Nさんの事 / 2006年06月28日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
フェデラーやっちゃいました。41連勝。
テニスの神様ボルグの記録に並びました。25年間も記録が破られてなかったんだね。ボルグ。
でも、全仏が終わってすぐにゲリー・ウェーバーオープンに出てたんだ。フェデラー。
バケモンだぁ。
何だろう?ゲリー・ウェバーオープンって?
でも大丈夫なのか?ウィンブルドン。
いよいよ、と言うか、もー始まりました。ウィンブルドン。楽しみです。
とても楽しみなんですが、、、
全仏、ワールドカップと眠れない日々を過ごしている私たちの健康はどーなるんだろー?
選手の過密スケジュールが問題になっていますが、見ている我々の過密スケジュールの問題はどーなっているんだろー?
世界中が混乱しているんだろーなー。
杉山、森上も見事1回戦を二日がかりで勝利!
おめでとーございます。
二人は2回戦であたるけど、まー、決勝戦まで行けばどのみち戦うんだから仕方ない。
近い将来、ウィンブルドンで日本人同士の決勝なんて見てみたいね。
そんな事を夢見て、さらに眠れない贅沢な日々、贅沢な時間を楽しませてもらいましょう。
フェデラーは、記録は塗り替えられるでしょう。って書いてたら、塗り替えちゃいました。簡単に。まあ、昔の記録と今の記録は比較出来ないけど、数字が残ってしまうからなぁ。だけど凄い記録だよなぁ。
でもフェデラーは「ボルグには及ばない」って言ってたけど、全仏でクレーコートの記録を出した時のナダルもフェデラーを讃えていたし、一流選手ってちゃんとしてるね。
サッカーのワールドカップでも、ブラジルのロナウドが、僕のアイドル、ドイツのG.ミューラーの記録を塗り替えました。いろいろ条件が違うから本当に比較が出来ないんだけど、これまた凄い記録が生まれた。当分破られる事はないでしょう。
記録とは関係ないけど、シンクロの武田さんがラジオで話してたんだけど、手の平の水かきがかなり大きいらしい。しかも、泳いでいるうちに進化し始めたと言ってた。鈴木大地さんの手の平の水かきもかなりでかいらしい。
この話は、僕の頭の中で金メダル級の記録として残った。
身体を鍛えると筋肉がつくように、尋常じゃない時間泳ぎ続けると手の平の水かきが進化を始める。
凄いな~。見てみたいな~。直接。水かき。人間の。
他にも、水の中にずーっといるから、陸で、陸?でいいのかな?
陸で立っているのがつらかったとか興味深い事をたくさん話していた。
ジャックマイヨールなんか魚類のカテゴリーに入りそうだし。
サッカーでは、イングランドに惜しくも破れたエクアドルは、自国(ホーム)では異常に強い。W杯予選では、ブラジルやアルゼンチンを破って来ている。国がかなりの高地にあるため、酸素が薄く、慣れていない他の国の人達は体力的についていけないのが大きな敗因である。
つまり、エクアドルの人達は心肺機能が通常より発達しているんだね。
環境に順応して、「進化」したんだね。国民全てが。
昔、僕の友人(水球のオリンピック候補にもなった)が、空手の有段者とけんかになりそうになった時に「水」を探したそうだ。川でも池でも海でも「水」の中に引きずり込めば必ず勝てるからだ。
「お前はカッパか!」
アフリカのサンコンさんは日本に来て視力が4.0に落ちたらしいし、、、
他にもそんな話はいくらでもありそーだから、ダーウィンの「進化論」に対抗して、珍しい進化の本、「珍化論」かなんかだせそーな気がする。
中国の奥地では、空を飛べる人がいるらしいーし、(本当かよ。)野人はいるし(これはテレビで見た。)流石、四千年の歴史。
人間の身体ってのも、非常に興味深い。
僕も舞台をやっている時に、ちょっと感じる時がある。
大体、一ヶ月稽古する。死ぬ思いで稽古する。
本番がはじまる。
死ぬ思いで本番を迎える。
稽古場では味わう事の出来無い空間のドアを開ける。
するとそこには、様々な、幾重にも交錯している「念」が渦巻いている。
「舞台」は人を選ぶ。
舞台にあがるには、免許証みたいなものが必要だ。
もちろん、無免許でもつかまらないけど。
渦巻く「念」に絡み付かれると身体が「歪」になっていく。
心も「歪」になっていく。
正しく「歪」になれると「舞台」が手を伸ばして迎えて来れる。
酸素と水素の関係みたいに。
それで化学反応がおきて、よーやく「舞台」の一部になれる。
「舞台」は激しくエネルギーを消耗する。
しかし、しばらくすると稽古場の疲れがとれて来る。
すると同時に、本番の疲れが溜まって来る。
やれやれ。である。妙にバランスがいい。
台詞が身体に落ちて来る。
思いが身体から離れて行く。
そしてたまに「演劇の神様」が降りて来る。
そんな大嵐が同時に襲って来る時がある。
そんな時に身体の内側から、ぞわぞわと誰かが呼びに来る。
懐かしい友人が遊びに来たときみたいに。
身体が軽くなったり、重くなったり、不思議なバランスになる。
進化は、そんな時に始まっているのかも知れない。
「舞台」と言うキーワードが作用して。
では、今週も楽しく生きて行きまっしょい。
『Nさんの事』
大阪の友人にNさんがいる。
何と言うか、僕にとってとても大事な人なのだ。
Nさんは大阪で劇団を主宰している。
大阪人の様なふりをしているが、実は新百合ケ丘の生まれだ。
ちょいとインチキ臭い。
僕が芝居を始めた20年くらい前に、新宿の「タイニイアリス」という小さな劇場で、Nさんの劇団の芝居を観た。何故観に行ったかは失念してしまったが、あの衝撃は忘れない。
恐ろしい程の力技と人数とアイデアとセンスとばかばかしさ。
オープニングは、貧乏臭いアパートだ。
そこに越して来た青年に、以前住んでいたらしい人に宛てたらしい手紙が届く。
(らしいが多い。やはりインチキ臭い。)
手紙の主を求めて、記憶の旅に出る青年。
時間軸や空間軸がずれ、交錯し、応援団が現れ、大男が女性をジャイアントスイングでぶん回し、アパートの部屋が裂ける。
と、そこにはいつのまにか、銭湯の男湯が湧き出て来る。
全裸の男達が身体を洗い、水を怖がる長靴を履いた子供(大人だけど)が、シャンプーハットで頭をシャンプーしながら踊っている。
皆、大事な部分はうまいこと桶で隠し、たまにすべって露出してしまったり、、、
なんなんだこの人達は。いかれてる。確実に。
白日夢を見ている様だった。
クラクラした。
僕の思っている芝居の概念が(ま、概念なんて程演劇に詳しくはなかったが、、、)壊れた。
何でもいいんだ。何でもありなんだ。と思った。
ピカソの絵を初めて見たときの混乱に似ている。
同じ「人」や、「物」を見ても、ピカソの目には、「そー」写り、ピカソの鼻には、「そー」匂い、ピカソの耳には、「そー」聞こえる。
それを、「そー」、一枚の紙に描くだけなのだ。
Nさんも目や、鼻や、耳で感じた「そー」を舞台にしているだけなのだ。
Nさんの劇団のチラシ。
先月、東京でやっていた。
劇団に専属の鍼灸の先生がいたり、やはり怪しい。
演劇に明るくない人には何が何だかわからなくて申し訳ないが、Nさんはドイツの劇作家、ブレヒトの「異化効果」を具現化するために、舞台で「イカ」を焼いた、、、異化効果。イカ効果、イカ焼こうか、、、
やれやれ。(インチキ臭さはここにはない。もー、ただのインチキだ。)
呆れて物が言えない。
しかし、今まで観たどのブレヒト劇より面白かった。
劇場はNさんの思惑通り、衝撃や静寂や爆笑や沈黙や落涙や興奮に包まれる。
当時、そんな芝居を作り上げている劇団はほとんど無かった。
僕は魅了された。
数年後、大阪で初めてNさんに会った。
稽古場の階段ですれ違った時、面識の無い僕に、「いやー、高速で事故って車が燃えちゃってさぁ。ビックリしたよー!」と包み込む様な満面の笑みで話しかけて来た。
ビックリしたのはこちらである。なんて人なんだと思った。
さらに数年後、同じ舞台で一緒になった。
僕はさらに魅了された。
「一緒に芝居やろーぜ。」と誘われた。
断る理由など見つからない。
「アドリブの芝居だから台詞覚えなくていいからね。」と言われた。
意味がわからない。(やはりインチキだ)
そんな事言われても無理だから稽古させてくれと頼んだ。
Nさんは少し考えてから、「そーかー。わかった。じゃあ、海に行こう。」と言った。
意味がわからない。(もー書かない)
アドリブ芝居のメンバー。
看板の永盛丸という船にNさんの親戚の漁師が乗っていた。
3泊だか4泊だか、みんなで海に行った。で、遊んだ。
稽古はしなかった。
楽しかった。
子供の頃みたいに楽しかった。
このまま夏休みが終わらないで欲しい。みたいな感情が湧き出て来た。
この3ショットは手前のタオルがNさん。
奥のバンダナが僕。
真ん中の赤いTシャツが、のぼるくんのお母さん、「さゆり」の飼い主。
大阪だけの公演だったので、大阪へ戻った。
大阪では、バスケットやテニスで遊んだ。
水を人間はどれだけ飲めるのか?をみんなで競争した。コンビニで冷たい2リットルの水を2本づつ買い込んで飲んでみた。
胃がパンパンになり、消防のホースよりも勢いよく水を吐いた。
みんな笑った。おもいっきり笑った。
いきなり冷たい水を飲んだので、急激に身体が冷えて、信じられないくらい身体が震えた。みんなで心から笑った。歯がガチガチ鳴った。
遊び終わってから毎日「正宗屋」という安い(当時、10年ちょい前くらいの大阪で、安いってのは信じられないくらい安かった。しかもうまい。)居酒屋で呑んだ。
そこでもみんな本当に楽しそうに笑った。
結局、稽古らしい稽古はしなかった。
しかし、芝居の評判は大変良かった。
まるで魔法使いである。
とにかく、Nさんはちょいとインチキ臭い。
競馬を愛し(生活のほとんどは競馬関係の仕事らしい。)と言われている。
釣りを愛し。(マグロだかカツオ釣りの漁船に乗り込み、漁師をしていた時期もあるらしい)
もー、いかがわしいにも程がある。
大阪に僕が芝居の公演に行くと、
「勝村よ、座長って大変だろ。今日は俺がおごってやるからな。」
と包み込む様な満面の笑みでビールをクイッと呑む。
二人でしばらく無言のまま、ビールをクイッと呑む。
安くて美味しい串揚げを山ほど頼む。
そして最後に必ずこう言う、
「お前はテレビでも映画でも何でもやってがんばるんだぞ。演劇は俺が守っとくからな。」
顔を覗くと、ちょいと赤みがかった包み込む様な満面の笑みで、焼酎をクイッとやっている。
フェデラーやっちゃいました。41連勝。
テニスの神様ボルグの記録に並びました。25年間も記録が破られてなかったんだね。ボルグ。
でも、全仏が終わってすぐにゲリー・ウェーバーオープンに出てたんだ。フェデラー。
バケモンだぁ。
何だろう?ゲリー・ウェバーオープンって?
でも大丈夫なのか?ウィンブルドン。
いよいよ、と言うか、もー始まりました。ウィンブルドン。楽しみです。
とても楽しみなんですが、、、
全仏、ワールドカップと眠れない日々を過ごしている私たちの健康はどーなるんだろー?
選手の過密スケジュールが問題になっていますが、見ている我々の過密スケジュールの問題はどーなっているんだろー?
世界中が混乱しているんだろーなー。
杉山、森上も見事1回戦を二日がかりで勝利!
おめでとーございます。
二人は2回戦であたるけど、まー、決勝戦まで行けばどのみち戦うんだから仕方ない。
近い将来、ウィンブルドンで日本人同士の決勝なんて見てみたいね。
そんな事を夢見て、さらに眠れない贅沢な日々、贅沢な時間を楽しませてもらいましょう。
フェデラーは、記録は塗り替えられるでしょう。って書いてたら、塗り替えちゃいました。簡単に。まあ、昔の記録と今の記録は比較出来ないけど、数字が残ってしまうからなぁ。だけど凄い記録だよなぁ。
でもフェデラーは「ボルグには及ばない」って言ってたけど、全仏でクレーコートの記録を出した時のナダルもフェデラーを讃えていたし、一流選手ってちゃんとしてるね。
サッカーのワールドカップでも、ブラジルのロナウドが、僕のアイドル、ドイツのG.ミューラーの記録を塗り替えました。いろいろ条件が違うから本当に比較が出来ないんだけど、これまた凄い記録が生まれた。当分破られる事はないでしょう。
記録とは関係ないけど、シンクロの武田さんがラジオで話してたんだけど、手の平の水かきがかなり大きいらしい。しかも、泳いでいるうちに進化し始めたと言ってた。鈴木大地さんの手の平の水かきもかなりでかいらしい。
この話は、僕の頭の中で金メダル級の記録として残った。
身体を鍛えると筋肉がつくように、尋常じゃない時間泳ぎ続けると手の平の水かきが進化を始める。
凄いな~。見てみたいな~。直接。水かき。人間の。
他にも、水の中にずーっといるから、陸で、陸?でいいのかな?
陸で立っているのがつらかったとか興味深い事をたくさん話していた。
ジャックマイヨールなんか魚類のカテゴリーに入りそうだし。
サッカーでは、イングランドに惜しくも破れたエクアドルは、自国(ホーム)では異常に強い。W杯予選では、ブラジルやアルゼンチンを破って来ている。国がかなりの高地にあるため、酸素が薄く、慣れていない他の国の人達は体力的についていけないのが大きな敗因である。
つまり、エクアドルの人達は心肺機能が通常より発達しているんだね。
環境に順応して、「進化」したんだね。国民全てが。
昔、僕の友人(水球のオリンピック候補にもなった)が、空手の有段者とけんかになりそうになった時に「水」を探したそうだ。川でも池でも海でも「水」の中に引きずり込めば必ず勝てるからだ。
「お前はカッパか!」
アフリカのサンコンさんは日本に来て視力が4.0に落ちたらしいし、、、
他にもそんな話はいくらでもありそーだから、ダーウィンの「進化論」に対抗して、珍しい進化の本、「珍化論」かなんかだせそーな気がする。
中国の奥地では、空を飛べる人がいるらしいーし、(本当かよ。)野人はいるし(これはテレビで見た。)流石、四千年の歴史。
人間の身体ってのも、非常に興味深い。
僕も舞台をやっている時に、ちょっと感じる時がある。
大体、一ヶ月稽古する。死ぬ思いで稽古する。
本番がはじまる。
死ぬ思いで本番を迎える。
稽古場では味わう事の出来無い空間のドアを開ける。
するとそこには、様々な、幾重にも交錯している「念」が渦巻いている。
「舞台」は人を選ぶ。
舞台にあがるには、免許証みたいなものが必要だ。
もちろん、無免許でもつかまらないけど。
渦巻く「念」に絡み付かれると身体が「歪」になっていく。
心も「歪」になっていく。
正しく「歪」になれると「舞台」が手を伸ばして迎えて来れる。
酸素と水素の関係みたいに。
それで化学反応がおきて、よーやく「舞台」の一部になれる。
「舞台」は激しくエネルギーを消耗する。
しかし、しばらくすると稽古場の疲れがとれて来る。
すると同時に、本番の疲れが溜まって来る。
やれやれ。である。妙にバランスがいい。
台詞が身体に落ちて来る。
思いが身体から離れて行く。
そしてたまに「演劇の神様」が降りて来る。
そんな大嵐が同時に襲って来る時がある。
そんな時に身体の内側から、ぞわぞわと誰かが呼びに来る。
懐かしい友人が遊びに来たときみたいに。
身体が軽くなったり、重くなったり、不思議なバランスになる。
進化は、そんな時に始まっているのかも知れない。
「舞台」と言うキーワードが作用して。
では、今週も楽しく生きて行きまっしょい。
『Nさんの事』
大阪の友人にNさんがいる。
何と言うか、僕にとってとても大事な人なのだ。
Nさんは大阪で劇団を主宰している。
大阪人の様なふりをしているが、実は新百合ケ丘の生まれだ。
ちょいとインチキ臭い。
僕が芝居を始めた20年くらい前に、新宿の「タイニイアリス」という小さな劇場で、Nさんの劇団の芝居を観た。何故観に行ったかは失念してしまったが、あの衝撃は忘れない。
恐ろしい程の力技と人数とアイデアとセンスとばかばかしさ。
オープニングは、貧乏臭いアパートだ。
そこに越して来た青年に、以前住んでいたらしい人に宛てたらしい手紙が届く。
(らしいが多い。やはりインチキ臭い。)
手紙の主を求めて、記憶の旅に出る青年。
時間軸や空間軸がずれ、交錯し、応援団が現れ、大男が女性をジャイアントスイングでぶん回し、アパートの部屋が裂ける。
と、そこにはいつのまにか、銭湯の男湯が湧き出て来る。
全裸の男達が身体を洗い、水を怖がる長靴を履いた子供(大人だけど)が、シャンプーハットで頭をシャンプーしながら踊っている。
皆、大事な部分はうまいこと桶で隠し、たまにすべって露出してしまったり、、、
なんなんだこの人達は。いかれてる。確実に。
白日夢を見ている様だった。
クラクラした。
僕の思っている芝居の概念が(ま、概念なんて程演劇に詳しくはなかったが、、、)壊れた。
何でもいいんだ。何でもありなんだ。と思った。
ピカソの絵を初めて見たときの混乱に似ている。
同じ「人」や、「物」を見ても、ピカソの目には、「そー」写り、ピカソの鼻には、「そー」匂い、ピカソの耳には、「そー」聞こえる。
それを、「そー」、一枚の紙に描くだけなのだ。
Nさんも目や、鼻や、耳で感じた「そー」を舞台にしているだけなのだ。
Nさんの劇団のチラシ。
先月、東京でやっていた。
劇団に専属の鍼灸の先生がいたり、やはり怪しい。
演劇に明るくない人には何が何だかわからなくて申し訳ないが、Nさんはドイツの劇作家、ブレヒトの「異化効果」を具現化するために、舞台で「イカ」を焼いた、、、異化効果。イカ効果、イカ焼こうか、、、
やれやれ。(インチキ臭さはここにはない。もー、ただのインチキだ。)
呆れて物が言えない。
しかし、今まで観たどのブレヒト劇より面白かった。
劇場はNさんの思惑通り、衝撃や静寂や爆笑や沈黙や落涙や興奮に包まれる。
当時、そんな芝居を作り上げている劇団はほとんど無かった。
僕は魅了された。
数年後、大阪で初めてNさんに会った。
稽古場の階段ですれ違った時、面識の無い僕に、「いやー、高速で事故って車が燃えちゃってさぁ。ビックリしたよー!」と包み込む様な満面の笑みで話しかけて来た。
ビックリしたのはこちらである。なんて人なんだと思った。
さらに数年後、同じ舞台で一緒になった。
僕はさらに魅了された。
「一緒に芝居やろーぜ。」と誘われた。
断る理由など見つからない。
「アドリブの芝居だから台詞覚えなくていいからね。」と言われた。
意味がわからない。(やはりインチキだ)
そんな事言われても無理だから稽古させてくれと頼んだ。
Nさんは少し考えてから、「そーかー。わかった。じゃあ、海に行こう。」と言った。
意味がわからない。(もー書かない)
アドリブ芝居のメンバー。
看板の永盛丸という船にNさんの親戚の漁師が乗っていた。
3泊だか4泊だか、みんなで海に行った。で、遊んだ。
稽古はしなかった。
楽しかった。
子供の頃みたいに楽しかった。
このまま夏休みが終わらないで欲しい。みたいな感情が湧き出て来た。
この3ショットは手前のタオルがNさん。
奥のバンダナが僕。
真ん中の赤いTシャツが、のぼるくんのお母さん、「さゆり」の飼い主。
大阪だけの公演だったので、大阪へ戻った。
大阪では、バスケットやテニスで遊んだ。
水を人間はどれだけ飲めるのか?をみんなで競争した。コンビニで冷たい2リットルの水を2本づつ買い込んで飲んでみた。
胃がパンパンになり、消防のホースよりも勢いよく水を吐いた。
みんな笑った。おもいっきり笑った。
いきなり冷たい水を飲んだので、急激に身体が冷えて、信じられないくらい身体が震えた。みんなで心から笑った。歯がガチガチ鳴った。
遊び終わってから毎日「正宗屋」という安い(当時、10年ちょい前くらいの大阪で、安いってのは信じられないくらい安かった。しかもうまい。)居酒屋で呑んだ。
そこでもみんな本当に楽しそうに笑った。
結局、稽古らしい稽古はしなかった。
しかし、芝居の評判は大変良かった。
まるで魔法使いである。
とにかく、Nさんはちょいとインチキ臭い。
競馬を愛し(生活のほとんどは競馬関係の仕事らしい。)と言われている。
釣りを愛し。(マグロだかカツオ釣りの漁船に乗り込み、漁師をしていた時期もあるらしい)
もー、いかがわしいにも程がある。
大阪に僕が芝居の公演に行くと、
「勝村よ、座長って大変だろ。今日は俺がおごってやるからな。」
と包み込む様な満面の笑みでビールをクイッと呑む。
二人でしばらく無言のまま、ビールをクイッと呑む。
安くて美味しい串揚げを山ほど頼む。
そして最後に必ずこう言う、
「お前はテレビでも映画でも何でもやってがんばるんだぞ。演劇は俺が守っとくからな。」
顔を覗くと、ちょいと赤みがかった包み込む様な満面の笑みで、焼酎をクイッとやっている。
桜並木 / 2006年06月21日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
何だか、日本中がモヤッとしています。
勝てたんじゃないか?とか、まだブラジル戦が残ってるとか、、、
だけど、サッカーの日本代表もがんばっていますが、皆様、特にテニスを愛する皆様、杉山の全仏ダブルス準優勝は国民栄誉賞に値します。
もちろん今までの功績も含めたら、スーパー国民一生保証します入院1日1万円特別栄誉賞貰えます。間違いなく。ないけど。
杉山選手本当に素晴らしかった。
全仏にオーバーラップしてワールドカップが始まり、毎日野球やってるし、ゴルフも賑やかだし、ルマンだ、アメフトだ、体操だって、凄いよね。
あんまり気にした事なかったけど、ちょっと角度を変えて眺めてみると、世の中スポーツだらけ。スポーツ天国だぁ。え、天国?天国ってなんだろ?
まあいーや。
こんなにスポーツやってるんですね。普通に。
いい事だけど、、、
なんだろ、なんかしっくりこない。
大きな国は戦争中だし。小さな国もお手伝いしてる最中なのに、、、
ま、撤退するみたいだけど、、、いーの?
我が家の近所じゃ、ミサイルが発射準備完了しているみたいだし、、、、、
地球は倫理の無いおバカな星なんだなーって悲しくなりますね。
犬をしつけるみたいに人間しつける何かはないのかしらん?
天国?天国ってなんだろ?
ミサイルが僕の頭に落ちたら、天国に行けるのかしらん?
平和の分母は戦争なのかしらん?
まー、殺すよりは殺された方が100萬倍ましだから、胸を張って生きて行きましょう。
武器なんかいらないかんね。武器より借金返しましょうーよ。
借金無くして信頼を取り戻しましょーよ。
借金返済の取り立てがいろんな所で大問題になっているけど、こんだけ膨れ上がった国の借金は問題にしなくていいのかしらん?
借金取りが来たら大変だね。
誰に言ってんだろ。
日本の皆様。
ボランティア国家でいーんじゃない。武器なんか持たずに誇りと勇気を持ってね。
銃は銃でも、「心の銃」を使って、戦って行きましょう。
ってね。僕の敬愛するアナーキーの仲野茂さんも言ってます。
なんか、今週の書き出しはどーしたんだろー?
こんな内容にするつもりじゃなかったのに、、、
ちょっと話題を変えましょう。
あっと、そー言えば以前このブログで紹介した、我が家の獰猛な番犬。
のぼる君。
恩芽の「幸右衛門」を噛み殺した、凶暴な犬。
のぼる君。
近所じゃケルベロスと恐れられている(誰も恐れていないし)のぼる君。
最近、身体がでかくなって、トイレに頭を突っ込んで眠る様になりました。
トイレの時も、上半身はトイレに入っているのに、下半身が外に出てしまっているので、おもらし状態。ちゃんとトイレでしているので、何も言えません。
その我が家の気の弱いのぼる君が、なんとテレビ出演する事になりました。
この間、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングで、ちょっとのぼる君の事話したのと、この、ブログを見た制作会社の方が誘って下さったんです。
ちょっと、参ったなぁ~って思ったんだけど、司会が峰竜太さんだし、このブログで峰さんの話を使わせて頂いた時にのぼる君の事書いてるし、いやだとはいえません。
しかし、思いっきり不安を抱えております。長い時間車に乗った事ないし、スタジオなんかもちろん行った事ないし、トイレの事とか、考えたら限りが無い、、、
どーなる!のぼる君。何かやってなんて言われたら!
バカな犬とバカな飼い主。今から考えるだけで頭が破裂しそーだぁ~!
ってな事で今週も楽しく生きて行きましょう。
『桜並木』
桜並木を探して未だに彷徨っている。
僕の産まれた家のすぐそばに小さな川が流れていて、その川の両側に結構長い桜並木があった。
その小さな川は、「緑川」と呼ばれていた。
大人がジャンプすればなんとか飛べるくらいの幅の小さな川だ。
昔は、シジミなんかも採れたらしい。
僕が子供の頃はすっかり汚くなって、茶色になっていた。
「緑川」は普段はゆっくりと流れていたが、大雨の後など水の色も変わり水かさも増した。
まるで痩せた蛇が雨を浴び、一夜で脱皮して龍に化けた様だった。
そんな日は、朝から人々は何故か興奮状態だった。
もちろん僕も何故か興奮していた。
水かさが増した川には、何処から流れて来たのか、必ず大きな鯉が川を泳いでいた。
興奮の極みに達した子供達が、小さな網やら、棒やら、馬鹿でかい捕虫網やら、 四つ手網を持って、何時間もかけて鯉を追いかけていた。
捕まえられる事ほとんど無い。
稀に捕まえてしまった子供は、逆にどーしていいかわからず、周りの子供達を何故か怒鳴ったりしていた。
小さな蛇や、ガラスの瓶やテニスボールも流れて来た。
そんな時も子供達は興奮して、必ず石を投げた。
子供達にとって、石は万能の道具だった。
「重り」にも、「げんのう」にも、「ピストル」にも、「手裏剣」にも、、茶色になっていた。
「緑川」は普段はゆっくりと流れていたが、大雨の後など水の色も変わり水かさも増した。
まるで痩せた蛇が雨を浴び、一夜で脱皮して龍に化けた様だった。
そんな日は、朝から人々は何故か興奮状態だった。
もちろん僕も何故か興奮していた。
水かさが増した川には、何処から流れて来たのか、必ず大きな鯉が川を泳いでいた。
興奮の極みに達した子供達が、小さな網やら、棒やら、馬鹿でかい捕虫網やら、 四つ手網を持って、何時間もかけて鯉を追いかけていた。
捕まえられる事ほとんど無い。
稀に捕まえてしまった子供は、逆にどーしていいかわからず、周りの子供達を何故か怒鳴ったりしていた。
小さな蛇や、ガラスの瓶やテニスボールも流れて来た。
そんな時も子供達は興奮して、必ず石を投げた。
子供達にとって、石は万能の道具だった。
「重り」にも、「げんのう」にも、「ピストル」にも、「手裏剣」にも、「宝石」にも、「お金」にも、どんな物にも化けた。
桜も化けた。
寒い季節に桜の木は、裸の無数の枝を空に伸ばし、冬眠した神経のようだ。
何も感じる事無く息を殺し押し黙り、痩せ細って死んだふりをしている。
暖かくなり、少し汗をかいた後みたいに汗疹みたいなつぼみができる。
かゆみを我慢できず、掻き壊した様に花が咲き、降り始めた雪の様に時にやさしく、吹雪の様に時に激しく花びらを散らした。
時に子供達の頭の上から「アメリカ白火取」の幼虫を振り注ぐ。
(これが実にやっかいだった)
赤い小さな実を結ぶ木もあり、「緑川」を汚した手順と同じ様に、葉を緑からゆっくり茶色に汚す。
汚れた葉は地面を覆い尽くす。
汚された地面は、ペルシャ絨毯を敷いたみたいに美しかった。
そんな化け方が子供心にもちょっと色っぽい感じがした。
区画整理で「緑川」が大きな土管の中を流れ、地上から姿を消した。
忽然と消えた。
真ん中のコンクリートの所が、昔「緑川」が流れていた。
桜並木は1Kmくらい続いている。
古い桜が切り倒された。
ゆっくりとゆっくりと切り倒された。
昔、大河ドラマのワンシーンで、罪を犯した川谷拓三さん演じる坊主が、首から下を地中に埋められ、そこを通る旅人達に、のこぎりで一往復だけ引かせると言う罰を与えられた。(多分そんな感じ)
ゆっくりゆっくり切り倒されて行く桜を見ながら、そんなシーンが頭をグルグルと回っていた。
桜は罪を犯してはいなかった。
僕の中で何かが壊れた。
「緑川」と「桜並木」が、同じ様な「圧倒的な負の強引な力」で破壊された。
今思えば、川谷拓三さん演じる坊主の首の、最後ののこぎりを引いた旅人達は、 僕の敬愛する演劇人、唐十郎さんと李礼仙さんだったと記憶する。
不思議な感覚である。お二人を何故だか妙に覚えている。
ずっと後から演劇を始めた僕が、何もわからない頃に見たドラマの、初めて見た人達を(しかも、そんなに長くは出ていなかったと思う)鮮明に覚えている。
20年以上演劇を続けているが、始めた当初から今でもお二人には憧れている。
何かが繋がっている気がする。
人間は、出会い、関係を持つ人には、必ず繋がりがある気がする。
成人してから一人暮らしを始めた時、住む場所には、知らず知らずのうちに桜並 木の近くを選んでいる。
何かが繋がっている。
何度越しても近くに桜並木がある。
しかし、心が弾む桜並木に出会った事がない。
何故だか考えた。
それは、「緑川」が無いからだと気づいた。
それは感傷的な想いではない。
「緑川」は、超えられそうで超えられない、「一本の線」だ。
「境目」だったのだ。と気づいた。
向こう側とこちら側の「境目」
向こう側って、向こうに回ればこちら側になり、こちら側は向こうに回れば向こう側になる。
「緑川」は常に僕を欺いていたのだ。
「緑川」は、向こう側とこちら側の間に立てた鏡みたいなものだったのかも知れない。
境と鏡は「辺」が違うだけだ。だから何か「変」だったのだ。
「境目」
桜並木で目を眩ませて、僕を欺いていたのだ。
子供の頃桜並木を歩いていると、どうも何か、得体の知れない、奇妙な感覚に捉 えられる時があった。
こちら側から向こう側を見ると、向こう側からこちら側を見たくなってしまう。
それは、無限連鎖の何処かの鎖に繋がれてしまう様な恐さと魅力があった。
「緑川」は『境目』だったのだ。
「なにこころ無く引いた一本の境界線が闘争本能を生む事がある。」と言う台詞 があった。
「境目」は色気もあるし、危険でもある。
万物の問題は総じて「境目」にある。と思う。
「境目」はたくさんの「何か」をかえてしまう力を持っている。
この危険と色気を孕んだ「境目」。
「緑川」の小さな土手に立ち並ぶ、悪の華「桜並木」に心を奪われたままの僕 は、こちら側のものではなくなった、向こう側の、いや、向こう側のものではなく なった、こちら側の「緑川」に妖艶と咲き続ける「桜並木」を探し彷徨っている。
悪の華を探す僕は、無限連鎖の中に取り込まれたままの、無限連鎖の住人なのか も知れない。
何だか、日本中がモヤッとしています。
勝てたんじゃないか?とか、まだブラジル戦が残ってるとか、、、
だけど、サッカーの日本代表もがんばっていますが、皆様、特にテニスを愛する皆様、杉山の全仏ダブルス準優勝は国民栄誉賞に値します。
もちろん今までの功績も含めたら、スーパー国民一生保証します入院1日1万円特別栄誉賞貰えます。間違いなく。ないけど。
杉山選手本当に素晴らしかった。
全仏にオーバーラップしてワールドカップが始まり、毎日野球やってるし、ゴルフも賑やかだし、ルマンだ、アメフトだ、体操だって、凄いよね。
あんまり気にした事なかったけど、ちょっと角度を変えて眺めてみると、世の中スポーツだらけ。スポーツ天国だぁ。え、天国?天国ってなんだろ?
まあいーや。
こんなにスポーツやってるんですね。普通に。
いい事だけど、、、
なんだろ、なんかしっくりこない。
大きな国は戦争中だし。小さな国もお手伝いしてる最中なのに、、、
ま、撤退するみたいだけど、、、いーの?
我が家の近所じゃ、ミサイルが発射準備完了しているみたいだし、、、、、
地球は倫理の無いおバカな星なんだなーって悲しくなりますね。
犬をしつけるみたいに人間しつける何かはないのかしらん?
天国?天国ってなんだろ?
ミサイルが僕の頭に落ちたら、天国に行けるのかしらん?
平和の分母は戦争なのかしらん?
まー、殺すよりは殺された方が100萬倍ましだから、胸を張って生きて行きましょう。
武器なんかいらないかんね。武器より借金返しましょうーよ。
借金無くして信頼を取り戻しましょーよ。
借金返済の取り立てがいろんな所で大問題になっているけど、こんだけ膨れ上がった国の借金は問題にしなくていいのかしらん?
借金取りが来たら大変だね。
誰に言ってんだろ。
日本の皆様。
ボランティア国家でいーんじゃない。武器なんか持たずに誇りと勇気を持ってね。
銃は銃でも、「心の銃」を使って、戦って行きましょう。
ってね。僕の敬愛するアナーキーの仲野茂さんも言ってます。
なんか、今週の書き出しはどーしたんだろー?
こんな内容にするつもりじゃなかったのに、、、
ちょっと話題を変えましょう。
あっと、そー言えば以前このブログで紹介した、我が家の獰猛な番犬。
のぼる君。
恩芽の「幸右衛門」を噛み殺した、凶暴な犬。
のぼる君。
近所じゃケルベロスと恐れられている(誰も恐れていないし)のぼる君。
最近、身体がでかくなって、トイレに頭を突っ込んで眠る様になりました。
トイレの時も、上半身はトイレに入っているのに、下半身が外に出てしまっているので、おもらし状態。ちゃんとトイレでしているので、何も言えません。
その我が家の気の弱いのぼる君が、なんとテレビ出演する事になりました。
この間、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングで、ちょっとのぼる君の事話したのと、この、ブログを見た制作会社の方が誘って下さったんです。
ちょっと、参ったなぁ~って思ったんだけど、司会が峰竜太さんだし、このブログで峰さんの話を使わせて頂いた時にのぼる君の事書いてるし、いやだとはいえません。
しかし、思いっきり不安を抱えております。長い時間車に乗った事ないし、スタジオなんかもちろん行った事ないし、トイレの事とか、考えたら限りが無い、、、
どーなる!のぼる君。何かやってなんて言われたら!
バカな犬とバカな飼い主。今から考えるだけで頭が破裂しそーだぁ~!
ってな事で今週も楽しく生きて行きましょう。
『桜並木』
桜並木を探して未だに彷徨っている。
僕の産まれた家のすぐそばに小さな川が流れていて、その川の両側に結構長い桜並木があった。
その小さな川は、「緑川」と呼ばれていた。
大人がジャンプすればなんとか飛べるくらいの幅の小さな川だ。
昔は、シジミなんかも採れたらしい。
僕が子供の頃はすっかり汚くなって、茶色になっていた。
「緑川」は普段はゆっくりと流れていたが、大雨の後など水の色も変わり水かさも増した。
まるで痩せた蛇が雨を浴び、一夜で脱皮して龍に化けた様だった。
そんな日は、朝から人々は何故か興奮状態だった。
もちろん僕も何故か興奮していた。
水かさが増した川には、何処から流れて来たのか、必ず大きな鯉が川を泳いでいた。
興奮の極みに達した子供達が、小さな網やら、棒やら、馬鹿でかい捕虫網やら、 四つ手網を持って、何時間もかけて鯉を追いかけていた。
捕まえられる事ほとんど無い。
稀に捕まえてしまった子供は、逆にどーしていいかわからず、周りの子供達を何故か怒鳴ったりしていた。
小さな蛇や、ガラスの瓶やテニスボールも流れて来た。
そんな時も子供達は興奮して、必ず石を投げた。
子供達にとって、石は万能の道具だった。
「重り」にも、「げんのう」にも、「ピストル」にも、「手裏剣」にも、、茶色になっていた。
「緑川」は普段はゆっくりと流れていたが、大雨の後など水の色も変わり水かさも増した。
まるで痩せた蛇が雨を浴び、一夜で脱皮して龍に化けた様だった。
そんな日は、朝から人々は何故か興奮状態だった。
もちろん僕も何故か興奮していた。
水かさが増した川には、何処から流れて来たのか、必ず大きな鯉が川を泳いでいた。
興奮の極みに達した子供達が、小さな網やら、棒やら、馬鹿でかい捕虫網やら、 四つ手網を持って、何時間もかけて鯉を追いかけていた。
捕まえられる事ほとんど無い。
稀に捕まえてしまった子供は、逆にどーしていいかわからず、周りの子供達を何故か怒鳴ったりしていた。
小さな蛇や、ガラスの瓶やテニスボールも流れて来た。
そんな時も子供達は興奮して、必ず石を投げた。
子供達にとって、石は万能の道具だった。
「重り」にも、「げんのう」にも、「ピストル」にも、「手裏剣」にも、「宝石」にも、「お金」にも、どんな物にも化けた。
桜も化けた。
寒い季節に桜の木は、裸の無数の枝を空に伸ばし、冬眠した神経のようだ。
何も感じる事無く息を殺し押し黙り、痩せ細って死んだふりをしている。
暖かくなり、少し汗をかいた後みたいに汗疹みたいなつぼみができる。
かゆみを我慢できず、掻き壊した様に花が咲き、降り始めた雪の様に時にやさしく、吹雪の様に時に激しく花びらを散らした。
時に子供達の頭の上から「アメリカ白火取」の幼虫を振り注ぐ。
(これが実にやっかいだった)
赤い小さな実を結ぶ木もあり、「緑川」を汚した手順と同じ様に、葉を緑からゆっくり茶色に汚す。
汚れた葉は地面を覆い尽くす。
汚された地面は、ペルシャ絨毯を敷いたみたいに美しかった。
そんな化け方が子供心にもちょっと色っぽい感じがした。
区画整理で「緑川」が大きな土管の中を流れ、地上から姿を消した。
忽然と消えた。
真ん中のコンクリートの所が、昔「緑川」が流れていた。
桜並木は1Kmくらい続いている。
古い桜が切り倒された。
ゆっくりとゆっくりと切り倒された。
昔、大河ドラマのワンシーンで、罪を犯した川谷拓三さん演じる坊主が、首から下を地中に埋められ、そこを通る旅人達に、のこぎりで一往復だけ引かせると言う罰を与えられた。(多分そんな感じ)
ゆっくりゆっくり切り倒されて行く桜を見ながら、そんなシーンが頭をグルグルと回っていた。
桜は罪を犯してはいなかった。
僕の中で何かが壊れた。
「緑川」と「桜並木」が、同じ様な「圧倒的な負の強引な力」で破壊された。
今思えば、川谷拓三さん演じる坊主の首の、最後ののこぎりを引いた旅人達は、 僕の敬愛する演劇人、唐十郎さんと李礼仙さんだったと記憶する。
不思議な感覚である。お二人を何故だか妙に覚えている。
ずっと後から演劇を始めた僕が、何もわからない頃に見たドラマの、初めて見た人達を(しかも、そんなに長くは出ていなかったと思う)鮮明に覚えている。
20年以上演劇を続けているが、始めた当初から今でもお二人には憧れている。
何かが繋がっている気がする。
人間は、出会い、関係を持つ人には、必ず繋がりがある気がする。
成人してから一人暮らしを始めた時、住む場所には、知らず知らずのうちに桜並 木の近くを選んでいる。
何かが繋がっている。
何度越しても近くに桜並木がある。
しかし、心が弾む桜並木に出会った事がない。
何故だか考えた。
それは、「緑川」が無いからだと気づいた。
それは感傷的な想いではない。
「緑川」は、超えられそうで超えられない、「一本の線」だ。
「境目」だったのだ。と気づいた。
向こう側とこちら側の「境目」
向こう側って、向こうに回ればこちら側になり、こちら側は向こうに回れば向こう側になる。
「緑川」は常に僕を欺いていたのだ。
「緑川」は、向こう側とこちら側の間に立てた鏡みたいなものだったのかも知れない。
境と鏡は「辺」が違うだけだ。だから何か「変」だったのだ。
「境目」
桜並木で目を眩ませて、僕を欺いていたのだ。
子供の頃桜並木を歩いていると、どうも何か、得体の知れない、奇妙な感覚に捉 えられる時があった。
こちら側から向こう側を見ると、向こう側からこちら側を見たくなってしまう。
それは、無限連鎖の何処かの鎖に繋がれてしまう様な恐さと魅力があった。
「緑川」は『境目』だったのだ。
「なにこころ無く引いた一本の境界線が闘争本能を生む事がある。」と言う台詞 があった。
「境目」は色気もあるし、危険でもある。
万物の問題は総じて「境目」にある。と思う。
「境目」はたくさんの「何か」をかえてしまう力を持っている。
この危険と色気を孕んだ「境目」。
「緑川」の小さな土手に立ち並ぶ、悪の華「桜並木」に心を奪われたままの僕 は、こちら側のものではなくなった、向こう側の、いや、向こう側のものではなく なった、こちら側の「緑川」に妖艶と咲き続ける「桜並木」を探し彷徨っている。
悪の華を探す僕は、無限連鎖の中に取り込まれたままの、無限連鎖の住人なのか も知れない。
クロス / 2006年06月14日
テニスを愛する皆様。ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
全仏が終わりました。すごい。もーすんごい。
それしか言う事がありません。
クズネツォワがインタヴューでエナンに対し「技術以上の差を感じた」と言っていました。他の選手もエナンのプレイ以上に気持ちの強さの事を讃えている。
戦っている相手に、気持ちで上回るって面白い。そー思いません?
肉体と精神の相互関係ってのは、どーなっているのかしらん?
数年前、サッカーの試合している時に、キーパーがいなかったので後半からキーパーをやった事がありまして(じゃんけんで負けたんですね)代わってすぐにピンチが訪れました。
そんな時に限って相手のフォワードと1対1になっちゃって、そんな時に限って相手の膝でこめかみを蹴られて、、、
気が付いたら試合が終わってました。
いえいえ、気絶していたとかじゃないんです。その後は、点も取られてないんですよ。ちゃんと試合に参加してたらしいんですが、試合後最初にチームメイトに言った言葉が、「どっちが勝ったの?」でした。
みんなポカーンとしてました。
僕もポカーンとしてました。
まー、状態としては、気絶していたんですね。立ったまま。
気絶はしているんだけど、倒れていない。
しかも、30分以上ちゃんと試合でプレーしているんですよ。
不思議でしょ。
そー言えばサッカーのワールドカップでも、日本中のサポーターがオーストラリア戦の最後の10分は、テレビを見ながら気絶していたんじゃないかなぁ?
ちょっと違うけど。
昔、アントニオ猪木が「精神が肉体を凌駕する」って言ってた。
様な気がする。
杉山は残念でしたけど、安定した力を、常にどの大会でも出せるってすごい事です。
優勝を逃してしまい残念でしたが、素晴らしい。日本の誇りです。
すごいと言えば、今回の全仏は、「ナダル」でした。
震えました。僕がテニスを見始めたのは、B.ボルグとJ.コナーズの戦いぐらいからだと思います。
女子では、キング婦人とか、ストーブ婦人が戦ってました。多分。
その時に既にテニスは完成されていたと思ってました。
ボルグを超える選手は考えられなかったし。
後は、キャラクターの勝負かな?なんて思ってました。
しかし、ナダルに全てを否定された気がしました。
進化している。
恐いくらいに。
アニメの中でしか成立しえない様な荒技を、「実写」で見せてくれました。
もー、テレビゲームです。
テレビゲームの達人が「ナダル」というキャラクターを選び、エキシビジョンで技を見せてくれているみたいでした。
しかも、ボールまで違うゲームの達人がコントロールしているみたいでした。
本当にすごかった。
しかもちゃんと、世界で一番強いのはフェデラーだと言い切る強さも持っています。
恐ろしいプレイヤーです。
人間とテニスの「進化」の途中をこの目で見る事が出来るとは思いませんでした。
ナダルは進化の途中です。実際、身長も体重も増えているし。
マイケルジョーダンが、人間から「進化」した様に、ナダルもさらに「進化」してくれるでしょう。
これからのテニスは、僕らが生きているうちに、スーパーサイヤ人の様な「進化」した選手達、「進化」したテニスでの戦いが、僕らの肉眼で見る事が出来る時代が来るでしょう。
スーパーサイヤ人になっても、ナダルには試合中にバナナを喉に詰まらせて欲しい。おっちょこぶりはそのままでね。
『クロス』
仕事で海外に行く事が何故か多い。
去年は、元旦からニューメキシコに行った。
トランジットで降り立ったダラスの空港は巨大で、警備も厳重で、何だか圧倒された。
購買意欲を誘う様なお土産ものも無く、仕方なく友人に買ったのは、瀬戸物で出来たサボテンの「塩、胡椒入れ」。
下北沢でも買えそうな物だった。
ダラスカウボーイズのTシャツも派手すぎて、ちょっと買って行く気にはならなかった。この空港には、この先何年、、、いやー、一生来ないかもな。
なんて思っていた。
帰国したら、2005年の僕の正月は姿を消していた。
2週間後にテキサスに行く事は決まっていた。
ニューヨークや、ロスは仕事でもプライベートでも行く可能性があるけど、 ニューメキシコや、テキサスは中々行く機会がないので、地理的な事もほとんどわかっていなかった。
2週間後、テキサスに向かう為に、何とまたしても、ダラス空港に降り立った。
気を失いそうだった。
全く同じ風景。デジャヴュかと思った。
相変わらず、空港は巨大で、警備が厳重で、圧倒された。
購買意欲を誘うお土産は相変わらず売って無かった。
しかも、相変わらず空港のスターバックスでは、何故なの?何故そんなに砂糖を入れるの?ってな人達だらけ。(カップの三分の一くらい入れる人がいる)
僕はアメリカのケーキが甘すぎて食べられないんだけど、この人達ならあのくらいのケーキを食べるのは楽勝だなと、変なところで妙に納得した。
そして、別の友人にサボテンの「塩、胡椒入れ」を買った。
前にサボテンをお土産にあげた友人にも、また買ってあげようかと迷ったが、止めた。(ちなみにその友人とは、俳優の高橋克実ちゃん)
その後もリトアニアにロケーションで行き、ドイツもロケーション。
フランスの後輩のところに遊びに行き、スペインには、サッカーのクラシコ(R,マドリードVSバルセロナ)を見にいった。
去年は、およそ2ヶ月くらい日本にいなかった。
今年も、3月にオーストラリアに行って来た。
海外に行くと何故か落ち着くし、驚く程歩く。
海外の街の中心は教会である。
僕は無宗教だが、海外では必ず街の教会を訪れる。
何故か吸い込まれる様に、入る事が当たり前の様に教会に入ってしまう。
以前、ミラノのドォーモに入った時に身体が震えたからだ。
涙が出そうになった。
言葉では言い表せない厳粛な雰囲気に圧倒された。僕の身体に歴史が刺さって来て身動き出来なくなった。
初めてB.ボルグの試合を観た時に似ていた。
冷静で、情熱を内包し、精密で、緊張感に満ちているのに楽しんでいて、そして何より対戦相手を愛している様だった。対戦相手が強ければ強い程、自分を苦しめてくれる対戦相手を愛しみながらプレイしている様にみえた。
そして、ドォーモで初めてクロスを買った。
何だか東京タワーに行って東京タワーのキーホルダーを買う様な気がしたが、 どーでも良かった。
それから海外の街の教会では、必ずクロスを買う事にしている。
サンタフェの古いシンプルな教会。
フランクフルトの工事中だった教会。
オーストラリアでアポリジニに布教するために初めて作られた、周りに何も無い教会。
ドゥマゴでカフェオレを飲んでから入った、ドゥマゴの横の教会。
全てクロスを買った。
ここまで来たら教会フェチと呼ばれても仕方ない。
何故教会に引かれるのだろう。
それは多分、歴史を背負った騒々しいくらいの「静寂」が支配している場所だからかもしれない。
日本でそーゆー場所を見つけるのは大変だ。
海外にかぶれているわけじゃないけど、フランスでは、朝、カフェでカフェオレとクロワッサンを頼む。
当たり前の事だ。
焼きたてのクロワッサンを食べながら外を眺めているだけで、ちょっと幸福な気持ちになる。
テキサスのランチ(牧場)で朝から晩まで馬の世話をする。
当たり前の事だ。
早朝に放し飼いにしていた馬を集めて餌をやる。それから広大な敷地に大量の牧草を撒く。トイレの掃除をして、壊れた柵を直し、蹄を変えたり、ブラッシングしたり。それだけで心から気持ちがやさしくなる。
冬のサンタフェでは、雪の早朝散歩していると、一軒だけやっているスターバックスを見つけ中に入る。客どうしが小声で挨拶をかわし、熱いコーヒーを啜る。
それだけで生きていて良かったと思う。
それは何故なのか。
何故日本にいる時にはそーゆー気持ちになりづらいのか。
その「何故」を時間をかけて考えてみたいと思う。
それがわかったら、折り返した人生をゆたかに過ごせる気がする。
全仏が終わりました。すごい。もーすんごい。
それしか言う事がありません。
クズネツォワがインタヴューでエナンに対し「技術以上の差を感じた」と言っていました。他の選手もエナンのプレイ以上に気持ちの強さの事を讃えている。
戦っている相手に、気持ちで上回るって面白い。そー思いません?
肉体と精神の相互関係ってのは、どーなっているのかしらん?
数年前、サッカーの試合している時に、キーパーがいなかったので後半からキーパーをやった事がありまして(じゃんけんで負けたんですね)代わってすぐにピンチが訪れました。
そんな時に限って相手のフォワードと1対1になっちゃって、そんな時に限って相手の膝でこめかみを蹴られて、、、
気が付いたら試合が終わってました。
いえいえ、気絶していたとかじゃないんです。その後は、点も取られてないんですよ。ちゃんと試合に参加してたらしいんですが、試合後最初にチームメイトに言った言葉が、「どっちが勝ったの?」でした。
みんなポカーンとしてました。
僕もポカーンとしてました。
まー、状態としては、気絶していたんですね。立ったまま。
気絶はしているんだけど、倒れていない。
しかも、30分以上ちゃんと試合でプレーしているんですよ。
不思議でしょ。
そー言えばサッカーのワールドカップでも、日本中のサポーターがオーストラリア戦の最後の10分は、テレビを見ながら気絶していたんじゃないかなぁ?
ちょっと違うけど。
昔、アントニオ猪木が「精神が肉体を凌駕する」って言ってた。
様な気がする。
杉山は残念でしたけど、安定した力を、常にどの大会でも出せるってすごい事です。
優勝を逃してしまい残念でしたが、素晴らしい。日本の誇りです。
すごいと言えば、今回の全仏は、「ナダル」でした。
震えました。僕がテニスを見始めたのは、B.ボルグとJ.コナーズの戦いぐらいからだと思います。
女子では、キング婦人とか、ストーブ婦人が戦ってました。多分。
その時に既にテニスは完成されていたと思ってました。
ボルグを超える選手は考えられなかったし。
後は、キャラクターの勝負かな?なんて思ってました。
しかし、ナダルに全てを否定された気がしました。
進化している。
恐いくらいに。
アニメの中でしか成立しえない様な荒技を、「実写」で見せてくれました。
もー、テレビゲームです。
テレビゲームの達人が「ナダル」というキャラクターを選び、エキシビジョンで技を見せてくれているみたいでした。
しかも、ボールまで違うゲームの達人がコントロールしているみたいでした。
本当にすごかった。
しかもちゃんと、世界で一番強いのはフェデラーだと言い切る強さも持っています。
恐ろしいプレイヤーです。
人間とテニスの「進化」の途中をこの目で見る事が出来るとは思いませんでした。
ナダルは進化の途中です。実際、身長も体重も増えているし。
マイケルジョーダンが、人間から「進化」した様に、ナダルもさらに「進化」してくれるでしょう。
これからのテニスは、僕らが生きているうちに、スーパーサイヤ人の様な「進化」した選手達、「進化」したテニスでの戦いが、僕らの肉眼で見る事が出来る時代が来るでしょう。
スーパーサイヤ人になっても、ナダルには試合中にバナナを喉に詰まらせて欲しい。おっちょこぶりはそのままでね。
『クロス』
仕事で海外に行く事が何故か多い。
去年は、元旦からニューメキシコに行った。
トランジットで降り立ったダラスの空港は巨大で、警備も厳重で、何だか圧倒された。
購買意欲を誘う様なお土産ものも無く、仕方なく友人に買ったのは、瀬戸物で出来たサボテンの「塩、胡椒入れ」。
下北沢でも買えそうな物だった。
ダラスカウボーイズのTシャツも派手すぎて、ちょっと買って行く気にはならなかった。この空港には、この先何年、、、いやー、一生来ないかもな。
なんて思っていた。
帰国したら、2005年の僕の正月は姿を消していた。
2週間後にテキサスに行く事は決まっていた。
ニューヨークや、ロスは仕事でもプライベートでも行く可能性があるけど、 ニューメキシコや、テキサスは中々行く機会がないので、地理的な事もほとんどわかっていなかった。
2週間後、テキサスに向かう為に、何とまたしても、ダラス空港に降り立った。
気を失いそうだった。
全く同じ風景。デジャヴュかと思った。
相変わらず、空港は巨大で、警備が厳重で、圧倒された。
購買意欲を誘うお土産は相変わらず売って無かった。
しかも、相変わらず空港のスターバックスでは、何故なの?何故そんなに砂糖を入れるの?ってな人達だらけ。(カップの三分の一くらい入れる人がいる)
僕はアメリカのケーキが甘すぎて食べられないんだけど、この人達ならあのくらいのケーキを食べるのは楽勝だなと、変なところで妙に納得した。
そして、別の友人にサボテンの「塩、胡椒入れ」を買った。
前にサボテンをお土産にあげた友人にも、また買ってあげようかと迷ったが、止めた。(ちなみにその友人とは、俳優の高橋克実ちゃん)
その後もリトアニアにロケーションで行き、ドイツもロケーション。
フランスの後輩のところに遊びに行き、スペインには、サッカーのクラシコ(R,マドリードVSバルセロナ)を見にいった。
去年は、およそ2ヶ月くらい日本にいなかった。
今年も、3月にオーストラリアに行って来た。
海外に行くと何故か落ち着くし、驚く程歩く。
海外の街の中心は教会である。
僕は無宗教だが、海外では必ず街の教会を訪れる。
何故か吸い込まれる様に、入る事が当たり前の様に教会に入ってしまう。
以前、ミラノのドォーモに入った時に身体が震えたからだ。
涙が出そうになった。
言葉では言い表せない厳粛な雰囲気に圧倒された。僕の身体に歴史が刺さって来て身動き出来なくなった。
初めてB.ボルグの試合を観た時に似ていた。
冷静で、情熱を内包し、精密で、緊張感に満ちているのに楽しんでいて、そして何より対戦相手を愛している様だった。対戦相手が強ければ強い程、自分を苦しめてくれる対戦相手を愛しみながらプレイしている様にみえた。
そして、ドォーモで初めてクロスを買った。
何だか東京タワーに行って東京タワーのキーホルダーを買う様な気がしたが、 どーでも良かった。
それから海外の街の教会では、必ずクロスを買う事にしている。
サンタフェの古いシンプルな教会。
フランクフルトの工事中だった教会。
オーストラリアでアポリジニに布教するために初めて作られた、周りに何も無い教会。
ドゥマゴでカフェオレを飲んでから入った、ドゥマゴの横の教会。
全てクロスを買った。
ここまで来たら教会フェチと呼ばれても仕方ない。
何故教会に引かれるのだろう。
それは多分、歴史を背負った騒々しいくらいの「静寂」が支配している場所だからかもしれない。
日本でそーゆー場所を見つけるのは大変だ。
海外にかぶれているわけじゃないけど、フランスでは、朝、カフェでカフェオレとクロワッサンを頼む。
当たり前の事だ。
焼きたてのクロワッサンを食べながら外を眺めているだけで、ちょっと幸福な気持ちになる。
テキサスのランチ(牧場)で朝から晩まで馬の世話をする。
当たり前の事だ。
早朝に放し飼いにしていた馬を集めて餌をやる。それから広大な敷地に大量の牧草を撒く。トイレの掃除をして、壊れた柵を直し、蹄を変えたり、ブラッシングしたり。それだけで心から気持ちがやさしくなる。
冬のサンタフェでは、雪の早朝散歩していると、一軒だけやっているスターバックスを見つけ中に入る。客どうしが小声で挨拶をかわし、熱いコーヒーを啜る。
それだけで生きていて良かったと思う。
それは何故なのか。
何故日本にいる時にはそーゆー気持ちになりづらいのか。
その「何故」を時間をかけて考えてみたいと思う。
それがわかったら、折り返した人生をゆたかに過ごせる気がする。
幸福の幸右衛門 / 2006年06月07日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
すっかり日が長くなり、外では子供達の声が夜の7時近くになっても盛んに聞こえて来ない今日この頃です。
ちとさみしい。
ちとさみしいと言えば。
ちょっと気になるんですが、全仏が、、、
え~と、、、
ど~も、、、
盛り上がりにかけてるんじゃないかと、、、、、
いえ、誤解して欲しくはないんですが、全仏は盛り上がってます。
男女ともに。シングルスもダブルスも。
順当に勝ち上がって行くシード選手。
波乱と言われようが、当然のごとく強豪をなぎ倒してして行く選手。
中断が流れを変えたり、バナナがのどに詰まったり。
日が沈んじゃって、二日かかって戦った選手。
これは個人的に好きだったなぁ。
日が沈んだから中止って、ちょっといかしてる。
僕は、スポーツはドームの競技場じゃないほうが好きです。
昔、後楽園球場がドームになった時、驚いて興奮して、同時にとても悲しくなった事を覚えています。
天気がわからない。匂いがわからない。空が見えない。太陽が消滅した。
迷子になった子供のような気がした。
話がそれたけど、
クレーコートの連勝記録をどこまで伸ばすんだナダル。
もちろん、杉山も絶好調!6日の段階ですが。等々。
盛り上がってます。
う~ん。でも何かおかしい。
大会は盛り上がっているのに、ワールドカップや、野球や、ゴルフに比べると、新聞や、テレビの扱いが。どーも。
なんかしっくり来ないんだな。これが。
言いたい事はありますが、ま、愚痴っても仕方ないんで、決勝まで心行くまで楽しみましょう。
今日は、ま、先週の続き。
と言うよりは、つながり。みたいな感じで書いてみました。
『幸福の幸右衛門』
舞台の時には色々な方から花をいただく。殺風景な楽屋や廊下が、一気に華やかになる。舞台は、気力と精力と体力を考えられないくらい使う。舞台から、廊下や楽屋に戻って来る時に、飾ってある花達が、一瞬、緊張して疲労した気持ちと身体を和らげてくれる事がある。
「もぐら」にこだわる訳じゃないけど、12年前の「もぐら」の舞台の時に、峰竜太さんから「幸福の木」をいただいた。
この「幸福の木」が驚く程成長した。
B.ベッカーが髭面で登場した時くらい驚いた。
初めは1メートルちょっとだったのが、じわじわと育ち、ざわざわと伸び上がり、ぼわぼわ広がって行った。
気がつくと、少年から青年に、青年からりっぱな大人へと、階段を駆け足であっと言う間に昇って行った。少女と言うよりは少年に近いオーラを出していた。
家に遊びに来る友人は、必ずこの「幸福の木」を誉めた。
ある日、名前をつけてあげようと思った。
迷わず、「幸右衛門」と名付けた。
「さちえもん」
名前のついた「幸福の木」はりっぱな名前に恥じない様に、さらに成長を加速した。
その姿は、「清く、正しく、美しく」まるで神が宿った様だった。
初めて見る人達も口を揃えて、『「幸右衛門」さんは、さらにりっぱになって行きますな~』と言ってくれた。
リビングに一人でいる時など、話しかけて来る様になった。
「幸右衛門」はいつも微笑んでいた。
家で友人と呑んでいた時、友人が『「幸右衛門」が枯れたら、この家はすんごい不幸がやって来るんじゃないか?』と笑った。僕は笑えなかった。
それは、すんごい不幸がやって来るからじゃなく、「幸右衛門」が枯れるなんて1度も考えた事が無かったからだ。
そんな事はおかまいなしに「幸右衛門」は成長を続けている。
青年期までの駆け足ではなく、階段をゆっくり踏みしめる様にごもごもと成長している。
去年の終わりに僕は死ぬ程落ち込んだ。
コールタールの海におもりをつけて沈んで行く様に落ち込んだ。息を吸うのも忘れてしまう程だった。二度と浮き上がらないんじゃないかと思った。
気がつくと「幸右衛門」が枯れていた。
「幸右衛門」が死んだ。
今まで、全く弱ったそぶりなど、微塵も見せなかったのに。
まるで僕を一人きりさせまいとしたかの様に。
死んでしまいたいと思った僕の心を見透かした様に。
「幸右衛門」が死んだ。
僕の後を追う様に、一緒にコールタールの海に沈んで来た。
このまま全てが駄目になってしまうのかと思った。
数週間後、死んだ「幸右衛門」の根元から新芽が出て来た。
考えられなかった。
13年も経っているのである。
その新芽は、はっきりと、強い意思を持っている様に見えた。
そして、またしても驚くべき速度で成長していった。
それから久しぶりに話しかけて来た。
「なあ、お前もそろそろ目を覚ませよ。」
小さな、新しい「幸右衛門」が、ゆっくりと微笑んだ。
皆様に報告があります。
「幸右衛門」の新しい命の「新芽」。
僕の希望の光でもある「新芽」。
久々に僕に話しかけてくれた、久々に微笑みかけてくれた、新しい「幸右衛 門」。
生きる勇気を与えてくれた、「恩人」いや、「恩芽」。
ぶいぶい成長を始めた「恩芽」。
その新芽の「恩芽」が、写真を撮ったすぐ後に、前に紹介したフレンチブルドッグの「のぼる」くんに、しかもその乳歯に、無惨にもかみ殺されてしまいました。
ちょっと目を離したすきに、、、
人間なんて自然の中ではちっぽけです。
人間の苦悩や悲しみなんてその人以外にはなんでもありません。
喜怒哀楽なんて大した事じゃありません。
今回の事でよくわかりました。
僕と「幸右衛門」の13年が、、、、、
僕の死ぬ程の悲しみの身代わりになってくれた、再生のきっかけになってくれた、僕の中では最高峰に近い人生のドラマチックな出来事が、、、
犬の一噛みで終わってしまうんですから。
人間なんて、地球という星をほんの「一瞬」、借りて住んでいるだけの存在です。
「のぼる」の乳歯の前には、13年だろーが、死ぬ程の悲しみだろーが、餌に見えたら全部食う。これです。
生きる事は食う事です。
「のぼる」くんは今日も元気です。
僕は、また一つ大人になった気がしました。全ての事に感謝して生きていきます。
すっかり日が長くなり、外では子供達の声が夜の7時近くになっても盛んに聞こえて来ない今日この頃です。
ちとさみしい。
ちとさみしいと言えば。
ちょっと気になるんですが、全仏が、、、
え~と、、、
ど~も、、、
盛り上がりにかけてるんじゃないかと、、、、、
いえ、誤解して欲しくはないんですが、全仏は盛り上がってます。
男女ともに。シングルスもダブルスも。
順当に勝ち上がって行くシード選手。
波乱と言われようが、当然のごとく強豪をなぎ倒してして行く選手。
中断が流れを変えたり、バナナがのどに詰まったり。
日が沈んじゃって、二日かかって戦った選手。
これは個人的に好きだったなぁ。
日が沈んだから中止って、ちょっといかしてる。
僕は、スポーツはドームの競技場じゃないほうが好きです。
昔、後楽園球場がドームになった時、驚いて興奮して、同時にとても悲しくなった事を覚えています。
天気がわからない。匂いがわからない。空が見えない。太陽が消滅した。
迷子になった子供のような気がした。
話がそれたけど、
クレーコートの連勝記録をどこまで伸ばすんだナダル。
もちろん、杉山も絶好調!6日の段階ですが。等々。
盛り上がってます。
う~ん。でも何かおかしい。
大会は盛り上がっているのに、ワールドカップや、野球や、ゴルフに比べると、新聞や、テレビの扱いが。どーも。
なんかしっくり来ないんだな。これが。
言いたい事はありますが、ま、愚痴っても仕方ないんで、決勝まで心行くまで楽しみましょう。
今日は、ま、先週の続き。
と言うよりは、つながり。みたいな感じで書いてみました。
『幸福の幸右衛門』
舞台の時には色々な方から花をいただく。殺風景な楽屋や廊下が、一気に華やかになる。舞台は、気力と精力と体力を考えられないくらい使う。舞台から、廊下や楽屋に戻って来る時に、飾ってある花達が、一瞬、緊張して疲労した気持ちと身体を和らげてくれる事がある。
「もぐら」にこだわる訳じゃないけど、12年前の「もぐら」の舞台の時に、峰竜太さんから「幸福の木」をいただいた。
この「幸福の木」が驚く程成長した。
B.ベッカーが髭面で登場した時くらい驚いた。
初めは1メートルちょっとだったのが、じわじわと育ち、ざわざわと伸び上がり、ぼわぼわ広がって行った。
気がつくと、少年から青年に、青年からりっぱな大人へと、階段を駆け足であっと言う間に昇って行った。少女と言うよりは少年に近いオーラを出していた。
家に遊びに来る友人は、必ずこの「幸福の木」を誉めた。
ある日、名前をつけてあげようと思った。
迷わず、「幸右衛門」と名付けた。
「さちえもん」
名前のついた「幸福の木」はりっぱな名前に恥じない様に、さらに成長を加速した。
その姿は、「清く、正しく、美しく」まるで神が宿った様だった。
初めて見る人達も口を揃えて、『「幸右衛門」さんは、さらにりっぱになって行きますな~』と言ってくれた。
リビングに一人でいる時など、話しかけて来る様になった。
「幸右衛門」はいつも微笑んでいた。
家で友人と呑んでいた時、友人が『「幸右衛門」が枯れたら、この家はすんごい不幸がやって来るんじゃないか?』と笑った。僕は笑えなかった。
それは、すんごい不幸がやって来るからじゃなく、「幸右衛門」が枯れるなんて1度も考えた事が無かったからだ。
そんな事はおかまいなしに「幸右衛門」は成長を続けている。
青年期までの駆け足ではなく、階段をゆっくり踏みしめる様にごもごもと成長している。
去年の終わりに僕は死ぬ程落ち込んだ。
コールタールの海におもりをつけて沈んで行く様に落ち込んだ。息を吸うのも忘れてしまう程だった。二度と浮き上がらないんじゃないかと思った。
気がつくと「幸右衛門」が枯れていた。
「幸右衛門」が死んだ。
今まで、全く弱ったそぶりなど、微塵も見せなかったのに。
まるで僕を一人きりさせまいとしたかの様に。
死んでしまいたいと思った僕の心を見透かした様に。
「幸右衛門」が死んだ。
僕の後を追う様に、一緒にコールタールの海に沈んで来た。
このまま全てが駄目になってしまうのかと思った。
数週間後、死んだ「幸右衛門」の根元から新芽が出て来た。
考えられなかった。
13年も経っているのである。
その新芽は、はっきりと、強い意思を持っている様に見えた。
そして、またしても驚くべき速度で成長していった。
それから久しぶりに話しかけて来た。
「なあ、お前もそろそろ目を覚ませよ。」
小さな、新しい「幸右衛門」が、ゆっくりと微笑んだ。
皆様に報告があります。
「幸右衛門」の新しい命の「新芽」。
僕の希望の光でもある「新芽」。
久々に僕に話しかけてくれた、久々に微笑みかけてくれた、新しい「幸右衛 門」。
生きる勇気を与えてくれた、「恩人」いや、「恩芽」。
ぶいぶい成長を始めた「恩芽」。
その新芽の「恩芽」が、写真を撮ったすぐ後に、前に紹介したフレンチブルドッグの「のぼる」くんに、しかもその乳歯に、無惨にもかみ殺されてしまいました。
ちょっと目を離したすきに、、、
合掌。
人間なんて自然の中ではちっぽけです。
人間の苦悩や悲しみなんてその人以外にはなんでもありません。
喜怒哀楽なんて大した事じゃありません。
今回の事でよくわかりました。
僕と「幸右衛門」の13年が、、、、、
僕の死ぬ程の悲しみの身代わりになってくれた、再生のきっかけになってくれた、僕の中では最高峰に近い人生のドラマチックな出来事が、、、
犬の一噛みで終わってしまうんですから。
人間なんて、地球という星をほんの「一瞬」、借りて住んでいるだけの存在です。
「のぼる」の乳歯の前には、13年だろーが、死ぬ程の悲しみだろーが、餌に見えたら全部食う。これです。
生きる事は食う事です。
「のぼる」くんは今日も元気です。
僕は、また一つ大人になった気がしました。全ての事に感謝して生きていきます。
ありがとう。そしてさよなら「恩芽」君