フェデラー~冷蔵庫の掃除屋~猛禽類の餌 / 2006年10月11日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
なんだか、嵐が色々と爪痕を残していきやがって、、、、
ジャパン・オープンも大変だったようです。会場を移して試合が行われるなんて、想像もしていなかった。選手の皆様も、観客の皆様も大変だったでしょう。
で、嵐が去った土曜日、行ってきちゃいました。
フェデラー観に。
チケットなかったんだけど、手下の藤原くんが(いつから?)当日券売り場に並んでくれて、なんとか自由席の(指定が全て完売)チケットをゲットしてくれました。パチパチパチ、、、、(テニス関係の会社なんだから、指定席くらい何とかなんね~のか?あ?)
あ!、すみません、僕の中の悪魔が、、、、
ありがと、手下の藤原くん。
でもな~、最前列の席がほとんど空いてたんだよな~、、、、
舞台でもありがちなんだけど、、、、、、、、
失礼なんだよ!あんなみっともない事すんなっつーの。
ま、いっか。いや、よくない。文化水準が低いんだよ!
何か特別な理由があったと思いたい。
やっぱり、どーしてももう一回観てみたかった。テニスという名の芸術を。
西日が激しく当たる、一番上のオレンジ色のシートに腰掛けた。
今日の相手は、アガシを引退に追い込んだと紹介されていた。ベッカー。
余談だが、テレビでドイツのブンデスリーガでバイルンミュンヘンの試合をみていたら、あの、往年の名選手、「ボリス・ベッカー」が試合を観戦していた。一瞬だけカメラが捉えていたが、なんかすごい、大人になったとゆーか、おっさんになりすぎていたとゆーか、、、昔、いきなり髭はやして試合に出ていた時にも驚いたが、今回もまた驚かされた。
ま、いっか。
アガシを引退に追い込んだって紹介が気にくわなかったが、ちょっと期待した。
フェデラーがセンターコートに登場した。
またしてもぞわぞわと身体が震えた。
フェデラーはいつも変わらない。
ま、2回しかみた事ないんだけど。
なんか、「すー」っといる。
力みとか、緊張とか何も感じられない。
ただ、そこにいる。
歩き方なんか、銭湯帰りのおっちゃんみたいだし、、、(試合中はあんなに美しい動きなのに、、、ちょっとおもろい)本当に、その辺を歩いている近所の人みたいだ。
前の試合までは、なんとなく場内が騒がしかった。
昔の川崎球場みたいな感じ。(わかる人はわかる)
でも、フェデラーの試合が始まると、会場がいつの間にか一つになっている。広島球場みたいな感じ。(見た事ないけど)
みる者を圧倒的に引きつけてしまう。でも、本人はたんたんとマイペース。
それでいて、試合中に、何手も先を読んでいる棋士のようでもあり、アドリブのうまい芸人のようでもあり、F-1のレーサーのようでもあり、、、、、
なんだか、すべての形容が当たっているようでもあり、まったくはずれているようでもある。
ま、かんたんにゆーと、「フェデラー」
それだけである。
試合は1時間かからなかった。でも、今回も大満足だった。
また観たいと思った。
先週にフェデラーの事書いたから、このくらいにしとこー。
でも、やはり次に観る時は、ウインブルドンのセンターコートで観てみたいものである。
先週の僕は、「クレーマー、クレーマー」だった。父子家庭。
フェデラーも、もちろん二人で行った。娘が3日に観に行った時は、学校があったからフェデラーの試合を観る事が出来なかった。興奮したとうちゃんがフェデラー、フェデラーってうなされていたもんだから、彼女もどーしても自分の目で
観たくなってしまったんだね。
帰りの車の中で、フェデラーの試合と、前の女性の試合の何がどんなふうに違ったか聞いてみた。
彼女は、少しだけ考えた。そして、
「性別じゃない?」と答えた。
次に日、原田芳雄さんのお孫さんから娘に電話があって、一緒に遊ぶ事になった。待ち合わせの場所まで歩いている途中に、車が止まっていた。
中で、手を振っているおじちゃんたちがいた。
このブログには欠かす事の出来ない、奥野とユータだった、、、、、
偶然すぎる。
聞けば、今からキッチュの「折り顔展」の最終日に行くらしい。
暇だったので、僕だけ真夏みたいな格好で参加した。
キッチュもいた。
話してたら、いきなり芳雄さんが一人で入ってきた。
ぐ、偶然すぎる。
で、5人で隣の喫茶店に入った。「昼間にいきなり会うと恥ずかしいな」なんて言いながら、運転のユータと、この後仕事のキッチュ以外はビールを飲んだ。
真っ昼間っから、喫茶店でビール。
なんか、ちょっぴり罪悪感があって、違うロケーションだったり、これぞ休日!
みたいな幸福感もあって、贅沢な午後を過ごした。
余韻も楽しんだ。昼間にちょっと酔って話すのも悪くない。
余談だが、芳雄さんの家の庭にはサンドバックが吊るしてある。で、毎日トレーニングをしている。近所の僕はたまに芳雄さん家まで走って、一緒にサンドバックを叩いたりしてた。(最近行ってないけど、、、)
その間の会話、
「おはよっす」
「おー」
のみ。(大人のくせに昼間に会うとしゃべれない)
で、汗かいて、芳雄さんが、
「ルービ(ビールね)飲むか」
「ええ」と僕。
で、飲み始めたら二人でしゃべるしゃべる。ただのおしゃべり。
しかし、ちょっと酔ったのが間違いだった。
勢いついちゃった。
「じゃぁ、このまま家でやるか」と芳雄さん。
返事するまでもない僕ら。
ユータが車だって言ってんのに、タクシー探してる芳雄さん。
勢いが衰えないまま、飲み始めた。奥さんも2階から降りてきた。
みんなグイグイ飲んでいる。
いきなりだからつまみがない。
普段なら、つまみはたくさんあるんだけど、奥さんが芳雄さんはご飯を外で食べてくると思ったらしく珍しく何にもなかった。
ここで、冷蔵庫の掃除屋と異名を持つあたいの(持たないでしょ)出番。
見て欲しい。
冷蔵庫の掃除屋の仕事
気づいたのが遅く、大分なくなってしまった。
あっとゆーまに作った。
メニュー。
かりかりに焼いた豚とほうれん草のちょい炒めサラダ風
豚バラ冷しゃぶサラダ、ボイルしたネギたっぷり、大根おろし添え
かぼちゃの煮付け
牛肉、野菜炒め、プルコギ風(油とみりんを間違えたから)
湯豆腐
焼き肉(子供たち用)
子供たちがいたから、10時に打ち切られたが、僕らは15時くらいから飲んでいる。しかし僕らだけなら、3時くらいまではいたと思う。
この日、総勢9人。非常にこじんまりとした「宴」だった。
(なにせ、テーマパーク・原田だかんね)
で、今回のメインイベント。
娘のお弁当。
10日は最後の「クレーマークレーマー」の日。
しかも、お弁当を作らねばならない。
僕は、お弁当に「ちょっと痛い思い出」を持っている。
元佃煮やの彼女こと、マイ・マミーはお弁当作りのセンスが欠落していた。
高校生の時の僕のお弁当。
アルミニウムのお弁当箱に、ご飯が5分の4入っている。上に空いた5分の1のスペースに「焼いたしゃけの切り身」
のみ。
がっはっはっはっはっは、、、、、
誰にも見せられなかった。
でも、仲良しだった橋村が、僕が残したしゃけの皮を「皮が1番うまいんだよ」
と言って食べてくれた。橋村は弁当を持って来た事がなかった。いつもパンを買っていた。ありがと。橋村。
ちょっと泣きそうになってしまった、、、、
ある日、マミーは突然、「冷凍食品」を弁当に入れて来た。
「味の素、中華包み上げ」
美味しかった。まぁ、しゃけのスペースに入っていただけなんだけど、これがあなた、死にそうなくらい美味しかった。
家に帰って、マミーに話すと、一週間「味の素、中華包み上げ」が入ってきた、、、
高校生の僕は、味の素に「中華包み上げを製造中止にして下さい」と電話したかった。
おいしかったのに、大好きなのに食べたくない。
哲学的に表現すれば「絶対矛盾の自己同一」(ほんとか?)
だ・か・ら、自分の娘の弁当をつくるからには、満足して貰わなければならない。
で、「冷凍食品厳禁」をテーマにしてみた。
そして食べるときまで、中味を教えない。
娘は緑の野菜を食べない。
道は厳しい。
長くなってきたからかいつまむ。(もっとはやく気づけよ)
10日の朝、5時に起きて作ったお弁当のメニュー。
3色ご飯(鮭、ごま塩、おかか)
ポテトの肉巻きあっさり塩こしょう味
枝豆入り、すり山芋入り、鶏肉団子巾着、関東煮
豚ヒレ肉のソテー、コールスロー添え
シュウマイ(保険)
完璧。
しかし、作った後で考えてみたら全部「肉!」
俺の娘は猛禽類か!
これが猛禽類の餌
緑が少ない。都会の公園か。
大失敗。もー少しがんばんなきゃ、、、、
次はすごいよ。
てなわけで、お隣の国がやってくれました、、、、、
僕が、政治的な発言をしても仕方ないんだけど、、、、、、
自分でちゃんと考えたい。
フェアに考えたい。と思う。
ちょっとテレビをみたら、いろんな人がいろんな事を言っていた。
だれも間違っていないと思う。
だけど、日本人の大好きなフランスだって、何度も何度も同じ事をやった。
フランス産のワインを飲まないって、たくさんの人が言ってた。
今年のヴォジョレー・ヌーヴォは今までで1番の輸入量らしい。
ってことは、世界でトップである。
遠くに住んでいる憧れの人が犯した「罪」
隣に住んでいるよくわからない、かわった人が犯した「罪」
様々な問題を孕んでいる。
しかし、「罪」は「罪」である。
フェアに考えなければならない。
「罪」とはもちろん人類に対してではなく、この「星」に対してである。
過去の歴史の責任も真剣に考えなければいけない。
(もちろん考えていない人はいないと思う)
しかし、戦争を体験していない僕らの責任の事である。
真剣に考えなければ。と僕は思う。
でなければ、僕らも隣の国も同じである。
今度、入閣された高市早苗議員の過去の「発言」を「今」みんなで考えなければならない。
僕は何も無ければ、後30年ちょっとで死ぬ。
後20年くらいしたら、僕の娘が自分の子供に「お弁当」を作って行くのだ。その子供も子供に「お弁当」を作って行くのだ。親が、大人が、美味しい「お弁当」を子供に作り続けるのだ。
自分の頭で考えなければいけない。
一人、一人が。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
なんだか、嵐が色々と爪痕を残していきやがって、、、、
ジャパン・オープンも大変だったようです。会場を移して試合が行われるなんて、想像もしていなかった。選手の皆様も、観客の皆様も大変だったでしょう。
で、嵐が去った土曜日、行ってきちゃいました。
フェデラー観に。
チケットなかったんだけど、手下の藤原くんが(いつから?)当日券売り場に並んでくれて、なんとか自由席の(指定が全て完売)チケットをゲットしてくれました。パチパチパチ、、、、(テニス関係の会社なんだから、指定席くらい何とかなんね~のか?あ?)
あ!、すみません、僕の中の悪魔が、、、、
ありがと、手下の藤原くん。
でもな~、最前列の席がほとんど空いてたんだよな~、、、、
舞台でもありがちなんだけど、、、、、、、、
失礼なんだよ!あんなみっともない事すんなっつーの。
ま、いっか。いや、よくない。文化水準が低いんだよ!
何か特別な理由があったと思いたい。
やっぱり、どーしてももう一回観てみたかった。テニスという名の芸術を。
西日が激しく当たる、一番上のオレンジ色のシートに腰掛けた。
今日の相手は、アガシを引退に追い込んだと紹介されていた。ベッカー。
余談だが、テレビでドイツのブンデスリーガでバイルンミュンヘンの試合をみていたら、あの、往年の名選手、「ボリス・ベッカー」が試合を観戦していた。一瞬だけカメラが捉えていたが、なんかすごい、大人になったとゆーか、おっさんになりすぎていたとゆーか、、、昔、いきなり髭はやして試合に出ていた時にも驚いたが、今回もまた驚かされた。
ま、いっか。
アガシを引退に追い込んだって紹介が気にくわなかったが、ちょっと期待した。
フェデラーがセンターコートに登場した。
またしてもぞわぞわと身体が震えた。
フェデラーはいつも変わらない。
ま、2回しかみた事ないんだけど。
なんか、「すー」っといる。
力みとか、緊張とか何も感じられない。
ただ、そこにいる。
歩き方なんか、銭湯帰りのおっちゃんみたいだし、、、(試合中はあんなに美しい動きなのに、、、ちょっとおもろい)本当に、その辺を歩いている近所の人みたいだ。
前の試合までは、なんとなく場内が騒がしかった。
昔の川崎球場みたいな感じ。(わかる人はわかる)
でも、フェデラーの試合が始まると、会場がいつの間にか一つになっている。広島球場みたいな感じ。(見た事ないけど)
みる者を圧倒的に引きつけてしまう。でも、本人はたんたんとマイペース。
それでいて、試合中に、何手も先を読んでいる棋士のようでもあり、アドリブのうまい芸人のようでもあり、F-1のレーサーのようでもあり、、、、、
なんだか、すべての形容が当たっているようでもあり、まったくはずれているようでもある。
ま、かんたんにゆーと、「フェデラー」
それだけである。
試合は1時間かからなかった。でも、今回も大満足だった。
また観たいと思った。
先週にフェデラーの事書いたから、このくらいにしとこー。
でも、やはり次に観る時は、ウインブルドンのセンターコートで観てみたいものである。
先週の僕は、「クレーマー、クレーマー」だった。父子家庭。
フェデラーも、もちろん二人で行った。娘が3日に観に行った時は、学校があったからフェデラーの試合を観る事が出来なかった。興奮したとうちゃんがフェデラー、フェデラーってうなされていたもんだから、彼女もどーしても自分の目で
観たくなってしまったんだね。
帰りの車の中で、フェデラーの試合と、前の女性の試合の何がどんなふうに違ったか聞いてみた。
彼女は、少しだけ考えた。そして、
「性別じゃない?」と答えた。
次に日、原田芳雄さんのお孫さんから娘に電話があって、一緒に遊ぶ事になった。待ち合わせの場所まで歩いている途中に、車が止まっていた。
中で、手を振っているおじちゃんたちがいた。
このブログには欠かす事の出来ない、奥野とユータだった、、、、、
偶然すぎる。
聞けば、今からキッチュの「折り顔展」の最終日に行くらしい。
暇だったので、僕だけ真夏みたいな格好で参加した。
キッチュもいた。
話してたら、いきなり芳雄さんが一人で入ってきた。
ぐ、偶然すぎる。
で、5人で隣の喫茶店に入った。「昼間にいきなり会うと恥ずかしいな」なんて言いながら、運転のユータと、この後仕事のキッチュ以外はビールを飲んだ。
真っ昼間っから、喫茶店でビール。
なんか、ちょっぴり罪悪感があって、違うロケーションだったり、これぞ休日!
みたいな幸福感もあって、贅沢な午後を過ごした。
余韻も楽しんだ。昼間にちょっと酔って話すのも悪くない。
余談だが、芳雄さんの家の庭にはサンドバックが吊るしてある。で、毎日トレーニングをしている。近所の僕はたまに芳雄さん家まで走って、一緒にサンドバックを叩いたりしてた。(最近行ってないけど、、、)
その間の会話、
「おはよっす」
「おー」
のみ。(大人のくせに昼間に会うとしゃべれない)
で、汗かいて、芳雄さんが、
「ルービ(ビールね)飲むか」
「ええ」と僕。
で、飲み始めたら二人でしゃべるしゃべる。ただのおしゃべり。
しかし、ちょっと酔ったのが間違いだった。
勢いついちゃった。
「じゃぁ、このまま家でやるか」と芳雄さん。
返事するまでもない僕ら。
ユータが車だって言ってんのに、タクシー探してる芳雄さん。
勢いが衰えないまま、飲み始めた。奥さんも2階から降りてきた。
みんなグイグイ飲んでいる。
いきなりだからつまみがない。
普段なら、つまみはたくさんあるんだけど、奥さんが芳雄さんはご飯を外で食べてくると思ったらしく珍しく何にもなかった。
ここで、冷蔵庫の掃除屋と異名を持つあたいの(持たないでしょ)出番。
見て欲しい。
冷蔵庫の掃除屋の仕事
気づいたのが遅く、大分なくなってしまった。
あっとゆーまに作った。
メニュー。
かりかりに焼いた豚とほうれん草のちょい炒めサラダ風
豚バラ冷しゃぶサラダ、ボイルしたネギたっぷり、大根おろし添え
かぼちゃの煮付け
牛肉、野菜炒め、プルコギ風(油とみりんを間違えたから)
湯豆腐
焼き肉(子供たち用)
子供たちがいたから、10時に打ち切られたが、僕らは15時くらいから飲んでいる。しかし僕らだけなら、3時くらいまではいたと思う。
この日、総勢9人。非常にこじんまりとした「宴」だった。
(なにせ、テーマパーク・原田だかんね)
で、今回のメインイベント。
娘のお弁当。
10日は最後の「クレーマークレーマー」の日。
しかも、お弁当を作らねばならない。
僕は、お弁当に「ちょっと痛い思い出」を持っている。
元佃煮やの彼女こと、マイ・マミーはお弁当作りのセンスが欠落していた。
高校生の時の僕のお弁当。
アルミニウムのお弁当箱に、ご飯が5分の4入っている。上に空いた5分の1のスペースに「焼いたしゃけの切り身」
のみ。
がっはっはっはっはっは、、、、、
誰にも見せられなかった。
でも、仲良しだった橋村が、僕が残したしゃけの皮を「皮が1番うまいんだよ」
と言って食べてくれた。橋村は弁当を持って来た事がなかった。いつもパンを買っていた。ありがと。橋村。
ちょっと泣きそうになってしまった、、、、
ある日、マミーは突然、「冷凍食品」を弁当に入れて来た。
「味の素、中華包み上げ」
美味しかった。まぁ、しゃけのスペースに入っていただけなんだけど、これがあなた、死にそうなくらい美味しかった。
家に帰って、マミーに話すと、一週間「味の素、中華包み上げ」が入ってきた、、、
高校生の僕は、味の素に「中華包み上げを製造中止にして下さい」と電話したかった。
おいしかったのに、大好きなのに食べたくない。
哲学的に表現すれば「絶対矛盾の自己同一」(ほんとか?)
だ・か・ら、自分の娘の弁当をつくるからには、満足して貰わなければならない。
で、「冷凍食品厳禁」をテーマにしてみた。
そして食べるときまで、中味を教えない。
娘は緑の野菜を食べない。
道は厳しい。
長くなってきたからかいつまむ。(もっとはやく気づけよ)
10日の朝、5時に起きて作ったお弁当のメニュー。
3色ご飯(鮭、ごま塩、おかか)
ポテトの肉巻きあっさり塩こしょう味
枝豆入り、すり山芋入り、鶏肉団子巾着、関東煮
豚ヒレ肉のソテー、コールスロー添え
シュウマイ(保険)
完璧。
しかし、作った後で考えてみたら全部「肉!」
俺の娘は猛禽類か!
これが猛禽類の餌
緑が少ない。都会の公園か。
大失敗。もー少しがんばんなきゃ、、、、
次はすごいよ。
てなわけで、お隣の国がやってくれました、、、、、
僕が、政治的な発言をしても仕方ないんだけど、、、、、、
自分でちゃんと考えたい。
フェアに考えたい。と思う。
ちょっとテレビをみたら、いろんな人がいろんな事を言っていた。
だれも間違っていないと思う。
だけど、日本人の大好きなフランスだって、何度も何度も同じ事をやった。
フランス産のワインを飲まないって、たくさんの人が言ってた。
今年のヴォジョレー・ヌーヴォは今までで1番の輸入量らしい。
ってことは、世界でトップである。
遠くに住んでいる憧れの人が犯した「罪」
隣に住んでいるよくわからない、かわった人が犯した「罪」
様々な問題を孕んでいる。
しかし、「罪」は「罪」である。
フェアに考えなければならない。
「罪」とはもちろん人類に対してではなく、この「星」に対してである。
過去の歴史の責任も真剣に考えなければいけない。
(もちろん考えていない人はいないと思う)
しかし、戦争を体験していない僕らの責任の事である。
真剣に考えなければ。と僕は思う。
でなければ、僕らも隣の国も同じである。
今度、入閣された高市早苗議員の過去の「発言」を「今」みんなで考えなければならない。
僕は何も無ければ、後30年ちょっとで死ぬ。
後20年くらいしたら、僕の娘が自分の子供に「お弁当」を作って行くのだ。その子供も子供に「お弁当」を作って行くのだ。親が、大人が、美味しい「お弁当」を子供に作り続けるのだ。
自分の頭で考えなければいけない。
一人、一人が。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!