赤羽トレーニングセンター その4 / 2006年11月08日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
突然ですが、僕は「大沢悠里のゆうゆうワイド」が大好きだ。(本当に突然だ)
今日も車で移動中に聞いていた。
あまりにも楽しかったので書かずにはいられなかった。
もう40年以上やっているらしい。
いつごろから聞き出したかは覚えていないけど、随分前から聞いている。冷凍食品の会社でバイトしていた20歳の時など、2屯トラックで「毎朝」聞いていた。
大沢悠里さんのやさしい声が好きだ。
ずーっと聞いていたい声なのだ。
TBSのアナウンサーだったのだが、語りがあまりにも見事で、とてもアナウンサーとは思えなかった。今までたくさんのレギュラーの方がいて、色々な話を聞かせてくれて、笑ったり、勉強になったり、ありがたいありがたい番組である。
その番組で、「まむちゃん」こと、毒蝮三太夫さんがコーナーを持っている。
まあ、説明するまでもないが。
僕は毒蝮三太夫さんが大好きだ。
とにかく好きだ。理由なんかいらないくらい好きだ。
子供の頃、僕の「マイ・マミー」がよくラジオを聞いていた。
その頃の「マミーたち」は、朝、家事をしながらみんなラジオを聞いていた。
ある日、実家の近くの西友に「まむちゃん」がやってきた。(もちろん、このラジオで)
当然、近所の「マミーたち」は「まむちゃん」に会いにいった。
興奮して帰ってきた我が家の「マイ・マミー」は(当然行ったんだね)握りしめた右拳の中の「ガーゼのハンカチ」(当時はみんなこれを持っていた)を誇らしげに僕に見せてくれた。
その「ガーゼのハンカチ」には、マジックで書かれた、かわいらしいヘビの絵とサインが書かれてあった。
子供ながらにちょっと感動した。
何故、毒蝮三太夫なんてちょっと恐い名前なのか、当時は全くわからなかったが、そのサインをみて恐さが吹き飛んだ。
数年前、撮影所で毒蝮さんと初めてお会いした。
隣でメークされていたので、ご挨拶させていただき、お話も少しさせていただいた。
「実は、僕の母が蝮さんのファンで、昔地元の西友にいらした時にサインをいただいた事があります」と言ってみた。
すると、「おー、覚えてるよ。蕨のな、西友。○年くらい前じゃないか?」
と、おっしゃって、懐かしそうに当時の事を詳しく話してくださった。
「そーかー、あなたのあかあさんが俺に会いにきてくれたのか、元気なのかい? よろしく言っといてな」と言ってくださった。
泣きそうになった。
しかし、当時の事や場所を、蝮さんが正確に覚えているのには、本当に驚いた。
番組は40年以上続いている。蝮さんは月曜から金曜まで「毎日違う場所」に行って、「毎日たくさんの人」に会っている。
考えられない。
蝮さんがどれだけ誠実に仕事をしているのかがわかった。
何故、40年以上も番組が続いているのかがわかった。
その時に、「じゃあさぁ、これお母さんにあげてよ」とバッチを二つとキーホルダーをいただいた。
これがいただいた「まむちゃんバッチ」と「キーホルダー」
人生八十寝てみて七日
と書いてある
せっかくなので「マイ・マミー」にバッチを一個あげて、あとは僕が戴く事にした。(何故だ?)
これからも、日本中で朝から「毒」を吐きまくっていただきたい。
そーいえば、ラジオ欄ってあんまり見た事なかったなって思って、なんとなく見てみた。(毎日新聞11、6)
大沢悠里のゆうゆうワイド
その中に「毒蝮だよ」って書いてあった、、、、、
なんだろー?
「だよ」って?
今朝の新聞も見てみた。
今日は「毒蝮」って書いてあった、、、、、
「だよ」がなくなっていた、、、、
ま、いっか。
我が家の「のぼるくん」がこの世に生を享けてから10ヶ月が経とうとしている。動物に興味の無かった僕も、流石に色々と世話をするようになっている。
今もちょっと目を離した隙に、クッションにオシッコしてくれていた。
今朝は雨が降っていたので、ベランダに行くのが嫌だったらしい。(のぼるくんはいつの間にか、ベランダを自分のトイレにしている)
お仕置きでゲージに入れたが、「すやすや」としあわせそーに寝ている。
風呂に入れたり、耳掃除したり、爪切ったり、、、、
しかも全部嫌がる。
短毛だが、たくさん毛が抜ける。
一日に何度もモップをかけて、掃除機もかけて、、、、
その度に「のぼるくん」は、まとわりついてきて邪魔をする。
あんまり掃除機を酷使したので、掃除機が突然息絶えた。
10年もがんばってくれた愛着のある掃除機だったが、新しい掃除機を「コストコ」に買いにいった。
もちろん、「コストコ」じゃなくてもよかった。
電気屋さんに行けばいい。
しかし、電気屋さんには「メープルシロップ」は売っていない。フッフッフ。
行ってみたらまたまた興奮したが、その話は前に書いたし、長くなるので、割愛する。しかし、当然余分な買い物もした、、、
掃除していると、「のぼるくん」はジョーズの様に近づいてくる。
そしてモップと戯れ、くわえて逃げる、、、
掃除機に吠えて掃除をさせてくれない、、、、
もー少ししたら、僕はノイローゼになるかもしれない。
で、散歩。
これが本当に大変。未だに「のぼるくん」は黙っていると歩かない。
日々、闘い。
犬を飼っていない人には理解出来ないと思うが、犬と散歩していると、実に多く の知らない人と会話をする。
まー、僕もいまだに理解は出来ないんだけど、、、、
犬を連れていると、犬を連れている人に出会う。
で、挨拶する。で、犬同士が遊ぶ。
その間に飼い主同士が会話する。
会った事も無い人と、普通に話す。で、色々な情報を交換したりする。
近所でも付き合いが全くなかったのに、「のぼるくん」を飼ってから、知り合い になった人がたくさんいる。
のぼるくんの散歩で出会ったお友達
僕が一人で一日中歩いても、多分誰とも話さない。
何だろう?犬って。
猫を散歩させている人に会ったことないから、多分、犬に限ったことなんだと思 うけど。
下北沢で、豚を散歩させている人を見たが、なかなか豚を連れている人には出会わないからな。
ちなみに「のぼるくん」は、散歩中に豚と間違われた事がある。
「最近、たまにみかけるんですよ。かわいい子豚ちゃんね」だって。
たしかに、色は豚色だが、(なんだ、豚色って?)顔みりゃわかんだろ。
(僕は黙っていたので、その女性はいまだにのぼるくんを豚だと思っているはず)
外国に行くと、道や、お店で必ず挨拶をされる。
これは、経験している人が多いと思うが、日本ではありえない。
コンビニでもお店の人は挨拶してくれるが、自動ドアが開いたら挨拶するってだけのことだ。たまに、帰りがけに「ありがとう」なんて言ってみると、店員さんがキョトンとする時がある。
昨日も、夕方散歩してたら、プードルを連れたおばあちゃんに会った。
20分近く立ち話をして別れたが、初めて会った人とするか?20分立ち話。
しかも、おばあちゃんがとてもうれしそうに話してくれている。
不思議で不思議で仕方がない。
犬を連れていない人とも話こんだ経験がある。
「かわいい犬ですね。私も犬を飼ってまして」とか、「飼いたいんですけど、マンションが、、、」とかで全く知らない人が話しかけてくる。
代々木公園に散歩に行くと、散歩中の犬たちの軽いコンミューンみたいなのが出来ている。
結構インパクトがある。
今も、近所の公園に散歩がてら、「10月桜」を見に行ってきた。
十月桜 ちょっと素敵でせう
ちなみに、昨日、散歩の途中で買った我が家の10月桜
満開だった。ちょっと感動していたら、女子高生が4人公園にやってきた。
全員英語で会話していた。
「のぼるくん」に気づくと、歓声をあげて近づいてきた。
リードを伸ばし「のぼるくん」を自由にしてあげた。
楽しそうにみんな笑っている。「のぼるくん」も笑っている。
ようにみえる。(僕にはこんな表情みせない)
男ってやつは、、、、
しばらく遊んでから4人と別れた。
20mくらい離れた時、「のぼるくん」が4人の方を振り向いた。
すると4人が大歓声をあげて走りよってきた。
首輪をはずし、「のぼるくん」を解放した。
すると、今までどんなにがんばっても、「散歩」で走った事のない「ばか犬」が、笑いながら走っていた、、、、、
ずーっと、、、、、
遊んでる途中で「名前はなんですか?」と日本語で聞かれた。
「勝村と言います!」と答えたかったが、我慢して「のぼるです」と答えた。
(アホか)
みんなで「のぼる!」「のぼる!」とちょっぴりイントネーションの違う呼び方で盛り上がっていた。
一人の子が「のぼるくんと写真撮ってもいいですか?」と聞いてきた。
なんてしっかりした子なんだろうと感心した。
僕も楽しく遊んでいる「4人と一匹」を写真に撮ろうと思ったが、犯罪のような気がしてやめておいた。
遊んでもらったお礼にジュースをプレゼントした。
4人は「先生がいなくて自習だったから、教室を抜け出してきちゃったんです」
と屈託のない笑顔で言った。
「許す!」と言いたかったが、「飲んだ缶は、ちゃんとゴミ箱に入れるんだよ」
と言って別れた。
全て、「のぼるくん」がいたからである。
普通なら考えられない。
何年か前、徳川綱吉のドラマに出た。
僕が日本史で習った綱吉は、所謂「ばか殿」だった。
しかし、そのドラマでは、綱吉に別の方向から光を当てて、違った解釈で綱吉像をつくっていた。
その解釈が、今の僕にはしっくりくる。
綱吉は、昨日会ったおばあちゃんだったんじゃないかしらん?
いきなり話しかけてきて、楽しそうに話し続ける若い女性だったんじゃないかしらん?自分の犬を自慢し続ける、ヒゲはやしたおじちゃんだったんじゃないかしらん?さっき会った、4人のバイリンガルな女子高生だったんじゃないかしらん?
綱吉は、人間も含めた「命」を大切にする人だったのかも知れない。
「生きる物」が大好きだった人なのかも知れない。(ま、乱暴な解釈だけど)
でも、そー考えるとしっくりくる。
「のぼるくん」の飼い主としては。
「のぼるくん」のおかげで、たくさんの思いもよらない体験ができたりしている。
そして今日も、「のぼるくん」は僕にたくさんの「仕事」をさせる。
甚だ迷惑ではあるが、、、、
僕の娘が「ダメ犬グー」って本を読んで、目が腫れるくらい泣いていた。
その本を「マイ・マミー」に読ませた。
彼女のおばあちゃんの「マイ・マミー」も号泣していた。
僕の娘も「のぼるくん」を飼っていなかったら、「ダメ犬グー」を読んであれほど号泣したんだろうか?
それはわからない。
「マイ・マミー」は犬飼ってないくせに、、、、
でも、娘の内側では「何か」が確実に変わってきている。
そんな「命」に「生き物」に感謝しつつ、今週もがんばって生きていきまっしょい!
あ、来週はロケで東京にいないので、更新が多分木曜になりやす。
あしからず。
『赤羽トレーニングセンター』 その4
半年間、休まずトレーニングを続けた。卵も休まず食べた。
身体が、凄い事になりはじめた。
まず、首が太くなっている。
腕もかなり太く、裏側には大きな「鳥のささみ」みたいな、見た事ない筋肉もついている。
おっぱいを「ピクピク」できるようになった。
脇の筋肉が「こうもり」が羽を広げた形に近づいてきた。
ウエストがキュッと細い。
腿が太くなり、腿の前面に蜘蛛の巣みたいな太い血管が浮いてきた。
60キロちょっとだった体重が、70キロを肥えはじめた。いや、超えはじめた。
この頃の僕は、何も恐くなかった。
軽自動車くらいなら持ち上げられるんじゃないかと真剣に思っていた。
シュワちゃんの「鋼鉄の男 パンピングアイアン」のボビーたちの言葉を身をもって理解できた。
「筋肉の鎧」獲得することで、内なる力がわいてきて、生まれながらの、それぞれの「コンプレックス」が解消できるのだ。
「自信」を持つ事によって。
そう、自信が持てるのだ。「自分に」。
三島由紀夫さんが40歳を過ぎてから「ボビー」を目指した。
田宮二郎さんのトレーニングも「ボビー」たちの伝説だった。
僕も初めて自分に「自信」らしきものが芽吹いた。
でも、僕は自分でわかっていた。
これは、自分の生き方ではないと。
ある日、コーチに呼ばれた。
「勝村、筋肉にも才能がある。お前は肩幅があるし、筋肉もつきやすい。ここんとこお前を真剣に見ていたんだけど、トレーニングも真面目だし(他にやる事ないからね)、時間もあるし(無職だかんね)、このまま真剣にやっていけば、北村(当時、東大卒のNo.1ボビー)みたいになれるかもしれない。どーだ、真剣にボディービルダーにならないか?」と言われた。
僕は、驚いた。
なんか、胸がアツくなった。
「必要とされるうれしさ」みたいな感情が沸き上がった。
「考えさせて下さい」と答えた。
それから僕は「赤トレ」にいっていない。
ちゃんとした理由は今でもわからない。
でも、僕が住める場所ではなかったんだと思う。
素敵でちょっと変わった人がいっぱいいた。
若かった僕に、たくさんのことを教えてくれた。
あんなに、食べる事を意識して食べた事はあれ以来ない。
あんなに集中して筋肉を意識して鍛えた事はない。
あんなに力があった時もない。
あんなに鏡で自分をみた事はない。
あんなに自分に自信があった事もない。
「赤トレ」は楽しいことだらけだった。
筋肉のなくなった今でも、ちょっとおっぱいを「ピクピク」できる。
血管もすんごいのが出るし、看護士さんに注射がしやすいと褒められる。
そして今でも「裸」で鏡のまえに立つと、
どうしても、ちょっぴり「ポーズ」をとってしまう。
やれやれ。である。
でも、そんな自分を決して嫌だとは思えない自分がいる。
今でも、「バーベル」や「ダンベル」を見ると、「赤トレ」の「ボビー」たち
「赤ボビー」を思い出す。
すっかりおじちゃんになった「夜の先輩」たちも、今でも「鏡」の前で「ポーズ」をとり、おっぱいを「ピクピク」させているに違いない。
いや、絶対に「ピクピク」させているはずである。
「肩」の毛をなびかせて。
突然ですが、僕は「大沢悠里のゆうゆうワイド」が大好きだ。(本当に突然だ)
今日も車で移動中に聞いていた。
あまりにも楽しかったので書かずにはいられなかった。
もう40年以上やっているらしい。
いつごろから聞き出したかは覚えていないけど、随分前から聞いている。冷凍食品の会社でバイトしていた20歳の時など、2屯トラックで「毎朝」聞いていた。
大沢悠里さんのやさしい声が好きだ。
ずーっと聞いていたい声なのだ。
TBSのアナウンサーだったのだが、語りがあまりにも見事で、とてもアナウンサーとは思えなかった。今までたくさんのレギュラーの方がいて、色々な話を聞かせてくれて、笑ったり、勉強になったり、ありがたいありがたい番組である。
その番組で、「まむちゃん」こと、毒蝮三太夫さんがコーナーを持っている。
まあ、説明するまでもないが。
僕は毒蝮三太夫さんが大好きだ。
とにかく好きだ。理由なんかいらないくらい好きだ。
子供の頃、僕の「マイ・マミー」がよくラジオを聞いていた。
その頃の「マミーたち」は、朝、家事をしながらみんなラジオを聞いていた。
ある日、実家の近くの西友に「まむちゃん」がやってきた。(もちろん、このラジオで)
当然、近所の「マミーたち」は「まむちゃん」に会いにいった。
興奮して帰ってきた我が家の「マイ・マミー」は(当然行ったんだね)握りしめた右拳の中の「ガーゼのハンカチ」(当時はみんなこれを持っていた)を誇らしげに僕に見せてくれた。
その「ガーゼのハンカチ」には、マジックで書かれた、かわいらしいヘビの絵とサインが書かれてあった。
子供ながらにちょっと感動した。
何故、毒蝮三太夫なんてちょっと恐い名前なのか、当時は全くわからなかったが、そのサインをみて恐さが吹き飛んだ。
数年前、撮影所で毒蝮さんと初めてお会いした。
隣でメークされていたので、ご挨拶させていただき、お話も少しさせていただいた。
「実は、僕の母が蝮さんのファンで、昔地元の西友にいらした時にサインをいただいた事があります」と言ってみた。
すると、「おー、覚えてるよ。蕨のな、西友。○年くらい前じゃないか?」
と、おっしゃって、懐かしそうに当時の事を詳しく話してくださった。
「そーかー、あなたのあかあさんが俺に会いにきてくれたのか、元気なのかい? よろしく言っといてな」と言ってくださった。
泣きそうになった。
しかし、当時の事や場所を、蝮さんが正確に覚えているのには、本当に驚いた。
番組は40年以上続いている。蝮さんは月曜から金曜まで「毎日違う場所」に行って、「毎日たくさんの人」に会っている。
考えられない。
蝮さんがどれだけ誠実に仕事をしているのかがわかった。
何故、40年以上も番組が続いているのかがわかった。
その時に、「じゃあさぁ、これお母さんにあげてよ」とバッチを二つとキーホルダーをいただいた。
これがいただいた「まむちゃんバッチ」と「キーホルダー」
人生八十寝てみて七日
と書いてある
せっかくなので「マイ・マミー」にバッチを一個あげて、あとは僕が戴く事にした。(何故だ?)
これからも、日本中で朝から「毒」を吐きまくっていただきたい。
そーいえば、ラジオ欄ってあんまり見た事なかったなって思って、なんとなく見てみた。(毎日新聞11、6)
大沢悠里のゆうゆうワイド
その中に「毒蝮だよ」って書いてあった、、、、、
なんだろー?
「だよ」って?
今朝の新聞も見てみた。
今日は「毒蝮」って書いてあった、、、、、
「だよ」がなくなっていた、、、、
ま、いっか。
我が家の「のぼるくん」がこの世に生を享けてから10ヶ月が経とうとしている。動物に興味の無かった僕も、流石に色々と世話をするようになっている。
今もちょっと目を離した隙に、クッションにオシッコしてくれていた。
今朝は雨が降っていたので、ベランダに行くのが嫌だったらしい。(のぼるくんはいつの間にか、ベランダを自分のトイレにしている)
お仕置きでゲージに入れたが、「すやすや」としあわせそーに寝ている。
風呂に入れたり、耳掃除したり、爪切ったり、、、、
しかも全部嫌がる。
短毛だが、たくさん毛が抜ける。
一日に何度もモップをかけて、掃除機もかけて、、、、
その度に「のぼるくん」は、まとわりついてきて邪魔をする。
あんまり掃除機を酷使したので、掃除機が突然息絶えた。
10年もがんばってくれた愛着のある掃除機だったが、新しい掃除機を「コストコ」に買いにいった。
もちろん、「コストコ」じゃなくてもよかった。
電気屋さんに行けばいい。
しかし、電気屋さんには「メープルシロップ」は売っていない。フッフッフ。
行ってみたらまたまた興奮したが、その話は前に書いたし、長くなるので、割愛する。しかし、当然余分な買い物もした、、、
掃除していると、「のぼるくん」はジョーズの様に近づいてくる。
そしてモップと戯れ、くわえて逃げる、、、
掃除機に吠えて掃除をさせてくれない、、、、
もー少ししたら、僕はノイローゼになるかもしれない。
で、散歩。
これが本当に大変。未だに「のぼるくん」は黙っていると歩かない。
日々、闘い。
犬を飼っていない人には理解出来ないと思うが、犬と散歩していると、実に多く の知らない人と会話をする。
まー、僕もいまだに理解は出来ないんだけど、、、、
犬を連れていると、犬を連れている人に出会う。
で、挨拶する。で、犬同士が遊ぶ。
その間に飼い主同士が会話する。
会った事も無い人と、普通に話す。で、色々な情報を交換したりする。
近所でも付き合いが全くなかったのに、「のぼるくん」を飼ってから、知り合い になった人がたくさんいる。
のぼるくんの散歩で出会ったお友達
僕が一人で一日中歩いても、多分誰とも話さない。
何だろう?犬って。
猫を散歩させている人に会ったことないから、多分、犬に限ったことなんだと思 うけど。
下北沢で、豚を散歩させている人を見たが、なかなか豚を連れている人には出会わないからな。
ちなみに「のぼるくん」は、散歩中に豚と間違われた事がある。
「最近、たまにみかけるんですよ。かわいい子豚ちゃんね」だって。
たしかに、色は豚色だが、(なんだ、豚色って?)顔みりゃわかんだろ。
(僕は黙っていたので、その女性はいまだにのぼるくんを豚だと思っているはず)
外国に行くと、道や、お店で必ず挨拶をされる。
これは、経験している人が多いと思うが、日本ではありえない。
コンビニでもお店の人は挨拶してくれるが、自動ドアが開いたら挨拶するってだけのことだ。たまに、帰りがけに「ありがとう」なんて言ってみると、店員さんがキョトンとする時がある。
昨日も、夕方散歩してたら、プードルを連れたおばあちゃんに会った。
20分近く立ち話をして別れたが、初めて会った人とするか?20分立ち話。
しかも、おばあちゃんがとてもうれしそうに話してくれている。
不思議で不思議で仕方がない。
犬を連れていない人とも話こんだ経験がある。
「かわいい犬ですね。私も犬を飼ってまして」とか、「飼いたいんですけど、マンションが、、、」とかで全く知らない人が話しかけてくる。
代々木公園に散歩に行くと、散歩中の犬たちの軽いコンミューンみたいなのが出来ている。
結構インパクトがある。
今も、近所の公園に散歩がてら、「10月桜」を見に行ってきた。
十月桜 ちょっと素敵でせう
ちなみに、昨日、散歩の途中で買った我が家の10月桜
満開だった。ちょっと感動していたら、女子高生が4人公園にやってきた。
全員英語で会話していた。
「のぼるくん」に気づくと、歓声をあげて近づいてきた。
リードを伸ばし「のぼるくん」を自由にしてあげた。
楽しそうにみんな笑っている。「のぼるくん」も笑っている。
ようにみえる。(僕にはこんな表情みせない)
男ってやつは、、、、
しばらく遊んでから4人と別れた。
20mくらい離れた時、「のぼるくん」が4人の方を振り向いた。
すると4人が大歓声をあげて走りよってきた。
首輪をはずし、「のぼるくん」を解放した。
すると、今までどんなにがんばっても、「散歩」で走った事のない「ばか犬」が、笑いながら走っていた、、、、、
ずーっと、、、、、
遊んでる途中で「名前はなんですか?」と日本語で聞かれた。
「勝村と言います!」と答えたかったが、我慢して「のぼるです」と答えた。
(アホか)
みんなで「のぼる!」「のぼる!」とちょっぴりイントネーションの違う呼び方で盛り上がっていた。
一人の子が「のぼるくんと写真撮ってもいいですか?」と聞いてきた。
なんてしっかりした子なんだろうと感心した。
僕も楽しく遊んでいる「4人と一匹」を写真に撮ろうと思ったが、犯罪のような気がしてやめておいた。
遊んでもらったお礼にジュースをプレゼントした。
4人は「先生がいなくて自習だったから、教室を抜け出してきちゃったんです」
と屈託のない笑顔で言った。
「許す!」と言いたかったが、「飲んだ缶は、ちゃんとゴミ箱に入れるんだよ」
と言って別れた。
全て、「のぼるくん」がいたからである。
普通なら考えられない。
何年か前、徳川綱吉のドラマに出た。
僕が日本史で習った綱吉は、所謂「ばか殿」だった。
しかし、そのドラマでは、綱吉に別の方向から光を当てて、違った解釈で綱吉像をつくっていた。
その解釈が、今の僕にはしっくりくる。
綱吉は、昨日会ったおばあちゃんだったんじゃないかしらん?
いきなり話しかけてきて、楽しそうに話し続ける若い女性だったんじゃないかしらん?自分の犬を自慢し続ける、ヒゲはやしたおじちゃんだったんじゃないかしらん?さっき会った、4人のバイリンガルな女子高生だったんじゃないかしらん?
綱吉は、人間も含めた「命」を大切にする人だったのかも知れない。
「生きる物」が大好きだった人なのかも知れない。(ま、乱暴な解釈だけど)
でも、そー考えるとしっくりくる。
「のぼるくん」の飼い主としては。
「のぼるくん」のおかげで、たくさんの思いもよらない体験ができたりしている。
そして今日も、「のぼるくん」は僕にたくさんの「仕事」をさせる。
甚だ迷惑ではあるが、、、、
僕の娘が「ダメ犬グー」って本を読んで、目が腫れるくらい泣いていた。
その本を「マイ・マミー」に読ませた。
彼女のおばあちゃんの「マイ・マミー」も号泣していた。
僕の娘も「のぼるくん」を飼っていなかったら、「ダメ犬グー」を読んであれほど号泣したんだろうか?
それはわからない。
「マイ・マミー」は犬飼ってないくせに、、、、
でも、娘の内側では「何か」が確実に変わってきている。
そんな「命」に「生き物」に感謝しつつ、今週もがんばって生きていきまっしょい!
あ、来週はロケで東京にいないので、更新が多分木曜になりやす。
あしからず。
『赤羽トレーニングセンター』 その4
半年間、休まずトレーニングを続けた。卵も休まず食べた。
身体が、凄い事になりはじめた。
まず、首が太くなっている。
腕もかなり太く、裏側には大きな「鳥のささみ」みたいな、見た事ない筋肉もついている。
おっぱいを「ピクピク」できるようになった。
脇の筋肉が「こうもり」が羽を広げた形に近づいてきた。
ウエストがキュッと細い。
腿が太くなり、腿の前面に蜘蛛の巣みたいな太い血管が浮いてきた。
60キロちょっとだった体重が、70キロを肥えはじめた。いや、超えはじめた。
この頃の僕は、何も恐くなかった。
軽自動車くらいなら持ち上げられるんじゃないかと真剣に思っていた。
シュワちゃんの「鋼鉄の男 パンピングアイアン」のボビーたちの言葉を身をもって理解できた。
「筋肉の鎧」獲得することで、内なる力がわいてきて、生まれながらの、それぞれの「コンプレックス」が解消できるのだ。
「自信」を持つ事によって。
そう、自信が持てるのだ。「自分に」。
三島由紀夫さんが40歳を過ぎてから「ボビー」を目指した。
田宮二郎さんのトレーニングも「ボビー」たちの伝説だった。
僕も初めて自分に「自信」らしきものが芽吹いた。
でも、僕は自分でわかっていた。
これは、自分の生き方ではないと。
ある日、コーチに呼ばれた。
「勝村、筋肉にも才能がある。お前は肩幅があるし、筋肉もつきやすい。ここんとこお前を真剣に見ていたんだけど、トレーニングも真面目だし(他にやる事ないからね)、時間もあるし(無職だかんね)、このまま真剣にやっていけば、北村(当時、東大卒のNo.1ボビー)みたいになれるかもしれない。どーだ、真剣にボディービルダーにならないか?」と言われた。
僕は、驚いた。
なんか、胸がアツくなった。
「必要とされるうれしさ」みたいな感情が沸き上がった。
「考えさせて下さい」と答えた。
それから僕は「赤トレ」にいっていない。
ちゃんとした理由は今でもわからない。
でも、僕が住める場所ではなかったんだと思う。
素敵でちょっと変わった人がいっぱいいた。
若かった僕に、たくさんのことを教えてくれた。
あんなに、食べる事を意識して食べた事はあれ以来ない。
あんなに集中して筋肉を意識して鍛えた事はない。
あんなに力があった時もない。
あんなに鏡で自分をみた事はない。
あんなに自分に自信があった事もない。
「赤トレ」は楽しいことだらけだった。
筋肉のなくなった今でも、ちょっとおっぱいを「ピクピク」できる。
血管もすんごいのが出るし、看護士さんに注射がしやすいと褒められる。
そして今でも「裸」で鏡のまえに立つと、
どうしても、ちょっぴり「ポーズ」をとってしまう。
やれやれ。である。
でも、そんな自分を決して嫌だとは思えない自分がいる。
今でも、「バーベル」や「ダンベル」を見ると、「赤トレ」の「ボビー」たち
「赤ボビー」を思い出す。
すっかりおじちゃんになった「夜の先輩」たちも、今でも「鏡」の前で「ポーズ」をとり、おっぱいを「ピクピク」させているに違いない。
いや、絶対に「ピクピク」させているはずである。
「肩」の毛をなびかせて。
了。