祭りの準備 その2 / 2006年10月04日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
油断していたら10月になってしまいました。
学生たちは衣替え。
久しぶりに学生服を着た、ちょっと窮屈そうなお兄ちゃんたちや、ブレザーを着た小学生たちがじょわじょわ街に増殖しております。
外側から眺めていると、こんな事も季節が変わるって事の「サイン」なんだとあらためて気がつく。
なんだか昔には気がつかなかった事がたくさん「出没」してくる。
高校生の時に車の免許を取った時、世の中にはこんなにも「交通標識」が溢れていたんだと驚いた。免許持ってなかった時には、全くと言っていいほど、標識に気づかなかった。
「秋」にももっと目を凝らすと、まだまだたくさん気づいていない「何か」がたくさん「サイン」を送っているはずである。
秋にかかわらず、家のまわりをちょっと散歩すると、いちじく、枇杷、桃、ブルーベリー、栗、檸檬、姫りんご、葡萄、柿なんかが実をつけているを見かける。様々な花もそれぞれの季節ごとに咲いているし、虫だって嫌になっちゃうくらい出てくる。
自然の「サイン」もあれば、人工の「サイン」もたくさんある。
興味を持たなければ、何気にやり過ごしてしまうが、落ち着いて、余裕を持って目を開けば、今まで見ていなかった、見過ごして来た物が見えてくる。普段から目を磨いておく事が大事だ。
少しでも多くの「サイン」を受け取ってみたいものである。
ちなみに我が家では、夏に買った「ハイビスカス」の2鉢が、今でも元気に花咲かせっぱなし、、、、、いいの?
沖縄のお友達。まだまだ咲きそう。
もひとつ
まいっか。
ちょっとお知らせ。
今ちょっとすごいものが青山で行われている。
人の個展を宣伝しても何の得にもならないが、ポークソテーズで同じ「ど素人ボーカル」仲間のキッチュこと松尾貴史様が「折り顔」展を開いている。
「折り顔」とは折り紙で人の顔を折ったもの。説明すると非常に簡単。
僕も子供の頃、折り紙で色々折った経験がある。見本をみながら、、、
しかし、しょせん平面。2次元どまり。キッチュの「折り顔」は一枚の紙(平面)を立体に、3次元に立ち上げてしまう。しかも見本なし。
まさに紙(神)技(う、うまい)
昔、錬金術師という「黄金」を作り出す、妖しい人たちがいた。(今もいるのかな?)
キッチュは「錬顔術師?」「折顔術師?」とでも表現すればいいのだろうか?
一枚の紙から、「黄金」の様な「顔」を折り出してしまう。
「妖しい天才」である。
まぁ、キッチュには忘れた頃にもやって来て欲しくはないが、あの歪んだ性格だからこそ出来る離れ技。(失礼でしょ)
時間のある人は是非行って、見てあげて下さい。本当に凄いから。
ちなみに場所は、東京都港区青山2-9-15 03-3475-8606
space INTART
感動しますよ。
で、先週は松島海岸に行ってきたんですが、ちゃんと観光したわけじゃないからよくわかんなかった。でも、こんなのみつけた。
発見。意味不明。
よくわからない。
僕の生まれた日。
ちなみに、ヘミングウェイも同じ誕生日。
すぐに同じ誕生日の杉本哲太ちゃんに写メールした。たいした反応じゃなかった。でも、こーゆーのに興味がある人は、中島らもさんの「休みの国」を読むがいい。(なんだ、えらそうに)
松島海岸での一番の思い出は、どの船に乗っても、「カモメのえさあります。
100円」と書いた紙が貼ってあった。
船長さんの横には、必ず「かっぱえびせん」が山積みされている。しかも、駄菓子屋さんで売っている一番小さな30円のやつ。まぁ、値段の事は置いておくとして(納得出来ないが、、、)、何故僕の大好物のかっぱえびせんが「カモメのえさ」なのか置いておくとして(納得できないが、、、)、とにかく「かっぱえびせん」が山積みされている。
カモメのえさらしい。
しかし、えさのあげ方がわからない。
だって、広い海を動いてる船からどーやってカモメにえさをあげられるのかしらん? わかんないでしょ?
答えは簡単だった。
ためしにガソリンより高い「カモメのえさ」を買ってみた。するとあなた、かっぱえびせんのオレンジ色の袋を見た「カモメくん」たちが、何処から集まるのか船の後ろから何羽も何羽も飛んできて、えびせんを投げてくれるのを待ちながら、全速力で飛んでくるのだ。
それはそれは、世にも恐ろしい光景だった。
走る船の後ろから、何十羽もの「カモメ」が追いかけてくる。しかも、いつも見るカモメとはロケーションが違う。本気で飛んでいるカモメを真正面から見続ける経験なんてそうはないもの。本当に恐いのよ(何でおねえ言葉?)
ヒッチコックは、多分松島海岸でカモメにえさをやっている時に名作「鳥」を思いついたのでせう。(すみませんでした)
ま、いっか。
後、ジャパン・オープンの事は今日見にいっているので、明日の木曜にでも書きます。なんせ、テニスのブログですもの。
とにかくポークソテーズの話を今週で終わらせなければ、気になって次にいけない。まぁ、まさかこんなに長くなるとは自分でも思わなかったんで、、、、これも既に長いが、、、、、
ほんじゃ、多分、最終回。(た、多分?だと)
かの草月ホールでのギグを終えたばかりの僕らは、まだ悶々としていた。
多分、楽しかったのだ。全員が。みんな、音楽が好きになった頃に戻ったのだ。
何の思想もなく、何のこだわりもなく、気を使わない仲間とばか騒ぎしただけなのだ。しかも普段の自分のファンの前ではない。
宣伝のチラシは勝村政信と謎のバンド「ポークソテーズ」みたいな感じだった。
俺たちはムード歌謡か!和田弘とマヒナスターズか!
(昔、野田秀樹さんから聞いた話だが、久米宏さんがニュースステーションをやっていた頃、遊民社の人たちが番組の中のVTRに出ていた。で、劇団が地方公演に行った時に「ニュースステーションでお馴染みの夢の遊民社様御一行」と書かれていた事があり、愕然としたと、、、)
ちょっと違うか。
とにかく僕らはみんなロッカーである。基本が。(ぼ、僕ら?)
でもやっている事は、全く別物だ。息抜きにちょうどいい。普段私生活ではよく会っている仲間だが、同じステージに上がる事は滅多にない。
そして、それぞれの頭の片隅に「印税生活」の4文字がモジモジしていた。
なんだか「いけそう」な感じだった。
そんな時にはやはり、「風」が吹いてくる。
僕の心の友、デザイナーの中野裕通さんが、「エイズ救済ライブ」に誘われた。
しかし、中野さんは歌が歌えない。困った裕通くんは仲良しの政信くんに相談した。政信くんは考える間もなく、デモテープを裕通くんに渡した。
記念すべき、「ポークソテーズ」のセカンドギグが決まった。
今回は、かおりが仕事で参加出来ないので、「みっちょん」こと芳本美代子が初参加。しかも、中野さんがお礼に「みっちょん」のために衣装を作ってくれた。
アームに職のある人はあなどれない。(なんだ?アームって)
今回のギグは参加人数が多いため、時間制限があった。3曲だけのギグになった。僕らは参加者に全く興味がなかったので、誰が出るか知らなかった。
当日、楽屋には、羽田元首相。高円宮殿下。等がいらっしゃった、、、、
僕らは、言葉を失い、気も失いかけた。
しかも皆様、本格的にバイオリンでクラシックを引かれたり、オペラを歌われたりするらしい、、、、
僕らの3曲は、「WE ARE PORK SAUTES」「カレーライス」「ハンバーグの作り方」、、、しかもカラオケ、、、
場違いな僕らは、とりあえず楽屋を出た。みんな口を利かなかった。
1階の川の横のウッドデッキのある店に逃げる様に入った。昼間からビールを頼んだ。ビールがくるまでが嫌に長く感じられた。誰かが、「逮捕とかされないですよね?」と言った。普段ならシカトするところだが、別の意味でみんなシカトした。(本当に逮捕されると思ったのか!みんな!子供か!)
ビールが運ばれて来た。みんなゴクゴク飲んだ。味がしなかった。
酔わないし、ガンガン頼んでガンガン飲んだ。すんごい飲んだ。
気がついたらみんな泥酔に近かった。もーどーでもよかった。
みんな気が大きくなっている。そして笑っている。
楽屋に戻った。楽屋にはお酒が用意されている。しかも高級なやつ。
僕らの声は大きい。作家の島田雅彦さんがいた。隣にきた僕は「ねい、これ飲んでいい?シロ。ワインの。」変な倒置法でしゃべっている。しかも初対面でため口。
僕らは人数が多いからすぐにお酒がなくなる。もー総勢9人だか10人が「ねい、これ飲んでいい?これ?」といろんな著名人に話しかけている。
そして笑っている。
用意されているお酒のほとんどを「コックさん」のかっこしたバカどもが飲み干した。
そして笑っている。
ライブが始まった。来場したお客様は一人、3万円くらい払っているらしい。
それぞれの持ち時間が短いから、袖に全員が集まって談笑している。もちろん袖は暗い。キッチュがモーニングを着た男性と笑顔で楽しそうにため口をきいている。明かりが当たると高円宮殿下だった、、、、
殿下は本当に紳士だった。丁寧にいろいろなお話をして下さっている。
みんなも楽しそうに笑顔でいろいろな人とため口をきいている。
暗いから誰が誰だかわからない。
もーどーでもよかった。
とりあえず、泥酔に近い僕らの番が来た。酔っていても板の上に立てば大丈夫。
何も問題なく終えた。
ギグを終え、袖に戻ると西田ひかるちゃんが寄ってきて、「中野さん、コミックバンド始めたんですか?」とのたまった。
どーでもよかった。
「風」はまだおさまらない。
我らが「ポークソテーズ」にCDデビューの話が持ち上がった。
全員耳を疑った。
しかし、話は具体的に進み始めて行った。
レコード会社は、な、な、なんと!エーベックス!
しかも、NHKの「みんなの歌」からも声がかかった。
「夢の印税生活」
僕の頭の中では、既に役者を引退し、スペインに移住し、隠居生活をし、自家用ジェットで世界中を旅していた。
レコーディングの日が決まった。
当日、奥野が中心となり、スムーズに、実にスムーズにレコーディングが進んで行った。プロデューサーの女性はお腹に赤ちゃんがいて、「子供も楽しめる素敵な歌ね」と太鼓判!
また一歩、自家用豪華客船が近づいた。(なんて乏しい想像力)
録音も終わり、後はCDの発売を待つばかり、、、、、
今回のCD制作の中心で窓口でもある功労者、キッチュから連絡があった。
「プロデューサーの女性が、赤ちゃんを産む為に入院したそうです」
「それは、いかったいかった」
「で、ちょっと版権のことでいろいろ揉めているみたいで、入院してしまったし、ちゃんとした事が出来ないので、今回の事は無かった事にして下さいとゆー事です。で、もちろん会社側の問題ですので、レコーディングにかかった費用等は、こちらでお支払いします。と言われたよ」
僕の自家用ジェット機が墜落し、自家用豪華客船が沈没した。
しかし、NHKの「みんなの歌」の話は生きていた。
初めは「カレーライス」で行きましょう。と言ってくれていたのだが、「みんなの歌」も時間制限があった。「カレーライス」は5分くらいある。「みんなの歌」は2分30秒くらい。
無理。
で、急遽「ハンバーグの作り方」に決まった。
アニメーションは「ハクション大魔王」風のキャラクターだった。
僕らは大満足だった。
公園に遊びに行った時に「ハンバーグの作り方」を歌ってくれている親子がいた。僕は心の中で「俺が歌ってんだよ~ん」と叫んだ。
泣きながら。
こんなシアワセもあるんだと感無量になった。
それから、数年後に奥野の結婚式の2次会で久しぶりにバンドを組んだ。
ちょっとしか練習しなかったからめちゃめちゃだった。
でも楽しかった。死ぬ程楽しかった。
それ以来「ポークソテーズ」は活動していない。
次は、ユータが結婚する時にでも強引にやるつもりだ。
その次には、キッチュか哲太の子供が結婚する時にでも、2次会に強引に出てやろうと思っている。
後、15年くらい先の話になるが、、、
で、キッチュの息子とか、哲太の息子とか、僕の娘とか、みっちょんの娘とか、かおりの娘なんかに受け継いでもらって、いつか必ず「夢の印税」で「自家用ジェット機」と「自家用豪華客船」を買ってもらう。
なんせおいらたちはしつっこいかんね。
「夢」に「印税」が発生すれば、おいらたちは地球が買えるぞ!
僕らの「ポークソテーズ」は永遠に不滅なのだ!
了
「ポークソテーズ」の話、無事に終わったのだ。
しかし、記録的に長くなったのだ。
みなさま、途中であきらめてはいけない!
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『祭りの準備』 その2
続き
当日。
朝から集まり、揃いのはっぴ(デザイナーで僕の親友の中野裕通さんが作ってくれた)を着て、芳雄さんの家の裏にある豊川稲荷にお参りする。
(豊川稲荷は芸能の神様だ)
庭に戻ってから、鏡割りして乾杯。
火をおこし、餅米を炊く準備をする。火をおこすのは本当に手間がかかる。
特に、炭は大変だ。しかし、僕らは慣れてるし「秘密兵器」がある。
だんだん準備が整ってくる。
みんなちょっと興奮してくる。
そう、興奮して来るのだ。
何なんだろう?あの「興奮」は。
お囃子のBGMをかけて餅米の炊きあがりを待つ。
家の中では女子が搗き上がる餅を待ち構える。
「あんこ」「納豆」「おろし」「きな粉」などを用意している。
やはり女子も興奮している。
何なんだろう?あの「興奮」は。
餅米が炊きあがる。
芳雄さんの「じゃあ、一番餅行ってみよーかー!」
の声で興奮は最高潮に達する。
「よいしょー!よいしょー!」
と庭でも家の中からも叫び声がこだまする。
近所迷惑甚だしい。
恥ずかしがってなどいられない。
数十キロの餅米を搗き上げなければならない。
台所では、どでかい寸胴の前に金山一彦が仁王立ちしている。
カレーは金山が毎年仕切っている。(昔、バイトで料理人の経験のある彼は、なんでもつくれるし、なんでも美味い)
焦がさない様にゆっくりと、愛しむようにカレーをかき混ぜている。
カレーが不味かったら1年間文句言われ続けるから、金山は台詞を覚えている時より真剣だ。
そして、毎年メチャクチャ美味いカレーを作る。
その間も人々が入れ替わり立ち替わり現れては去って行く。
赤ちゃんも子供も大人もみんな餅を搗く。
「興奮」して、ちょっと気恥ずかしそうに。
それでいて何だかうれしそうに餅を搗く。
祭りは夜になっても続いて行く。
たくさんの人が、
たくさんの言葉が、
たくさんの思いが家中に溜まって行く。
ここで出会って結婚した人がいる。
ここで出会って仕事を一緒にした人がいる。
ここで出会って殴り合いの喧嘩をした人もいる。
ここで出会ってその後二度と会わない人もいる。
芳雄さんは、「俺の家は楽屋と同じだ」と言っていた事があった。
「祭り」はゆっくりと幕を閉じようとしている。
みんなベロベロになって三々五々移動を始める。
僕らはみんなの帰った部屋でちょっと飲む。
「祭り」の余韻に浸りながら。
そして僕は、「餅つきっていいなぁ~」と思う。
そして、原田芳雄さんを、改めて「カッコイイなぁ~」と思う。
次の日にみんなで集まり、後片付けをして別れる。
そしてみんなは、それぞれの「祭りの準備」を始める。
油断していたら10月になってしまいました。
学生たちは衣替え。
久しぶりに学生服を着た、ちょっと窮屈そうなお兄ちゃんたちや、ブレザーを着た小学生たちがじょわじょわ街に増殖しております。
外側から眺めていると、こんな事も季節が変わるって事の「サイン」なんだとあらためて気がつく。
なんだか昔には気がつかなかった事がたくさん「出没」してくる。
高校生の時に車の免許を取った時、世の中にはこんなにも「交通標識」が溢れていたんだと驚いた。免許持ってなかった時には、全くと言っていいほど、標識に気づかなかった。
「秋」にももっと目を凝らすと、まだまだたくさん気づいていない「何か」がたくさん「サイン」を送っているはずである。
秋にかかわらず、家のまわりをちょっと散歩すると、いちじく、枇杷、桃、ブルーベリー、栗、檸檬、姫りんご、葡萄、柿なんかが実をつけているを見かける。様々な花もそれぞれの季節ごとに咲いているし、虫だって嫌になっちゃうくらい出てくる。
自然の「サイン」もあれば、人工の「サイン」もたくさんある。
興味を持たなければ、何気にやり過ごしてしまうが、落ち着いて、余裕を持って目を開けば、今まで見ていなかった、見過ごして来た物が見えてくる。普段から目を磨いておく事が大事だ。
少しでも多くの「サイン」を受け取ってみたいものである。
ちなみに我が家では、夏に買った「ハイビスカス」の2鉢が、今でも元気に花咲かせっぱなし、、、、、いいの?
沖縄のお友達。まだまだ咲きそう。
もひとつ
まいっか。
ちょっとお知らせ。
今ちょっとすごいものが青山で行われている。
人の個展を宣伝しても何の得にもならないが、ポークソテーズで同じ「ど素人ボーカル」仲間のキッチュこと松尾貴史様が「折り顔」展を開いている。
「折り顔」とは折り紙で人の顔を折ったもの。説明すると非常に簡単。
僕も子供の頃、折り紙で色々折った経験がある。見本をみながら、、、
しかし、しょせん平面。2次元どまり。キッチュの「折り顔」は一枚の紙(平面)を立体に、3次元に立ち上げてしまう。しかも見本なし。
まさに紙(神)技(う、うまい)
昔、錬金術師という「黄金」を作り出す、妖しい人たちがいた。(今もいるのかな?)
キッチュは「錬顔術師?」「折顔術師?」とでも表現すればいいのだろうか?
一枚の紙から、「黄金」の様な「顔」を折り出してしまう。
「妖しい天才」である。
まぁ、キッチュには忘れた頃にもやって来て欲しくはないが、あの歪んだ性格だからこそ出来る離れ技。(失礼でしょ)
時間のある人は是非行って、見てあげて下さい。本当に凄いから。
ちなみに場所は、東京都港区青山2-9-15 03-3475-8606
space INTART
感動しますよ。
で、先週は松島海岸に行ってきたんですが、ちゃんと観光したわけじゃないからよくわかんなかった。でも、こんなのみつけた。
発見。意味不明。
よくわからない。
僕の生まれた日。
ちなみに、ヘミングウェイも同じ誕生日。
すぐに同じ誕生日の杉本哲太ちゃんに写メールした。たいした反応じゃなかった。でも、こーゆーのに興味がある人は、中島らもさんの「休みの国」を読むがいい。(なんだ、えらそうに)
松島海岸での一番の思い出は、どの船に乗っても、「カモメのえさあります。
100円」と書いた紙が貼ってあった。
船長さんの横には、必ず「かっぱえびせん」が山積みされている。しかも、駄菓子屋さんで売っている一番小さな30円のやつ。まぁ、値段の事は置いておくとして(納得出来ないが、、、)、何故僕の大好物のかっぱえびせんが「カモメのえさ」なのか置いておくとして(納得できないが、、、)、とにかく「かっぱえびせん」が山積みされている。
カモメのえさらしい。
しかし、えさのあげ方がわからない。
だって、広い海を動いてる船からどーやってカモメにえさをあげられるのかしらん? わかんないでしょ?
答えは簡単だった。
ためしにガソリンより高い「カモメのえさ」を買ってみた。するとあなた、かっぱえびせんのオレンジ色の袋を見た「カモメくん」たちが、何処から集まるのか船の後ろから何羽も何羽も飛んできて、えびせんを投げてくれるのを待ちながら、全速力で飛んでくるのだ。
それはそれは、世にも恐ろしい光景だった。
走る船の後ろから、何十羽もの「カモメ」が追いかけてくる。しかも、いつも見るカモメとはロケーションが違う。本気で飛んでいるカモメを真正面から見続ける経験なんてそうはないもの。本当に恐いのよ(何でおねえ言葉?)
ヒッチコックは、多分松島海岸でカモメにえさをやっている時に名作「鳥」を思いついたのでせう。(すみませんでした)
ま、いっか。
後、ジャパン・オープンの事は今日見にいっているので、明日の木曜にでも書きます。なんせ、テニスのブログですもの。
とにかくポークソテーズの話を今週で終わらせなければ、気になって次にいけない。まぁ、まさかこんなに長くなるとは自分でも思わなかったんで、、、、これも既に長いが、、、、、
ほんじゃ、多分、最終回。(た、多分?だと)
かの草月ホールでのギグを終えたばかりの僕らは、まだ悶々としていた。
多分、楽しかったのだ。全員が。みんな、音楽が好きになった頃に戻ったのだ。
何の思想もなく、何のこだわりもなく、気を使わない仲間とばか騒ぎしただけなのだ。しかも普段の自分のファンの前ではない。
宣伝のチラシは勝村政信と謎のバンド「ポークソテーズ」みたいな感じだった。
俺たちはムード歌謡か!和田弘とマヒナスターズか!
(昔、野田秀樹さんから聞いた話だが、久米宏さんがニュースステーションをやっていた頃、遊民社の人たちが番組の中のVTRに出ていた。で、劇団が地方公演に行った時に「ニュースステーションでお馴染みの夢の遊民社様御一行」と書かれていた事があり、愕然としたと、、、)
ちょっと違うか。
とにかく僕らはみんなロッカーである。基本が。(ぼ、僕ら?)
でもやっている事は、全く別物だ。息抜きにちょうどいい。普段私生活ではよく会っている仲間だが、同じステージに上がる事は滅多にない。
そして、それぞれの頭の片隅に「印税生活」の4文字がモジモジしていた。
なんだか「いけそう」な感じだった。
そんな時にはやはり、「風」が吹いてくる。
僕の心の友、デザイナーの中野裕通さんが、「エイズ救済ライブ」に誘われた。
しかし、中野さんは歌が歌えない。困った裕通くんは仲良しの政信くんに相談した。政信くんは考える間もなく、デモテープを裕通くんに渡した。
記念すべき、「ポークソテーズ」のセカンドギグが決まった。
今回は、かおりが仕事で参加出来ないので、「みっちょん」こと芳本美代子が初参加。しかも、中野さんがお礼に「みっちょん」のために衣装を作ってくれた。
アームに職のある人はあなどれない。(なんだ?アームって)
今回のギグは参加人数が多いため、時間制限があった。3曲だけのギグになった。僕らは参加者に全く興味がなかったので、誰が出るか知らなかった。
当日、楽屋には、羽田元首相。高円宮殿下。等がいらっしゃった、、、、
僕らは、言葉を失い、気も失いかけた。
しかも皆様、本格的にバイオリンでクラシックを引かれたり、オペラを歌われたりするらしい、、、、
僕らの3曲は、「WE ARE PORK SAUTES」「カレーライス」「ハンバーグの作り方」、、、しかもカラオケ、、、
場違いな僕らは、とりあえず楽屋を出た。みんな口を利かなかった。
1階の川の横のウッドデッキのある店に逃げる様に入った。昼間からビールを頼んだ。ビールがくるまでが嫌に長く感じられた。誰かが、「逮捕とかされないですよね?」と言った。普段ならシカトするところだが、別の意味でみんなシカトした。(本当に逮捕されると思ったのか!みんな!子供か!)
ビールが運ばれて来た。みんなゴクゴク飲んだ。味がしなかった。
酔わないし、ガンガン頼んでガンガン飲んだ。すんごい飲んだ。
気がついたらみんな泥酔に近かった。もーどーでもよかった。
みんな気が大きくなっている。そして笑っている。
楽屋に戻った。楽屋にはお酒が用意されている。しかも高級なやつ。
僕らの声は大きい。作家の島田雅彦さんがいた。隣にきた僕は「ねい、これ飲んでいい?シロ。ワインの。」変な倒置法でしゃべっている。しかも初対面でため口。
僕らは人数が多いからすぐにお酒がなくなる。もー総勢9人だか10人が「ねい、これ飲んでいい?これ?」といろんな著名人に話しかけている。
そして笑っている。
用意されているお酒のほとんどを「コックさん」のかっこしたバカどもが飲み干した。
そして笑っている。
ライブが始まった。来場したお客様は一人、3万円くらい払っているらしい。
それぞれの持ち時間が短いから、袖に全員が集まって談笑している。もちろん袖は暗い。キッチュがモーニングを着た男性と笑顔で楽しそうにため口をきいている。明かりが当たると高円宮殿下だった、、、、
殿下は本当に紳士だった。丁寧にいろいろなお話をして下さっている。
みんなも楽しそうに笑顔でいろいろな人とため口をきいている。
暗いから誰が誰だかわからない。
もーどーでもよかった。
とりあえず、泥酔に近い僕らの番が来た。酔っていても板の上に立てば大丈夫。
何も問題なく終えた。
ギグを終え、袖に戻ると西田ひかるちゃんが寄ってきて、「中野さん、コミックバンド始めたんですか?」とのたまった。
どーでもよかった。
「風」はまだおさまらない。
我らが「ポークソテーズ」にCDデビューの話が持ち上がった。
全員耳を疑った。
しかし、話は具体的に進み始めて行った。
レコード会社は、な、な、なんと!エーベックス!
しかも、NHKの「みんなの歌」からも声がかかった。
「夢の印税生活」
僕の頭の中では、既に役者を引退し、スペインに移住し、隠居生活をし、自家用ジェットで世界中を旅していた。
レコーディングの日が決まった。
当日、奥野が中心となり、スムーズに、実にスムーズにレコーディングが進んで行った。プロデューサーの女性はお腹に赤ちゃんがいて、「子供も楽しめる素敵な歌ね」と太鼓判!
また一歩、自家用豪華客船が近づいた。(なんて乏しい想像力)
録音も終わり、後はCDの発売を待つばかり、、、、、
今回のCD制作の中心で窓口でもある功労者、キッチュから連絡があった。
「プロデューサーの女性が、赤ちゃんを産む為に入院したそうです」
「それは、いかったいかった」
「で、ちょっと版権のことでいろいろ揉めているみたいで、入院してしまったし、ちゃんとした事が出来ないので、今回の事は無かった事にして下さいとゆー事です。で、もちろん会社側の問題ですので、レコーディングにかかった費用等は、こちらでお支払いします。と言われたよ」
僕の自家用ジェット機が墜落し、自家用豪華客船が沈没した。
しかし、NHKの「みんなの歌」の話は生きていた。
初めは「カレーライス」で行きましょう。と言ってくれていたのだが、「みんなの歌」も時間制限があった。「カレーライス」は5分くらいある。「みんなの歌」は2分30秒くらい。
無理。
で、急遽「ハンバーグの作り方」に決まった。
アニメーションは「ハクション大魔王」風のキャラクターだった。
僕らは大満足だった。
公園に遊びに行った時に「ハンバーグの作り方」を歌ってくれている親子がいた。僕は心の中で「俺が歌ってんだよ~ん」と叫んだ。
泣きながら。
こんなシアワセもあるんだと感無量になった。
それから、数年後に奥野の結婚式の2次会で久しぶりにバンドを組んだ。
ちょっとしか練習しなかったからめちゃめちゃだった。
でも楽しかった。死ぬ程楽しかった。
それ以来「ポークソテーズ」は活動していない。
次は、ユータが結婚する時にでも強引にやるつもりだ。
その次には、キッチュか哲太の子供が結婚する時にでも、2次会に強引に出てやろうと思っている。
後、15年くらい先の話になるが、、、
で、キッチュの息子とか、哲太の息子とか、僕の娘とか、みっちょんの娘とか、かおりの娘なんかに受け継いでもらって、いつか必ず「夢の印税」で「自家用ジェット機」と「自家用豪華客船」を買ってもらう。
なんせおいらたちはしつっこいかんね。
「夢」に「印税」が発生すれば、おいらたちは地球が買えるぞ!
僕らの「ポークソテーズ」は永遠に不滅なのだ!
了
「ポークソテーズ」の話、無事に終わったのだ。
しかし、記録的に長くなったのだ。
みなさま、途中であきらめてはいけない!
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『祭りの準備』 その2
続き
当日。
朝から集まり、揃いのはっぴ(デザイナーで僕の親友の中野裕通さんが作ってくれた)を着て、芳雄さんの家の裏にある豊川稲荷にお参りする。
(豊川稲荷は芸能の神様だ)
庭に戻ってから、鏡割りして乾杯。
火をおこし、餅米を炊く準備をする。火をおこすのは本当に手間がかかる。
特に、炭は大変だ。しかし、僕らは慣れてるし「秘密兵器」がある。
だんだん準備が整ってくる。
みんなちょっと興奮してくる。
そう、興奮して来るのだ。
何なんだろう?あの「興奮」は。
お囃子のBGMをかけて餅米の炊きあがりを待つ。
家の中では女子が搗き上がる餅を待ち構える。
「あんこ」「納豆」「おろし」「きな粉」などを用意している。
やはり女子も興奮している。
何なんだろう?あの「興奮」は。
餅米が炊きあがる。
芳雄さんの「じゃあ、一番餅行ってみよーかー!」
の声で興奮は最高潮に達する。
「よいしょー!よいしょー!」
と庭でも家の中からも叫び声がこだまする。
近所迷惑甚だしい。
恥ずかしがってなどいられない。
数十キロの餅米を搗き上げなければならない。
台所では、どでかい寸胴の前に金山一彦が仁王立ちしている。
カレーは金山が毎年仕切っている。(昔、バイトで料理人の経験のある彼は、なんでもつくれるし、なんでも美味い)
焦がさない様にゆっくりと、愛しむようにカレーをかき混ぜている。
カレーが不味かったら1年間文句言われ続けるから、金山は台詞を覚えている時より真剣だ。
そして、毎年メチャクチャ美味いカレーを作る。
その間も人々が入れ替わり立ち替わり現れては去って行く。
赤ちゃんも子供も大人もみんな餅を搗く。
「興奮」して、ちょっと気恥ずかしそうに。
それでいて何だかうれしそうに餅を搗く。
祭りは夜になっても続いて行く。
たくさんの人が、
たくさんの言葉が、
たくさんの思いが家中に溜まって行く。
ここで出会って結婚した人がいる。
ここで出会って仕事を一緒にした人がいる。
ここで出会って殴り合いの喧嘩をした人もいる。
ここで出会ってその後二度と会わない人もいる。
芳雄さんは、「俺の家は楽屋と同じだ」と言っていた事があった。
「祭り」はゆっくりと幕を閉じようとしている。
みんなベロベロになって三々五々移動を始める。
僕らはみんなの帰った部屋でちょっと飲む。
「祭り」の余韻に浸りながら。
そして僕は、「餅つきっていいなぁ~」と思う。
そして、原田芳雄さんを、改めて「カッコイイなぁ~」と思う。
次の日にみんなで集まり、後片付けをして別れる。
そしてみんなは、それぞれの「祭りの準備」を始める。
了。