富士山 / 2006年11月16日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
またしても、あったかいんだか、寒いんだか中途半端な天気に揺さぶられています。
僕は、さっきまで富士山の麓で「真冬」を経験してきました。
天気に恵まれて、毎日快晴。
日差しが暖かく、目の前に富士山も見えるし、なんて素敵なロケーションなんだろうなんて、みんな喜んでいました。
それがあなた、日が沈んで行けば行く程、冷蔵庫の中かよ!って思うくらいの寒さが襲ってきました。
もー、どーしよーもない。
昼間のあまりの暖かさに油断していたおかげで、夜の寒さについて行けず、自然と流れる鼻水と涙で芝居どころではありませんでした。
横を見ると、半袖半ズボン(真夏の設定)の若者が前身を鳥肌に包み、まるで「生の手羽先ギョウザ」みたいになって横たわっていました。
台詞を言っていても、エクソシストの除霊の場面みたいに真っ白い息が出てしまい、相手が見えないくらいでした。(それほどじゃないんじゃない?)
ロケで富士山の近くに毎日いましたが、あんなに近くで富士山を見たのは初めてでした。
何が驚いたって、富士山は「千の顔」を持っていた。
昔、ミル・マスカラスという覆面を被った素敵でとても人気のあったメキシコのレスラーがいた。
「千の顔を持つ男」と呼ばれていた。
ミルは千。
毎試合、違うマスクを被って登場した。
おまけに、オーバーマスクもマスクの上に被っていて、試合前に脱いでお客さんにプレゼントしていた。
ちなみに、カフェ・ラ・ミルは「千」昌夫さんが経営していたらしい。
「千」の喫茶店、、、、、(今もあるのかな?)
ま、いっか。
話がだいぶそれたが、富士山は「山」だと思っていた。(あたりまえだけど)
もちろん山なんだけど、「生き物」だった。
「千の顔」を持つ、いや、「無限の顔」を持つ「おっとこ前さん」だった。
もう、風景とか山とかそんなレベルでは語る事ができない程だった。
あんなに近くで、「毎日」見続けたのも初めてだったので、その表情の豊かな事に心の底から驚いた。
まず、背景。
晴れ。曇り。雨。雪。風。
それぞれ毎日、いや毎秒違う。
完璧。
しかも、鳥が飛んでいたり、飛行機やヘリコプターが壮大な「絵画」にはめ込まれていく。
山頂にかかる雪も毎日違う。
少しの寒暖の差で、白が濃くなったり、山肌の茶色が透けて見えたり、、、
とにかく、一瞬たりとも同じ表情を見せてはくれない。
空の色もどんどん変わって、まるで「感情」があるみたいだった。
夕方には、ほんの5分くらい夕日に照らされた「赤い」富士山が現れる。
「赤富士」
肉眼で見ると、もっと赤いんだな
照れた様な、一杯ひっかけた様な、燃える様な、怒っている様な、、、
一日を終える儀式のように、一瞬だけ「赤富士」が浮かびあがる。
みんな一瞬固まって動けなくなるくらいの美しさだった。
心が痛くなるくらいの美しさだった。
一日を無事に過ごせた「ご褒美」のようだった。
言葉なんていらなかった。
共演者の藤竜也さんと一緒に眺めた。
藤さんと富士山、、、、、、、、、
完璧。
ま、いっか。
富士山の近くのコンビニで発見!
もちろん買った。
10日に原田芳雄さんのライブを見に行った。
意外に思われる方もいると思うが、芳雄さんは歌でも大御所である。
今回は、アルバムデビュー30周年記念ライブだ。
僕は、今の世界に入る前は「役者」にも、「歌手」にも興味がほとんどなかった。
しかし、20数年前、高校の親友に誘われて渋谷の昔の「TAKEOFFSEVEN」で芳雄さんのライブを見ている。
長髪で、大きな真っ黒いサングラスをかけ、真っ白のドレスシャツの胸元を広く開けた芳雄さんは、「いつものように、酒はいくら飲んでもいいから」とマイクでしゃべってから歌い出した。
今までに聞いた事のない、凄い「歌」だった。
大人のかっこよさに痺れた。
後ろを見ると、松田優作さんが横の壁にもたれて、ステージにほとんど顔を向けず、耳で真剣にライブを楽しんでいた。
不思議な「感性」を持った人だなと思った。
その後、芳雄さんとはなんだか、「族」みたいになってしまったのは今でも不思議な感じだ。
知り合ってからライブはあまりやってなかったが、ほとんど見ている。
音楽シーンでも「ディープ」な「魂」を発信し続けている。
10日のライブはまさに「大人」の「遊び」だった。
30年来の親友の宇崎竜童さんがゲストで、自分のライブの合間にやってきて1曲だけ歌った。
1本のギターだけで歌い始めた竜童さんに、会場はあっという間に飲み込まれた。
本当に1匹の「竜」が世界の全てを飲み込んでしまったみたいだった。
なんてかっちょいいんだろ。
あの大人たち。
僕はやっぱり「大人」にいつまでも憧れていたい。
僕はどんなにがんばってもあの「大人たち」の前ではただのガキんちょだ。
ガキんちょは「大人の世界」に入れない。
悔しいけど。
でも仕方ない。
はやく「大人」になりたい。
そういえば、カテゴリー「大人」の藤竜也さんは、芳雄さんがいつも歌う「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」(もちろん、ゴールデンカップスのね)の作詞をしている。
そして、「大人」の竜童さんの昔のアルバムの曲にも詞を書いている。
みんなあんまり知らないけど、、、、
「大人」はかっちょいい。
今回、藤さんとは二度、一緒に飲んだ。
芳雄さんとは死ぬ程飲んでいる。
竜童さんは酒が飲めないけど、ちょっとだけ飲んだ事がある。
全部楽しかった。泣けちゃうくらい楽しかった。
やっぱ、「大人」はガキんちょの数光年先を「ゆっくり」歩いていて欲しい。
そしてその「ゆっくり」はどんなにガキんちょが全速力で走っても近づけない。
悔しいけど、悔しくない。
嬉しくないけど、嬉しい。
ガキんちょにとって、最高の「試練」なんだな。これが。
とっちゃん坊やの勝村くんは、いつか「大人」になれるんだろーか?
未来がとても楽しみ。とても楽しみ。
そんな訳で、「大人」になるための「修行」に出るので、しばらく日本を離れやす。
ですんで、このブログもちょっとお休みしやす。
みなまでゆーな。
みなさまのいーたい事は痛い程わかりやす。
「なんのためのインターネットなんだ!」ってな声が響いてきています。
わかっています。
わかり過ぎる程わかっています。
言い訳しやす。
だって、やりかた分かんないんだもん。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
またしても、あったかいんだか、寒いんだか中途半端な天気に揺さぶられています。
僕は、さっきまで富士山の麓で「真冬」を経験してきました。
天気に恵まれて、毎日快晴。
日差しが暖かく、目の前に富士山も見えるし、なんて素敵なロケーションなんだろうなんて、みんな喜んでいました。
それがあなた、日が沈んで行けば行く程、冷蔵庫の中かよ!って思うくらいの寒さが襲ってきました。
もー、どーしよーもない。
昼間のあまりの暖かさに油断していたおかげで、夜の寒さについて行けず、自然と流れる鼻水と涙で芝居どころではありませんでした。
横を見ると、半袖半ズボン(真夏の設定)の若者が前身を鳥肌に包み、まるで「生の手羽先ギョウザ」みたいになって横たわっていました。
台詞を言っていても、エクソシストの除霊の場面みたいに真っ白い息が出てしまい、相手が見えないくらいでした。(それほどじゃないんじゃない?)
ロケで富士山の近くに毎日いましたが、あんなに近くで富士山を見たのは初めてでした。
何が驚いたって、富士山は「千の顔」を持っていた。
昔、ミル・マスカラスという覆面を被った素敵でとても人気のあったメキシコのレスラーがいた。
「千の顔を持つ男」と呼ばれていた。
ミルは千。
毎試合、違うマスクを被って登場した。
おまけに、オーバーマスクもマスクの上に被っていて、試合前に脱いでお客さんにプレゼントしていた。
ちなみに、カフェ・ラ・ミルは「千」昌夫さんが経営していたらしい。
「千」の喫茶店、、、、、(今もあるのかな?)
ま、いっか。
話がだいぶそれたが、富士山は「山」だと思っていた。(あたりまえだけど)
もちろん山なんだけど、「生き物」だった。
「千の顔」を持つ、いや、「無限の顔」を持つ「おっとこ前さん」だった。
もう、風景とか山とかそんなレベルでは語る事ができない程だった。
あんなに近くで、「毎日」見続けたのも初めてだったので、その表情の豊かな事に心の底から驚いた。
まず、背景。
晴れ。曇り。雨。雪。風。
それぞれ毎日、いや毎秒違う。
完璧。
しかも、鳥が飛んでいたり、飛行機やヘリコプターが壮大な「絵画」にはめ込まれていく。
山頂にかかる雪も毎日違う。
少しの寒暖の差で、白が濃くなったり、山肌の茶色が透けて見えたり、、、
とにかく、一瞬たりとも同じ表情を見せてはくれない。
空の色もどんどん変わって、まるで「感情」があるみたいだった。
夕方には、ほんの5分くらい夕日に照らされた「赤い」富士山が現れる。
「赤富士」
肉眼で見ると、もっと赤いんだな
照れた様な、一杯ひっかけた様な、燃える様な、怒っている様な、、、
一日を終える儀式のように、一瞬だけ「赤富士」が浮かびあがる。
みんな一瞬固まって動けなくなるくらいの美しさだった。
心が痛くなるくらいの美しさだった。
一日を無事に過ごせた「ご褒美」のようだった。
言葉なんていらなかった。
共演者の藤竜也さんと一緒に眺めた。
藤さんと富士山、、、、、、、、、
完璧。
ま、いっか。
富士山の近くのコンビニで発見!
もちろん買った。
10日に原田芳雄さんのライブを見に行った。
意外に思われる方もいると思うが、芳雄さんは歌でも大御所である。
今回は、アルバムデビュー30周年記念ライブだ。
僕は、今の世界に入る前は「役者」にも、「歌手」にも興味がほとんどなかった。
しかし、20数年前、高校の親友に誘われて渋谷の昔の「TAKEOFFSEVEN」で芳雄さんのライブを見ている。
長髪で、大きな真っ黒いサングラスをかけ、真っ白のドレスシャツの胸元を広く開けた芳雄さんは、「いつものように、酒はいくら飲んでもいいから」とマイクでしゃべってから歌い出した。
今までに聞いた事のない、凄い「歌」だった。
大人のかっこよさに痺れた。
後ろを見ると、松田優作さんが横の壁にもたれて、ステージにほとんど顔を向けず、耳で真剣にライブを楽しんでいた。
不思議な「感性」を持った人だなと思った。
その後、芳雄さんとはなんだか、「族」みたいになってしまったのは今でも不思議な感じだ。
知り合ってからライブはあまりやってなかったが、ほとんど見ている。
音楽シーンでも「ディープ」な「魂」を発信し続けている。
10日のライブはまさに「大人」の「遊び」だった。
30年来の親友の宇崎竜童さんがゲストで、自分のライブの合間にやってきて1曲だけ歌った。
1本のギターだけで歌い始めた竜童さんに、会場はあっという間に飲み込まれた。
本当に1匹の「竜」が世界の全てを飲み込んでしまったみたいだった。
なんてかっちょいいんだろ。
あの大人たち。
僕はやっぱり「大人」にいつまでも憧れていたい。
僕はどんなにがんばってもあの「大人たち」の前ではただのガキんちょだ。
ガキんちょは「大人の世界」に入れない。
悔しいけど。
でも仕方ない。
はやく「大人」になりたい。
そういえば、カテゴリー「大人」の藤竜也さんは、芳雄さんがいつも歌う「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」(もちろん、ゴールデンカップスのね)の作詞をしている。
そして、「大人」の竜童さんの昔のアルバムの曲にも詞を書いている。
みんなあんまり知らないけど、、、、
「大人」はかっちょいい。
今回、藤さんとは二度、一緒に飲んだ。
芳雄さんとは死ぬ程飲んでいる。
竜童さんは酒が飲めないけど、ちょっとだけ飲んだ事がある。
全部楽しかった。泣けちゃうくらい楽しかった。
やっぱ、「大人」はガキんちょの数光年先を「ゆっくり」歩いていて欲しい。
そしてその「ゆっくり」はどんなにガキんちょが全速力で走っても近づけない。
悔しいけど、悔しくない。
嬉しくないけど、嬉しい。
ガキんちょにとって、最高の「試練」なんだな。これが。
とっちゃん坊やの勝村くんは、いつか「大人」になれるんだろーか?
未来がとても楽しみ。とても楽しみ。
そんな訳で、「大人」になるための「修行」に出るので、しばらく日本を離れやす。
ですんで、このブログもちょっとお休みしやす。
みなまでゆーな。
みなさまのいーたい事は痛い程わかりやす。
「なんのためのインターネットなんだ!」ってな声が響いてきています。
わかっています。
わかり過ぎる程わかっています。
言い訳しやす。
だって、やりかた分かんないんだもん。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
赤羽トレーニングセンター その4 / 2006年11月08日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
突然ですが、僕は「大沢悠里のゆうゆうワイド」が大好きだ。(本当に突然だ)
今日も車で移動中に聞いていた。
あまりにも楽しかったので書かずにはいられなかった。
もう40年以上やっているらしい。
いつごろから聞き出したかは覚えていないけど、随分前から聞いている。冷凍食品の会社でバイトしていた20歳の時など、2屯トラックで「毎朝」聞いていた。
大沢悠里さんのやさしい声が好きだ。
ずーっと聞いていたい声なのだ。
TBSのアナウンサーだったのだが、語りがあまりにも見事で、とてもアナウンサーとは思えなかった。今までたくさんのレギュラーの方がいて、色々な話を聞かせてくれて、笑ったり、勉強になったり、ありがたいありがたい番組である。
その番組で、「まむちゃん」こと、毒蝮三太夫さんがコーナーを持っている。
まあ、説明するまでもないが。
僕は毒蝮三太夫さんが大好きだ。
とにかく好きだ。理由なんかいらないくらい好きだ。
子供の頃、僕の「マイ・マミー」がよくラジオを聞いていた。
その頃の「マミーたち」は、朝、家事をしながらみんなラジオを聞いていた。
ある日、実家の近くの西友に「まむちゃん」がやってきた。(もちろん、このラジオで)
当然、近所の「マミーたち」は「まむちゃん」に会いにいった。
興奮して帰ってきた我が家の「マイ・マミー」は(当然行ったんだね)握りしめた右拳の中の「ガーゼのハンカチ」(当時はみんなこれを持っていた)を誇らしげに僕に見せてくれた。
その「ガーゼのハンカチ」には、マジックで書かれた、かわいらしいヘビの絵とサインが書かれてあった。
子供ながらにちょっと感動した。
何故、毒蝮三太夫なんてちょっと恐い名前なのか、当時は全くわからなかったが、そのサインをみて恐さが吹き飛んだ。
数年前、撮影所で毒蝮さんと初めてお会いした。
隣でメークされていたので、ご挨拶させていただき、お話も少しさせていただいた。
「実は、僕の母が蝮さんのファンで、昔地元の西友にいらした時にサインをいただいた事があります」と言ってみた。
すると、「おー、覚えてるよ。蕨のな、西友。○年くらい前じゃないか?」
と、おっしゃって、懐かしそうに当時の事を詳しく話してくださった。
「そーかー、あなたのあかあさんが俺に会いにきてくれたのか、元気なのかい? よろしく言っといてな」と言ってくださった。
泣きそうになった。
しかし、当時の事や場所を、蝮さんが正確に覚えているのには、本当に驚いた。
番組は40年以上続いている。蝮さんは月曜から金曜まで「毎日違う場所」に行って、「毎日たくさんの人」に会っている。
考えられない。
蝮さんがどれだけ誠実に仕事をしているのかがわかった。
何故、40年以上も番組が続いているのかがわかった。
その時に、「じゃあさぁ、これお母さんにあげてよ」とバッチを二つとキーホルダーをいただいた。
これがいただいた「まむちゃんバッチ」と「キーホルダー」
人生八十寝てみて七日
と書いてある
せっかくなので「マイ・マミー」にバッチを一個あげて、あとは僕が戴く事にした。(何故だ?)
これからも、日本中で朝から「毒」を吐きまくっていただきたい。
そーいえば、ラジオ欄ってあんまり見た事なかったなって思って、なんとなく見てみた。(毎日新聞11、6)
大沢悠里のゆうゆうワイド
その中に「毒蝮だよ」って書いてあった、、、、、
なんだろー?
「だよ」って?
今朝の新聞も見てみた。
今日は「毒蝮」って書いてあった、、、、、
「だよ」がなくなっていた、、、、
ま、いっか。
我が家の「のぼるくん」がこの世に生を享けてから10ヶ月が経とうとしている。動物に興味の無かった僕も、流石に色々と世話をするようになっている。
今もちょっと目を離した隙に、クッションにオシッコしてくれていた。
今朝は雨が降っていたので、ベランダに行くのが嫌だったらしい。(のぼるくんはいつの間にか、ベランダを自分のトイレにしている)
お仕置きでゲージに入れたが、「すやすや」としあわせそーに寝ている。
風呂に入れたり、耳掃除したり、爪切ったり、、、、
しかも全部嫌がる。
短毛だが、たくさん毛が抜ける。
一日に何度もモップをかけて、掃除機もかけて、、、、
その度に「のぼるくん」は、まとわりついてきて邪魔をする。
あんまり掃除機を酷使したので、掃除機が突然息絶えた。
10年もがんばってくれた愛着のある掃除機だったが、新しい掃除機を「コストコ」に買いにいった。
もちろん、「コストコ」じゃなくてもよかった。
電気屋さんに行けばいい。
しかし、電気屋さんには「メープルシロップ」は売っていない。フッフッフ。
行ってみたらまたまた興奮したが、その話は前に書いたし、長くなるので、割愛する。しかし、当然余分な買い物もした、、、
掃除していると、「のぼるくん」はジョーズの様に近づいてくる。
そしてモップと戯れ、くわえて逃げる、、、
掃除機に吠えて掃除をさせてくれない、、、、
もー少ししたら、僕はノイローゼになるかもしれない。
で、散歩。
これが本当に大変。未だに「のぼるくん」は黙っていると歩かない。
日々、闘い。
犬を飼っていない人には理解出来ないと思うが、犬と散歩していると、実に多く の知らない人と会話をする。
まー、僕もいまだに理解は出来ないんだけど、、、、
犬を連れていると、犬を連れている人に出会う。
で、挨拶する。で、犬同士が遊ぶ。
その間に飼い主同士が会話する。
会った事も無い人と、普通に話す。で、色々な情報を交換したりする。
近所でも付き合いが全くなかったのに、「のぼるくん」を飼ってから、知り合い になった人がたくさんいる。
のぼるくんの散歩で出会ったお友達
僕が一人で一日中歩いても、多分誰とも話さない。
何だろう?犬って。
猫を散歩させている人に会ったことないから、多分、犬に限ったことなんだと思 うけど。
下北沢で、豚を散歩させている人を見たが、なかなか豚を連れている人には出会わないからな。
ちなみに「のぼるくん」は、散歩中に豚と間違われた事がある。
「最近、たまにみかけるんですよ。かわいい子豚ちゃんね」だって。
たしかに、色は豚色だが、(なんだ、豚色って?)顔みりゃわかんだろ。
(僕は黙っていたので、その女性はいまだにのぼるくんを豚だと思っているはず)
外国に行くと、道や、お店で必ず挨拶をされる。
これは、経験している人が多いと思うが、日本ではありえない。
コンビニでもお店の人は挨拶してくれるが、自動ドアが開いたら挨拶するってだけのことだ。たまに、帰りがけに「ありがとう」なんて言ってみると、店員さんがキョトンとする時がある。
昨日も、夕方散歩してたら、プードルを連れたおばあちゃんに会った。
20分近く立ち話をして別れたが、初めて会った人とするか?20分立ち話。
しかも、おばあちゃんがとてもうれしそうに話してくれている。
不思議で不思議で仕方がない。
犬を連れていない人とも話こんだ経験がある。
「かわいい犬ですね。私も犬を飼ってまして」とか、「飼いたいんですけど、マンションが、、、」とかで全く知らない人が話しかけてくる。
代々木公園に散歩に行くと、散歩中の犬たちの軽いコンミューンみたいなのが出来ている。
結構インパクトがある。
今も、近所の公園に散歩がてら、「10月桜」を見に行ってきた。
十月桜 ちょっと素敵でせう
ちなみに、昨日、散歩の途中で買った我が家の10月桜
満開だった。ちょっと感動していたら、女子高生が4人公園にやってきた。
全員英語で会話していた。
「のぼるくん」に気づくと、歓声をあげて近づいてきた。
リードを伸ばし「のぼるくん」を自由にしてあげた。
楽しそうにみんな笑っている。「のぼるくん」も笑っている。
ようにみえる。(僕にはこんな表情みせない)
男ってやつは、、、、
しばらく遊んでから4人と別れた。
20mくらい離れた時、「のぼるくん」が4人の方を振り向いた。
すると4人が大歓声をあげて走りよってきた。
首輪をはずし、「のぼるくん」を解放した。
すると、今までどんなにがんばっても、「散歩」で走った事のない「ばか犬」が、笑いながら走っていた、、、、、
ずーっと、、、、、
遊んでる途中で「名前はなんですか?」と日本語で聞かれた。
「勝村と言います!」と答えたかったが、我慢して「のぼるです」と答えた。
(アホか)
みんなで「のぼる!」「のぼる!」とちょっぴりイントネーションの違う呼び方で盛り上がっていた。
一人の子が「のぼるくんと写真撮ってもいいですか?」と聞いてきた。
なんてしっかりした子なんだろうと感心した。
僕も楽しく遊んでいる「4人と一匹」を写真に撮ろうと思ったが、犯罪のような気がしてやめておいた。
遊んでもらったお礼にジュースをプレゼントした。
4人は「先生がいなくて自習だったから、教室を抜け出してきちゃったんです」
と屈託のない笑顔で言った。
「許す!」と言いたかったが、「飲んだ缶は、ちゃんとゴミ箱に入れるんだよ」
と言って別れた。
全て、「のぼるくん」がいたからである。
普通なら考えられない。
何年か前、徳川綱吉のドラマに出た。
僕が日本史で習った綱吉は、所謂「ばか殿」だった。
しかし、そのドラマでは、綱吉に別の方向から光を当てて、違った解釈で綱吉像をつくっていた。
その解釈が、今の僕にはしっくりくる。
綱吉は、昨日会ったおばあちゃんだったんじゃないかしらん?
いきなり話しかけてきて、楽しそうに話し続ける若い女性だったんじゃないかしらん?自分の犬を自慢し続ける、ヒゲはやしたおじちゃんだったんじゃないかしらん?さっき会った、4人のバイリンガルな女子高生だったんじゃないかしらん?
綱吉は、人間も含めた「命」を大切にする人だったのかも知れない。
「生きる物」が大好きだった人なのかも知れない。(ま、乱暴な解釈だけど)
でも、そー考えるとしっくりくる。
「のぼるくん」の飼い主としては。
「のぼるくん」のおかげで、たくさんの思いもよらない体験ができたりしている。
そして今日も、「のぼるくん」は僕にたくさんの「仕事」をさせる。
甚だ迷惑ではあるが、、、、
僕の娘が「ダメ犬グー」って本を読んで、目が腫れるくらい泣いていた。
その本を「マイ・マミー」に読ませた。
彼女のおばあちゃんの「マイ・マミー」も号泣していた。
僕の娘も「のぼるくん」を飼っていなかったら、「ダメ犬グー」を読んであれほど号泣したんだろうか?
それはわからない。
「マイ・マミー」は犬飼ってないくせに、、、、
でも、娘の内側では「何か」が確実に変わってきている。
そんな「命」に「生き物」に感謝しつつ、今週もがんばって生きていきまっしょい!
あ、来週はロケで東京にいないので、更新が多分木曜になりやす。
あしからず。
『赤羽トレーニングセンター』 その4
半年間、休まずトレーニングを続けた。卵も休まず食べた。
身体が、凄い事になりはじめた。
まず、首が太くなっている。
腕もかなり太く、裏側には大きな「鳥のささみ」みたいな、見た事ない筋肉もついている。
おっぱいを「ピクピク」できるようになった。
脇の筋肉が「こうもり」が羽を広げた形に近づいてきた。
ウエストがキュッと細い。
腿が太くなり、腿の前面に蜘蛛の巣みたいな太い血管が浮いてきた。
60キロちょっとだった体重が、70キロを肥えはじめた。いや、超えはじめた。
この頃の僕は、何も恐くなかった。
軽自動車くらいなら持ち上げられるんじゃないかと真剣に思っていた。
シュワちゃんの「鋼鉄の男 パンピングアイアン」のボビーたちの言葉を身をもって理解できた。
「筋肉の鎧」獲得することで、内なる力がわいてきて、生まれながらの、それぞれの「コンプレックス」が解消できるのだ。
「自信」を持つ事によって。
そう、自信が持てるのだ。「自分に」。
三島由紀夫さんが40歳を過ぎてから「ボビー」を目指した。
田宮二郎さんのトレーニングも「ボビー」たちの伝説だった。
僕も初めて自分に「自信」らしきものが芽吹いた。
でも、僕は自分でわかっていた。
これは、自分の生き方ではないと。
ある日、コーチに呼ばれた。
「勝村、筋肉にも才能がある。お前は肩幅があるし、筋肉もつきやすい。ここんとこお前を真剣に見ていたんだけど、トレーニングも真面目だし(他にやる事ないからね)、時間もあるし(無職だかんね)、このまま真剣にやっていけば、北村(当時、東大卒のNo.1ボビー)みたいになれるかもしれない。どーだ、真剣にボディービルダーにならないか?」と言われた。
僕は、驚いた。
なんか、胸がアツくなった。
「必要とされるうれしさ」みたいな感情が沸き上がった。
「考えさせて下さい」と答えた。
それから僕は「赤トレ」にいっていない。
ちゃんとした理由は今でもわからない。
でも、僕が住める場所ではなかったんだと思う。
素敵でちょっと変わった人がいっぱいいた。
若かった僕に、たくさんのことを教えてくれた。
あんなに、食べる事を意識して食べた事はあれ以来ない。
あんなに集中して筋肉を意識して鍛えた事はない。
あんなに力があった時もない。
あんなに鏡で自分をみた事はない。
あんなに自分に自信があった事もない。
「赤トレ」は楽しいことだらけだった。
筋肉のなくなった今でも、ちょっとおっぱいを「ピクピク」できる。
血管もすんごいのが出るし、看護士さんに注射がしやすいと褒められる。
そして今でも「裸」で鏡のまえに立つと、
どうしても、ちょっぴり「ポーズ」をとってしまう。
やれやれ。である。
でも、そんな自分を決して嫌だとは思えない自分がいる。
今でも、「バーベル」や「ダンベル」を見ると、「赤トレ」の「ボビー」たち
「赤ボビー」を思い出す。
すっかりおじちゃんになった「夜の先輩」たちも、今でも「鏡」の前で「ポーズ」をとり、おっぱいを「ピクピク」させているに違いない。
いや、絶対に「ピクピク」させているはずである。
「肩」の毛をなびかせて。
突然ですが、僕は「大沢悠里のゆうゆうワイド」が大好きだ。(本当に突然だ)
今日も車で移動中に聞いていた。
あまりにも楽しかったので書かずにはいられなかった。
もう40年以上やっているらしい。
いつごろから聞き出したかは覚えていないけど、随分前から聞いている。冷凍食品の会社でバイトしていた20歳の時など、2屯トラックで「毎朝」聞いていた。
大沢悠里さんのやさしい声が好きだ。
ずーっと聞いていたい声なのだ。
TBSのアナウンサーだったのだが、語りがあまりにも見事で、とてもアナウンサーとは思えなかった。今までたくさんのレギュラーの方がいて、色々な話を聞かせてくれて、笑ったり、勉強になったり、ありがたいありがたい番組である。
その番組で、「まむちゃん」こと、毒蝮三太夫さんがコーナーを持っている。
まあ、説明するまでもないが。
僕は毒蝮三太夫さんが大好きだ。
とにかく好きだ。理由なんかいらないくらい好きだ。
子供の頃、僕の「マイ・マミー」がよくラジオを聞いていた。
その頃の「マミーたち」は、朝、家事をしながらみんなラジオを聞いていた。
ある日、実家の近くの西友に「まむちゃん」がやってきた。(もちろん、このラジオで)
当然、近所の「マミーたち」は「まむちゃん」に会いにいった。
興奮して帰ってきた我が家の「マイ・マミー」は(当然行ったんだね)握りしめた右拳の中の「ガーゼのハンカチ」(当時はみんなこれを持っていた)を誇らしげに僕に見せてくれた。
その「ガーゼのハンカチ」には、マジックで書かれた、かわいらしいヘビの絵とサインが書かれてあった。
子供ながらにちょっと感動した。
何故、毒蝮三太夫なんてちょっと恐い名前なのか、当時は全くわからなかったが、そのサインをみて恐さが吹き飛んだ。
数年前、撮影所で毒蝮さんと初めてお会いした。
隣でメークされていたので、ご挨拶させていただき、お話も少しさせていただいた。
「実は、僕の母が蝮さんのファンで、昔地元の西友にいらした時にサインをいただいた事があります」と言ってみた。
すると、「おー、覚えてるよ。蕨のな、西友。○年くらい前じゃないか?」
と、おっしゃって、懐かしそうに当時の事を詳しく話してくださった。
「そーかー、あなたのあかあさんが俺に会いにきてくれたのか、元気なのかい? よろしく言っといてな」と言ってくださった。
泣きそうになった。
しかし、当時の事や場所を、蝮さんが正確に覚えているのには、本当に驚いた。
番組は40年以上続いている。蝮さんは月曜から金曜まで「毎日違う場所」に行って、「毎日たくさんの人」に会っている。
考えられない。
蝮さんがどれだけ誠実に仕事をしているのかがわかった。
何故、40年以上も番組が続いているのかがわかった。
その時に、「じゃあさぁ、これお母さんにあげてよ」とバッチを二つとキーホルダーをいただいた。
これがいただいた「まむちゃんバッチ」と「キーホルダー」
人生八十寝てみて七日
と書いてある
せっかくなので「マイ・マミー」にバッチを一個あげて、あとは僕が戴く事にした。(何故だ?)
これからも、日本中で朝から「毒」を吐きまくっていただきたい。
そーいえば、ラジオ欄ってあんまり見た事なかったなって思って、なんとなく見てみた。(毎日新聞11、6)
大沢悠里のゆうゆうワイド
その中に「毒蝮だよ」って書いてあった、、、、、
なんだろー?
「だよ」って?
今朝の新聞も見てみた。
今日は「毒蝮」って書いてあった、、、、、
「だよ」がなくなっていた、、、、
ま、いっか。
我が家の「のぼるくん」がこの世に生を享けてから10ヶ月が経とうとしている。動物に興味の無かった僕も、流石に色々と世話をするようになっている。
今もちょっと目を離した隙に、クッションにオシッコしてくれていた。
今朝は雨が降っていたので、ベランダに行くのが嫌だったらしい。(のぼるくんはいつの間にか、ベランダを自分のトイレにしている)
お仕置きでゲージに入れたが、「すやすや」としあわせそーに寝ている。
風呂に入れたり、耳掃除したり、爪切ったり、、、、
しかも全部嫌がる。
短毛だが、たくさん毛が抜ける。
一日に何度もモップをかけて、掃除機もかけて、、、、
その度に「のぼるくん」は、まとわりついてきて邪魔をする。
あんまり掃除機を酷使したので、掃除機が突然息絶えた。
10年もがんばってくれた愛着のある掃除機だったが、新しい掃除機を「コストコ」に買いにいった。
もちろん、「コストコ」じゃなくてもよかった。
電気屋さんに行けばいい。
しかし、電気屋さんには「メープルシロップ」は売っていない。フッフッフ。
行ってみたらまたまた興奮したが、その話は前に書いたし、長くなるので、割愛する。しかし、当然余分な買い物もした、、、
掃除していると、「のぼるくん」はジョーズの様に近づいてくる。
そしてモップと戯れ、くわえて逃げる、、、
掃除機に吠えて掃除をさせてくれない、、、、
もー少ししたら、僕はノイローゼになるかもしれない。
で、散歩。
これが本当に大変。未だに「のぼるくん」は黙っていると歩かない。
日々、闘い。
犬を飼っていない人には理解出来ないと思うが、犬と散歩していると、実に多く の知らない人と会話をする。
まー、僕もいまだに理解は出来ないんだけど、、、、
犬を連れていると、犬を連れている人に出会う。
で、挨拶する。で、犬同士が遊ぶ。
その間に飼い主同士が会話する。
会った事も無い人と、普通に話す。で、色々な情報を交換したりする。
近所でも付き合いが全くなかったのに、「のぼるくん」を飼ってから、知り合い になった人がたくさんいる。
のぼるくんの散歩で出会ったお友達
僕が一人で一日中歩いても、多分誰とも話さない。
何だろう?犬って。
猫を散歩させている人に会ったことないから、多分、犬に限ったことなんだと思 うけど。
下北沢で、豚を散歩させている人を見たが、なかなか豚を連れている人には出会わないからな。
ちなみに「のぼるくん」は、散歩中に豚と間違われた事がある。
「最近、たまにみかけるんですよ。かわいい子豚ちゃんね」だって。
たしかに、色は豚色だが、(なんだ、豚色って?)顔みりゃわかんだろ。
(僕は黙っていたので、その女性はいまだにのぼるくんを豚だと思っているはず)
外国に行くと、道や、お店で必ず挨拶をされる。
これは、経験している人が多いと思うが、日本ではありえない。
コンビニでもお店の人は挨拶してくれるが、自動ドアが開いたら挨拶するってだけのことだ。たまに、帰りがけに「ありがとう」なんて言ってみると、店員さんがキョトンとする時がある。
昨日も、夕方散歩してたら、プードルを連れたおばあちゃんに会った。
20分近く立ち話をして別れたが、初めて会った人とするか?20分立ち話。
しかも、おばあちゃんがとてもうれしそうに話してくれている。
不思議で不思議で仕方がない。
犬を連れていない人とも話こんだ経験がある。
「かわいい犬ですね。私も犬を飼ってまして」とか、「飼いたいんですけど、マンションが、、、」とかで全く知らない人が話しかけてくる。
代々木公園に散歩に行くと、散歩中の犬たちの軽いコンミューンみたいなのが出来ている。
結構インパクトがある。
今も、近所の公園に散歩がてら、「10月桜」を見に行ってきた。
十月桜 ちょっと素敵でせう
ちなみに、昨日、散歩の途中で買った我が家の10月桜
満開だった。ちょっと感動していたら、女子高生が4人公園にやってきた。
全員英語で会話していた。
「のぼるくん」に気づくと、歓声をあげて近づいてきた。
リードを伸ばし「のぼるくん」を自由にしてあげた。
楽しそうにみんな笑っている。「のぼるくん」も笑っている。
ようにみえる。(僕にはこんな表情みせない)
男ってやつは、、、、
しばらく遊んでから4人と別れた。
20mくらい離れた時、「のぼるくん」が4人の方を振り向いた。
すると4人が大歓声をあげて走りよってきた。
首輪をはずし、「のぼるくん」を解放した。
すると、今までどんなにがんばっても、「散歩」で走った事のない「ばか犬」が、笑いながら走っていた、、、、、
ずーっと、、、、、
遊んでる途中で「名前はなんですか?」と日本語で聞かれた。
「勝村と言います!」と答えたかったが、我慢して「のぼるです」と答えた。
(アホか)
みんなで「のぼる!」「のぼる!」とちょっぴりイントネーションの違う呼び方で盛り上がっていた。
一人の子が「のぼるくんと写真撮ってもいいですか?」と聞いてきた。
なんてしっかりした子なんだろうと感心した。
僕も楽しく遊んでいる「4人と一匹」を写真に撮ろうと思ったが、犯罪のような気がしてやめておいた。
遊んでもらったお礼にジュースをプレゼントした。
4人は「先生がいなくて自習だったから、教室を抜け出してきちゃったんです」
と屈託のない笑顔で言った。
「許す!」と言いたかったが、「飲んだ缶は、ちゃんとゴミ箱に入れるんだよ」
と言って別れた。
全て、「のぼるくん」がいたからである。
普通なら考えられない。
何年か前、徳川綱吉のドラマに出た。
僕が日本史で習った綱吉は、所謂「ばか殿」だった。
しかし、そのドラマでは、綱吉に別の方向から光を当てて、違った解釈で綱吉像をつくっていた。
その解釈が、今の僕にはしっくりくる。
綱吉は、昨日会ったおばあちゃんだったんじゃないかしらん?
いきなり話しかけてきて、楽しそうに話し続ける若い女性だったんじゃないかしらん?自分の犬を自慢し続ける、ヒゲはやしたおじちゃんだったんじゃないかしらん?さっき会った、4人のバイリンガルな女子高生だったんじゃないかしらん?
綱吉は、人間も含めた「命」を大切にする人だったのかも知れない。
「生きる物」が大好きだった人なのかも知れない。(ま、乱暴な解釈だけど)
でも、そー考えるとしっくりくる。
「のぼるくん」の飼い主としては。
「のぼるくん」のおかげで、たくさんの思いもよらない体験ができたりしている。
そして今日も、「のぼるくん」は僕にたくさんの「仕事」をさせる。
甚だ迷惑ではあるが、、、、
僕の娘が「ダメ犬グー」って本を読んで、目が腫れるくらい泣いていた。
その本を「マイ・マミー」に読ませた。
彼女のおばあちゃんの「マイ・マミー」も号泣していた。
僕の娘も「のぼるくん」を飼っていなかったら、「ダメ犬グー」を読んであれほど号泣したんだろうか?
それはわからない。
「マイ・マミー」は犬飼ってないくせに、、、、
でも、娘の内側では「何か」が確実に変わってきている。
そんな「命」に「生き物」に感謝しつつ、今週もがんばって生きていきまっしょい!
あ、来週はロケで東京にいないので、更新が多分木曜になりやす。
あしからず。
『赤羽トレーニングセンター』 その4
半年間、休まずトレーニングを続けた。卵も休まず食べた。
身体が、凄い事になりはじめた。
まず、首が太くなっている。
腕もかなり太く、裏側には大きな「鳥のささみ」みたいな、見た事ない筋肉もついている。
おっぱいを「ピクピク」できるようになった。
脇の筋肉が「こうもり」が羽を広げた形に近づいてきた。
ウエストがキュッと細い。
腿が太くなり、腿の前面に蜘蛛の巣みたいな太い血管が浮いてきた。
60キロちょっとだった体重が、70キロを肥えはじめた。いや、超えはじめた。
この頃の僕は、何も恐くなかった。
軽自動車くらいなら持ち上げられるんじゃないかと真剣に思っていた。
シュワちゃんの「鋼鉄の男 パンピングアイアン」のボビーたちの言葉を身をもって理解できた。
「筋肉の鎧」獲得することで、内なる力がわいてきて、生まれながらの、それぞれの「コンプレックス」が解消できるのだ。
「自信」を持つ事によって。
そう、自信が持てるのだ。「自分に」。
三島由紀夫さんが40歳を過ぎてから「ボビー」を目指した。
田宮二郎さんのトレーニングも「ボビー」たちの伝説だった。
僕も初めて自分に「自信」らしきものが芽吹いた。
でも、僕は自分でわかっていた。
これは、自分の生き方ではないと。
ある日、コーチに呼ばれた。
「勝村、筋肉にも才能がある。お前は肩幅があるし、筋肉もつきやすい。ここんとこお前を真剣に見ていたんだけど、トレーニングも真面目だし(他にやる事ないからね)、時間もあるし(無職だかんね)、このまま真剣にやっていけば、北村(当時、東大卒のNo.1ボビー)みたいになれるかもしれない。どーだ、真剣にボディービルダーにならないか?」と言われた。
僕は、驚いた。
なんか、胸がアツくなった。
「必要とされるうれしさ」みたいな感情が沸き上がった。
「考えさせて下さい」と答えた。
それから僕は「赤トレ」にいっていない。
ちゃんとした理由は今でもわからない。
でも、僕が住める場所ではなかったんだと思う。
素敵でちょっと変わった人がいっぱいいた。
若かった僕に、たくさんのことを教えてくれた。
あんなに、食べる事を意識して食べた事はあれ以来ない。
あんなに集中して筋肉を意識して鍛えた事はない。
あんなに力があった時もない。
あんなに鏡で自分をみた事はない。
あんなに自分に自信があった事もない。
「赤トレ」は楽しいことだらけだった。
筋肉のなくなった今でも、ちょっとおっぱいを「ピクピク」できる。
血管もすんごいのが出るし、看護士さんに注射がしやすいと褒められる。
そして今でも「裸」で鏡のまえに立つと、
どうしても、ちょっぴり「ポーズ」をとってしまう。
やれやれ。である。
でも、そんな自分を決して嫌だとは思えない自分がいる。
今でも、「バーベル」や「ダンベル」を見ると、「赤トレ」の「ボビー」たち
「赤ボビー」を思い出す。
すっかりおじちゃんになった「夜の先輩」たちも、今でも「鏡」の前で「ポーズ」をとり、おっぱいを「ピクピク」させているに違いない。
いや、絶対に「ピクピク」させているはずである。
「肩」の毛をなびかせて。
了。
赤羽トレーニングセンター その3 / 2006年11月01日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
ご要望に答えてみました。
だいぶ伸びましたが、、、、
こんな感じ
先週はほとんど東京にいませんでした。
撮影で京都にいました。
京都は暖かく、紅葉はまだ始まっていなかった。例年より遅れているらしい。
僕は埼玉出身なんだけど、「京都」と言えば「修学旅行」
中学での京都旅行はうれしかった。みんなで泊まったり、自由行動の時間があったり。
しかし、高校の修学旅行でも京都に行かされた、、、、、
そう、行かされた。
絶対、「裏の事情」があるとしか思えなかった。
高校の修学旅行で「京都」
考えられなかった。
他の高校では、「九州」だの「北海道」だの行っていた。
うらやましかった。
中には「海外」なんてアバンギャルドな学校もあった。
楽しかったはずの中学の修学旅行の時に、宿でお茶が出た。
馬鹿でかい薬缶が出てきた。中を覗いたら、茶羽根ゴキブリが浮いていた。
みんなそのお茶を飲み始めていた。
先生に言うと、「京都の有名な茶虫だから、問題ない」とのたまった。
全員がっかり、、、、
いきなり帰りたくなった。
結局、中学でも、高校でも、「新京極」でチンピラにからまれた事が一番の「思い出」になっている。(情けない)
そんな事、行く前からわかっていた。
せめて高校では、違う場所に行きたかった。
今でも思う。「裏で、何か、あった。、、、絶対」
一応、京都の写真
食べる勇気がなかった
僕は、仕事であまり京都に行かないけど、行ってみるとちょっと楽しい。
東京の撮影所では、あんまり「仲間」に会わない。
でも京都の撮影所は「仲間」だらけ。
まず、出発の日。
6時の新幹線に乗り込むと、榎木孝明さんに会った。
10年くらい前に親子だった。(かなり無理があるよね)
「半年も行ったり来たりなんだよ」と笑っていた。
他にも数名の「仲間」がいた。
撮影所に着くと、橋之助がいた。
「久しぶり~」なんて挨拶をして、着替えに行くと、中山忍ちゃんがいた。宅間伸さんが着替えていたり、出掛けようとしたら、松重豊がいて盛り上がる。
帰ってきたら的場浩二くんも帰ってきていて、次の日の朝は、京本政樹さんがメイクしていて、「あ~!かっちゃん!」なんて挨拶して、出掛けようとしたら、竹中さんがやってきて、話していたら出発の時間がきちゃって、行こうと思ったら、仲間由紀恵ちゃんがきて、出掛けるとロケ先に田口浩正から電話がきて、「今、徳井優さんと京都です、会えませんか?」なんて言われて、吹石一恵ちゃんから久しぶりにメールがきて「唐沢さんと京都でお会いしました」だって、、、
で、唐沢と電話で話して、稲森いずみちゃんが来ている事もわかって、連絡をとり、楽屋に戻る途中に同じ劇団だった、筒井真理子ちんに会い、楽屋の前で黒木メイサさん(初めて会った)がしゃがんでいて、照英くんが笑顔で挨拶してくれて、遠くに原田龍二の後姿をみかけ、、、、、、、、、
考えられない。頭グルグルしちゃった。
会えなかったけど、まだまだたくさんの「仲間」がきていた。
ま、今は正月の時代劇がたくさん入っていたから、こんなにすごい事になってたんだけど、、、、
もー、笑うしかない。ちょっと吐きそうにもなったけど。
京都に行く前には、戦争のドラマのセットで(これで坊主になった)府中の撮影所に40時間近くいた。
頭フラフラだった。
ここでもかなり笑えた。
撮影所のまわりには何も無い。
一番近くにあるのが「吉野家」と「ジョナサン」
休憩時間。
軍服にゲートル巻いているから、脱ぐわけにいかない。
みんな泥だらけのメーク。中には、血だらけの人もいる。
落とすわけにもいかない。
店屋物も取れないから、そのままの「状態」で食べに行くしか無い。
半海さんと鈴木浩介くんと飯にでかけた。
「吉野家」の前を通ったら、一般の人たちに混ざって「血だらけで顔色の悪い軍人」が豚丼みたいのを普通に食べていた。
大爆笑。
で、僕らは「ジョナサン」に入った。
すると、軍服を纏った藤竜也さんが魚の煮つけ定食を食べていた。
またまた大爆笑。
で、とりあえず敬礼した。
僕らも仲間に入って昼ご飯を食べた。
まわりのお客さんたちはどーしていいかわからず、入って来るお客さんは「ジョナサン」が軍人に占拠されている事に驚いて、みなさん少しづつ「後ずさって」いた。
撮影所に戻る途中「吉野家」を覗くと、「吉野家」も軍人に占拠されていた。
(クーデターかよ)
夜の休憩時間にも、同じ光景が繰り返されていた。
二日間も同じ光景が続いた。
なんだか、本当に藤竜也さんを「大統領」にするために立ち上がり、クーデターを起こした軍隊みたいだった。
で、日曜日に違う仕事で東京に帰ってきた。
で、次の日また朝一で京都に戻った。しかも日帰り。
何も考えられない状態。
そんな日曜日の夜に、原田芳雄さんから一緒に芝居を観に行こうと誘われた。
久しぶりに「唐組」の芝居を観てきた。
唐さんの事は、同じブログで根津甚八さんが詳しく書いているので「説明」は省きます。
まず、会場になっている雑司ヶ谷の鬼子母神に着いた。
なんとなくざわついている。お客さんを眺めると、結構若い人がいる。
失礼だが、意外な感じがした。(このことは、となりで飲んでた「北の国から」の監督の杉田成道さんも言ってた)
木野花さんがいた。今日で二度目の観劇らしい。
木野さんは去年、シアターコクーンで同じ演目を「Nさん」の演出でやった。
で、今日は唐十郎さんが、普段の「役」ではなく、木野さんが演じた「女教師」
をやるらしいので、「どーしても観たくって」っとすでにかなり興奮しながら教えてくれた。そんな木野さんの笑顔は相変わらず少女みたいで素敵だった。
ざわついているお客さんの中に、メークを済ませ、衣装を着た劇団の方たちが混ざっていた。
「唐組」には「楽屋」がない。テントだから当然なのだ。
余談だが、昔、小林薫さんと一緒に舞台をやった。
薫さんは「状況劇場」を退団して以来、18年ぶりの舞台だった。
そして、これも当然だが、初めての「劇場」での舞台だった。
劇場に入った薫さんが、ちょっと緊張した面持ちで僕に質問した。
「勝村、楽屋話しって何を話したらいいんだ?」だって。
僕ら大爆笑。
テント芝居しかした事のない薫さんは、劇場で芝居をするのは初めて。
だから勿論、劇場の楽屋も初めてだった。
楽屋では、舞台に上がるより緊張していて「ぎこちない」動きの連続だった。
しかし、元々「おしゃべり」なので、夕方には誰よりもしゃべり倒していて、うるさかった。
で、「唐組」の鳥山さんが来てくれて、色々と気を使って下さった。
「勝村さんも後ろの椅子に座りますか?」と言われたので、「いいえ、大丈夫です」と答えた。
久しぶりだったから、テントの臨場感と高揚感と肉体の痛みを味わいたかった。
開幕前から興奮してくる。
こればかりは、「劇場」では味わえない。
なにせ、みんな地面に座っている。一番後ろには、どでかい「石灯籠」が舞台装置のように置いてある。(ま、元々そこにある本物だからね)
「お客様がまだまだ入られます。もー少し詰めていただけますか」
なんて何度も言われて、気が付くと最初に座っていた位置から結構ずれている。
何となく、息苦しい。
超満員。
テントの中は、観客それぞれの「思い」みたいなものが充満しはじめる。
幕が開いた。
テントに入る前から引き込まれている僕らは、始まった瞬間から「数光年先」まで既に連れて行かれている。
十貫寺梅軒さんが登場。
圧倒された。
犬に手を噛まれた「野球少年」の役だった。
本物の「アングラ」の芝居を堪能した。
唐さんが登場した。
圧巻だった。
やはり唐さんは「神」に近い。
唐さんは「衰える」なんて人間の世界の現象とは「無縁」だった。
他のみなさんも素晴らしかった。
「アングラ」と言うカテゴリーをつくった人たちの力は、計り知れない。
もっと長く書こうと「腹」を決めていたけど、僕の筆力で批評するのは、失礼に値する。
僕が書けるのは只一つ、唐さんは「演劇神」だ。
芝居が終わってから、「紅テント」の中で飲んだ。
お客さんも役者も車座になって、、、、
「しあわせ」な空間と時間だった。
いい芝居を観た後は、いい演技を観た後は、何とも言えない「幸福感」に包まれる。
地元に戻り、芳雄さんたちと軽く飲んだ。
みんなの顔も「幸福感」に満ち溢れていた。
こんなの本当に「久しぶり」だった。
なんだか「しあわせ」なまま終わるのは悔しい(なんで?)
天の邪鬼の僕としては、やはり「ぼやき」の一つも入れたい。(アホか)
で、31日の「ハロウィン」
なんだあれ?
関係ないじゃん!
ふざけるな!
我が家の近所は外国の大使館が幾つかある。
だから、必然的に外国の人が多い。
近所の人に地図を貰った。
そこには「お菓子」をくれる「家」の地図が書かれてある。
僕も娘たちを連れて参加した。(参加してんじゃねーか!)
暗い道を「仮装」して歩く子供たちは、とても楽しそうだった。
我が家のまわりでは、こんなことや
こんなことになっていた
でも、おじちゃんはやはり納得できない。
クリスマスもバレンタインもボジョレーヌーヴォーの解禁の日も、、、、
恥を知れ!
関係ねーだろ!
厚顔な日本人め!
自分の頭で考えて生きろ!
自分たちの文化を大切にしろ!倫理を大切にしろ!
何が「ワインみたいな日本酒です」だ!
日本酒に自信持て!
何が「このマグロ、牛肉みた~い」だ!
牛肉食ってりゃいーじゃねーか!
ば~か!うんこ!
恥を知れ!恥を!
でも、楽しいんだよね~。
子供たちがみんな「興奮」してうれしそうなんだよね。
子供の笑顔は地球を救う。
ま、いっか。
「子供は大人の父である」
けだし名言である。
そんな訳で今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その3
とにかく食べた。
で、週4回のトレーニング。
月、火、木、金の午前中にトレーニングして(水曜は、わざと筋肉を休ませる)
水曜の夜にサッカーいって、土、日のどっちかにサッカーの試合。
お仕事は?と聞かれたら、「運動です」と答えていた。
しばらく続けると、筋肉が変わってきた。なんだか身体も大きくなっている。鏡を見ると、軽く「ポーズ」をとったりしている。
「ヤバい」
と思いながらも、満更でもなかった。
だから、「ヤバい」って。
気づくと、ちょっとだけの「蓄え」が底をついてきた。
同じサッカー部の先輩に冷凍食品の運送の仕事を紹介してもらった。
午前中に仕事する事にした。
で、午後トレーニング。
なんだか時間がもったいなくて、暇をみつけちゃぁ冷凍倉庫にこっそり入って、一番重い20キロの「すけそうだら」を担いで鍛えた。(変態。狂ってる)
仕事を始めたので、トレーニングは夕方からになった。
今までは、午前中だったので「赤トレ」はすいていた。
僕一人なんて事もよくあった。
しかし、夕方は仕事を終えた「ボディービルダー」の巣窟だった。
「赤トレ」の壁には、「赤トレ」出身の「ボディービルダー」略して「ボビー」
(長いからね)さらに略して「赤ボビー」の写真がたくさん飾られている。
夕方には、その中の数人と、もーちょっとでその中の人たちが「いっぺー」いた。
なんだか、都会の地図を覚えて田舎から出てきた小僧が、都会でいきなり迷子になったみたいだった。
あたふたした。
呆然として「赤ボビー」のトレーニングにみとれた。
すんごい活気だった。みなさまの熱でガラスや鏡が曇って行く、、、、
若かった僕は身体の芯がアツくなるのを感じた。
(今の僕ならそんなことはない。岸部四郎さんの「後ろ向き 一週間に一日幸福ならいい」って本も読破したくらいだ)
で、目を輝かせてトレーニングに参加した。
この頃の僕のアイドルは「アーノルド・シュワルツェネガー」(おかしいぞ)
ミスター・オリンピアで、5回連続の王者に輝いていた。
ミス・オリとは(勝手に略すな)ボビーの世界一を決める、ミスター・ユニバースで優勝した、「世界一」の人たちだけが出場できる大会なのである。
出場できるだけでも「神」に近い。
シュワちゃんは(もちろん、まだそんな風には呼ばれていなかった)
その大会で、前人未到の5連覇を成し遂げて、ハリウッドデビューした。
「神」の中の「神」なのである。(まぁ、マニヤックな神ではあるが、、、)
もちろんシュワちゃん初主演映画(多分)「鋼鉄の男 パンピング・アイアン」だってみている。(かなり笑える、真面目な実録映画)
この映画をみて、ボディービルダーって子供の頃はみんな「いじめられっこ」だったことがよくわかった。
ちなみに、「パンピング」とはトレーニングでキンキンに張っている筋肉の状態のことである。
僕も毎日「パンピング」の歓びに浸っていた。
だんだん、夜の先輩たちにも(何だ?夜の先輩って)慣れてきた。
レベルが違うから一緒にトレーニングは出来なかったが、ちょっとづつ話してもらえるようになった。
話しを聞くと、ちょっとおもろかった。
「バーベルで『肩』鍛え過ぎて刺激を与え過ぎたのか、肩から毛が生えてきちゃったんだよ。はっはっは」
「え、え~?」
「ほら」
「ほ、ほんとだ!す、すんごい生えてる~」
他にも、腿になんかクリームを塗っている「夜の先輩」をじーっと見ていると、
「あぁ、『腿』鍛え過ぎてでかくなり過ぎちゃって『股擦れ』が痛いんだよ。はっはっは」
「え、え~?」
「ほら」
「ほ、ほんとだ!す、すんごいすれてる~」
こんな会話ばかりだった。
こんな会話しちゃー、おっぱいを「ピクピク」動かしたり、鏡みて「ポーズ」とったりしている。
なんか、危険な匂いのする(違う意味でね)集団だった。
でも、みんな笑顔がきれいだった。
「赤トレ」は目的を持った人の集まりだった。
「身体を鍛える」のを「生き甲斐」にしている人たちの集まりだった。
だから、居心地がよかったのかもしれない。
「赤トレ」のガラスの曇りは、「生き甲斐」を持ってトレーニングに励む人たちをやさしく包む「コクーン」だったのかもしれない。
ご要望に答えてみました。
だいぶ伸びましたが、、、、
こんな感じ
先週はほとんど東京にいませんでした。
撮影で京都にいました。
京都は暖かく、紅葉はまだ始まっていなかった。例年より遅れているらしい。
僕は埼玉出身なんだけど、「京都」と言えば「修学旅行」
中学での京都旅行はうれしかった。みんなで泊まったり、自由行動の時間があったり。
しかし、高校の修学旅行でも京都に行かされた、、、、、
そう、行かされた。
絶対、「裏の事情」があるとしか思えなかった。
高校の修学旅行で「京都」
考えられなかった。
他の高校では、「九州」だの「北海道」だの行っていた。
うらやましかった。
中には「海外」なんてアバンギャルドな学校もあった。
楽しかったはずの中学の修学旅行の時に、宿でお茶が出た。
馬鹿でかい薬缶が出てきた。中を覗いたら、茶羽根ゴキブリが浮いていた。
みんなそのお茶を飲み始めていた。
先生に言うと、「京都の有名な茶虫だから、問題ない」とのたまった。
全員がっかり、、、、
いきなり帰りたくなった。
結局、中学でも、高校でも、「新京極」でチンピラにからまれた事が一番の「思い出」になっている。(情けない)
そんな事、行く前からわかっていた。
せめて高校では、違う場所に行きたかった。
今でも思う。「裏で、何か、あった。、、、絶対」
一応、京都の写真
食べる勇気がなかった
僕は、仕事であまり京都に行かないけど、行ってみるとちょっと楽しい。
東京の撮影所では、あんまり「仲間」に会わない。
でも京都の撮影所は「仲間」だらけ。
まず、出発の日。
6時の新幹線に乗り込むと、榎木孝明さんに会った。
10年くらい前に親子だった。(かなり無理があるよね)
「半年も行ったり来たりなんだよ」と笑っていた。
他にも数名の「仲間」がいた。
撮影所に着くと、橋之助がいた。
「久しぶり~」なんて挨拶をして、着替えに行くと、中山忍ちゃんがいた。宅間伸さんが着替えていたり、出掛けようとしたら、松重豊がいて盛り上がる。
帰ってきたら的場浩二くんも帰ってきていて、次の日の朝は、京本政樹さんがメイクしていて、「あ~!かっちゃん!」なんて挨拶して、出掛けようとしたら、竹中さんがやってきて、話していたら出発の時間がきちゃって、行こうと思ったら、仲間由紀恵ちゃんがきて、出掛けるとロケ先に田口浩正から電話がきて、「今、徳井優さんと京都です、会えませんか?」なんて言われて、吹石一恵ちゃんから久しぶりにメールがきて「唐沢さんと京都でお会いしました」だって、、、
で、唐沢と電話で話して、稲森いずみちゃんが来ている事もわかって、連絡をとり、楽屋に戻る途中に同じ劇団だった、筒井真理子ちんに会い、楽屋の前で黒木メイサさん(初めて会った)がしゃがんでいて、照英くんが笑顔で挨拶してくれて、遠くに原田龍二の後姿をみかけ、、、、、、、、、
考えられない。頭グルグルしちゃった。
会えなかったけど、まだまだたくさんの「仲間」がきていた。
ま、今は正月の時代劇がたくさん入っていたから、こんなにすごい事になってたんだけど、、、、
もー、笑うしかない。ちょっと吐きそうにもなったけど。
京都に行く前には、戦争のドラマのセットで(これで坊主になった)府中の撮影所に40時間近くいた。
頭フラフラだった。
ここでもかなり笑えた。
撮影所のまわりには何も無い。
一番近くにあるのが「吉野家」と「ジョナサン」
休憩時間。
軍服にゲートル巻いているから、脱ぐわけにいかない。
みんな泥だらけのメーク。中には、血だらけの人もいる。
落とすわけにもいかない。
店屋物も取れないから、そのままの「状態」で食べに行くしか無い。
半海さんと鈴木浩介くんと飯にでかけた。
「吉野家」の前を通ったら、一般の人たちに混ざって「血だらけで顔色の悪い軍人」が豚丼みたいのを普通に食べていた。
大爆笑。
で、僕らは「ジョナサン」に入った。
すると、軍服を纏った藤竜也さんが魚の煮つけ定食を食べていた。
またまた大爆笑。
で、とりあえず敬礼した。
僕らも仲間に入って昼ご飯を食べた。
まわりのお客さんたちはどーしていいかわからず、入って来るお客さんは「ジョナサン」が軍人に占拠されている事に驚いて、みなさん少しづつ「後ずさって」いた。
撮影所に戻る途中「吉野家」を覗くと、「吉野家」も軍人に占拠されていた。
(クーデターかよ)
夜の休憩時間にも、同じ光景が繰り返されていた。
二日間も同じ光景が続いた。
なんだか、本当に藤竜也さんを「大統領」にするために立ち上がり、クーデターを起こした軍隊みたいだった。
で、日曜日に違う仕事で東京に帰ってきた。
で、次の日また朝一で京都に戻った。しかも日帰り。
何も考えられない状態。
そんな日曜日の夜に、原田芳雄さんから一緒に芝居を観に行こうと誘われた。
久しぶりに「唐組」の芝居を観てきた。
唐さんの事は、同じブログで根津甚八さんが詳しく書いているので「説明」は省きます。
まず、会場になっている雑司ヶ谷の鬼子母神に着いた。
なんとなくざわついている。お客さんを眺めると、結構若い人がいる。
失礼だが、意外な感じがした。(このことは、となりで飲んでた「北の国から」の監督の杉田成道さんも言ってた)
木野花さんがいた。今日で二度目の観劇らしい。
木野さんは去年、シアターコクーンで同じ演目を「Nさん」の演出でやった。
で、今日は唐十郎さんが、普段の「役」ではなく、木野さんが演じた「女教師」
をやるらしいので、「どーしても観たくって」っとすでにかなり興奮しながら教えてくれた。そんな木野さんの笑顔は相変わらず少女みたいで素敵だった。
ざわついているお客さんの中に、メークを済ませ、衣装を着た劇団の方たちが混ざっていた。
「唐組」には「楽屋」がない。テントだから当然なのだ。
余談だが、昔、小林薫さんと一緒に舞台をやった。
薫さんは「状況劇場」を退団して以来、18年ぶりの舞台だった。
そして、これも当然だが、初めての「劇場」での舞台だった。
劇場に入った薫さんが、ちょっと緊張した面持ちで僕に質問した。
「勝村、楽屋話しって何を話したらいいんだ?」だって。
僕ら大爆笑。
テント芝居しかした事のない薫さんは、劇場で芝居をするのは初めて。
だから勿論、劇場の楽屋も初めてだった。
楽屋では、舞台に上がるより緊張していて「ぎこちない」動きの連続だった。
しかし、元々「おしゃべり」なので、夕方には誰よりもしゃべり倒していて、うるさかった。
で、「唐組」の鳥山さんが来てくれて、色々と気を使って下さった。
「勝村さんも後ろの椅子に座りますか?」と言われたので、「いいえ、大丈夫です」と答えた。
久しぶりだったから、テントの臨場感と高揚感と肉体の痛みを味わいたかった。
開幕前から興奮してくる。
こればかりは、「劇場」では味わえない。
なにせ、みんな地面に座っている。一番後ろには、どでかい「石灯籠」が舞台装置のように置いてある。(ま、元々そこにある本物だからね)
「お客様がまだまだ入られます。もー少し詰めていただけますか」
なんて何度も言われて、気が付くと最初に座っていた位置から結構ずれている。
何となく、息苦しい。
超満員。
テントの中は、観客それぞれの「思い」みたいなものが充満しはじめる。
幕が開いた。
テントに入る前から引き込まれている僕らは、始まった瞬間から「数光年先」まで既に連れて行かれている。
十貫寺梅軒さんが登場。
圧倒された。
犬に手を噛まれた「野球少年」の役だった。
本物の「アングラ」の芝居を堪能した。
唐さんが登場した。
圧巻だった。
やはり唐さんは「神」に近い。
唐さんは「衰える」なんて人間の世界の現象とは「無縁」だった。
他のみなさんも素晴らしかった。
「アングラ」と言うカテゴリーをつくった人たちの力は、計り知れない。
もっと長く書こうと「腹」を決めていたけど、僕の筆力で批評するのは、失礼に値する。
僕が書けるのは只一つ、唐さんは「演劇神」だ。
芝居が終わってから、「紅テント」の中で飲んだ。
お客さんも役者も車座になって、、、、
「しあわせ」な空間と時間だった。
いい芝居を観た後は、いい演技を観た後は、何とも言えない「幸福感」に包まれる。
地元に戻り、芳雄さんたちと軽く飲んだ。
みんなの顔も「幸福感」に満ち溢れていた。
こんなの本当に「久しぶり」だった。
なんだか「しあわせ」なまま終わるのは悔しい(なんで?)
天の邪鬼の僕としては、やはり「ぼやき」の一つも入れたい。(アホか)
で、31日の「ハロウィン」
なんだあれ?
関係ないじゃん!
ふざけるな!
我が家の近所は外国の大使館が幾つかある。
だから、必然的に外国の人が多い。
近所の人に地図を貰った。
そこには「お菓子」をくれる「家」の地図が書かれてある。
僕も娘たちを連れて参加した。(参加してんじゃねーか!)
暗い道を「仮装」して歩く子供たちは、とても楽しそうだった。
我が家のまわりでは、こんなことや
こんなことになっていた
でも、おじちゃんはやはり納得できない。
クリスマスもバレンタインもボジョレーヌーヴォーの解禁の日も、、、、
恥を知れ!
関係ねーだろ!
厚顔な日本人め!
自分の頭で考えて生きろ!
自分たちの文化を大切にしろ!倫理を大切にしろ!
何が「ワインみたいな日本酒です」だ!
日本酒に自信持て!
何が「このマグロ、牛肉みた~い」だ!
牛肉食ってりゃいーじゃねーか!
ば~か!うんこ!
恥を知れ!恥を!
でも、楽しいんだよね~。
子供たちがみんな「興奮」してうれしそうなんだよね。
子供の笑顔は地球を救う。
ま、いっか。
「子供は大人の父である」
けだし名言である。
そんな訳で今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その3
とにかく食べた。
で、週4回のトレーニング。
月、火、木、金の午前中にトレーニングして(水曜は、わざと筋肉を休ませる)
水曜の夜にサッカーいって、土、日のどっちかにサッカーの試合。
お仕事は?と聞かれたら、「運動です」と答えていた。
しばらく続けると、筋肉が変わってきた。なんだか身体も大きくなっている。鏡を見ると、軽く「ポーズ」をとったりしている。
「ヤバい」
と思いながらも、満更でもなかった。
だから、「ヤバい」って。
気づくと、ちょっとだけの「蓄え」が底をついてきた。
同じサッカー部の先輩に冷凍食品の運送の仕事を紹介してもらった。
午前中に仕事する事にした。
で、午後トレーニング。
なんだか時間がもったいなくて、暇をみつけちゃぁ冷凍倉庫にこっそり入って、一番重い20キロの「すけそうだら」を担いで鍛えた。(変態。狂ってる)
仕事を始めたので、トレーニングは夕方からになった。
今までは、午前中だったので「赤トレ」はすいていた。
僕一人なんて事もよくあった。
しかし、夕方は仕事を終えた「ボディービルダー」の巣窟だった。
「赤トレ」の壁には、「赤トレ」出身の「ボディービルダー」略して「ボビー」
(長いからね)さらに略して「赤ボビー」の写真がたくさん飾られている。
夕方には、その中の数人と、もーちょっとでその中の人たちが「いっぺー」いた。
なんだか、都会の地図を覚えて田舎から出てきた小僧が、都会でいきなり迷子になったみたいだった。
あたふたした。
呆然として「赤ボビー」のトレーニングにみとれた。
すんごい活気だった。みなさまの熱でガラスや鏡が曇って行く、、、、
若かった僕は身体の芯がアツくなるのを感じた。
(今の僕ならそんなことはない。岸部四郎さんの「後ろ向き 一週間に一日幸福ならいい」って本も読破したくらいだ)
で、目を輝かせてトレーニングに参加した。
この頃の僕のアイドルは「アーノルド・シュワルツェネガー」(おかしいぞ)
ミスター・オリンピアで、5回連続の王者に輝いていた。
ミス・オリとは(勝手に略すな)ボビーの世界一を決める、ミスター・ユニバースで優勝した、「世界一」の人たちだけが出場できる大会なのである。
出場できるだけでも「神」に近い。
シュワちゃんは(もちろん、まだそんな風には呼ばれていなかった)
その大会で、前人未到の5連覇を成し遂げて、ハリウッドデビューした。
「神」の中の「神」なのである。(まぁ、マニヤックな神ではあるが、、、)
もちろんシュワちゃん初主演映画(多分)「鋼鉄の男 パンピング・アイアン」だってみている。(かなり笑える、真面目な実録映画)
この映画をみて、ボディービルダーって子供の頃はみんな「いじめられっこ」だったことがよくわかった。
ちなみに、「パンピング」とはトレーニングでキンキンに張っている筋肉の状態のことである。
僕も毎日「パンピング」の歓びに浸っていた。
だんだん、夜の先輩たちにも(何だ?夜の先輩って)慣れてきた。
レベルが違うから一緒にトレーニングは出来なかったが、ちょっとづつ話してもらえるようになった。
話しを聞くと、ちょっとおもろかった。
「バーベルで『肩』鍛え過ぎて刺激を与え過ぎたのか、肩から毛が生えてきちゃったんだよ。はっはっは」
「え、え~?」
「ほら」
「ほ、ほんとだ!す、すんごい生えてる~」
他にも、腿になんかクリームを塗っている「夜の先輩」をじーっと見ていると、
「あぁ、『腿』鍛え過ぎてでかくなり過ぎちゃって『股擦れ』が痛いんだよ。はっはっは」
「え、え~?」
「ほら」
「ほ、ほんとだ!す、すんごいすれてる~」
こんな会話ばかりだった。
こんな会話しちゃー、おっぱいを「ピクピク」動かしたり、鏡みて「ポーズ」とったりしている。
なんか、危険な匂いのする(違う意味でね)集団だった。
でも、みんな笑顔がきれいだった。
「赤トレ」は目的を持った人の集まりだった。
「身体を鍛える」のを「生き甲斐」にしている人たちの集まりだった。
だから、居心地がよかったのかもしれない。
「赤トレ」のガラスの曇りは、「生き甲斐」を持ってトレーニングに励む人たちをやさしく包む「コクーン」だったのかもしれない。
続く。