幸福の幸右衛門 / 2006年06月07日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
すっかり日が長くなり、外では子供達の声が夜の7時近くになっても盛んに聞こえて来ない今日この頃です。
ちとさみしい。
ちとさみしいと言えば。
ちょっと気になるんですが、全仏が、、、
え~と、、、
ど~も、、、
盛り上がりにかけてるんじゃないかと、、、、、
いえ、誤解して欲しくはないんですが、全仏は盛り上がってます。
男女ともに。シングルスもダブルスも。
順当に勝ち上がって行くシード選手。
波乱と言われようが、当然のごとく強豪をなぎ倒してして行く選手。
中断が流れを変えたり、バナナがのどに詰まったり。
日が沈んじゃって、二日かかって戦った選手。
これは個人的に好きだったなぁ。
日が沈んだから中止って、ちょっといかしてる。
僕は、スポーツはドームの競技場じゃないほうが好きです。
昔、後楽園球場がドームになった時、驚いて興奮して、同時にとても悲しくなった事を覚えています。
天気がわからない。匂いがわからない。空が見えない。太陽が消滅した。
迷子になった子供のような気がした。
話がそれたけど、
クレーコートの連勝記録をどこまで伸ばすんだナダル。
もちろん、杉山も絶好調!6日の段階ですが。等々。
盛り上がってます。
う~ん。でも何かおかしい。
大会は盛り上がっているのに、ワールドカップや、野球や、ゴルフに比べると、新聞や、テレビの扱いが。どーも。
なんかしっくり来ないんだな。これが。
言いたい事はありますが、ま、愚痴っても仕方ないんで、決勝まで心行くまで楽しみましょう。
今日は、ま、先週の続き。
と言うよりは、つながり。みたいな感じで書いてみました。
『幸福の幸右衛門』
舞台の時には色々な方から花をいただく。殺風景な楽屋や廊下が、一気に華やかになる。舞台は、気力と精力と体力を考えられないくらい使う。舞台から、廊下や楽屋に戻って来る時に、飾ってある花達が、一瞬、緊張して疲労した気持ちと身体を和らげてくれる事がある。
「もぐら」にこだわる訳じゃないけど、12年前の「もぐら」の舞台の時に、峰竜太さんから「幸福の木」をいただいた。
この「幸福の木」が驚く程成長した。
B.ベッカーが髭面で登場した時くらい驚いた。
初めは1メートルちょっとだったのが、じわじわと育ち、ざわざわと伸び上がり、ぼわぼわ広がって行った。
気がつくと、少年から青年に、青年からりっぱな大人へと、階段を駆け足であっと言う間に昇って行った。少女と言うよりは少年に近いオーラを出していた。
家に遊びに来る友人は、必ずこの「幸福の木」を誉めた。
ある日、名前をつけてあげようと思った。
迷わず、「幸右衛門」と名付けた。
「さちえもん」
名前のついた「幸福の木」はりっぱな名前に恥じない様に、さらに成長を加速した。
その姿は、「清く、正しく、美しく」まるで神が宿った様だった。
初めて見る人達も口を揃えて、『「幸右衛門」さんは、さらにりっぱになって行きますな~』と言ってくれた。
リビングに一人でいる時など、話しかけて来る様になった。
「幸右衛門」はいつも微笑んでいた。
家で友人と呑んでいた時、友人が『「幸右衛門」が枯れたら、この家はすんごい不幸がやって来るんじゃないか?』と笑った。僕は笑えなかった。
それは、すんごい不幸がやって来るからじゃなく、「幸右衛門」が枯れるなんて1度も考えた事が無かったからだ。
そんな事はおかまいなしに「幸右衛門」は成長を続けている。
青年期までの駆け足ではなく、階段をゆっくり踏みしめる様にごもごもと成長している。
去年の終わりに僕は死ぬ程落ち込んだ。
コールタールの海におもりをつけて沈んで行く様に落ち込んだ。息を吸うのも忘れてしまう程だった。二度と浮き上がらないんじゃないかと思った。
気がつくと「幸右衛門」が枯れていた。
「幸右衛門」が死んだ。
今まで、全く弱ったそぶりなど、微塵も見せなかったのに。
まるで僕を一人きりさせまいとしたかの様に。
死んでしまいたいと思った僕の心を見透かした様に。
「幸右衛門」が死んだ。
僕の後を追う様に、一緒にコールタールの海に沈んで来た。
このまま全てが駄目になってしまうのかと思った。
数週間後、死んだ「幸右衛門」の根元から新芽が出て来た。
考えられなかった。
13年も経っているのである。
その新芽は、はっきりと、強い意思を持っている様に見えた。
そして、またしても驚くべき速度で成長していった。
それから久しぶりに話しかけて来た。
「なあ、お前もそろそろ目を覚ませよ。」
小さな、新しい「幸右衛門」が、ゆっくりと微笑んだ。
皆様に報告があります。
「幸右衛門」の新しい命の「新芽」。
僕の希望の光でもある「新芽」。
久々に僕に話しかけてくれた、久々に微笑みかけてくれた、新しい「幸右衛 門」。
生きる勇気を与えてくれた、「恩人」いや、「恩芽」。
ぶいぶい成長を始めた「恩芽」。
その新芽の「恩芽」が、写真を撮ったすぐ後に、前に紹介したフレンチブルドッグの「のぼる」くんに、しかもその乳歯に、無惨にもかみ殺されてしまいました。
ちょっと目を離したすきに、、、
人間なんて自然の中ではちっぽけです。
人間の苦悩や悲しみなんてその人以外にはなんでもありません。
喜怒哀楽なんて大した事じゃありません。
今回の事でよくわかりました。
僕と「幸右衛門」の13年が、、、、、
僕の死ぬ程の悲しみの身代わりになってくれた、再生のきっかけになってくれた、僕の中では最高峰に近い人生のドラマチックな出来事が、、、
犬の一噛みで終わってしまうんですから。
人間なんて、地球という星をほんの「一瞬」、借りて住んでいるだけの存在です。
「のぼる」の乳歯の前には、13年だろーが、死ぬ程の悲しみだろーが、餌に見えたら全部食う。これです。
生きる事は食う事です。
「のぼる」くんは今日も元気です。
僕は、また一つ大人になった気がしました。全ての事に感謝して生きていきます。
すっかり日が長くなり、外では子供達の声が夜の7時近くになっても盛んに聞こえて来ない今日この頃です。
ちとさみしい。
ちとさみしいと言えば。
ちょっと気になるんですが、全仏が、、、
え~と、、、
ど~も、、、
盛り上がりにかけてるんじゃないかと、、、、、
いえ、誤解して欲しくはないんですが、全仏は盛り上がってます。
男女ともに。シングルスもダブルスも。
順当に勝ち上がって行くシード選手。
波乱と言われようが、当然のごとく強豪をなぎ倒してして行く選手。
中断が流れを変えたり、バナナがのどに詰まったり。
日が沈んじゃって、二日かかって戦った選手。
これは個人的に好きだったなぁ。
日が沈んだから中止って、ちょっといかしてる。
僕は、スポーツはドームの競技場じゃないほうが好きです。
昔、後楽園球場がドームになった時、驚いて興奮して、同時にとても悲しくなった事を覚えています。
天気がわからない。匂いがわからない。空が見えない。太陽が消滅した。
迷子になった子供のような気がした。
話がそれたけど、
クレーコートの連勝記録をどこまで伸ばすんだナダル。
もちろん、杉山も絶好調!6日の段階ですが。等々。
盛り上がってます。
う~ん。でも何かおかしい。
大会は盛り上がっているのに、ワールドカップや、野球や、ゴルフに比べると、新聞や、テレビの扱いが。どーも。
なんかしっくり来ないんだな。これが。
言いたい事はありますが、ま、愚痴っても仕方ないんで、決勝まで心行くまで楽しみましょう。
今日は、ま、先週の続き。
と言うよりは、つながり。みたいな感じで書いてみました。
『幸福の幸右衛門』
舞台の時には色々な方から花をいただく。殺風景な楽屋や廊下が、一気に華やかになる。舞台は、気力と精力と体力を考えられないくらい使う。舞台から、廊下や楽屋に戻って来る時に、飾ってある花達が、一瞬、緊張して疲労した気持ちと身体を和らげてくれる事がある。
「もぐら」にこだわる訳じゃないけど、12年前の「もぐら」の舞台の時に、峰竜太さんから「幸福の木」をいただいた。
この「幸福の木」が驚く程成長した。
B.ベッカーが髭面で登場した時くらい驚いた。
初めは1メートルちょっとだったのが、じわじわと育ち、ざわざわと伸び上がり、ぼわぼわ広がって行った。
気がつくと、少年から青年に、青年からりっぱな大人へと、階段を駆け足であっと言う間に昇って行った。少女と言うよりは少年に近いオーラを出していた。
家に遊びに来る友人は、必ずこの「幸福の木」を誉めた。
ある日、名前をつけてあげようと思った。
迷わず、「幸右衛門」と名付けた。
「さちえもん」
名前のついた「幸福の木」はりっぱな名前に恥じない様に、さらに成長を加速した。
その姿は、「清く、正しく、美しく」まるで神が宿った様だった。
初めて見る人達も口を揃えて、『「幸右衛門」さんは、さらにりっぱになって行きますな~』と言ってくれた。
リビングに一人でいる時など、話しかけて来る様になった。
「幸右衛門」はいつも微笑んでいた。
家で友人と呑んでいた時、友人が『「幸右衛門」が枯れたら、この家はすんごい不幸がやって来るんじゃないか?』と笑った。僕は笑えなかった。
それは、すんごい不幸がやって来るからじゃなく、「幸右衛門」が枯れるなんて1度も考えた事が無かったからだ。
そんな事はおかまいなしに「幸右衛門」は成長を続けている。
青年期までの駆け足ではなく、階段をゆっくり踏みしめる様にごもごもと成長している。
去年の終わりに僕は死ぬ程落ち込んだ。
コールタールの海におもりをつけて沈んで行く様に落ち込んだ。息を吸うのも忘れてしまう程だった。二度と浮き上がらないんじゃないかと思った。
気がつくと「幸右衛門」が枯れていた。
「幸右衛門」が死んだ。
今まで、全く弱ったそぶりなど、微塵も見せなかったのに。
まるで僕を一人きりさせまいとしたかの様に。
死んでしまいたいと思った僕の心を見透かした様に。
「幸右衛門」が死んだ。
僕の後を追う様に、一緒にコールタールの海に沈んで来た。
このまま全てが駄目になってしまうのかと思った。
数週間後、死んだ「幸右衛門」の根元から新芽が出て来た。
考えられなかった。
13年も経っているのである。
その新芽は、はっきりと、強い意思を持っている様に見えた。
そして、またしても驚くべき速度で成長していった。
それから久しぶりに話しかけて来た。
「なあ、お前もそろそろ目を覚ませよ。」
小さな、新しい「幸右衛門」が、ゆっくりと微笑んだ。
皆様に報告があります。
「幸右衛門」の新しい命の「新芽」。
僕の希望の光でもある「新芽」。
久々に僕に話しかけてくれた、久々に微笑みかけてくれた、新しい「幸右衛 門」。
生きる勇気を与えてくれた、「恩人」いや、「恩芽」。
ぶいぶい成長を始めた「恩芽」。
その新芽の「恩芽」が、写真を撮ったすぐ後に、前に紹介したフレンチブルドッグの「のぼる」くんに、しかもその乳歯に、無惨にもかみ殺されてしまいました。
ちょっと目を離したすきに、、、
合掌。
人間なんて自然の中ではちっぽけです。
人間の苦悩や悲しみなんてその人以外にはなんでもありません。
喜怒哀楽なんて大した事じゃありません。
今回の事でよくわかりました。
僕と「幸右衛門」の13年が、、、、、
僕の死ぬ程の悲しみの身代わりになってくれた、再生のきっかけになってくれた、僕の中では最高峰に近い人生のドラマチックな出来事が、、、
犬の一噛みで終わってしまうんですから。
人間なんて、地球という星をほんの「一瞬」、借りて住んでいるだけの存在です。
「のぼる」の乳歯の前には、13年だろーが、死ぬ程の悲しみだろーが、餌に見えたら全部食う。これです。
生きる事は食う事です。
「のぼる」くんは今日も元気です。
僕は、また一つ大人になった気がしました。全ての事に感謝して生きていきます。
ありがとう。そしてさよなら「恩芽」君