいぞ」と言われた。
見学にまで行ったのだが、素直にしたがった。
さー、どーしよー。
脳みそが筋肉で出来ていた若者は(僕ね)、まず「身体を鍛えよう」と考えた。
(なんだか清々しい)
考えても、何も解決しないのは経験上わかっていた。「筋肉レベル」でわかっていた。
とにかく、動いた方が「得策」だと思った。
バカ者は、いや、若者は、昔「赤羽」という町に出掛けた時に見かけた、「赤羽トレーニングセンター」を思い出した。
早速、赤羽にその頃の愛車、原付のオレンジ色の「HONDA タクト」で向かった。
東口側の商店街の中の建物の2階に「赤トレ(長いから略す)」はあった。
温厚そうな、ちょっぴり肉付きのいい会長が対応して下さった。
コーチは僕より小柄だった。
真っ黒に日焼けした端正な顔とはまるでアンバランスな、「Tシャツからはみ出ている腕は」僕の腿とたいしてかわりがないように見えた。
初めて間近で、肉眼で捉えた、本物の「ボディービルダー」だった。
圧巻だった。ちょっと恐いくらいだった。
天気がよくて、とてもシアワセな日々を過ごしております。
夏に太陽をあんまり見なかったんで、じっくりと眺めたりしていると、時間があっとゆーまに過ぎてしまい驚きます。
もー10月も半ばです。
今年もいつの間にか、あとちょっと。
「テーマパーク・原田」では、恒例の「餅つき」の準備の話がちらほらと聞こえ始め、、、、
毎年、毎年、「早っいぇーな~!」なんて言いながら、ちょっぴりうれしいような、面倒くさいような、それはそれで楽しい時期になってきました。
土日が休みだったので、「天気もいいし」どっかで行こうかな~、なんて思っていたところに、友人から、「IKEYA」とゆー、スウェーデンの家具屋を紹介してもらったので、ちょっぴり出掛けることになった。
「IKEYA」は、すんごい「いい品物」が、「たーくさん」あってしかも「安っしー」らしい。
「いい品物」「たーくさん」そして「安っしー」
安物買いにはたまらない、「買い物三原則」である。
友人がミョウに興奮して教えてくれたので、僕もミョウに興奮してしまった。
第三京浜の「港北インター」のすぐ近くに「IKEYA」はあるらしい。
僕の興奮はおさまらない。
「港北インター」の手前の「都筑インター」に近づいた。
興奮している僕は娘に、「このインターの横に、『日本盲導犬協会』があるんだ
ぞ。昔は茅ヶ崎にあったんだけど、その頃「盲導犬」のドラマを撮っていたんだ
よ。で、その後ここに移ったんだよ」なんて「いい気に」なって説明していた。
僕は、盲導犬に関してちょっと詳しい。
「ラブの贈り物」というドラマで、盲導犬を育てる「パピーウォーカー」の役をパート2までやった。(偉大な監督であり、偉大な役者であった、僕の本当のとうちゃんみたいな、藤田敏八さんが御存命だったら、パート3、4と続いていた作品だった)
その他にも、「盲導犬クイール」というドラマでも、やはり、クイールを育てる「パピーウォーカー」の役を演じた。
ま、言ってみれば、日本一の「えせパピー」だ。(なんだ、それ?)
で、「都筑インター」でおりて「IKEYA」を探した。
、、、、、いくら探しても見つからない。
「あれ?おっかしーなー?」
なんて言っていると、娘が、
「ここでおりるんじゃなかったんじゃない?」
「し、しまったー!」
興奮しながら、「盲導犬協会」の説明なんかしちゃって、おりてる最中に、
「あ、ほら、ここ、ここ!ここが盲導犬協会!」なんて得意になって説明していた「バカ親父」、、、、、、
親父も恥ずかしかったが、その娘も恥ずかしかったに違いない。
赤ら顔の家族は、黙ったまま「IKEYA」に向かった。
人生の教訓。
「興奮し、得意になれば、まわりもみんな赤ら顔」
「赤ら顔」ながらもバカ親父は、心に誓っていた「ある事」を反復していた。
それは、「コストコ」で痛い目にあった「買い過ぎ」。
意味も無く興奮して買った「3個つながりメープルシロップ」は、家で使っているメープルシロップの他にもう一本在庫があったために、未だに袋のまましまってある。
他の大量に買った商品もほとんど「手つかず」の状態のままだ。
段ボールで買った「トイレクイックル」をよく見たら、詰め替え用だった、、、、、
一度開けると、「袋」が閉じられなくて、「ウエットシート」乾いちゃうから、 未だに袋が開けられない、、、、
だから、今回は行く前から決めていた。
「今日は下見!」
午後から約束があったので、11時に着いた。
駐車場の「P」の文字を見た瞬間に、僕の興奮はマックスに達していた。
そして店内に入った時に、台所に置く予定の棚の「サイズ」をメモった紙を車に置き忘れてきた事に気づいた、、、、、、
自分が嫌になってきた。
凄かった。一日ではもったいない気がした。近所にホテルを作って、泊まりがけで買い物したかった。ディズニー・シーみたいに、、、
結局、何も買わないつもりだったけど、余計な物をじょろじょろ買ってしまった、、、、
下見のはずが…
二メートルを以上もある蛇が…我が家に…
IKEYAのオススメらしく、何千匹も売ってた…
買っちゃった…
「コストコ」に続き、「IKEYA」も素晴らしかった。
「買い物好き心」をくすぐられ、鷲掴みにされた上、「恋心」までも抱いてしまいそうだ。
参った。このままだと、我が家はただの「物置」になってしまいそうだ。
ま、嫌いじゃないけど、、、、
必ず、近いうちに行ってやるぞ!(誰に言ってんだ?)
上司の一人が社長に就任。
社長室に飾ってと、永遠のアイドル「オードリー」のでかいパネルをプレゼント
でも、僕も欲しくって同じものを買ってしまった。
下見でしょ!
で、午後の用事。
僕が働いていた頃の上司が癌で手術したんだけど、見事生還した。
「快気祝い」
昔の上司3人と20数年ぶりで一緒に酒を飲んだ。
生還した上司は、昔スキーに行った時、崖から落ちて木に頭をぶつけて脳挫傷。
(スキーは決してうまくない、、、ただ落ちた)
リハビリで何とか生還した。
で、半年前に胃がんが見つかって手術。
生還したが、肝臓に転移していたのが見つかり、手術。
みんな、正直「もーダメだ」と思っていた。
それが、今月に本人から電話があって、治ったから「快気祝いしよー」だって、、、、、
世の中には化け物がいるもんである。
流石に酒は一杯しか飲まなかったが(飲んだんだよ。この人)、昔の話で久々に大笑いした。
で、日曜日。
「のぼるくん」を母親の「さゆり」と遊ばせる事にした。
「さゆり親子」は「羽根木公園」に向かった。
初めて行ったんだけど、家族連れでいっぱいだった。
グラウンドがあって、真剣に野球やっていたり、子供たちが元気に遊びまわっていて、活気のある楽しい公園だった。
僕は普段、「代々木公園」に行っているので、全然違う雰囲気に戸惑った。
「代々木公園」にはあまり子供がいない。
ま、場所がら仕方ないんだけど、公園ってこーなんだよねって感じを思い出した。
知り合いの映画監督に偶然会った。
なんだか「偶然」が多い。
子供と遊んでいる監督に、
「あれ?子供いたっけ?」って聞くと、
「次に撮る映画の子役のオーディションを兼ねて遊んでいるんですけど(遊びながら、自然な表情とかも見ているらしい)、今年撮るはずだったのが来年に伸びちゃって、、、でも、3ヶ月も経つと、この子たち大きくなっちゃいますよね~」と笑いながらも困っていた。
子供の成長は早い。
いろんな物語が、公園にはあるもんだなとちょっと笑ってしまった。
親子がみんな楽しそうだった。
「さゆり親子」は、自分たちが親子だってわかっているんだろーか?
ちょっと不安はあったが、二匹は淡々としている。
何を考えているのか全くわからない。
こんなマイペースが羨ましい。
のぼるが初めて我が家に来た時に、お母さんに会いたいんだろーな~と思い、
1ヶ月後くらいに「さゆり」の飼い主の奥野に電話した。
「『さゆり』に『のぼるくん』を会わせてあげたいんだけど、、、」
すっかり犬の親になりきってしまっている「サル顔」の奥野は、
「ありがとう!すぐに連れてきてあげて」なんて興奮して涙声になっている。
「のぼるくん」を連れて行って、親子の再会に僕らも息を飲んだ。
母親の「さゆり」は、目に涙をためてる。(ように見えた)
興奮して「のぼるくん」に向かって行った。
ここだけ、「スローモーション」になった。(ように見えた)
ちょっぴり胸がキュンとしている僕らの目の前で、「さゆり」は「のぼるくん」の上に乗り、腰をふりはじめた、、、、、
「うわー!」っと奥野が叫び、あわてて「さゆり」をどけた。
「子供なんだぞ、お前の子供なんだぞ!」と興奮して「真っ赤」な顔で「さゆり」に説明している。
みんながっかり、、、、
これまた興奮してる「さゆり」のうけ口から「白い下の歯」が覗いていて、小バカにされているようで、やや「赤ら顔」の僕らは余計にがっかりした。
そんな「さゆり」に後2年くらいたったら、もう一回子供を産ませるらしい。
大丈夫なのか?
さゆりの服でコスプレ。
でも、のぼるくんがデカすぎてサイズが合うのがほとんどない。
ちょいワル
のぼるくんに背伸びさせてみました(_ _)
かつらを付けて、おばちゃんみたいになったのぼるくん。
ほんとは、ミック・ジャガーにしたかった
さゆり。
なんか、風格がある
「のぼるくん」は先日代々木公園で、たくさんの犬と出会った。
興奮し過ぎた「のぼるくん」は、みんなの前でゲロ吐いた、、、、
なんだか恥ずかしくて、僕はちょっぴり顔が「赤く」なった。
大丈夫なのか?
ここで人生の教訓を思い出した。
「興奮し、得意になれば、まわりもみんな赤ら顔」
大丈夫なのか?バカ犬。そしてバカ親父の僕。
とにかく、「世界中」様々な心配はつきない、、、、、
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その1
二十歳の時、働いていた会社を辞めた。
なんにも考えていなかった。とにかく、辞めたいと思った。
辞めたらスッキリした。
今までの仕事が自分に向いていなかった事がよくわかった。
なんだか、ドロドロの身体をシャワーで洗い流して、真っ白い大きなバスタオルで拭いているような「爽快感」だった。
しかし、何も考えずに辞めるという事は、シャワーの後「下着」の用意もしていないんだという事にも気づいた。
「全裸」
これから当分は、人生を「全裸」で過ごさなければならない。
だけど「爽快感」が「全裸」を包み込んでくれていた。
忙しく働いていたので、本当に少なかったけど、「蓄え」に近いものはあった。
バイトする気もなかったので、ゆっくり「次」を考えればよかった。
それに、2年近く働いた。
次の就職までの間、失業保険を貰いながらのんびりと「楽」がしたかった。
手続きをしようとしたら、「そんなみっともないこと!」と母親に叱られた。
何故?みっともないのかよくわからなかったが、母親が嫌がってるので、仕方なく諦めた。(後年、母親はそんの事言った覚えがない。「もったいなかったわね~」とのたまった。ったく!)
毎日、毎日、家で「ごろんごろん」してた。
毎週水曜日の夜に、浦和にある「駒場サッカー場」でのサッカーの練習だけが、「生き甲斐」になっていた。
浦和の1部リーグの「ピースロン」というチームに入っていた。
浦和のリーグは1部で優勝すると翌年の開幕戦は、駒場の「芝」のグラウンドで試合が出来た。サッカー小僧たちの夢であった。
「生き甲斐」意外は「ごろんごろん」している。
人間はこーやってダメになっていくってのがよくわかった。
というか、少しダメになりかけていた。
ある日、母親から「みっともないから、昼間は外に出ないで」と言われた。
そんなに昼に外に出ていたつもりはなかったが、いい大人が目的もなく「だらだら」生きているのが耐えられなかったのだろう。
母親からすれば、僕はかなり「みっともない」存在だったのだ。
仕方ないから、サッカーチームの会社でもある「ピースロン」に就職して、サッカーしながら働くのも悪くないと思った。
先輩に相談すると、その会社は精密機械の部品を作っているそうだ。
先輩は、「勝村、お前、工場の中に一生いるのは嫌だろ?止めといた方がいいぞ」と言われた。
見学にまで行ったのだが、素直にしたがった。
さー、どーしよー。
脳みそが筋肉で出来ていた若者は(僕ね)、まず「身体を鍛えよう」と考えた。
(なんだか清々しい)
考えても、何も解決しないのは経験上わかっていた。「筋肉レベル」でわかっていた。
とにかく、動いた方が「得策」だと思った。
バカ者は、いや、若者は、昔「赤羽」という町に出掛けた時に見かけた、「赤羽トレーニングセンター」を思い出した。
早速、赤羽にその頃の愛車、原付のオレンジ色の「HONDA タクト」で向かった。
東口側の商店街の中の建物の2階に「赤トレ(長いから略す)」はあった。
温厚そうな、ちょっぴり肉付きのいい会長が対応して下さった。
コーチは僕より小柄だった。
真っ黒に日焼けした端正な顔とはまるでアンバランスな、「Tシャツからはみ出ている腕は」僕の腿とたいしてかわりがないように見えた。
初めて間近で、肉眼で捉えた、本物の「ボディービルダー」だった。
圧巻だった。ちょっと恐いくらいだった。
続く。