硫黄島からのブログ。 / 2008年03月26日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
硫黄島からのブログ。
先週、普通は行く事の出来ない「場所」と書きましたが、その「場所」とは、
硫黄島でした。
信じられないでしょうが、本当です。
19日に行ってきました。
前日は、仕事で千葉の館山の近くでナイターの(夜間)ロケをしていました。
大分暖かくなってきましたが、さすがに館山の近くは空気がきれいで...寒くて寒くて、口から出る息が白く見えていたほどでした。
当日の東京の天気は、雨になるとゆう予報でした。
朝、5時に起きて、入間のホテルに向かいました。
母親が、前日から泊まっていたからです。
あちきの母親は、台東区の鳥越の出身です。
江戸っ子というやつです。
母が小学四年生の時、母の兄が結核を患っていました。
となり組の人が心配してくれて、兄を空気のきれいな場所に連れて行きなさいと、「硫黄島」を紹介してくれたそうです。
何故、「硫黄島」だったのか?
何故、母の家族は「硫黄島」への引っ越しを受け入れたのか、今となっては、わかりません。
もっと近くでも療養に適した場所はいくらでもあったと思います。
何不自由なく鳥越で暮らしていた五人家族が、兄の病気を治すために「硫黄島」に居を移しました。
当時「硫黄島」は、船で5日間かかったそうです。
船に乗った事の無い小学四年生の母は、すぐに船に酔い、憔悴しきってしまい、なんでこんなつらい思いをしなければならないのだろう?と、逆恨みをしてしまい、着く前から「硫黄島」が嫌で仕方が無かった。と言っていました。
島に着いても、いつまでも船に乗っているようで、気分が悪くて悪くて、島の印象は最悪だったようです。
当時、島は松明を使っていたそうです。
川が無く、水は「雨」が頼りだったそうです。
島には、二年間くらい住んだそうです。
兄の結核は治らなかったようです。
東京に戻って、(と言っても「硫黄島」も東京ですが)すぐに「東京大空襲」にあったそうです。
そんな理由で、あちきは子供の頃から「硫黄島」の事をずっと聞いて知っていました。
そう、当時は「いおうとう」と呼ばれていましたが、いつの間にか「いおうじま」と呼ばれるようになり、最近また「いおうとう」が正式名称になったようです。
数年前に「硫黄島」をクリントイーストウッドが映画にしました。
同じ時期に、フジテレビでも2時間のドラマにもなりました。
このドラマに、あちきは参加させていただきました。
映画は、陸軍の栗林中将がメインでしたが、ドラマは海軍の市丸中将がメインになっていました。
あちきは、市丸中将にとてもかわいがっていただいた、閣下と同県人の松本とゆう、生きのびる事を命令された、兵隊の役で出演させていただきました。
強く、「運命」を感じました。
余談だが、ドラマで同じシーンが多かった柳野くんは、市丸中将との最後のシーンで、スタッフから手渡された、小道具の「はがき」を持ったまま、立ち尽くしていた。
「どうした?」と聞いたら、
「はがきの住所を何気なく見たら、自分の実家の、大阪の住所なんです。」と言って目にうっすら涙を浮かべていた。
側で話を聞いていたみんなに「鳥肌」が立ったのはゆうまでもない。
強く、「運命」を感じた。
他にも、あちきの知らなかった「硫黄島」の歴史をたくさん学ぶ事ができた。
敗戦から数十年たって、当時、「硫黄島」に住んでいた人達が、「墓参」ができるようになった。
もちろん、民間人は「硫黄島」に行く事は出来ない。
島は、海上自衛隊の管理下にあるからだ。
相変わらず、「水」はない。
母は、最初一人で「硫黄島」に「墓参」に行っていた。
数年前から、島民だった方たちの年齢が高くなってきたので、一親等のみ、「付き添い」が許された。
その後母は、父に付き添いを頼み、夫婦で「墓参」に行った。
何故、あちきが「硫黄島」に行く事が出来たのか、これでわかっていただけたでしょう。
ホテルまで「自衛隊」の方の運転するバスが迎えにきてくれた。
そのまま、基地に入り、説明を受け、60人乗りくらいの自衛隊機に、飛行機のお尻から乗り込んだ。
旅客機ではないからだ。
耳栓を渡された。
旅客機ではないからだ。
入間は肌寒く、今にも雨が降り出しそうだった。
飛行機には小さな窓が少ししかついておらず、シートベルトをつけているので、外を見る事は困難である。
何処か、知らない戦地にでも連れて行かれるような錯覚に陥る。
轟音を2時間くらい聞いて、「硫黄島」に着いた。
耳栓はつけなかった。
飛行機のお尻が開いた。
熱風があちきたちを包んだ。
「硫黄島」は亜熱帯に属し、年間平均気温22度の熱帯性気候に恵まれ、ハイビスカス、はまゆう、パパイヤ、パイナップル、バナナなどの熱帯植物が随所にみられる。
と、お土産の絵はがきの裏に書いてある。
まったく、その通りだった。
同じ東京なのに、沖縄の島にバカンスで来たような気になった。
すぐに汗が吹き出し出始めた。
みんな、着ている上着を申し合わせたように脱ぎ始めた。
まず、休憩。
何度も書くが、旅客機に乗っていた訳ではないので、2時間の飛行でも、相当、精神的、肉体的に消耗する。
そして、食事のお弁当が支給された。
何だか、不思議な感じがした。
朝ごはんを食べていたので、あまりお腹が空いていなかったが、この島で食べ物を「残す」とゆうことが「大罪」のような気がして、一生懸命食べた。
バス2台。車2台で出発した。
まず、204設営地に行った。
ここは、釜場だった。
大きな釜が五つあった。
木が生い茂った場所に隠れるように設営されている。
火を焚いている時は、煙が出ないように覆いをしていたそうだ。
説明してくださる自衛官が、赤い蟻に気をつけて下さいと言っていた。
外来種で(アメリカ軍の何かに紛れて運ばれたと思われる)噛むとゆうより、刺されるようだが、刺されると毒で相当腫れてしまうらしい。
全部で9カ所まわった。
平和記念会館、島民墓地では、みなそれぞれが持ってきた、花、お線香、水、酒、お菓子などを供えた。
映画で有名になった「摺鉢山」に登ると、島全体が見える絶景だった。
とても素敵な島だった。
あたたかくて、空気が良くて、静かで、きれいな島だった。
素敵な島だが、昔、母の兄の結核を治す為に、この島に移り住むように助言してくれた、となり組の人の気持ちはわからなかった。
バスで隣になったおばあちゃんは、まわりの景色を見ながら、独り言のように、当時の島のこと、ここに何があったかとか、ずーっとしゃべっていた。
誰に聞かせる訳でもなく、自分で一つ一つ確認するように、思い出すように、ずーっと一人でしゃべっていた。
他にも、ここに何々があったんだよな。とか、おじいちゃんがここらへんに住んでいたんだよ。とか、それぞれが話し合ったり、うなずきあったりしていた。
母は、島民墓地を離れる時、「もう、これないから、もう、これないから」と二回つぶやいてから頭を下げ、ちょっと涙をこぼした。
母は、杖をついている。
多分、あちきを連れてくる事ができたし、身体と年齢を考えて、今回の墓参で終わりにしようと思っていたようだ。
摺鉢山で、母はバスを降りなかった。
足が悪いからだ。
バスは頂上のすぐ側まで入ることができる。
母は、三回「硫黄島」を訪れている。
家族が亡くなった訳ではない。
母に理由を聞くと、「お世話になった兵隊さんがたくさんいたからだよ」と答えた。
あちきが、摺鉢山の頂上でみんなから離れ、海を見ていたら二頭の鯨が潮を噴きながら、何度も頭を海上に出していた。
回りを見ると誰も気がついていない。
教えてあげようかと思ったが、止めておいた。
何かが壊れてしまうと思ったからだ。
バスに戻り母にだけ教えた。
母は、微笑んでいた。
点呼が終わり、同じ飛行機で、同じ轟音を聞き、入間に戻った。
冷たい雨が降っていた。
何が現実かわからなくなりかけた。
さっきまで、暑くて、ハイビスカスやブーゲンビリアが咲いている東京にいた。
そして今、寒くて、冷たい雨の降っている東京にいる。
夢を見ていたんじゃないかと思ってしまった。
全部「夢」だったらよかったのに。
あちきが「硫黄島」に行った事が、「夢」だったらどんなによかったか。
全部「夢」だったら、何万人も、こんな小さくて、何も無いきれいな島で、命を落とさなくてもよかったのに。
全部「夢」だったらよかったのに。
あちきが目を開けたら、小学校四年生の、あちきのあにきの子供の頃にそっくりな顔をした、船の長旅に酔い、ちょっと青ざめた顔をした女の子に、希望に満ちあふれた目をした、あちきにそっくりの足の甲をした、妙に不機嫌な女の子に会えたかもしれない。
結核の兄の療養に来た、島に戸惑うちょっと浮いた雰囲気の家族に会えたかもしれない。
何も音の聞こえない世界に紛れ込んでしまった。
何も聞こえない海で、二頭の鯨が潮を吹いている。
何も聞こえない森で、赤い蟻が何百匹も動いている。
何も聞こえない丘で、母が目から赤い涙を流している。
何も聞こえない空で、アジサシがたくさん飛んでいる。
何も聞こえない。
何も聞こえない。
何も聞こえない。
空からゆっくりと、はがきが降ってくる。
あちきが拾う。
よく見ると、それはあちきではなく、柳野だった。
柳野も泣いている。
柳野の涙があちきに降り注いだ。
顔をあげると、冷たい雨だった。
急に音が戻った。
まわりを見ると、朝来たホテルの駐車場だった。
それぞれ、なんとなく挨拶したり、「来年も行きましょうね」「お元気で」などと声をかけている。
後ろを見ると、母が杖をついて立っていた。
あちきが渋谷で買ってあげた、緑色の杖だ。
すりへってきた、杖の底のゴムを変えてあげなくちゃ。
まだまだ、お前には働いてもらわなくちゃいけないから。
もう「硫黄島」には行く事は無いと思う。
目をつぶると、二頭の鯨が楽しそうにゆっくりと泳いでいる。
あちきが、硫黄島に行こうが行くまいが。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
硫黄島からのブログ。
先週、普通は行く事の出来ない「場所」と書きましたが、その「場所」とは、
硫黄島でした。
信じられないでしょうが、本当です。
19日に行ってきました。
前日は、仕事で千葉の館山の近くでナイターの(夜間)ロケをしていました。
大分暖かくなってきましたが、さすがに館山の近くは空気がきれいで...寒くて寒くて、口から出る息が白く見えていたほどでした。
当日の東京の天気は、雨になるとゆう予報でした。
朝、5時に起きて、入間のホテルに向かいました。
母親が、前日から泊まっていたからです。
あちきの母親は、台東区の鳥越の出身です。
江戸っ子というやつです。
母が小学四年生の時、母の兄が結核を患っていました。
となり組の人が心配してくれて、兄を空気のきれいな場所に連れて行きなさいと、「硫黄島」を紹介してくれたそうです。
何故、「硫黄島」だったのか?
何故、母の家族は「硫黄島」への引っ越しを受け入れたのか、今となっては、わかりません。
もっと近くでも療養に適した場所はいくらでもあったと思います。
何不自由なく鳥越で暮らしていた五人家族が、兄の病気を治すために「硫黄島」に居を移しました。
当時「硫黄島」は、船で5日間かかったそうです。
船に乗った事の無い小学四年生の母は、すぐに船に酔い、憔悴しきってしまい、なんでこんなつらい思いをしなければならないのだろう?と、逆恨みをしてしまい、着く前から「硫黄島」が嫌で仕方が無かった。と言っていました。
島に着いても、いつまでも船に乗っているようで、気分が悪くて悪くて、島の印象は最悪だったようです。
当時、島は松明を使っていたそうです。
川が無く、水は「雨」が頼りだったそうです。
島には、二年間くらい住んだそうです。
兄の結核は治らなかったようです。
東京に戻って、(と言っても「硫黄島」も東京ですが)すぐに「東京大空襲」にあったそうです。
そんな理由で、あちきは子供の頃から「硫黄島」の事をずっと聞いて知っていました。
そう、当時は「いおうとう」と呼ばれていましたが、いつの間にか「いおうじま」と呼ばれるようになり、最近また「いおうとう」が正式名称になったようです。
数年前に「硫黄島」をクリントイーストウッドが映画にしました。
同じ時期に、フジテレビでも2時間のドラマにもなりました。
このドラマに、あちきは参加させていただきました。
映画は、陸軍の栗林中将がメインでしたが、ドラマは海軍の市丸中将がメインになっていました。
あちきは、市丸中将にとてもかわいがっていただいた、閣下と同県人の松本とゆう、生きのびる事を命令された、兵隊の役で出演させていただきました。
強く、「運命」を感じました。
余談だが、ドラマで同じシーンが多かった柳野くんは、市丸中将との最後のシーンで、スタッフから手渡された、小道具の「はがき」を持ったまま、立ち尽くしていた。
「どうした?」と聞いたら、
「はがきの住所を何気なく見たら、自分の実家の、大阪の住所なんです。」と言って目にうっすら涙を浮かべていた。
側で話を聞いていたみんなに「鳥肌」が立ったのはゆうまでもない。
強く、「運命」を感じた。
他にも、あちきの知らなかった「硫黄島」の歴史をたくさん学ぶ事ができた。
敗戦から数十年たって、当時、「硫黄島」に住んでいた人達が、「墓参」ができるようになった。
もちろん、民間人は「硫黄島」に行く事は出来ない。
島は、海上自衛隊の管理下にあるからだ。
相変わらず、「水」はない。
母は、最初一人で「硫黄島」に「墓参」に行っていた。
数年前から、島民だった方たちの年齢が高くなってきたので、一親等のみ、「付き添い」が許された。
その後母は、父に付き添いを頼み、夫婦で「墓参」に行った。
何故、あちきが「硫黄島」に行く事が出来たのか、これでわかっていただけたでしょう。
ホテルまで「自衛隊」の方の運転するバスが迎えにきてくれた。
そのまま、基地に入り、説明を受け、60人乗りくらいの自衛隊機に、飛行機のお尻から乗り込んだ。
旅客機ではないからだ。
耳栓を渡された。
旅客機ではないからだ。
入間は肌寒く、今にも雨が降り出しそうだった。
飛行機には小さな窓が少ししかついておらず、シートベルトをつけているので、外を見る事は困難である。
何処か、知らない戦地にでも連れて行かれるような錯覚に陥る。
轟音を2時間くらい聞いて、「硫黄島」に着いた。
耳栓はつけなかった。
飛行機のお尻が開いた。
熱風があちきたちを包んだ。
「硫黄島」は亜熱帯に属し、年間平均気温22度の熱帯性気候に恵まれ、ハイビスカス、はまゆう、パパイヤ、パイナップル、バナナなどの熱帯植物が随所にみられる。
と、お土産の絵はがきの裏に書いてある。
まったく、その通りだった。
同じ東京なのに、沖縄の島にバカンスで来たような気になった。
すぐに汗が吹き出し出始めた。
みんな、着ている上着を申し合わせたように脱ぎ始めた。
まず、休憩。
何度も書くが、旅客機に乗っていた訳ではないので、2時間の飛行でも、相当、精神的、肉体的に消耗する。
そして、食事のお弁当が支給された。
何だか、不思議な感じがした。
朝ごはんを食べていたので、あまりお腹が空いていなかったが、この島で食べ物を「残す」とゆうことが「大罪」のような気がして、一生懸命食べた。
バス2台。車2台で出発した。
まず、204設営地に行った。
ここは、釜場だった。
大きな釜が五つあった。
木が生い茂った場所に隠れるように設営されている。
火を焚いている時は、煙が出ないように覆いをしていたそうだ。
説明してくださる自衛官が、赤い蟻に気をつけて下さいと言っていた。
外来種で(アメリカ軍の何かに紛れて運ばれたと思われる)噛むとゆうより、刺されるようだが、刺されると毒で相当腫れてしまうらしい。
全部で9カ所まわった。
平和記念会館、島民墓地では、みなそれぞれが持ってきた、花、お線香、水、酒、お菓子などを供えた。
映画で有名になった「摺鉢山」に登ると、島全体が見える絶景だった。
とても素敵な島だった。
あたたかくて、空気が良くて、静かで、きれいな島だった。
素敵な島だが、昔、母の兄の結核を治す為に、この島に移り住むように助言してくれた、となり組の人の気持ちはわからなかった。
バスで隣になったおばあちゃんは、まわりの景色を見ながら、独り言のように、当時の島のこと、ここに何があったかとか、ずーっとしゃべっていた。
誰に聞かせる訳でもなく、自分で一つ一つ確認するように、思い出すように、ずーっと一人でしゃべっていた。
他にも、ここに何々があったんだよな。とか、おじいちゃんがここらへんに住んでいたんだよ。とか、それぞれが話し合ったり、うなずきあったりしていた。
母は、島民墓地を離れる時、「もう、これないから、もう、これないから」と二回つぶやいてから頭を下げ、ちょっと涙をこぼした。
母は、杖をついている。
多分、あちきを連れてくる事ができたし、身体と年齢を考えて、今回の墓参で終わりにしようと思っていたようだ。
摺鉢山で、母はバスを降りなかった。
足が悪いからだ。
バスは頂上のすぐ側まで入ることができる。
母は、三回「硫黄島」を訪れている。
家族が亡くなった訳ではない。
母に理由を聞くと、「お世話になった兵隊さんがたくさんいたからだよ」と答えた。
あちきが、摺鉢山の頂上でみんなから離れ、海を見ていたら二頭の鯨が潮を噴きながら、何度も頭を海上に出していた。
回りを見ると誰も気がついていない。
教えてあげようかと思ったが、止めておいた。
何かが壊れてしまうと思ったからだ。
バスに戻り母にだけ教えた。
母は、微笑んでいた。
点呼が終わり、同じ飛行機で、同じ轟音を聞き、入間に戻った。
冷たい雨が降っていた。
何が現実かわからなくなりかけた。
さっきまで、暑くて、ハイビスカスやブーゲンビリアが咲いている東京にいた。
そして今、寒くて、冷たい雨の降っている東京にいる。
夢を見ていたんじゃないかと思ってしまった。
全部「夢」だったらよかったのに。
あちきが「硫黄島」に行った事が、「夢」だったらどんなによかったか。
全部「夢」だったら、何万人も、こんな小さくて、何も無いきれいな島で、命を落とさなくてもよかったのに。
全部「夢」だったらよかったのに。
あちきが目を開けたら、小学校四年生の、あちきのあにきの子供の頃にそっくりな顔をした、船の長旅に酔い、ちょっと青ざめた顔をした女の子に、希望に満ちあふれた目をした、あちきにそっくりの足の甲をした、妙に不機嫌な女の子に会えたかもしれない。
結核の兄の療養に来た、島に戸惑うちょっと浮いた雰囲気の家族に会えたかもしれない。
何も音の聞こえない世界に紛れ込んでしまった。
何も聞こえない海で、二頭の鯨が潮を吹いている。
何も聞こえない森で、赤い蟻が何百匹も動いている。
何も聞こえない丘で、母が目から赤い涙を流している。
何も聞こえない空で、アジサシがたくさん飛んでいる。
何も聞こえない。
何も聞こえない。
何も聞こえない。
空からゆっくりと、はがきが降ってくる。
あちきが拾う。
よく見ると、それはあちきではなく、柳野だった。
柳野も泣いている。
柳野の涙があちきに降り注いだ。
顔をあげると、冷たい雨だった。
急に音が戻った。
まわりを見ると、朝来たホテルの駐車場だった。
それぞれ、なんとなく挨拶したり、「来年も行きましょうね」「お元気で」などと声をかけている。
後ろを見ると、母が杖をついて立っていた。
あちきが渋谷で買ってあげた、緑色の杖だ。
すりへってきた、杖の底のゴムを変えてあげなくちゃ。
まだまだ、お前には働いてもらわなくちゃいけないから。
もう「硫黄島」には行く事は無いと思う。
目をつぶると、二頭の鯨が楽しそうにゆっくりと泳いでいる。
あちきが、硫黄島に行こうが行くまいが。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
花粉、エアコン、そして遊園地 / 2008年03月19日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
花粉で動けません、、、、、
花粉の野郎とは、28年のつき合いです。
もう、家族みたいなもんです。朝から晩まで一緒。
食事の時も、風呂の時も、トイレだって一緒です。
こんなに仲のいい仲間は珍しい。
一昔前は、春のある時期だけだったけど、今は一年中ほとんど一緒。
わかれよう
頼むから、、、、、、、、
あちきの前からいなくなってくれ、、、、、、、、、
月曜日は久々にティッシュ1箱、使わせてもらったよ。
鼻の周り真っ赤っかだよ。
もう、いやだよ。
いいおじちゃんが、鼻の周り真っ赤にして、真っ赤な涙目をして、鼻水たらしてるなんて、、、、、、
壊れた水道みたいに、、、、、
もういい!
もう、書かない!
どーせ別れられないんだし!
花粉の野郎が調子に乗る気がするし!
花粉症を愛する皆様、ご機嫌いかがですか?かふむらまさのふです。
話題を変えましょう。
エアコン、直りました。
おかげさまで、、、、、、、
いや、電気屋さんのおかげさまで。
日曜日の朝、工事の人がやってきて、手際のよい仕事で、夕方までかかるっていってたのに、2時前には工事が完了していた。さすが。
よ!
電気屋!
すみません。
真新しいエア太郎とエア次郎は(無理すんな)見た目には全く変わっていなかった。
リモ吉とリモ太は倍くらいの大きさになっている。
室外機の、室外 機一郎は(もうやめるね)横が狭くなり、背が高くなってソフィストケイトされている。
エアコンが交換されてから、我がリビングでは、リモコンのスイッチを入れていない、、、、、、
理由は簡単。
あったかいからだ、、、、、
みなさんも、あちきも、心の隅で思っていたのだ。
16日なんかに交換したって、どうせ暖かくなってるよと、、、、
びっくりするほど、予想は当たっていた、、、、、、、
ここで、東京の勝村さんから川柳が届きました。
待望の
エアコンようやく直ったが
あまりの気温に
リモコンとシリコンとロボコンとマザコン(詠み人知らず)
こんな心境なのです。(わかるか!)
話題を変えましょう。
サッカーのシーズンになってまいりました。
今年で45歳になるおじちゃんは、シニアリーグに所属しておりまして、トーナメント戦、リーグ戦と開幕の嵐です。
実はあちきは、去年のリーグ戦での怪我、キルの稽古中の足の指の剥離骨折が完治しておらず、安静が必要なのですが、サッカー人生のカウントダウンが始まっております。
休む訳にはいかんのです!
5年くらい前には、3チームに所属してまして、多い時には週に3試合くらいこなした時期もありました。(Jリーガーかよ)
先日はオーバー50の日本一のチームと戦いました。
0-3で完敗でした。
そのチームの先輩方は、「50歳過ぎてもサッカーを続けられるなんて考えても見なかった」とおっしゃっていた。
Jリーグのおかげで、草サッカー野郎どもはしあわせな時間を過ごせているのだ。
あちきも、がんばるのだ。
あ!土曜日には、朝から仕事して、夜の仕事まで5時間空いた。
あちきは、迷わず、大御所漫画家の望月三起也さんのチームに誘われていたので(時間が読めず断っていたのよ)、新木場の現場から、保土ヶ谷公園グラウンドまで試合をしにいった。
その時に、4チームの総当たりだったのだが、超先輩チームも来ていて、ゲームに参加していた方の中に、80歳を超えている方がいた。
脱帽である。
素敵な時代になったもんだ。(昔のことは知らないけど)
あ、わすれてた。
我が娘が、ウイークデイに休みだった。
「ねぃ、せっかく休みなんだから、遊園地に連れて行って」
「いーよ」
「とーちゃんは休み?」
「休み。ちみは運がいいね」(こんな時には休みなのだ。神様サンキュ)
「友達も誘っていい?」
「もちろんだよ。どこの遊園地がいい?」
「としまえんか、こうらくえん」
「素晴らしい選択だよ」
「○○がねぇ(友達の名前ね)としまえんが面白かったって言ってたんだよ」
「じゃぁ、としまえん行こ」
「遠い?」
「近い」
ってなやりとりおして出かけた。
友達は一人だった。
普通の日に、小学5年生の女の子二人、おじちゃん一人の遊園地の旅に出発。
友達と一緒だと、娘はいつもの雰囲気と違う。
友達の前にとーちゃんがいる緊張感といつもの友達とのリラックス感。複雑な感情が混ざり合って、大人の顔と子供の顔が垣間見れて、とーちゃんはおもろかった。
子供の頃の自分にも、同じような経験があるのと、いつもと違う娘の顔が見られたからだ。
10時30分くらいに着いた。
駐車場はガラガラなんてもんじゃなかった。
チケット売り場には2、3歳の子供と赤ちゃんを連れたお母さんたちが数人、チケットを買っていた。
一日券が、大人一枚、子供二枚で一万円しなかった。
多分、安いのだろう。
入場した。
ぐるりと見渡せるくらいの大きさ。
何だか、妙に懐かしい感じがした。
これが、正しい「遊園地」な気がした。
これ以上凄くなると、やはり「遊園地」というより「テーマパーク」とゆう方が収まりがいい。
ぐるりと見渡し終わっても、人が見えない。さっき子供たちとお母さん数人いたはずなのに、全く見えない。
何だか、タイムスリップしてしまったみたいで、すでにスリリング。
コナンくんとか、探偵学園のみなさまが出てきそうだ。(最近、娘が一人で見るのが怖いから一緒に見てくれと言われて、録画した奴を一緒に見ている)
「何から乗ろうか?」と質問された。
「せっかく、貸し切り見たいなもんだから、しらみつぶし作戦で行こう作戦ってのはどーだ?」と言ったら、普通に「うん、いーよ」と言われた。
「しらみつぶしって知ってる?」
「しらない」
「、、、、、、、、、」
「じゃぁ、乗ろうか」
と、一番近くにあった、メリーゴーランドに乗った。
やっぱ、遊園地はメリーゴーランドだね。
朝一の身体にも、もってこいの優れもの。
次は海賊船に乗ってぐるぐるするやつにした。後ろをみると、もっと大きな「パイレーツなんとか」があって、二ついらねんじゃねーか?と疑問を抱かせる素晴らしい一品。
小さい方だったから油断してしまった。
あまりの強烈なGに身動きがとれず、大声で「こえ~、すげ~」と三人大騒ぎ。
終わった後、あちきは決して宇宙飛行士にはなれないと断念した。(なるつもりだったのか?)
次は、ちょっと気合いの入った建物の「ミステリーなんとか」(なんとかばっかりじゃねーか)
これが、ネズミーランドでいう、「ホーンテッドマンション」にあたるのだろーか?
そのスケールの小ささと、あまりに「和風」な趣きに「心」を奪われた。
他にも「ジェットコースター」。
ネズミーランドでいう「スペースマウンテン」
真っ暗なトンネルに入ると「真っ暗なまま」これは凄いよ。
もう一回確かめる為に乗ったんだけど、真っ暗なトンネルに入るとやはり「真っ暗なまま」だった、、、、、、
ひねらない。
すがすがしい。
暗闇には、恒星の惑星もないのだ!
暗闇なのだ!
宇宙じゃない!
始まりなのだ!
すべての始まりなのだ。
うなってしまった。
哲学を感じてしまった。
他にもこんな哲学だらけだった。
ショップも駄菓子屋さんがあったり、冬物グッズのバーゲンやってたり、全てにおいて完璧に近かった。
昼食は中華にした。
本格的な料理の写真がいっぱい飾ってあった。
子供たちはお子様セット。
小ラーメン
小チャーハン
小杏仁豆腐
調理法も画期的な方法で、チャーハンは炊飯器の中に入っていた。
小ラーメンを食べ始めた友達は「うわ、これはおもちゃの麺だよ」とうれしそうにつぶやいた。
娘も、小チャーハンを口にいれた瞬間に「お腹すいている時はどんな物でも、このラーメンだっておいしいと思えるけど、このチャーハンは無理」とささやいた。
こどもたちも「哲学」を学んでいる。
素晴らしい!
まぁ、こんな感じで本当に楽しめた。
しかも、「遊園地」の出口に「トイザラス」まである。
徹頭徹尾「完璧」であった。
またお邪魔させていただきますぞ。
「遊園地」
で、日曜日は事務所の遅い新年会。(本当に遅いね)
久々に事務所の皆様の元気な顔を見た。
で、本日、水曜日。
な、なんと、皆様!
わたくし、勝村は、普段なら絶対に足を踏み入れる事の出来ない場所に行っております。
詳しい事は長くなるので書きませんが(機会があったら書くかんね。あれ?前に書いたかな?ま、いいや)、普通では、絶対に行く事の出来ない「場所」に行っています。
もちろん、宿泊施設などない場所ですので、当然日帰りです。
で、夜に帰ってきて、城西支部のみんなで久々に集合して飯食ってます。
ばたばたと公私に(私が多いな)忙しくなってます。
いろんな体験が出来る「しあわせ」を感じております。
すべてに感謝しつつ、
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
花粉で動けません、、、、、
花粉の野郎とは、28年のつき合いです。
もう、家族みたいなもんです。朝から晩まで一緒。
食事の時も、風呂の時も、トイレだって一緒です。
こんなに仲のいい仲間は珍しい。
一昔前は、春のある時期だけだったけど、今は一年中ほとんど一緒。
わかれよう
頼むから、、、、、、、、
あちきの前からいなくなってくれ、、、、、、、、、
月曜日は久々にティッシュ1箱、使わせてもらったよ。
鼻の周り真っ赤っかだよ。
もう、いやだよ。
いいおじちゃんが、鼻の周り真っ赤にして、真っ赤な涙目をして、鼻水たらしてるなんて、、、、、、
壊れた水道みたいに、、、、、
もういい!
もう、書かない!
どーせ別れられないんだし!
花粉の野郎が調子に乗る気がするし!
花粉症を愛する皆様、ご機嫌いかがですか?かふむらまさのふです。
話題を変えましょう。
エアコン、直りました。
おかげさまで、、、、、、、
いや、電気屋さんのおかげさまで。
日曜日の朝、工事の人がやってきて、手際のよい仕事で、夕方までかかるっていってたのに、2時前には工事が完了していた。さすが。
よ!
電気屋!
すみません。
真新しいエア太郎とエア次郎は(無理すんな)見た目には全く変わっていなかった。
リモ吉とリモ太は倍くらいの大きさになっている。
室外機の、室外 機一郎は(もうやめるね)横が狭くなり、背が高くなってソフィストケイトされている。
エアコンが交換されてから、我がリビングでは、リモコンのスイッチを入れていない、、、、、、
理由は簡単。
あったかいからだ、、、、、
みなさんも、あちきも、心の隅で思っていたのだ。
16日なんかに交換したって、どうせ暖かくなってるよと、、、、
びっくりするほど、予想は当たっていた、、、、、、、
ここで、東京の勝村さんから川柳が届きました。
待望の
エアコンようやく直ったが
あまりの気温に
リモコンとシリコンとロボコンとマザコン(詠み人知らず)
こんな心境なのです。(わかるか!)
話題を変えましょう。
サッカーのシーズンになってまいりました。
今年で45歳になるおじちゃんは、シニアリーグに所属しておりまして、トーナメント戦、リーグ戦と開幕の嵐です。
実はあちきは、去年のリーグ戦での怪我、キルの稽古中の足の指の剥離骨折が完治しておらず、安静が必要なのですが、サッカー人生のカウントダウンが始まっております。
休む訳にはいかんのです!
5年くらい前には、3チームに所属してまして、多い時には週に3試合くらいこなした時期もありました。(Jリーガーかよ)
先日はオーバー50の日本一のチームと戦いました。
0-3で完敗でした。
そのチームの先輩方は、「50歳過ぎてもサッカーを続けられるなんて考えても見なかった」とおっしゃっていた。
Jリーグのおかげで、草サッカー野郎どもはしあわせな時間を過ごせているのだ。
あちきも、がんばるのだ。
あ!土曜日には、朝から仕事して、夜の仕事まで5時間空いた。
あちきは、迷わず、大御所漫画家の望月三起也さんのチームに誘われていたので(時間が読めず断っていたのよ)、新木場の現場から、保土ヶ谷公園グラウンドまで試合をしにいった。
その時に、4チームの総当たりだったのだが、超先輩チームも来ていて、ゲームに参加していた方の中に、80歳を超えている方がいた。
脱帽である。
素敵な時代になったもんだ。(昔のことは知らないけど)
あ、わすれてた。
我が娘が、ウイークデイに休みだった。
「ねぃ、せっかく休みなんだから、遊園地に連れて行って」
「いーよ」
「とーちゃんは休み?」
「休み。ちみは運がいいね」(こんな時には休みなのだ。神様サンキュ)
「友達も誘っていい?」
「もちろんだよ。どこの遊園地がいい?」
「としまえんか、こうらくえん」
「素晴らしい選択だよ」
「○○がねぇ(友達の名前ね)としまえんが面白かったって言ってたんだよ」
「じゃぁ、としまえん行こ」
「遠い?」
「近い」
ってなやりとりおして出かけた。
友達は一人だった。
普通の日に、小学5年生の女の子二人、おじちゃん一人の遊園地の旅に出発。
友達と一緒だと、娘はいつもの雰囲気と違う。
友達の前にとーちゃんがいる緊張感といつもの友達とのリラックス感。複雑な感情が混ざり合って、大人の顔と子供の顔が垣間見れて、とーちゃんはおもろかった。
子供の頃の自分にも、同じような経験があるのと、いつもと違う娘の顔が見られたからだ。
10時30分くらいに着いた。
駐車場はガラガラなんてもんじゃなかった。
チケット売り場には2、3歳の子供と赤ちゃんを連れたお母さんたちが数人、チケットを買っていた。
一日券が、大人一枚、子供二枚で一万円しなかった。
多分、安いのだろう。
入場した。
ぐるりと見渡せるくらいの大きさ。
何だか、妙に懐かしい感じがした。
これが、正しい「遊園地」な気がした。
これ以上凄くなると、やはり「遊園地」というより「テーマパーク」とゆう方が収まりがいい。
ぐるりと見渡し終わっても、人が見えない。さっき子供たちとお母さん数人いたはずなのに、全く見えない。
何だか、タイムスリップしてしまったみたいで、すでにスリリング。
コナンくんとか、探偵学園のみなさまが出てきそうだ。(最近、娘が一人で見るのが怖いから一緒に見てくれと言われて、録画した奴を一緒に見ている)
「何から乗ろうか?」と質問された。
「せっかく、貸し切り見たいなもんだから、しらみつぶし作戦で行こう作戦ってのはどーだ?」と言ったら、普通に「うん、いーよ」と言われた。
「しらみつぶしって知ってる?」
「しらない」
「、、、、、、、、、」
「じゃぁ、乗ろうか」
と、一番近くにあった、メリーゴーランドに乗った。
やっぱ、遊園地はメリーゴーランドだね。
朝一の身体にも、もってこいの優れもの。
次は海賊船に乗ってぐるぐるするやつにした。後ろをみると、もっと大きな「パイレーツなんとか」があって、二ついらねんじゃねーか?と疑問を抱かせる素晴らしい一品。
小さい方だったから油断してしまった。
あまりの強烈なGに身動きがとれず、大声で「こえ~、すげ~」と三人大騒ぎ。
終わった後、あちきは決して宇宙飛行士にはなれないと断念した。(なるつもりだったのか?)
次は、ちょっと気合いの入った建物の「ミステリーなんとか」(なんとかばっかりじゃねーか)
これが、ネズミーランドでいう、「ホーンテッドマンション」にあたるのだろーか?
そのスケールの小ささと、あまりに「和風」な趣きに「心」を奪われた。
他にも「ジェットコースター」。
ネズミーランドでいう「スペースマウンテン」
真っ暗なトンネルに入ると「真っ暗なまま」これは凄いよ。
もう一回確かめる為に乗ったんだけど、真っ暗なトンネルに入るとやはり「真っ暗なまま」だった、、、、、、
ひねらない。
すがすがしい。
暗闇には、恒星の惑星もないのだ!
暗闇なのだ!
宇宙じゃない!
始まりなのだ!
すべての始まりなのだ。
うなってしまった。
哲学を感じてしまった。
他にもこんな哲学だらけだった。
ショップも駄菓子屋さんがあったり、冬物グッズのバーゲンやってたり、全てにおいて完璧に近かった。
昼食は中華にした。
本格的な料理の写真がいっぱい飾ってあった。
子供たちはお子様セット。
小ラーメン
小チャーハン
小杏仁豆腐
調理法も画期的な方法で、チャーハンは炊飯器の中に入っていた。
小ラーメンを食べ始めた友達は「うわ、これはおもちゃの麺だよ」とうれしそうにつぶやいた。
娘も、小チャーハンを口にいれた瞬間に「お腹すいている時はどんな物でも、このラーメンだっておいしいと思えるけど、このチャーハンは無理」とささやいた。
こどもたちも「哲学」を学んでいる。
素晴らしい!
まぁ、こんな感じで本当に楽しめた。
しかも、「遊園地」の出口に「トイザラス」まである。
徹頭徹尾「完璧」であった。
またお邪魔させていただきますぞ。
「遊園地」
で、日曜日は事務所の遅い新年会。(本当に遅いね)
久々に事務所の皆様の元気な顔を見た。
で、本日、水曜日。
な、なんと、皆様!
わたくし、勝村は、普段なら絶対に足を踏み入れる事の出来ない場所に行っております。
詳しい事は長くなるので書きませんが(機会があったら書くかんね。あれ?前に書いたかな?ま、いいや)、普通では、絶対に行く事の出来ない「場所」に行っています。
もちろん、宿泊施設などない場所ですので、当然日帰りです。
で、夜に帰ってきて、城西支部のみんなで久々に集合して飯食ってます。
ばたばたと公私に(私が多いな)忙しくなってます。
いろんな体験が出来る「しあわせ」を感じております。
すべてに感謝しつつ、
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
エアコン / 2008年03月12日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
何だか、日々いろいろな事がおこります。
気温も少しづつ上がってまいりまして、花粉がたくさん飛んでいて、まいってしまっていまして、、、、
だんだん「春」を季節の中で嫌う人々が増えてきてるんじゃないかと心配しております。
本来であれば、冬の寒さに耐え忍び、ようやく生命が、細胞が、本来の調子を取り戻す、喜びに満ちあふれた季節のはずなのに、、、、
白黒テレビのような配色の季節から、一気にカラーテレビのような鮮やかな季節に変わっていく、人類が(でかいな話が)待ち望んだ、待望の(同じだよ)季節の到来だとゆーのに!
最近では、花粉症も人間の仕業だということがわかってきてしまい、花粉症野郎どもが、本気で集団訴訟を起こせば、国に勝ててしまい、損害賠償をしてくれるという話にまでなっています。
しかし、花粉症産業も兆の桁まで達している昨今、いかがおすごしですか?(話が面倒くさくなって来たからやめる)
なんだかんだ言っても、先週もう一回書くって書いといて、書かなかったのを誤摩化そうと無理に話題を遠ざけているとしか思えない!(自分でゆうな)
そんなことはどーでもいいんです!(お前が言ってるんだよ)
エアコンが壊れたままなんです!
なんだかんだ、すでに2月の後半からだから(長いな)2週間以上過ぎているのだ!
ざまみろ!
寒いんだよ!このやろ!
たまらないんだよ!夜が!
我が家のリビングはたいした広さじゃありませんが、二基(いいのかな?単位?)の天井はめ込み型のエアコンがついています。別に一基でもかまわなかったんですが、プランナーの言う通りにしたまでのことです。
10年も前の事です。
10年の間に随分、本当にアッとゆーまに、建築事情が変わってきました。
一番の理由が、やはりテレビのせいでしょう。
「ビフオーアンドアフター」が原因だと思われます。
だって、素晴らしい番組でしょ。
デザイナーによって、家だってこんなに素敵になるんだ!と日本国民(でかいな、今日は)がすべて驚いたことでしょう。
番組の構成作家のトップを見れば、伊藤正宏と書いてある。
そう、伊藤ちゃんとは、あちきが第三舞台にいた時の先輩である。
いまや、大先生である。
すごいもんである。
ドラマの脚本でも、戸田山雅司、中谷まゆみ、などと目にしている方も多いんじゃないかと思うが、皆、第三舞台の仲間である。
余談だが、、、、、
で、家にもどりましょう。
いらないのよ!二基も!
そんなに広くないんだから!
でも、なんとなく、二基あったほうが、「優雅」ってゆーの?
「さっきはこっちつけたから、今度は君の番だね。」
「ようし!今日はすずしいから、二人で力をあわせて、この部屋を温かくしておくれ!」なんて話しかけながら(おかしいだろ、人として)リモコンのスイッチを入れたもんでした。
しかし、寒い寒い2月の後半に、我が家のエア子とエア美の(名前じゃねーだろーな?ん?)調子が、、、、、、、
うんとも、すんとも言わないのよ。
最初は、リモコンのリモ子のバッテリーが切れているんだと思い、リモ美で試した。(おい、待てよ。リモ子?リモ美?ちょっとおもしろかったからって、うそはやめろ)
こっちも、うんともすんとも言わないのよ。
あれ?なんだよ!二つともだめじゃん!
ったく!役立たねーなぁー!
なんの為に二基もあんだよ!
一基だめなら、もう一基だろ!
そのためのダブルエアコンじゃねーのかよ!
ったく!度し難いよ!
近所の電気屋さんに電話した。
「あのぁ、もしかして、すぐに直るかもしれません。もしかして、すぐに直らないかもしれません。どちらの場合でも、出張料の3千円はいただくことになっていますが、いかがでしょうか?」
「いかがもなにもねーだろ!はよこい!ちゅーの!」と叫びかかったが、
「わかりました。お願いします」と答えた。
仕方ないから、まず、リビングの掃除から始める(これがめんどくさいんだよ!)
やっとけ!リビングの掃除くらい毎日!
電気屋さん登場!
最初に何をするのかと思ったが、電気を切って入れるという、明快で単純な作業だった。
「これで、直る場合も結構あるんですよ」
なんだか恥ずかしかった。
こん時だけ、直んなくてよかったなと思った。
「多分、原因は室外機だと思います。部品を取り寄せて、すぐに交換いたしますので、一度会社に戻って連絡させていただきます。修理費用は、まぁたぶん、10万円くらいではないかと」
めまいがした、、、、
「わ、わかりました、、、」
涙ぐみながら、小さな声で答えた、、、、、
「では、出張料金3千円いただきます」
死者にむち打つとはこの事である。
「おちゅかれちゃめでちぱ、、、、ありがとちゃめでぴか、、、」
むち打たれ過ぎて、呂律もままならない。
電気屋さんが帰った後、叫んだ!
「くんのぉ!ばかたれども!なにやってんだよ!二基もあるくせに!二基もあるから10万もとられんだぞ!おまいたちが払え!10万だから折半しろ!一基、5万だ!5万づつ払え!」と二基のエアコンに向かって理不尽に叫ぶ大人げないおじちゃんであった。
さんざんお世話になったくせに、、、、
電気屋さんに温かいお茶を出そうと準備していたが、10万の驚きから、お茶を出すのも忘れる弱気なサザ~エさん。
状態であった。
買ったほうが安いんじゃねーか?と何度も自問したが、ネックは天井はめ込み型である。
通常のエアコンとは違うのだ。
腹を括った。(しっかりしろ!)
夕方、電気屋さんから連絡があった。
「ちょっと、部品をメーカーで探してもらってるんですが、見つからないので、もうしばらく待っていただけますか?」
「え、えぇ~!」(マスオさん風でお願いします)(いらないよ)
どーすんだよ!まだまだ冬真っ盛りだぞ!暖房は?
こんな時、現代人は弱いのである。
が、しかし、あちきは現代人の前に、演劇人である。(つまんない)
元々、エアコンを信用していないという、(信用ってなんだよ)のが一つ。
人形は顔が命。演劇人は声が命。(調子に乗るなっちゅーの)
エアコンは空気を動かします。
室内には、知らず知らずホコリ、ダニなどの死骸、所謂、ホームダストがたまっています。
エアコンはそいつらを、舞い上がらせ、鼻の奥、喉の奥を痛めます。
もちろん。普段はそんな事な~んとも思っていないのですが、舞台中は人が変わります。
ただでさえ気が弱いのに、さらに弱くなっています。
そんなん吸ってしもたら、声がかれるやん!(何処の人?)
状態に陥っています。
だから、あちきの部屋には、エアコンの他に、オイルヒーターがデーンと立ちはだかっています。(なにによ?)
そして、あちきはエアコンの温かい空気が頼りないと思った時(あるでしょ?)のために、あちきの部屋だけに、ガスファンヒーターもボーンと打ちひしがれています。(わかんないよ)
これは、舞台の時に風呂上がりの身体が冷えて風邪でも引いてしまったら、声に影響してしまうという「恐怖心」の現れなのです。
もちろん、加湿器も除湿器も完備されています。
それよりも、なんなんだよ!おまいの部屋は?と思われるかも知れませんが、全く真逆の事をしてしまったりも平気でしています。
そう、僕らは、ある種「病気」なのです。
「不安」を楽しむ職業であるにもかかわらず、常に「不安」に押しつぶされそうになってしまっているのです。
その「不安」を少しでも和らげるために、人から見れば、「病的」な事を普通にやってしまっているのです。
そんな説明はどーでもいいんですが、おかげで、地下からガスファンヒーターがボンボン燃え盛り、重い重い、オイルヒーターを2階まで運び、我が家のリビングは無事あったまんねーんだよ!
弱くて!
ガスファンヒーターは偉大です。
地下から温かい空気が二階まで勢いよく流れてきます。
しかし、温かい空気は、上に溜まります。理科の授業で習いましたね。
そう、リビングの二階の上、天井近くは温かいの。
が、しかし、我が家のリビングの致命的欠陥が!
天井を高く、リビングの雰囲気をよくしようと、軽い吹き抜けのような、そう、吹き抜けの、「よ・う・な」造りになっているのよ。
その、中途半端な狭い吹き抜けに、がんばってるガスファンヒーターのがんばりが!あっつい空気が!
すべて飲み込まれてしまうのです。
天井だけが熱いのです。
肝心の、リビング下部が寒いのです。
そう、そこでがんばっているのが、オイルヒーターです。
オイルヒーターも素晴らしい。
じわじわ本当に身体を暖めてくれます。
地下で寝ている時など、真冬でも毛布だけでもだいじょび!なんて思ってしまうくらい、静かに、優しく、部屋を暖めてくれます。
が、問題は、中途半端な吹き抜けなのです!
力強いガスファンヒーターなのです!
力強いガスファンヒーターの作り出す、芸術的な暖流が、地下から勢いよくやってきます。
冷たい空気と混ざり合いながら、二階にやってきます。
ここが海なら最高の漁場になるでしょう!マグロなんかも大間にも負けないくらいのが、我が家で獲れるはずです。
問題はその流れです。
勢いよく流れてきた、暖流が、オイルヒーターの静かで、優しい、暖流を飲み込み、熱を奪い取り、ちっぽけな、吹き抜けらしき、我が家のブラックホールへと、運んでしまうのです。
すべての暖気が、ちっぽけな吹き抜けらしきものに集中してしまいます。
で、どーなるかというと、ちっぽけな、吹き抜けらしき場所は、リビングを「より」明るくするために、小さな窓がついております。
午後など、この小さな窓から夕日が差し込み、しあわせな気持ちにしてくれます。
夜は夜で、月が見えたり、小さいながら、かなりあちきに「貢献」してくれています。
その貢献君が、暖められ、育んでくれた、優しい暖かさと、地下から勢いよく運んでこられた暖流の力を合わせた「熱」を、唯一の我が家の「熱」を、宮大工の如く、見事に丁寧に「外」にはこんでくれています。
我が家の暖められた空気は、吹き抜けらしき場所の小さな素敵な窓君が、全て、冷ましてくださり、外に誘ってしまうのです。
寒い、、、、、、、、、
もう、2週間寒いっぱなし、、、、、、、
リビングには毛布が義務づけられています。
自然と食事も、ガスコンロを使った料理が増えています。
食べるよりも「暖」をとるためです。
床に穴を開けて糸をたらせば、ワカサギが釣れるんじゃないかと思うこともあります。
娘がソファーで寝むってしまいそうな時は、激しくピンタをしながら、「眠るな!寝ると死ぬぞ!」と声をかけてあげるのが、父親の仕事です。
数日前、久しぶりに電気屋さんから連絡がありました。
「あ、すみません。お宅のエアコンなんですが、10年前の機種でして、メーカーが既に生産を中止しておりまして、部品がないそうです。普通は、10年くらい前なら、部品くらいは残しておくものなんですが、ないんですって。めずらしいケースです。」
「もー、そんな事、どーでもいいんです。寒くて寒くて、なんとかしてもらえませんか?」
「あ、それでですね、メーカーに交渉しまして、責任問題になるって言ったんですよ。普通は10年くらいなら、ちゃんと部品の管理くらいしなければならないと」
「、、、、、で、、、、、、」
「新品のエアコンを、無料で、納品させることになりました。メーカーから直接連絡が入ることになりますので、よろしくお願いします」
「は、はぁ、さむがとうございます、、、」
数日後、メーカーから連絡があった。
「あ、エアコンの事で、連絡しました。」
「寒いんですけど」
「はい?」
「いえ」
「で、今、エアコンを揃えるのに時間がかかってまして、もうしばらくお時間をいただきます」
「寒いの」
「はい?」
「あのね、家、寒いの」
「次回は、商品を工事に行く会社から連絡がいきますので、よろしくお願いします」
「、、、、、、、、、、、、」
数日後、その会社から連絡が入った。
「勝村さまですか?」
「さむです」
「はい?」
「いえ」
「あの、品物が届くのに時間がかかっていまして、16日の日曜日に工事にうかがいます」
「、、、、、、、、、、、」
そう、温かくなったと言われている今日この頃、いかがお過ごしですか?
我が家はいまだに、地下から吹き付ける暖流をそのまま外に流す作業をつづけています。
寒いです。
毎日。
のぼる君が大人気です。
それは、彼の体温が高いからです。
まさか、のぼる君も人間が「暖」をとるために近づいているとは思いもしていないでしょう。
そして、今日、10日は、ホモだちくんが「コリオレイナス」で文化庁なんとか新人賞をとったので、みんなでお祝いをします。
場所は本人が仕切っています、、、、、、、、
プレゼントはあちきが仕切っています、、、、、、、
どんなことになるやら、、、、、、
そんな訳で、今週もがんばって生きて、、、、、凍死していなければね。
今週もがんばって生きていきまっしょい!
何だか、日々いろいろな事がおこります。
気温も少しづつ上がってまいりまして、花粉がたくさん飛んでいて、まいってしまっていまして、、、、
だんだん「春」を季節の中で嫌う人々が増えてきてるんじゃないかと心配しております。
本来であれば、冬の寒さに耐え忍び、ようやく生命が、細胞が、本来の調子を取り戻す、喜びに満ちあふれた季節のはずなのに、、、、
白黒テレビのような配色の季節から、一気にカラーテレビのような鮮やかな季節に変わっていく、人類が(でかいな話が)待ち望んだ、待望の(同じだよ)季節の到来だとゆーのに!
最近では、花粉症も人間の仕業だということがわかってきてしまい、花粉症野郎どもが、本気で集団訴訟を起こせば、国に勝ててしまい、損害賠償をしてくれるという話にまでなっています。
しかし、花粉症産業も兆の桁まで達している昨今、いかがおすごしですか?(話が面倒くさくなって来たからやめる)
なんだかんだ言っても、先週もう一回書くって書いといて、書かなかったのを誤摩化そうと無理に話題を遠ざけているとしか思えない!(自分でゆうな)
そんなことはどーでもいいんです!(お前が言ってるんだよ)
エアコンが壊れたままなんです!
なんだかんだ、すでに2月の後半からだから(長いな)2週間以上過ぎているのだ!
ざまみろ!
寒いんだよ!このやろ!
たまらないんだよ!夜が!
我が家のリビングはたいした広さじゃありませんが、二基(いいのかな?単位?)の天井はめ込み型のエアコンがついています。別に一基でもかまわなかったんですが、プランナーの言う通りにしたまでのことです。
10年も前の事です。
10年の間に随分、本当にアッとゆーまに、建築事情が変わってきました。
一番の理由が、やはりテレビのせいでしょう。
「ビフオーアンドアフター」が原因だと思われます。
だって、素晴らしい番組でしょ。
デザイナーによって、家だってこんなに素敵になるんだ!と日本国民(でかいな、今日は)がすべて驚いたことでしょう。
番組の構成作家のトップを見れば、伊藤正宏と書いてある。
そう、伊藤ちゃんとは、あちきが第三舞台にいた時の先輩である。
いまや、大先生である。
すごいもんである。
ドラマの脚本でも、戸田山雅司、中谷まゆみ、などと目にしている方も多いんじゃないかと思うが、皆、第三舞台の仲間である。
余談だが、、、、、
で、家にもどりましょう。
いらないのよ!二基も!
そんなに広くないんだから!
でも、なんとなく、二基あったほうが、「優雅」ってゆーの?
「さっきはこっちつけたから、今度は君の番だね。」
「ようし!今日はすずしいから、二人で力をあわせて、この部屋を温かくしておくれ!」なんて話しかけながら(おかしいだろ、人として)リモコンのスイッチを入れたもんでした。
しかし、寒い寒い2月の後半に、我が家のエア子とエア美の(名前じゃねーだろーな?ん?)調子が、、、、、、、
うんとも、すんとも言わないのよ。
最初は、リモコンのリモ子のバッテリーが切れているんだと思い、リモ美で試した。(おい、待てよ。リモ子?リモ美?ちょっとおもしろかったからって、うそはやめろ)
こっちも、うんともすんとも言わないのよ。
あれ?なんだよ!二つともだめじゃん!
ったく!役立たねーなぁー!
なんの為に二基もあんだよ!
一基だめなら、もう一基だろ!
そのためのダブルエアコンじゃねーのかよ!
ったく!度し難いよ!
近所の電気屋さんに電話した。
「あのぁ、もしかして、すぐに直るかもしれません。もしかして、すぐに直らないかもしれません。どちらの場合でも、出張料の3千円はいただくことになっていますが、いかがでしょうか?」
「いかがもなにもねーだろ!はよこい!ちゅーの!」と叫びかかったが、
「わかりました。お願いします」と答えた。
仕方ないから、まず、リビングの掃除から始める(これがめんどくさいんだよ!)
やっとけ!リビングの掃除くらい毎日!
電気屋さん登場!
最初に何をするのかと思ったが、電気を切って入れるという、明快で単純な作業だった。
「これで、直る場合も結構あるんですよ」
なんだか恥ずかしかった。
こん時だけ、直んなくてよかったなと思った。
「多分、原因は室外機だと思います。部品を取り寄せて、すぐに交換いたしますので、一度会社に戻って連絡させていただきます。修理費用は、まぁたぶん、10万円くらいではないかと」
めまいがした、、、、
「わ、わかりました、、、」
涙ぐみながら、小さな声で答えた、、、、、
「では、出張料金3千円いただきます」
死者にむち打つとはこの事である。
「おちゅかれちゃめでちぱ、、、、ありがとちゃめでぴか、、、」
むち打たれ過ぎて、呂律もままならない。
電気屋さんが帰った後、叫んだ!
「くんのぉ!ばかたれども!なにやってんだよ!二基もあるくせに!二基もあるから10万もとられんだぞ!おまいたちが払え!10万だから折半しろ!一基、5万だ!5万づつ払え!」と二基のエアコンに向かって理不尽に叫ぶ大人げないおじちゃんであった。
さんざんお世話になったくせに、、、、
電気屋さんに温かいお茶を出そうと準備していたが、10万の驚きから、お茶を出すのも忘れる弱気なサザ~エさん。
状態であった。
買ったほうが安いんじゃねーか?と何度も自問したが、ネックは天井はめ込み型である。
通常のエアコンとは違うのだ。
腹を括った。(しっかりしろ!)
夕方、電気屋さんから連絡があった。
「ちょっと、部品をメーカーで探してもらってるんですが、見つからないので、もうしばらく待っていただけますか?」
「え、えぇ~!」(マスオさん風でお願いします)(いらないよ)
どーすんだよ!まだまだ冬真っ盛りだぞ!暖房は?
こんな時、現代人は弱いのである。
が、しかし、あちきは現代人の前に、演劇人である。(つまんない)
元々、エアコンを信用していないという、(信用ってなんだよ)のが一つ。
人形は顔が命。演劇人は声が命。(調子に乗るなっちゅーの)
エアコンは空気を動かします。
室内には、知らず知らずホコリ、ダニなどの死骸、所謂、ホームダストがたまっています。
エアコンはそいつらを、舞い上がらせ、鼻の奥、喉の奥を痛めます。
もちろん。普段はそんな事な~んとも思っていないのですが、舞台中は人が変わります。
ただでさえ気が弱いのに、さらに弱くなっています。
そんなん吸ってしもたら、声がかれるやん!(何処の人?)
状態に陥っています。
だから、あちきの部屋には、エアコンの他に、オイルヒーターがデーンと立ちはだかっています。(なにによ?)
そして、あちきはエアコンの温かい空気が頼りないと思った時(あるでしょ?)のために、あちきの部屋だけに、ガスファンヒーターもボーンと打ちひしがれています。(わかんないよ)
これは、舞台の時に風呂上がりの身体が冷えて風邪でも引いてしまったら、声に影響してしまうという「恐怖心」の現れなのです。
もちろん、加湿器も除湿器も完備されています。
それよりも、なんなんだよ!おまいの部屋は?と思われるかも知れませんが、全く真逆の事をしてしまったりも平気でしています。
そう、僕らは、ある種「病気」なのです。
「不安」を楽しむ職業であるにもかかわらず、常に「不安」に押しつぶされそうになってしまっているのです。
その「不安」を少しでも和らげるために、人から見れば、「病的」な事を普通にやってしまっているのです。
そんな説明はどーでもいいんですが、おかげで、地下からガスファンヒーターがボンボン燃え盛り、重い重い、オイルヒーターを2階まで運び、我が家のリビングは無事あったまんねーんだよ!
弱くて!
ガスファンヒーターは偉大です。
地下から温かい空気が二階まで勢いよく流れてきます。
しかし、温かい空気は、上に溜まります。理科の授業で習いましたね。
そう、リビングの二階の上、天井近くは温かいの。
が、しかし、我が家のリビングの致命的欠陥が!
天井を高く、リビングの雰囲気をよくしようと、軽い吹き抜けのような、そう、吹き抜けの、「よ・う・な」造りになっているのよ。
その、中途半端な狭い吹き抜けに、がんばってるガスファンヒーターのがんばりが!あっつい空気が!
すべて飲み込まれてしまうのです。
天井だけが熱いのです。
肝心の、リビング下部が寒いのです。
そう、そこでがんばっているのが、オイルヒーターです。
オイルヒーターも素晴らしい。
じわじわ本当に身体を暖めてくれます。
地下で寝ている時など、真冬でも毛布だけでもだいじょび!なんて思ってしまうくらい、静かに、優しく、部屋を暖めてくれます。
が、問題は、中途半端な吹き抜けなのです!
力強いガスファンヒーターなのです!
力強いガスファンヒーターの作り出す、芸術的な暖流が、地下から勢いよくやってきます。
冷たい空気と混ざり合いながら、二階にやってきます。
ここが海なら最高の漁場になるでしょう!マグロなんかも大間にも負けないくらいのが、我が家で獲れるはずです。
問題はその流れです。
勢いよく流れてきた、暖流が、オイルヒーターの静かで、優しい、暖流を飲み込み、熱を奪い取り、ちっぽけな、吹き抜けらしき、我が家のブラックホールへと、運んでしまうのです。
すべての暖気が、ちっぽけな吹き抜けらしきものに集中してしまいます。
で、どーなるかというと、ちっぽけな、吹き抜けらしき場所は、リビングを「より」明るくするために、小さな窓がついております。
午後など、この小さな窓から夕日が差し込み、しあわせな気持ちにしてくれます。
夜は夜で、月が見えたり、小さいながら、かなりあちきに「貢献」してくれています。
その貢献君が、暖められ、育んでくれた、優しい暖かさと、地下から勢いよく運んでこられた暖流の力を合わせた「熱」を、唯一の我が家の「熱」を、宮大工の如く、見事に丁寧に「外」にはこんでくれています。
我が家の暖められた空気は、吹き抜けらしき場所の小さな素敵な窓君が、全て、冷ましてくださり、外に誘ってしまうのです。
寒い、、、、、、、、、
もう、2週間寒いっぱなし、、、、、、、
リビングには毛布が義務づけられています。
自然と食事も、ガスコンロを使った料理が増えています。
食べるよりも「暖」をとるためです。
床に穴を開けて糸をたらせば、ワカサギが釣れるんじゃないかと思うこともあります。
娘がソファーで寝むってしまいそうな時は、激しくピンタをしながら、「眠るな!寝ると死ぬぞ!」と声をかけてあげるのが、父親の仕事です。
数日前、久しぶりに電気屋さんから連絡がありました。
「あ、すみません。お宅のエアコンなんですが、10年前の機種でして、メーカーが既に生産を中止しておりまして、部品がないそうです。普通は、10年くらい前なら、部品くらいは残しておくものなんですが、ないんですって。めずらしいケースです。」
「もー、そんな事、どーでもいいんです。寒くて寒くて、なんとかしてもらえませんか?」
「あ、それでですね、メーカーに交渉しまして、責任問題になるって言ったんですよ。普通は10年くらいなら、ちゃんと部品の管理くらいしなければならないと」
「、、、、、で、、、、、、」
「新品のエアコンを、無料で、納品させることになりました。メーカーから直接連絡が入ることになりますので、よろしくお願いします」
「は、はぁ、さむがとうございます、、、」
数日後、メーカーから連絡があった。
「あ、エアコンの事で、連絡しました。」
「寒いんですけど」
「はい?」
「いえ」
「で、今、エアコンを揃えるのに時間がかかってまして、もうしばらくお時間をいただきます」
「寒いの」
「はい?」
「あのね、家、寒いの」
「次回は、商品を工事に行く会社から連絡がいきますので、よろしくお願いします」
「、、、、、、、、、、、、」
数日後、その会社から連絡が入った。
「勝村さまですか?」
「さむです」
「はい?」
「いえ」
「あの、品物が届くのに時間がかかっていまして、16日の日曜日に工事にうかがいます」
「、、、、、、、、、、、」
そう、温かくなったと言われている今日この頃、いかがお過ごしですか?
我が家はいまだに、地下から吹き付ける暖流をそのまま外に流す作業をつづけています。
寒いです。
毎日。
のぼる君が大人気です。
それは、彼の体温が高いからです。
まさか、のぼる君も人間が「暖」をとるために近づいているとは思いもしていないでしょう。
そして、今日、10日は、ホモだちくんが「コリオレイナス」で文化庁なんとか新人賞をとったので、みんなでお祝いをします。
場所は本人が仕切っています、、、、、、、、
プレゼントはあちきが仕切っています、、、、、、、
どんなことになるやら、、、、、、
そんな訳で、今週もがんばって生きて、、、、、凍死していなければね。
今週もがんばって生きていきまっしょい!
す、すみませんm(__)m / 2008年03月05日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
あのぉ、昨日の夜書こうと思ってたんですが、洋介から電話かかってきて、久しぶりに二人でたくさん飲んでしまいまして…
今日もちょっと忙しくて…
今日は休みにしていい?
( ̄▽ ̄;)
いい?
(-_-メ)
い?
<(__)>
書きます。
今週中には。
多分。
勘弁してちょっ。
(´~`;)
ちょっ。
(┬┬_┬┬)
顔文字でごまかそうと思ったけど、無理でした。
書きますよ。
必ず。
そんな訳で今週中もがんばって生きて、おりは書いて…いきまっしょい!
あのぉ、昨日の夜書こうと思ってたんですが、洋介から電話かかってきて、久しぶりに二人でたくさん飲んでしまいまして…
今日もちょっと忙しくて…
今日は休みにしていい?
( ̄▽ ̄;)
いい?
(-_-メ)
い?
<(__)>
書きます。
今週中には。
多分。
勘弁してちょっ。
(´~`;)
ちょっ。
(┬┬_┬┬)
顔文字でごまかそうと思ったけど、無理でした。
書きますよ。
必ず。
そんな訳で今週中もがんばって生きて、おりは書いて…いきまっしょい!