クロス / 2006年06月14日
テニスを愛する皆様。ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
全仏が終わりました。すごい。もーすんごい。
それしか言う事がありません。
クズネツォワがインタヴューでエナンに対し「技術以上の差を感じた」と言っていました。他の選手もエナンのプレイ以上に気持ちの強さの事を讃えている。
戦っている相手に、気持ちで上回るって面白い。そー思いません?
肉体と精神の相互関係ってのは、どーなっているのかしらん?
数年前、サッカーの試合している時に、キーパーがいなかったので後半からキーパーをやった事がありまして(じゃんけんで負けたんですね)代わってすぐにピンチが訪れました。
そんな時に限って相手のフォワードと1対1になっちゃって、そんな時に限って相手の膝でこめかみを蹴られて、、、
気が付いたら試合が終わってました。
いえいえ、気絶していたとかじゃないんです。その後は、点も取られてないんですよ。ちゃんと試合に参加してたらしいんですが、試合後最初にチームメイトに言った言葉が、「どっちが勝ったの?」でした。
みんなポカーンとしてました。
僕もポカーンとしてました。
まー、状態としては、気絶していたんですね。立ったまま。
気絶はしているんだけど、倒れていない。
しかも、30分以上ちゃんと試合でプレーしているんですよ。
不思議でしょ。
そー言えばサッカーのワールドカップでも、日本中のサポーターがオーストラリア戦の最後の10分は、テレビを見ながら気絶していたんじゃないかなぁ?
ちょっと違うけど。
昔、アントニオ猪木が「精神が肉体を凌駕する」って言ってた。
様な気がする。
杉山は残念でしたけど、安定した力を、常にどの大会でも出せるってすごい事です。
優勝を逃してしまい残念でしたが、素晴らしい。日本の誇りです。
すごいと言えば、今回の全仏は、「ナダル」でした。
震えました。僕がテニスを見始めたのは、B.ボルグとJ.コナーズの戦いぐらいからだと思います。
女子では、キング婦人とか、ストーブ婦人が戦ってました。多分。
その時に既にテニスは完成されていたと思ってました。
ボルグを超える選手は考えられなかったし。
後は、キャラクターの勝負かな?なんて思ってました。
しかし、ナダルに全てを否定された気がしました。
進化している。
恐いくらいに。
アニメの中でしか成立しえない様な荒技を、「実写」で見せてくれました。
もー、テレビゲームです。
テレビゲームの達人が「ナダル」というキャラクターを選び、エキシビジョンで技を見せてくれているみたいでした。
しかも、ボールまで違うゲームの達人がコントロールしているみたいでした。
本当にすごかった。
しかもちゃんと、世界で一番強いのはフェデラーだと言い切る強さも持っています。
恐ろしいプレイヤーです。
人間とテニスの「進化」の途中をこの目で見る事が出来るとは思いませんでした。
ナダルは進化の途中です。実際、身長も体重も増えているし。
マイケルジョーダンが、人間から「進化」した様に、ナダルもさらに「進化」してくれるでしょう。
これからのテニスは、僕らが生きているうちに、スーパーサイヤ人の様な「進化」した選手達、「進化」したテニスでの戦いが、僕らの肉眼で見る事が出来る時代が来るでしょう。
スーパーサイヤ人になっても、ナダルには試合中にバナナを喉に詰まらせて欲しい。おっちょこぶりはそのままでね。
『クロス』
仕事で海外に行く事が何故か多い。
去年は、元旦からニューメキシコに行った。
トランジットで降り立ったダラスの空港は巨大で、警備も厳重で、何だか圧倒された。
購買意欲を誘う様なお土産ものも無く、仕方なく友人に買ったのは、瀬戸物で出来たサボテンの「塩、胡椒入れ」。
下北沢でも買えそうな物だった。
ダラスカウボーイズのTシャツも派手すぎて、ちょっと買って行く気にはならなかった。この空港には、この先何年、、、いやー、一生来ないかもな。
なんて思っていた。
帰国したら、2005年の僕の正月は姿を消していた。
2週間後にテキサスに行く事は決まっていた。
ニューヨークや、ロスは仕事でもプライベートでも行く可能性があるけど、 ニューメキシコや、テキサスは中々行く機会がないので、地理的な事もほとんどわかっていなかった。
2週間後、テキサスに向かう為に、何とまたしても、ダラス空港に降り立った。
気を失いそうだった。
全く同じ風景。デジャヴュかと思った。
相変わらず、空港は巨大で、警備が厳重で、圧倒された。
購買意欲を誘うお土産は相変わらず売って無かった。
しかも、相変わらず空港のスターバックスでは、何故なの?何故そんなに砂糖を入れるの?ってな人達だらけ。(カップの三分の一くらい入れる人がいる)
僕はアメリカのケーキが甘すぎて食べられないんだけど、この人達ならあのくらいのケーキを食べるのは楽勝だなと、変なところで妙に納得した。
そして、別の友人にサボテンの「塩、胡椒入れ」を買った。
前にサボテンをお土産にあげた友人にも、また買ってあげようかと迷ったが、止めた。(ちなみにその友人とは、俳優の高橋克実ちゃん)
その後もリトアニアにロケーションで行き、ドイツもロケーション。
フランスの後輩のところに遊びに行き、スペインには、サッカーのクラシコ(R,マドリードVSバルセロナ)を見にいった。
去年は、およそ2ヶ月くらい日本にいなかった。
今年も、3月にオーストラリアに行って来た。
海外に行くと何故か落ち着くし、驚く程歩く。
海外の街の中心は教会である。
僕は無宗教だが、海外では必ず街の教会を訪れる。
何故か吸い込まれる様に、入る事が当たり前の様に教会に入ってしまう。
以前、ミラノのドォーモに入った時に身体が震えたからだ。
涙が出そうになった。
言葉では言い表せない厳粛な雰囲気に圧倒された。僕の身体に歴史が刺さって来て身動き出来なくなった。
初めてB.ボルグの試合を観た時に似ていた。
冷静で、情熱を内包し、精密で、緊張感に満ちているのに楽しんでいて、そして何より対戦相手を愛している様だった。対戦相手が強ければ強い程、自分を苦しめてくれる対戦相手を愛しみながらプレイしている様にみえた。
そして、ドォーモで初めてクロスを買った。
何だか東京タワーに行って東京タワーのキーホルダーを買う様な気がしたが、 どーでも良かった。
それから海外の街の教会では、必ずクロスを買う事にしている。
サンタフェの古いシンプルな教会。
フランクフルトの工事中だった教会。
オーストラリアでアポリジニに布教するために初めて作られた、周りに何も無い教会。
ドゥマゴでカフェオレを飲んでから入った、ドゥマゴの横の教会。
全てクロスを買った。
ここまで来たら教会フェチと呼ばれても仕方ない。
何故教会に引かれるのだろう。
それは多分、歴史を背負った騒々しいくらいの「静寂」が支配している場所だからかもしれない。
日本でそーゆー場所を見つけるのは大変だ。
海外にかぶれているわけじゃないけど、フランスでは、朝、カフェでカフェオレとクロワッサンを頼む。
当たり前の事だ。
焼きたてのクロワッサンを食べながら外を眺めているだけで、ちょっと幸福な気持ちになる。
テキサスのランチ(牧場)で朝から晩まで馬の世話をする。
当たり前の事だ。
早朝に放し飼いにしていた馬を集めて餌をやる。それから広大な敷地に大量の牧草を撒く。トイレの掃除をして、壊れた柵を直し、蹄を変えたり、ブラッシングしたり。それだけで心から気持ちがやさしくなる。
冬のサンタフェでは、雪の早朝散歩していると、一軒だけやっているスターバックスを見つけ中に入る。客どうしが小声で挨拶をかわし、熱いコーヒーを啜る。
それだけで生きていて良かったと思う。
それは何故なのか。
何故日本にいる時にはそーゆー気持ちになりづらいのか。
その「何故」を時間をかけて考えてみたいと思う。
それがわかったら、折り返した人生をゆたかに過ごせる気がする。
全仏が終わりました。すごい。もーすんごい。
それしか言う事がありません。
クズネツォワがインタヴューでエナンに対し「技術以上の差を感じた」と言っていました。他の選手もエナンのプレイ以上に気持ちの強さの事を讃えている。
戦っている相手に、気持ちで上回るって面白い。そー思いません?
肉体と精神の相互関係ってのは、どーなっているのかしらん?
数年前、サッカーの試合している時に、キーパーがいなかったので後半からキーパーをやった事がありまして(じゃんけんで負けたんですね)代わってすぐにピンチが訪れました。
そんな時に限って相手のフォワードと1対1になっちゃって、そんな時に限って相手の膝でこめかみを蹴られて、、、
気が付いたら試合が終わってました。
いえいえ、気絶していたとかじゃないんです。その後は、点も取られてないんですよ。ちゃんと試合に参加してたらしいんですが、試合後最初にチームメイトに言った言葉が、「どっちが勝ったの?」でした。
みんなポカーンとしてました。
僕もポカーンとしてました。
まー、状態としては、気絶していたんですね。立ったまま。
気絶はしているんだけど、倒れていない。
しかも、30分以上ちゃんと試合でプレーしているんですよ。
不思議でしょ。
そー言えばサッカーのワールドカップでも、日本中のサポーターがオーストラリア戦の最後の10分は、テレビを見ながら気絶していたんじゃないかなぁ?
ちょっと違うけど。
昔、アントニオ猪木が「精神が肉体を凌駕する」って言ってた。
様な気がする。
杉山は残念でしたけど、安定した力を、常にどの大会でも出せるってすごい事です。
優勝を逃してしまい残念でしたが、素晴らしい。日本の誇りです。
すごいと言えば、今回の全仏は、「ナダル」でした。
震えました。僕がテニスを見始めたのは、B.ボルグとJ.コナーズの戦いぐらいからだと思います。
女子では、キング婦人とか、ストーブ婦人が戦ってました。多分。
その時に既にテニスは完成されていたと思ってました。
ボルグを超える選手は考えられなかったし。
後は、キャラクターの勝負かな?なんて思ってました。
しかし、ナダルに全てを否定された気がしました。
進化している。
恐いくらいに。
アニメの中でしか成立しえない様な荒技を、「実写」で見せてくれました。
もー、テレビゲームです。
テレビゲームの達人が「ナダル」というキャラクターを選び、エキシビジョンで技を見せてくれているみたいでした。
しかも、ボールまで違うゲームの達人がコントロールしているみたいでした。
本当にすごかった。
しかもちゃんと、世界で一番強いのはフェデラーだと言い切る強さも持っています。
恐ろしいプレイヤーです。
人間とテニスの「進化」の途中をこの目で見る事が出来るとは思いませんでした。
ナダルは進化の途中です。実際、身長も体重も増えているし。
マイケルジョーダンが、人間から「進化」した様に、ナダルもさらに「進化」してくれるでしょう。
これからのテニスは、僕らが生きているうちに、スーパーサイヤ人の様な「進化」した選手達、「進化」したテニスでの戦いが、僕らの肉眼で見る事が出来る時代が来るでしょう。
スーパーサイヤ人になっても、ナダルには試合中にバナナを喉に詰まらせて欲しい。おっちょこぶりはそのままでね。
『クロス』
仕事で海外に行く事が何故か多い。
去年は、元旦からニューメキシコに行った。
トランジットで降り立ったダラスの空港は巨大で、警備も厳重で、何だか圧倒された。
購買意欲を誘う様なお土産ものも無く、仕方なく友人に買ったのは、瀬戸物で出来たサボテンの「塩、胡椒入れ」。
下北沢でも買えそうな物だった。
ダラスカウボーイズのTシャツも派手すぎて、ちょっと買って行く気にはならなかった。この空港には、この先何年、、、いやー、一生来ないかもな。
なんて思っていた。
帰国したら、2005年の僕の正月は姿を消していた。
2週間後にテキサスに行く事は決まっていた。
ニューヨークや、ロスは仕事でもプライベートでも行く可能性があるけど、 ニューメキシコや、テキサスは中々行く機会がないので、地理的な事もほとんどわかっていなかった。
2週間後、テキサスに向かう為に、何とまたしても、ダラス空港に降り立った。
気を失いそうだった。
全く同じ風景。デジャヴュかと思った。
相変わらず、空港は巨大で、警備が厳重で、圧倒された。
購買意欲を誘うお土産は相変わらず売って無かった。
しかも、相変わらず空港のスターバックスでは、何故なの?何故そんなに砂糖を入れるの?ってな人達だらけ。(カップの三分の一くらい入れる人がいる)
僕はアメリカのケーキが甘すぎて食べられないんだけど、この人達ならあのくらいのケーキを食べるのは楽勝だなと、変なところで妙に納得した。
そして、別の友人にサボテンの「塩、胡椒入れ」を買った。
前にサボテンをお土産にあげた友人にも、また買ってあげようかと迷ったが、止めた。(ちなみにその友人とは、俳優の高橋克実ちゃん)
その後もリトアニアにロケーションで行き、ドイツもロケーション。
フランスの後輩のところに遊びに行き、スペインには、サッカーのクラシコ(R,マドリードVSバルセロナ)を見にいった。
去年は、およそ2ヶ月くらい日本にいなかった。
今年も、3月にオーストラリアに行って来た。
海外に行くと何故か落ち着くし、驚く程歩く。
海外の街の中心は教会である。
僕は無宗教だが、海外では必ず街の教会を訪れる。
何故か吸い込まれる様に、入る事が当たり前の様に教会に入ってしまう。
以前、ミラノのドォーモに入った時に身体が震えたからだ。
涙が出そうになった。
言葉では言い表せない厳粛な雰囲気に圧倒された。僕の身体に歴史が刺さって来て身動き出来なくなった。
初めてB.ボルグの試合を観た時に似ていた。
冷静で、情熱を内包し、精密で、緊張感に満ちているのに楽しんでいて、そして何より対戦相手を愛している様だった。対戦相手が強ければ強い程、自分を苦しめてくれる対戦相手を愛しみながらプレイしている様にみえた。
そして、ドォーモで初めてクロスを買った。
何だか東京タワーに行って東京タワーのキーホルダーを買う様な気がしたが、 どーでも良かった。
それから海外の街の教会では、必ずクロスを買う事にしている。
サンタフェの古いシンプルな教会。
フランクフルトの工事中だった教会。
オーストラリアでアポリジニに布教するために初めて作られた、周りに何も無い教会。
ドゥマゴでカフェオレを飲んでから入った、ドゥマゴの横の教会。
全てクロスを買った。
ここまで来たら教会フェチと呼ばれても仕方ない。
何故教会に引かれるのだろう。
それは多分、歴史を背負った騒々しいくらいの「静寂」が支配している場所だからかもしれない。
日本でそーゆー場所を見つけるのは大変だ。
海外にかぶれているわけじゃないけど、フランスでは、朝、カフェでカフェオレとクロワッサンを頼む。
当たり前の事だ。
焼きたてのクロワッサンを食べながら外を眺めているだけで、ちょっと幸福な気持ちになる。
テキサスのランチ(牧場)で朝から晩まで馬の世話をする。
当たり前の事だ。
早朝に放し飼いにしていた馬を集めて餌をやる。それから広大な敷地に大量の牧草を撒く。トイレの掃除をして、壊れた柵を直し、蹄を変えたり、ブラッシングしたり。それだけで心から気持ちがやさしくなる。
冬のサンタフェでは、雪の早朝散歩していると、一軒だけやっているスターバックスを見つけ中に入る。客どうしが小声で挨拶をかわし、熱いコーヒーを啜る。
それだけで生きていて良かったと思う。
それは何故なのか。
何故日本にいる時にはそーゆー気持ちになりづらいのか。
その「何故」を時間をかけて考えてみたいと思う。
それがわかったら、折り返した人生をゆたかに過ごせる気がする。