今年を振り返る。そして、良いお年を! / 2006年12月27日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
今年もすっかり押し詰まってきてしまいました。
ま、今年を振り返る余裕は今の僕にはないんだけど、ちょっと振り返ってみちゃおっかな。(余裕あんじゃん)
僕は、子供と一緒に毎日6時前に起きている。
あ、21時過ぎに寝てはいるけど、、、、、
4年を過ぎた、、、
朝早く起きるのは、三文の「得」とかいうけど、三文以上の「損」もしている気がする。
朝早く起きると、明るさと暗さ、あたたかさと寒さ、空気が蜜になっている感じ、朝しか匂わない香り、独特な緊張感、、、、、
朝がたくさん詰まっているのがわかる。
朝いちで外に出る時には、本当に「独特の緊張感」がある。
何て言えばいいんだろ、その日を生きる「力量」を試されるってのが近いのかな?
朝に慣れると、朝だけの楽しみがある事に気づく。
今年も、色々な朝に出会えた。
他にも、今年だけでも、頭がグルグルするくらい色んな事があった。
たくさんの場所と出会った。そして、たくさんの場所を失った。
たくさんの人と出会った。たくさんの人を忘れた。
おいしい食べ物をたくさん食べた。必要のない食べ物もたくさん摂取した。
すごいものをちょっと見た。つまらないのもが通り過ぎた。
あたたかい風に身体が浮いた。沈んだ空気に押しつぶされた。
知り合いに子供がたくさん産まれた。敬愛する大先輩たちが星になった。
見た事の無い色を見た。何も見えないものは何も見えなかった。
嗅いだことのない匂いを発見した。でも違う様な気もする。
甘いフルーツが美味しかった。なんで甘いフルーツしかないんだろ?
笑顔もいっぱい見る事ができた。覚えている笑顔は少しだけだけど。
心と心が触れ合えた。大事にしたい。
やさしい人が怒った。責任は誰にあるんだろー?
ごみを拾う人を見た。ごみを捨てる人をたくさん見た。
髪の毛は、産まれた時から生え続けている。最近気づいた。
転んで膝から血がすっげーでた。なおったけど後は残った。
友達が結婚した。たくさん奥さんと話をしろよ。
春と冬に桜を買った。一年で二回花見が出来る。(桜に名前もつけた)
去年実がつかなかったブルーベリーが今年は鈴なりだった。
三人家族なのに、自転車が四台ある。あんまり活躍してない。
近所の栗の木から落ちたイガグリは、今年も中は空だった。
近所の切られた中木?にキクラゲがうやうやなっていた。
近所のキクラゲ w(゜o゜)w
家が近所の野良猫の通り道になっていて、みんながうんこたれていく。
25mプールに一杯ほどの水分を飲んでるね。たぶん。出してるね。たぶん。
やってはいけない事をたくさんしたかも。やらなくていー事も、、、
あの人と笑った。あの人とも、あの人とも。
子供が熱をだした。なんでかわってあげられないんだろ?
無駄な力をたくさん使った。これからもな、、、、、
新しい歌が覚えられない、、、昔の歌が忘れられない。
筋肉が弱くなって行く。でも、ついつい無理をする。
言葉が出にくくなってきた。昔からだった。(思い出は美化してはいけない)
昔に比べて本を読まなくなった。人生が追いついてきたかな?
必要なものがわかってきた。不必要なものがわからない。
好きな人が減って来た。嫌いな人には近づかなくなった。
たくさん悩みがある。これからもある。
人のことを気にするようになった。もっともっとなりたい。
自分の力でなんとかしたい。自分の力じゃなんともできない。
めんどくさいのが嫌。めんどくさくないのはもっと嫌。
アスファルトの舗装された道は素敵だ。なんのために?
人間はおんなじじゃないって誰かが言ってた。ふ~ん。
家のまわりに自然の生き物がほとんどいない。でもたまにうぐいすがくる。
けんかしてる人を見た。けんかはなくならない。
たまごを食べた。とり肉を食べた。なんだかごめんなさい。
無駄な肉がついてきた。どこまでが無駄なんだろ?
人をだます人がいる。人にだまされる人がいる。人。人。人。人、、、、
お金は大切。何番めかな。場所によって違うんだね。おもしろいね。
金魚すくいの金魚はすぐに死ぬ。びっくりするほど大きくなるのもいる。
嘘は、大きくても、小さくても「うそ」なんだよね。うそ。
ずーっと東に行くと、西になるの?
シロクマは白いからシロクマなんだね。べつに意味は無いけど。
大人はおおきいひと?小人はちいさいひと?
大切な人は、僕の心の中で今も大切。
犬のうんこをかたずけていたら、ていっしゅが破けてさわったよ。
夜にサングラスをかけた。サングラスってかっこいいね。
年末ってあわただしい。期限があるとあわただしい。
人間にも期限がある。ゆっくり生きたい。
ってなわけで、何処が今年を振り返ったかよくわかんないですが、、、
今年は色々ありがとうございやした。
みなさまのしあわせを何となく祈っています(おい!)
あの、たくさんのかたに読んでいただいてうれしいっす。
表現があまり得意ではないのですが、実は結構みなさまに感謝してます。
来年もてきとーにやらせていただきやす。
で、ちょっと正月休み下さい。
今、死ぬ程大変なんです(ちょっと大げさですが)。
舞台の稽古が毎日埼玉でありまして、ドラマも結構やってまして、他にもちょこちょこやらせていただいてまして、、、、
ちょっと休みね。すぐ戻ってくるけん。
舞台あいたら時間ちょっとできるからね。って気安いね。
すぐ戻ってくるばってんがくさ。
ちょっと正月休み。長めに下さい。
ではみなさま、よいお年を。
あ、明日は芳雄さんの餅つきだ。
そんな訳で、今年ももー少し!がんばって生きていきまっしょい!
ほんで、来年もがんばって生きまっしょい!
みなさま、ありがと。愛してます。
今年もすっかり押し詰まってきてしまいました。
ま、今年を振り返る余裕は今の僕にはないんだけど、ちょっと振り返ってみちゃおっかな。(余裕あんじゃん)
僕は、子供と一緒に毎日6時前に起きている。
あ、21時過ぎに寝てはいるけど、、、、、
4年を過ぎた、、、
朝早く起きるのは、三文の「得」とかいうけど、三文以上の「損」もしている気がする。
朝早く起きると、明るさと暗さ、あたたかさと寒さ、空気が蜜になっている感じ、朝しか匂わない香り、独特な緊張感、、、、、
朝がたくさん詰まっているのがわかる。
朝いちで外に出る時には、本当に「独特の緊張感」がある。
何て言えばいいんだろ、その日を生きる「力量」を試されるってのが近いのかな?
朝に慣れると、朝だけの楽しみがある事に気づく。
今年も、色々な朝に出会えた。
他にも、今年だけでも、頭がグルグルするくらい色んな事があった。
たくさんの場所と出会った。そして、たくさんの場所を失った。
たくさんの人と出会った。たくさんの人を忘れた。
おいしい食べ物をたくさん食べた。必要のない食べ物もたくさん摂取した。
すごいものをちょっと見た。つまらないのもが通り過ぎた。
あたたかい風に身体が浮いた。沈んだ空気に押しつぶされた。
知り合いに子供がたくさん産まれた。敬愛する大先輩たちが星になった。
見た事の無い色を見た。何も見えないものは何も見えなかった。
嗅いだことのない匂いを発見した。でも違う様な気もする。
甘いフルーツが美味しかった。なんで甘いフルーツしかないんだろ?
笑顔もいっぱい見る事ができた。覚えている笑顔は少しだけだけど。
心と心が触れ合えた。大事にしたい。
やさしい人が怒った。責任は誰にあるんだろー?
ごみを拾う人を見た。ごみを捨てる人をたくさん見た。
髪の毛は、産まれた時から生え続けている。最近気づいた。
転んで膝から血がすっげーでた。なおったけど後は残った。
友達が結婚した。たくさん奥さんと話をしろよ。
春と冬に桜を買った。一年で二回花見が出来る。(桜に名前もつけた)
去年実がつかなかったブルーベリーが今年は鈴なりだった。
三人家族なのに、自転車が四台ある。あんまり活躍してない。
近所の栗の木から落ちたイガグリは、今年も中は空だった。
近所の切られた中木?にキクラゲがうやうやなっていた。
近所のキクラゲ w(゜o゜)w
家が近所の野良猫の通り道になっていて、みんながうんこたれていく。
25mプールに一杯ほどの水分を飲んでるね。たぶん。出してるね。たぶん。
やってはいけない事をたくさんしたかも。やらなくていー事も、、、
あの人と笑った。あの人とも、あの人とも。
子供が熱をだした。なんでかわってあげられないんだろ?
無駄な力をたくさん使った。これからもな、、、、、
新しい歌が覚えられない、、、昔の歌が忘れられない。
筋肉が弱くなって行く。でも、ついつい無理をする。
言葉が出にくくなってきた。昔からだった。(思い出は美化してはいけない)
昔に比べて本を読まなくなった。人生が追いついてきたかな?
必要なものがわかってきた。不必要なものがわからない。
好きな人が減って来た。嫌いな人には近づかなくなった。
たくさん悩みがある。これからもある。
人のことを気にするようになった。もっともっとなりたい。
自分の力でなんとかしたい。自分の力じゃなんともできない。
めんどくさいのが嫌。めんどくさくないのはもっと嫌。
アスファルトの舗装された道は素敵だ。なんのために?
人間はおんなじじゃないって誰かが言ってた。ふ~ん。
家のまわりに自然の生き物がほとんどいない。でもたまにうぐいすがくる。
けんかしてる人を見た。けんかはなくならない。
たまごを食べた。とり肉を食べた。なんだかごめんなさい。
無駄な肉がついてきた。どこまでが無駄なんだろ?
人をだます人がいる。人にだまされる人がいる。人。人。人。人、、、、
お金は大切。何番めかな。場所によって違うんだね。おもしろいね。
金魚すくいの金魚はすぐに死ぬ。びっくりするほど大きくなるのもいる。
嘘は、大きくても、小さくても「うそ」なんだよね。うそ。
ずーっと東に行くと、西になるの?
シロクマは白いからシロクマなんだね。べつに意味は無いけど。
大人はおおきいひと?小人はちいさいひと?
大切な人は、僕の心の中で今も大切。
犬のうんこをかたずけていたら、ていっしゅが破けてさわったよ。
夜にサングラスをかけた。サングラスってかっこいいね。
年末ってあわただしい。期限があるとあわただしい。
人間にも期限がある。ゆっくり生きたい。
ってなわけで、何処が今年を振り返ったかよくわかんないですが、、、
今年は色々ありがとうございやした。
みなさまのしあわせを何となく祈っています(おい!)
あの、たくさんのかたに読んでいただいてうれしいっす。
表現があまり得意ではないのですが、実は結構みなさまに感謝してます。
来年もてきとーにやらせていただきやす。
で、ちょっと正月休み下さい。
今、死ぬ程大変なんです(ちょっと大げさですが)。
舞台の稽古が毎日埼玉でありまして、ドラマも結構やってまして、他にもちょこちょこやらせていただいてまして、、、、
ちょっと休みね。すぐ戻ってくるけん。
舞台あいたら時間ちょっとできるからね。って気安いね。
すぐ戻ってくるばってんがくさ。
ちょっと正月休み。長めに下さい。
ではみなさま、よいお年を。
あ、明日は芳雄さんの餅つきだ。
そんな訳で、今年ももー少し!がんばって生きていきまっしょい!
ほんで、来年もがんばって生きまっしょい!
みなさま、ありがと。愛してます。
ハル その2 / 2006年12月20日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
突然ですが、今の僕には季節感がまったくありません宣言!
本来ならば、冒頭にちょこっと肌や目や鼻や耳、五感などで感じた季節や天気の感想なんかを書いて来ましたが、さっき、沖縄の「鳩間島」から帰ってきました。
富士の裾野は昼あったかくて、夕方から死ぬ程寒かったし、オランダがすんごい寒くて、ニューヨークがすんごいあったかくて、沖縄は中途半端に寒くて、東京なんてあったかいんだか、寒いんだかわかんないし。
時差ボケひどかったり、なおったり。
本当はしんどいから休んじゃおうかなって、正直「一瞬」思いました。
すみません。わたくし「うそ」をつきました。
一瞬じゃありません。ほとんど、全瞬でした。(なんだ?全瞬って?)
あんまりにもしんどかったんです。鳩間島から帰ってくるのに、9時間かかるんです。
説明します。
風が強いと、石垣島までの高速船の直行便が出動しません。
まず、鳩間島からボートで30分くらいで西表の西の上原港に着きます。
で、車に50分くらい乗って、東の大原港に行きます。
で、大原港から高速船で、30分くらいで石垣港に着きます。
で、タクシーで10分弱で石垣空港に行きます。
で、石垣空港から1時間ちょいで那覇空港に着きます。
で、那覇空港から2時間前後(羽田からは、2時間30分)で羽田空港に着きます。
で、タクシー、電車、バスなどの交通手段でそれぞれ帰ります。
まあ、1時間を見ましょうか。
もちろん、待ち時間を全て除いてあります。
ま、運が悪ければ10時間以上はかかります。
休みたいって思うでしょ。全瞬。
しかし、鳩間島を昼過ぎに出て、夜の11時くらいに帰って来て、みなさまの書き込みに「愛と勇気」といただき、(アンパンマンかよ)筆を、いや、指を振るっておりやす。
オランダの続きの前に鳩間島の事をちょっと書きやす。
2年ぶりくらいに帰ったんですが、(そう、帰ったって表現がぴたりとくる)寒さと風の強さで、正直参りました。
初めてみんなで「鳩間島」に行った時は、楽しみな気持ちと同時に、ちょっぴりの「恐怖」が入り交じった不思議な気持ちも、ボストンバッグに入れて行きました。
だって、小さな、何も無い、まったく知らない日本の最南端に近い島に撮影に行くのだ。
情報は入ってくるけど、マイナスのイメージしかわかないものばかりだった。
「今は寒いです」「タオル、洗面用具がない」「バスタブがない」「お店はひとつありますが、島の人のための店です。あまりものを買わないで」等々。
で、島に出発した。
島に着いた。
9時間近くかかって、、、、、
なんて言うんだろう。本当に「島」だった。
っておかしな表現だけど。
「でいごの花」が咲き乱れていた、、、、、
「でいご」がどんなんだかまったく知らなかったが、大木だった。
ごっつい大木に、真っ赤な細い花が「うそ」のようにちりばめられていた。
想像と全然違った。
自然は僕の様なちっぽけな、貧困なイメージしか抱けないバカちんを簡単に風速100メートルで吹き飛ばす。
海に色は、バカちんには表現出来ない。
時間、風、太陽等で同じ色の時がない。
綺麗過ぎて言葉も出て来ない。
みんなが「うわー、きれい、、、」って言ってる。
のみ。
こればっかりは、実際に見てもらうしかない。
そして、僕らを襲ったのは「寒さ」
沖縄だって寒いのだ。
そして、鳩間島には暖房がない、、、、、、
冷房オンリー、、、、、、
バスタブがない、、、、、
そうなのだ。基本的に「寒さ」に対応する事をあんまり考えてはいないんだね。
日が経つうちに、島のみなさまとも打ち解け始めた。
僕は西表に泊まっていた。
鳩間島にはもちろん民宿はあるが、数には限りがある。
撮影隊のように、大量に人がきてずーっと泊まり続けるなんてありえないから、当然島の民宿は悲鳴をあげ、僕ら数人の役者を吐き出した。
おかげで幸運な事に、数人の役者は「鳩間島」と「西表島」を楽しむ事ができた。
さらに幸運な僕は、西表で「由五郎さん」に出会えたわけだ。
今回、2年経って少しだけ鳩間は変わっていた。民宿がちょっぴり増えて、島の唯一のお店が少し引っ越していて(50メートルくらい横にずれていた。クレーンで持ち上げて引っ越ししたらしい)
ちょっぴり海岸沿いが整備されていた。
のみ。
引越しした鳩間島で一軒のお店。
米盛商店
あ、忘れるところだった。
僕はとてもショックだったのは、島の唯一の学校の(僕はこの学校が世界一素敵だと思っている)校舎の前に聳えていた「でいご」の大木たちが、虫に喰われて切り倒されていたことだ。
春には「でいご」の大木たちに「ゴッホ」が絵の具をたっぷり使って花を書いたみたいに、真っ赤な花が豪快に咲き誇っていたのに、、、、、
その真っ赤な花の「蜜」を食べに、からすくらいのサイズのフルーツバット(こもりね)が何匹も集まって、僕らを恐怖に陥れていたのに、、、、
胸が痛んだ。
本当に残念だった。
でも島の人たちとは、親戚みたいになっているし、なんだか「里帰り」みたいだった。
島の子供たちもちょっとの間にでっかくなって、頼もしくなっていた。
後は「瑠璃の島」を見て楽しんでくださいなっと。
島のコミュニティーセンター
倍賞美津子さんが飾り付けた。
倍賞さんとは、実は遠い親戚。
お互いに親戚と呼び合っている。
あと、リース
で、オランダ。やばいな、ニューヨークもあんのに、、、、、
ちなみに、ニューヨークは24日に放送される「世界の絶景」の番組です。
石原さとみちゃんと行ってきやした。
「ウルルン」は1、14オンエア。(おい、なんかはしょろうとしてないか?)
はいはい、オランダね。
で、オンエア前だから詳しく書けないけど、風車関係とだけ言っておきやす。
あのさ、風車ってすごいよ。
アイデアと遊び心と恐怖と生活と危機感とか、いろんな要素が詰まっていて、かわいくてばかばかしくて、思わず愛してしまった。
風車に入る「扉」は、少年の心の「扉」でもあった。
夢がたくさん詰まっていて、風車は生きていて、船みたいで、飛行機みたいで、風車は「夢の世界」に連れて行ってくれる乗り物であり、生き物だった。
まさに、宮崎駿の世界であり、宇宙であり、素敵な「化け物」だった。
まあ、オンエアで使われないものがたくさんあるから、おいおい紹介できたらうれしいな。
オランダで僕は、2度新聞に載り、夕方のニュースに3日連続で出た。
これはオンエアされないから、これを読んだ人だけしか知らない情報ね。
なんか得した気分でしょ。(そーでもないんじゃない)
これが新聞
他に取材も受けてきやした
ニューヨークは、ま、みなさまご存知だとは思いますから書きません。
別に疲れ始めて手を抜いている訳ではない。
二つ三っつ、僕の貴重な体験を書きやしょう。
まず、僕の親戚のおねーちゃん(親戚だらけだね)みたいな、兵藤ゆきちゃんに会ってきました。(親戚じゃねーだろ)
いえいえ、ゆきちゃん家族はもー親戚です。(自分で自分に答えんなっつーの)
で、ロケの合間に来てくれて、ゆきちゃんのお子様の学校に行く事になりました。
その日は「パスタナイト」スパゲティーの夜とでも訳しましょうか?
いいんですかね、戸田奈津子さん?
これはですね、学校の食堂で、パスタが食べられるという、、、
違うな、、、
え~、上手く説明できませんが、その日は食堂で夕食にパスタが格安で食べられて、そのお金を何処かに「寄付」する。ってな感じですね。
これでいい?ゆきちゃん?(聞くな!)
実は、ゆきちゃんは毎週このブログをニューヨークで読んでくれているのだ。
上級生の女の子が給仕をしてくれて(給仕ってなんだよ)ま、ウエートレスですね。
生徒や、生徒の家族や、先生たちが食べに来ていてとてもいい雰囲気でした。
校長先生なんて、GパンにTシャツで全然「校長」してなくて、ニューヨークって感じ。(アバウトだね)
みんなで同じ物(トマトソースのパスタにミートボールがついていて、デザートは揚げパンみたいなの)を食べて、コーラを飲んで、、、、、、
マンハッタンでおいしいイタリアンとか食べるよりも、僕はしあわせで、美味しかった。
で、その日はバスケの対外試合。
これがまた、あなた、さすがニューヨーク。
まず、体育館が狭い。(おい!)
バスケのコートに客席用のひな壇のみ。ってな感じ。
で、体育館に入る前から、大音量の音楽が流れている。
外人の(当たり前だろ)中学生が試合前のアップをしている。
ガム噛んだりしている。
僕はこの辺りで気を失いかけている。
だって、体育館に大音量のロックがかかっていて、試合前の子供がガム噛んでて、応援の外人の(だからよ、、、)金髪の女の子がキャーキャー黄色い声援を送っている、、、、(なんだろ?黄色い声援って?いいから話進めろっつーの!)
さらに、気を失うどころか、生命まで失いそうだったのが、ちゃんとしたレフェリーがいて(すんごいちゃんとしてるのよ。まるで、NBAのレフェリーみたいなの)しかも3人。
さらに、大音量の発信元には、2人のDJまでいて、休憩の度に大音量で音楽がかかる。
もちろん、試合は中学生だからたいしたレベルじゃないのよ。
さすが、国技だね。
で、ゆきちゃんの家に行くと、だんなさまのヒロスケさんがやさしい笑顔で出迎えてくれた。
何故、ゆきちゃんがニューヨークに住んでるかといえば、ヒロスケさんのせいである。(せいってなんだよ)
ヒロスケさんはミュージシャンである。それが何故か急にニューヨークの学校に生徒として通い出す。
で、気が付いたら学校の講師になっている。
なんざんしょ?ヒロスケさん?訳わかんない、、、、、
なんて、生き様なんでしょう?
人にはいろんな人生があるのはわかるが、ヒロスケさんの人生も本当に波瀾万丈である。
本人はひょうひょうとしているが、、、、、
奥さんが、ひょうひょうゆき、、、、、、
すみません、、、、、、、、
なんだか、ゆきちゃんのだんなさんはヒロスケさんしかありえないって気がするし、ヒロスケさんの奥さんはゆきちゃんしかありえないって気がする。
なんとも、素敵な家族である。
で、もひとつ。
僕はシニアの(40歳以上ね)サッカーチームに入っている。
そのチームメイトがニューヨークに住んでいて、会う約束をしていた。
チームメイトの宮崎さんは、スペースシャトルを運んだりする仕事をしているらしい。
サッカーも上手くて頼もしい兄貴みたいな人だ。
で、せっかくニューヨークに来たんだから、飲む前に芝居でも観よーかと「ブルーマン」のチケットを取ってくれていた。
(本当はここに、偶然撮影で来ていた、嵐の松本も合流するはずだったが、撮影が深夜までかかり、松本とは会えなかったが、3ブロックくらい横のホテルにいたらしい)
で、僕の撮影も時間がかかり、芝居は見る事が出来なかったのは本当に残念だった。
芝居を諦め、おじちゃん二人でグリニッチヴィレッジに繰り出した。
まず、ブルーノートに行ってみたが、ライブが面白くなさそーだったので、食事の出来る店に入った。
久々だったので、なんとなく気恥ずかしかったのが、ビールで乾杯した瞬間に打ち解けた。
ちょっと飲んで、店を変える事にした。
僕が「ビール一杯飲んだだけで、街も受け入れてますね」と言ったら、「住んでいる人間にはそーゆー感覚がなくなってしまうから、とてもおもしろい感想だ」と言ってくれた。
おじちゃん二人が何軒もの飲み屋をはしごして、楽しくて楽しくて、ずーっと笑っていた。
後日メールが届いて、自分はニューヨークに住んでいるのに、飲みに行くのは日本人だらけの店で、結局接待したり、されたりで、こんな飲み方をしたことがなかった。
これからは、奥さんを誘って、入ったことのない外人だらけの店に行ってみようと思ったよ。
と書いて来てくれた。
なんかいいね。
なんか、いいね。
宮崎さん、今度は芝居を観て、タイムズスクエアーのあたりで軽く飲んで芝居の話をしてから、今度はSOHOにでも繰り出して、おじちゃん二人で朝までやりましょうー。
みなさん、気を失ってませんか?
折角だからもっとたくさん書きたいんだけど、もーちょっとだけにするからね(まだ書くのか!)
最後に最近の偶然?必然?の話で終わりにします。(手短にな)
先日、硫黄島のスペシャルドラマをやらせてもらった。
実は、元佃煮やの彼女こと、蕨のジェームス・ブラウンこと、ピグモンこと(長いよ)あたいのママは、硫黄島に住んでいた。
元々は鳥越の江戸っ子なんだけど、ある理由で一時期「硫黄島」に家族で住んでいた。
で、数年前、硫黄島に住んでいた人のために、硫黄島を観光できる機会があって、あたいの両親は「硫黄島」に行っている。
もちろん今は、一般人が「硫黄島」に行く事はできない。
ドラマの話をいただいた時に、何があろうとやると決めていた。
話は変わるが、ちょっと前に「義経」で、平重盛をやらせていただいた。
実は、プロデューサーには一年間やってくれと言われていたが、僕は1年のうち必ず1回舞台をやることにしている。
スケジュールで迷惑をかけるわけにいかず、役を変えてもらった。
で、平重盛。
「小松の殿様」と呼ばれていた。
僕の奥さんのお母さんの旧姓は「小松」と言う。
岩手県の出身。
そう。重盛の家来の末裔だったのだ。
話を「硫黄島」もどす。
僕の部下の通信兵の役で柳野くんという役者がいた。
彼は、キャスティングされていなかった。
ある日、同じ事務所の仲間が(硫黄島に出演が決まっていた)監督の田島さんと飲んでいた。
そこに誘われる。
飲んだ勢いで口約束で出演することになった。
最後の藤竜也さん演じる市丸閣下との別れの場面。
ドラマでは「手紙」が重要な小道具だった。
ランダムに並ばされて、ランダムに手紙をスタッフから受け取った。
柳野くんはその手紙の住所を見て、言葉を失う。
大阪府堺市、、、、、と書かれてあった。
柳野くんの実家の住所だった。
その他にも僕はニューヨークの帰り、チケットが取れず、サンフランシスコ経由で帰った。
夜に着いて、朝の便だったから街を見る事が出来なかった。
おいしい魚は食べたけど、、、、
サンフランシスコの街は是非見てみたかった。
帰りの便は12月だったので、映画のメニューが変わっていた。
なつかしの映画みたいな感じで「硫黄島」の監督クリント・イーストウッドの代表作の「ダーティー・ハリー」がやっていた。
久々に見て見ると、サンフランシスコの街が舞台だった。
やはり、何年か前、「9、11」のドラマもやらせていただいた。
その時はニューヨークに行く事が出来なかったので、今回「グラウンド・ゼロ」に行って来た。
色々なおもいが僕の胸を駆け巡った。
やはり、帰りの便の12月の映画のメニューを見ると、ニコラス・ケイジの「ワールド・トレードセンター」がやっていた。
神様のいたずらとは思えない「何か」がある。と思う。
今回、沖縄にいくために羽田空港に着いた。
目の前に、「年末ジャンボ宝くじ」売り場があった。
僕は、生まれて初めて「宝くじ」を30枚買った、、、、、、
人生で初めて買った宝くじ
僕の煩悩の証
こんな自分をそんなに嫌いじゃない自分がいる。
そんな訳で今週もがんばって生きていきまっしょい!
『ハル』 その2
「ハル」は一心不乱に息子や孫達のために働いていた。
人生で、二度目の主婦を始めた。
ただでさえ主婦は大変だ。しかも年齢の事を考えると過激な程の重労働だ。
「ハル」と夕飯を食べている時に、友人が「ハル」に、「ハル」は外人みたいな顔してるから、「キャサリン」って読んでもいい?と言った。
みんな笑った。
「ハル」の顔のしわしわが動いた。
僕らは少し緊張した。
よく見ると、身体が少し震えていた。
笑っていたのだ。 多分。
何故かこのあだ名を「ハル」は気に入っていたらしい。
「キャサリン」と呼ばれる様になってから「ハル」は少し丸まった背中が伸びた様な気がした。
僕らは成長する。どんどん成長する。
反比例する様に「ハル」がどんどん小さくなって行く。
小さく小さくなって行く。
僕らが成長しなければ、「ハル」も小さくならないんじゃないかと思った。だけど僕らは成長し、「ハル」はさらに小さくなった。
僕らに髭やすね毛が生え始めると、「ハル」のゼンマイは止まってしまいそうになってきた。
座布団で眠る「ハル」の身体を探してもゼンマイは見つからなかった。
ゼンマイを巻いてあげたかった。
きつくきつく巻いてあげたかった。
だけど、「ハル」のゼンマイはゆっくりと静かに止まった。
「ハル」は多感な成長期の僕らに、何も言わなかった。
他の大人達には、たくさん怒られたり説教もされた。
「ハル」は何も言わなかった。
そのかわり、現実を受け入れた人間の強さを見せてくれていた。
身の丈で生きる人間の強さを見せてくれた。
43歳になった僕は、未だにたくさんの悩みを抱えている。
泣きたい時もあるし、死にたい時だってある。
現実を受け入れたくない事などしょっちゅうだ。
苦しい時、悩んでいる時に、遠くからゼンマイの音が聞こえて来る様な気がする時がある。
そんな時は苦しみの中に「ほっ」とする瞬間がある。
「春」みたいだと思う。
そんな時は、遠くから「ハル」が僕に、
「春」を運んで来てくれているんだなと思う。
突然ですが、今の僕には季節感がまったくありません宣言!
本来ならば、冒頭にちょこっと肌や目や鼻や耳、五感などで感じた季節や天気の感想なんかを書いて来ましたが、さっき、沖縄の「鳩間島」から帰ってきました。
富士の裾野は昼あったかくて、夕方から死ぬ程寒かったし、オランダがすんごい寒くて、ニューヨークがすんごいあったかくて、沖縄は中途半端に寒くて、東京なんてあったかいんだか、寒いんだかわかんないし。
時差ボケひどかったり、なおったり。
本当はしんどいから休んじゃおうかなって、正直「一瞬」思いました。
すみません。わたくし「うそ」をつきました。
一瞬じゃありません。ほとんど、全瞬でした。(なんだ?全瞬って?)
あんまりにもしんどかったんです。鳩間島から帰ってくるのに、9時間かかるんです。
説明します。
風が強いと、石垣島までの高速船の直行便が出動しません。
まず、鳩間島からボートで30分くらいで西表の西の上原港に着きます。
で、車に50分くらい乗って、東の大原港に行きます。
で、大原港から高速船で、30分くらいで石垣港に着きます。
で、タクシーで10分弱で石垣空港に行きます。
で、石垣空港から1時間ちょいで那覇空港に着きます。
で、那覇空港から2時間前後(羽田からは、2時間30分)で羽田空港に着きます。
で、タクシー、電車、バスなどの交通手段でそれぞれ帰ります。
まあ、1時間を見ましょうか。
もちろん、待ち時間を全て除いてあります。
ま、運が悪ければ10時間以上はかかります。
休みたいって思うでしょ。全瞬。
しかし、鳩間島を昼過ぎに出て、夜の11時くらいに帰って来て、みなさまの書き込みに「愛と勇気」といただき、(アンパンマンかよ)筆を、いや、指を振るっておりやす。
オランダの続きの前に鳩間島の事をちょっと書きやす。
2年ぶりくらいに帰ったんですが、(そう、帰ったって表現がぴたりとくる)寒さと風の強さで、正直参りました。
初めてみんなで「鳩間島」に行った時は、楽しみな気持ちと同時に、ちょっぴりの「恐怖」が入り交じった不思議な気持ちも、ボストンバッグに入れて行きました。
だって、小さな、何も無い、まったく知らない日本の最南端に近い島に撮影に行くのだ。
情報は入ってくるけど、マイナスのイメージしかわかないものばかりだった。
「今は寒いです」「タオル、洗面用具がない」「バスタブがない」「お店はひとつありますが、島の人のための店です。あまりものを買わないで」等々。
で、島に出発した。
島に着いた。
9時間近くかかって、、、、、
なんて言うんだろう。本当に「島」だった。
っておかしな表現だけど。
「でいごの花」が咲き乱れていた、、、、、
「でいご」がどんなんだかまったく知らなかったが、大木だった。
ごっつい大木に、真っ赤な細い花が「うそ」のようにちりばめられていた。
想像と全然違った。
自然は僕の様なちっぽけな、貧困なイメージしか抱けないバカちんを簡単に風速100メートルで吹き飛ばす。
海に色は、バカちんには表現出来ない。
時間、風、太陽等で同じ色の時がない。
綺麗過ぎて言葉も出て来ない。
みんなが「うわー、きれい、、、」って言ってる。
のみ。
こればっかりは、実際に見てもらうしかない。
そして、僕らを襲ったのは「寒さ」
沖縄だって寒いのだ。
そして、鳩間島には暖房がない、、、、、、
冷房オンリー、、、、、、
バスタブがない、、、、、
そうなのだ。基本的に「寒さ」に対応する事をあんまり考えてはいないんだね。
日が経つうちに、島のみなさまとも打ち解け始めた。
僕は西表に泊まっていた。
鳩間島にはもちろん民宿はあるが、数には限りがある。
撮影隊のように、大量に人がきてずーっと泊まり続けるなんてありえないから、当然島の民宿は悲鳴をあげ、僕ら数人の役者を吐き出した。
おかげで幸運な事に、数人の役者は「鳩間島」と「西表島」を楽しむ事ができた。
さらに幸運な僕は、西表で「由五郎さん」に出会えたわけだ。
今回、2年経って少しだけ鳩間は変わっていた。民宿がちょっぴり増えて、島の唯一のお店が少し引っ越していて(50メートルくらい横にずれていた。クレーンで持ち上げて引っ越ししたらしい)
ちょっぴり海岸沿いが整備されていた。
のみ。
引越しした鳩間島で一軒のお店。
米盛商店
あ、忘れるところだった。
僕はとてもショックだったのは、島の唯一の学校の(僕はこの学校が世界一素敵だと思っている)校舎の前に聳えていた「でいご」の大木たちが、虫に喰われて切り倒されていたことだ。
春には「でいご」の大木たちに「ゴッホ」が絵の具をたっぷり使って花を書いたみたいに、真っ赤な花が豪快に咲き誇っていたのに、、、、、
その真っ赤な花の「蜜」を食べに、からすくらいのサイズのフルーツバット(こもりね)が何匹も集まって、僕らを恐怖に陥れていたのに、、、、
胸が痛んだ。
本当に残念だった。
でも島の人たちとは、親戚みたいになっているし、なんだか「里帰り」みたいだった。
島の子供たちもちょっとの間にでっかくなって、頼もしくなっていた。
後は「瑠璃の島」を見て楽しんでくださいなっと。
島のコミュニティーセンター
倍賞美津子さんが飾り付けた。
倍賞さんとは、実は遠い親戚。
お互いに親戚と呼び合っている。
あと、リース
で、オランダ。やばいな、ニューヨークもあんのに、、、、、
ちなみに、ニューヨークは24日に放送される「世界の絶景」の番組です。
石原さとみちゃんと行ってきやした。
「ウルルン」は1、14オンエア。(おい、なんかはしょろうとしてないか?)
はいはい、オランダね。
で、オンエア前だから詳しく書けないけど、風車関係とだけ言っておきやす。
あのさ、風車ってすごいよ。
アイデアと遊び心と恐怖と生活と危機感とか、いろんな要素が詰まっていて、かわいくてばかばかしくて、思わず愛してしまった。
風車に入る「扉」は、少年の心の「扉」でもあった。
夢がたくさん詰まっていて、風車は生きていて、船みたいで、飛行機みたいで、風車は「夢の世界」に連れて行ってくれる乗り物であり、生き物だった。
まさに、宮崎駿の世界であり、宇宙であり、素敵な「化け物」だった。
まあ、オンエアで使われないものがたくさんあるから、おいおい紹介できたらうれしいな。
オランダで僕は、2度新聞に載り、夕方のニュースに3日連続で出た。
これはオンエアされないから、これを読んだ人だけしか知らない情報ね。
なんか得した気分でしょ。(そーでもないんじゃない)
これが新聞
他に取材も受けてきやした
ニューヨークは、ま、みなさまご存知だとは思いますから書きません。
別に疲れ始めて手を抜いている訳ではない。
二つ三っつ、僕の貴重な体験を書きやしょう。
まず、僕の親戚のおねーちゃん(親戚だらけだね)みたいな、兵藤ゆきちゃんに会ってきました。(親戚じゃねーだろ)
いえいえ、ゆきちゃん家族はもー親戚です。(自分で自分に答えんなっつーの)
で、ロケの合間に来てくれて、ゆきちゃんのお子様の学校に行く事になりました。
その日は「パスタナイト」スパゲティーの夜とでも訳しましょうか?
いいんですかね、戸田奈津子さん?
これはですね、学校の食堂で、パスタが食べられるという、、、
違うな、、、
え~、上手く説明できませんが、その日は食堂で夕食にパスタが格安で食べられて、そのお金を何処かに「寄付」する。ってな感じですね。
これでいい?ゆきちゃん?(聞くな!)
実は、ゆきちゃんは毎週このブログをニューヨークで読んでくれているのだ。
上級生の女の子が給仕をしてくれて(給仕ってなんだよ)ま、ウエートレスですね。
生徒や、生徒の家族や、先生たちが食べに来ていてとてもいい雰囲気でした。
校長先生なんて、GパンにTシャツで全然「校長」してなくて、ニューヨークって感じ。(アバウトだね)
みんなで同じ物(トマトソースのパスタにミートボールがついていて、デザートは揚げパンみたいなの)を食べて、コーラを飲んで、、、、、、
マンハッタンでおいしいイタリアンとか食べるよりも、僕はしあわせで、美味しかった。
で、その日はバスケの対外試合。
これがまた、あなた、さすがニューヨーク。
まず、体育館が狭い。(おい!)
バスケのコートに客席用のひな壇のみ。ってな感じ。
で、体育館に入る前から、大音量の音楽が流れている。
外人の(当たり前だろ)中学生が試合前のアップをしている。
ガム噛んだりしている。
僕はこの辺りで気を失いかけている。
だって、体育館に大音量のロックがかかっていて、試合前の子供がガム噛んでて、応援の外人の(だからよ、、、)金髪の女の子がキャーキャー黄色い声援を送っている、、、、(なんだろ?黄色い声援って?いいから話進めろっつーの!)
さらに、気を失うどころか、生命まで失いそうだったのが、ちゃんとしたレフェリーがいて(すんごいちゃんとしてるのよ。まるで、NBAのレフェリーみたいなの)しかも3人。
さらに、大音量の発信元には、2人のDJまでいて、休憩の度に大音量で音楽がかかる。
もちろん、試合は中学生だからたいしたレベルじゃないのよ。
さすが、国技だね。
で、ゆきちゃんの家に行くと、だんなさまのヒロスケさんがやさしい笑顔で出迎えてくれた。
何故、ゆきちゃんがニューヨークに住んでるかといえば、ヒロスケさんのせいである。(せいってなんだよ)
ヒロスケさんはミュージシャンである。それが何故か急にニューヨークの学校に生徒として通い出す。
で、気が付いたら学校の講師になっている。
なんざんしょ?ヒロスケさん?訳わかんない、、、、、
なんて、生き様なんでしょう?
人にはいろんな人生があるのはわかるが、ヒロスケさんの人生も本当に波瀾万丈である。
本人はひょうひょうとしているが、、、、、
奥さんが、ひょうひょうゆき、、、、、、
すみません、、、、、、、、
なんだか、ゆきちゃんのだんなさんはヒロスケさんしかありえないって気がするし、ヒロスケさんの奥さんはゆきちゃんしかありえないって気がする。
なんとも、素敵な家族である。
で、もひとつ。
僕はシニアの(40歳以上ね)サッカーチームに入っている。
そのチームメイトがニューヨークに住んでいて、会う約束をしていた。
チームメイトの宮崎さんは、スペースシャトルを運んだりする仕事をしているらしい。
サッカーも上手くて頼もしい兄貴みたいな人だ。
で、せっかくニューヨークに来たんだから、飲む前に芝居でも観よーかと「ブルーマン」のチケットを取ってくれていた。
(本当はここに、偶然撮影で来ていた、嵐の松本も合流するはずだったが、撮影が深夜までかかり、松本とは会えなかったが、3ブロックくらい横のホテルにいたらしい)
で、僕の撮影も時間がかかり、芝居は見る事が出来なかったのは本当に残念だった。
芝居を諦め、おじちゃん二人でグリニッチヴィレッジに繰り出した。
まず、ブルーノートに行ってみたが、ライブが面白くなさそーだったので、食事の出来る店に入った。
久々だったので、なんとなく気恥ずかしかったのが、ビールで乾杯した瞬間に打ち解けた。
ちょっと飲んで、店を変える事にした。
僕が「ビール一杯飲んだだけで、街も受け入れてますね」と言ったら、「住んでいる人間にはそーゆー感覚がなくなってしまうから、とてもおもしろい感想だ」と言ってくれた。
おじちゃん二人が何軒もの飲み屋をはしごして、楽しくて楽しくて、ずーっと笑っていた。
後日メールが届いて、自分はニューヨークに住んでいるのに、飲みに行くのは日本人だらけの店で、結局接待したり、されたりで、こんな飲み方をしたことがなかった。
これからは、奥さんを誘って、入ったことのない外人だらけの店に行ってみようと思ったよ。
と書いて来てくれた。
なんかいいね。
なんか、いいね。
宮崎さん、今度は芝居を観て、タイムズスクエアーのあたりで軽く飲んで芝居の話をしてから、今度はSOHOにでも繰り出して、おじちゃん二人で朝までやりましょうー。
みなさん、気を失ってませんか?
折角だからもっとたくさん書きたいんだけど、もーちょっとだけにするからね(まだ書くのか!)
最後に最近の偶然?必然?の話で終わりにします。(手短にな)
先日、硫黄島のスペシャルドラマをやらせてもらった。
実は、元佃煮やの彼女こと、蕨のジェームス・ブラウンこと、ピグモンこと(長いよ)あたいのママは、硫黄島に住んでいた。
元々は鳥越の江戸っ子なんだけど、ある理由で一時期「硫黄島」に家族で住んでいた。
で、数年前、硫黄島に住んでいた人のために、硫黄島を観光できる機会があって、あたいの両親は「硫黄島」に行っている。
もちろん今は、一般人が「硫黄島」に行く事はできない。
ドラマの話をいただいた時に、何があろうとやると決めていた。
話は変わるが、ちょっと前に「義経」で、平重盛をやらせていただいた。
実は、プロデューサーには一年間やってくれと言われていたが、僕は1年のうち必ず1回舞台をやることにしている。
スケジュールで迷惑をかけるわけにいかず、役を変えてもらった。
で、平重盛。
「小松の殿様」と呼ばれていた。
僕の奥さんのお母さんの旧姓は「小松」と言う。
岩手県の出身。
そう。重盛の家来の末裔だったのだ。
話を「硫黄島」もどす。
僕の部下の通信兵の役で柳野くんという役者がいた。
彼は、キャスティングされていなかった。
ある日、同じ事務所の仲間が(硫黄島に出演が決まっていた)監督の田島さんと飲んでいた。
そこに誘われる。
飲んだ勢いで口約束で出演することになった。
最後の藤竜也さん演じる市丸閣下との別れの場面。
ドラマでは「手紙」が重要な小道具だった。
ランダムに並ばされて、ランダムに手紙をスタッフから受け取った。
柳野くんはその手紙の住所を見て、言葉を失う。
大阪府堺市、、、、、と書かれてあった。
柳野くんの実家の住所だった。
その他にも僕はニューヨークの帰り、チケットが取れず、サンフランシスコ経由で帰った。
夜に着いて、朝の便だったから街を見る事が出来なかった。
おいしい魚は食べたけど、、、、
サンフランシスコの街は是非見てみたかった。
帰りの便は12月だったので、映画のメニューが変わっていた。
なつかしの映画みたいな感じで「硫黄島」の監督クリント・イーストウッドの代表作の「ダーティー・ハリー」がやっていた。
久々に見て見ると、サンフランシスコの街が舞台だった。
やはり、何年か前、「9、11」のドラマもやらせていただいた。
その時はニューヨークに行く事が出来なかったので、今回「グラウンド・ゼロ」に行って来た。
色々なおもいが僕の胸を駆け巡った。
やはり、帰りの便の12月の映画のメニューを見ると、ニコラス・ケイジの「ワールド・トレードセンター」がやっていた。
神様のいたずらとは思えない「何か」がある。と思う。
今回、沖縄にいくために羽田空港に着いた。
目の前に、「年末ジャンボ宝くじ」売り場があった。
僕は、生まれて初めて「宝くじ」を30枚買った、、、、、、
人生で初めて買った宝くじ
僕の煩悩の証
こんな自分をそんなに嫌いじゃない自分がいる。
そんな訳で今週もがんばって生きていきまっしょい!
『ハル』 その2
「ハル」は一心不乱に息子や孫達のために働いていた。
人生で、二度目の主婦を始めた。
ただでさえ主婦は大変だ。しかも年齢の事を考えると過激な程の重労働だ。
「ハル」と夕飯を食べている時に、友人が「ハル」に、「ハル」は外人みたいな顔してるから、「キャサリン」って読んでもいい?と言った。
みんな笑った。
「ハル」の顔のしわしわが動いた。
僕らは少し緊張した。
よく見ると、身体が少し震えていた。
笑っていたのだ。 多分。
何故かこのあだ名を「ハル」は気に入っていたらしい。
「キャサリン」と呼ばれる様になってから「ハル」は少し丸まった背中が伸びた様な気がした。
僕らは成長する。どんどん成長する。
反比例する様に「ハル」がどんどん小さくなって行く。
小さく小さくなって行く。
僕らが成長しなければ、「ハル」も小さくならないんじゃないかと思った。だけど僕らは成長し、「ハル」はさらに小さくなった。
僕らに髭やすね毛が生え始めると、「ハル」のゼンマイは止まってしまいそうになってきた。
座布団で眠る「ハル」の身体を探してもゼンマイは見つからなかった。
ゼンマイを巻いてあげたかった。
きつくきつく巻いてあげたかった。
だけど、「ハル」のゼンマイはゆっくりと静かに止まった。
「ハル」は多感な成長期の僕らに、何も言わなかった。
他の大人達には、たくさん怒られたり説教もされた。
「ハル」は何も言わなかった。
そのかわり、現実を受け入れた人間の強さを見せてくれていた。
身の丈で生きる人間の強さを見せてくれた。
43歳になった僕は、未だにたくさんの悩みを抱えている。
泣きたい時もあるし、死にたい時だってある。
現実を受け入れたくない事などしょっちゅうだ。
苦しい時、悩んでいる時に、遠くからゼンマイの音が聞こえて来る様な気がする時がある。
そんな時は苦しみの中に「ほっ」とする瞬間がある。
「春」みたいだと思う。
そんな時は、遠くから「ハル」が僕に、
「春」を運んで来てくれているんだなと思う。
了。
ハル その1 / 2006年12月13日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
先週の更新の後、石廊崎のオートキャンプ場でロケをやってきまして、到着するのに3時間30分かかりまして、、、、、、
途中で嫌になっちゃいまして、、、、
走っても走っても、着かない、あの恐怖、、、、、
まるで、アメージング・ストーリー。
新幹線なら神戸を楽に超えます、、、、、
飛行機なら沖縄に行けます、、、、、、
ロケが終わったのが、夜中の2時を回っていまして、、、、
東京に着いたのが、5時を回っていまして、、、、、
徹夜じゃん、、、、、
ざっけんなよ!
遠過ぎるよ!石廊崎オートキャンプ場~よ~!あ?こらぁ~!
朝、2時間の仮眠をとって、久々にサッカーに行ってきました。
あー、気持ちのいいこと。
冬の寒い午前中に汗をかき、時差ボケもすっかりなおってしまいやした。
ありがとうございました。石廊崎オートキャンプ場。
で、先週の海外修行をポツリポツリと思い出していきやしょう。
まずはオランダに行ってきました。
知ってた?オランダの事って?
考えてみたら、オランダについては何も知らないに等しかった。
(ま、他の国もそんなに知らないけど)
行く前にオランダについて知っている事は、海抜0m,チューリップ、木靴、風車、飾り窓、ドラッグやれる喫茶店とか、、、、のみ。
もちろん、僕らサッカー小僧には、あれ?、、、、、小僧?
おじちゃんでしょ。おれ、、、、、、
小僧がおじちゃんになったらなんてゆうんだろ?、、、、、、、
おじぞう?、、、、、、
こじさん?、、、、、、
サッカーおじぞう、、、、
ま、いっか。
74年のワールドカップで、近代サッカー、トータルフットボールをつくった、ヨハン・クライフ率いる、オレンジ軍団である。
(書きたい事が山程あるが、テニスのサイトだかんね。このくらいに)
これくらいかな。
ま、勘違いもあるのはわかっている。
僕らもそうだけど、観光客は、ほとんど「国」というものを勘違いしている場合が多い。
っていうか、外国に対する「願望」に近いのかな。
日本に来る外国の方は、いまだに「時代劇風」なたたずまいを期待してるでしょ。
日本人が全員「空手」が出来ると思っているでしょ。
前にイギリスに行った時には、「歌舞伎町には、裸の女が出てくる販売機があるって本当か?」と聞かれた。
面倒くさいから、「男のはあるけど女のは未だだ」と言っといた。
で、行ってみた。(17日に成田を発った)
スキポール空港に着いた。
今はどの国の空港も、カチンと来るくらい警備がうるさい。
仕方ないけど、、、
しかし、スキポール空港は「羽田空港かよ!」と、つっこみたくなるくらいあっさり通れた。
おどろいた。
しかし、おどろいたのはそれだけでねぇ。
スキポール空港には、空港内に「カジノ」があった、、、、
何故か、流石だ!と思った。(何故だ?)
空港の中のお土産物の店を覗いた。
昔から、僕は海外に着くとすぐにその国の「お金」が使いたくなる。
それぞれの国には、それぞれの見た事のない「お金」があって、それぞれの国の「言葉」がある。
その国で一人で買い物をすると(もちろん、コーヒーとか、チョコとか、水とかその程度よ)その国に近づける気がするからだ。
今は、ユーロのおかげで、買い物もつまらなくなった。
そのお土産物の店の一押しは、「チューリップの球根」と「木靴」だった、、、、
「あれ?」っと思いながらもちょっと笑ってしまっていた。
「そのままじゃん」、、、、
考えてみれば、成田でも「浴衣」や「団扇」「一番」ってかいてある「鉢巻き」とか、浅草に近い「日本」を代表?する物がいっぱい売ってるもんね。
空港を出ると、かなり寒い。
「アムステルダムで、なんかイベントがあったらしくて、市内のホテルが取れなかったので、ハーレムに行きます」とスタッフに言われた。
僕は、基本的にこーゆースタッフの言葉を信じない。
必ず、何か「裏」があるからだ。
しかし、何も追求することなく素直に従った。
何故かというと、それは、「ハーレム」という「甘美」な響きのせいさ。
(なんだ、せいさ。って)
「ハーレム」
この「毒と蜜」を同時に内包した、この「独特」の響き。
興奮せずにはいられない。(あほか?)
車で30分弱走ると、ハーレムって街の「ホテルハーレム」ってとこに着いた。
なんでもない街の、なんでもない普通のホテルだった。
「ハーレム」って、「街」の名前だった。
なんだよ!
(お前が余分な期待するからでしょ)
真っ暗で、ホテルのまわりがよくわからない。
チェックインして、アムスの街に戻って晩ご飯。
アムスの街は素敵だった。
建物の一つ一つが素敵過ぎる。
素敵すぎて「嘘臭かった」
ディズニーランドに紛れ込んだみたいだった。
書き割りみたいだった。
中央駅は東京駅の「モデル」になっている駅だった。(知らなかった)
街には、ミョウに自転車が多い。(理由は後でわかった)
道路の両側にパーキングスペース。
車だらけ。(ヨーロッパっぽい)
コーディネーターのペペちゃんが、「おいしいレストランを予約しときましたよ」と笑顔で言った。
川の横にある、混んでいて、とても感じのいいレストランに着いた。
お客さんが店から溢れていて、活気があって、テーブルにある料理もおいしそうだ。
ぺぺちゃんとお店の人が話している。
「今、まだ前のお客さんの食事が終わってないから、もー少し待って下さい」と言われた。
僕らは少し興奮して、期待に胸が膨らみ始めた。
しばらく待った。(次々に運ばれてくる料理を見て、さらに期待が膨らむ)
随分待った。
ぺぺちゃんが店の人と笑顔で話している。
その笑顔のまま、僕らに近づいてきて言った。
「すみません、店が違いました」
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
もーどーでもよかった、、、、、、、、、、
裏の通りのイタリアンレストランに連れて行かれた、、、、、、、
そこはがらがらで、ちょっと暗く、アベックが多かった。
メニューを説明してもらったが、「ちょっと、にっほんごで、せつめいむずかしのありますね」と笑顔で言ってくれた。(もちろん、ちゃんと説明してくれてもいるよ)
せっかくだから、普段食べた事ないのにしよーと思い、カカオのパスタなんかを頼んだ。
魅力的でしょ。
運ばれた料理は、まずくない。
うん、まずくはない。
けど、パスタを食べるにつれて少しづつ「へこんでくる」のは何故かしらん?
食後に街を見学した。飾り窓も見学した。
びっくりした。
43歳の経験豊富なおじちゃんである。
かわいこぶっているのではない。
街の中に、普通にあるのだ。
日本でも、色々な土地で見た事があったけど(なにせ、出身が西川口の近所だ)観光客が集まる街中に普通にあることに驚いた。
飲み屋があって、洋服屋があって、その間に飾り窓があって、、、、
想像もしてなかった。
観光客の女性も子供も普通に歩いている。
もちろん、スケベなおじちゃんたちも歩いている。(僕らも含む)
特殊な場所に集まっているんだとおもっていた。
流石だ!と思った。(流石だ!と、オランダ!は韻を踏んでいる。どーでもいい)
で、次の日の昼過ぎから仕事。
早寝早起きが習慣のあたしは、やはり朝早く目覚めた。
外国の街に行くと、とにかく歩く事にしている。
ホテルを出て、寒風吹き荒む表に立った。何も無い、、、、、、
適当に歩いたが本当に何にもない。
部屋に戻ろうかと一瞬考えた。
やっぱ、もったいないから勘を頼りに歩く事にした。
10分くらい歩くと遠くに教会らしき建物発見!
さらに20分近く歩き、街を発見!
かなり歩いている。
迷わないように、デジカメで曲がり角を撮影するという方法を思いつく。
我ながらクレバーな我である。
早朝の街は未だ眠っている、、、、、、
でも、この街もディズニーランドである。
店が全部閉まっているのに、床屋さんだけ何故か開いている。
しかも、お客さんが髪を切ってもらっている。
見た事のない景色だが、近所にある床屋も開いていて、やはりお客さんが髪を切ってもらっている。意味不明、理解不能である。
その近くにも床屋さんがあって、やはりお客さんが髪を切ってもらっているる、、、、、
教会に着いた。
隣の広場で、朝市の準備が始まっていた。
教会の中に入りたかったが、何度もグルグルしたけど入り口がわからなかった。
もう少しで街が起きる気配があったが、戻る時間になってしまった。
非常に残念だったけど、ホテルに向かった。
タクシーなど一台も無い。
行きに撮っておいたデジカメの映像が、帰り道にどれほど役に立ったか。
これは、ウルトラお勧め出来る技であった。
ホテルに戻り、今日からホームステイするお宅に向かった。
そう、これは久々に出演する事になった「世界ウルルン滞在記」である。
しまった!番組にたどり着くまでこんなに長くかかってしまった。
みなさま、もーお分かりですね。そう、来週に続くみたいです。
ニューヨークには何時になったらたどり着くのかしらん?
ま、いっか。(いくない)
さあ!(いきおいづけだね)
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『ハル』 その1
僕の中学の時の友人の家に「ハル」と言うおばあちゃんがいた。
ゼンマイで動いている様なおばあちゃんだ。
顔はしわしわで、表情が今ひとつわからない。
背中は丸まり、痩せて、小さい人だった。
どちらかと言うと、チンパンジーに近い顔立ちだった。
「ハル」はあまりしゃべらなかった。
たまに「ハル」は独り言を言っていた。
友人の家に遊びに行っても、気配が無い時が多かった。
でも、「ハル」はいつもいた。
そしていつも何故か立っていた。
庭の木の間で、ずーっと立っている時もあった。
ずーっと立っているかと思うと、座布団にペタンと座りストレッチしてるみたいに座布団に胸をつけ、見事に座布団一枚の中で眠っていた。
座布団一枚で眠る「ハル」の部屋の陽の当たる壁には、少し色褪せた「ジミーコナーズ」のポスターが貼ってあった。
ある時、「ハル」の家の軒下に大きな蜂の巣が見つかった。
みんなが怖がっていると、「ハル」は素手で黒いビニールのゴミ袋を掴み、蜂の巣に被せ、たき火をしていた一斗缶に蜂の巣の入った黒いビニールのゴミ袋を投げ込み、蜂の巣を退治した。
まわりの人達は驚愕し、言葉を無くした。
しかし、みんなの脳裏に何かが引っかかっていた。
思った通り、黒いビニールのゴミ袋はすぐに溶け、たくさんの蜂が中から出て来た。
みんなが恐怖のあまりその場から逃げ出した。
まさに、蜘蛛の子を散らすみたいだった。
蜂が出て来たのに。
しかし、「ハル」は微動だにしなかった。
その友人の母が病気で亡くなった。
「ハル」の義理の娘にあたる。
僕の母と名前が一緒だった。
「福子」
友人も僕も悲しみに包まれた。
「ハル」は無表情だった。
県民の日だった。
「県民の日」から、「ハル」は全ての家事をするようになった。
「ハル」は一つも愚痴を言わない。
「ハル」は一つも文句を言わない。
「ハル」は毎日懸命に働いていた。
そして「ハル」は座布団一枚で寝ていた。
「ハル」は現実をちゃんと受け入れる覚悟をしていたんだ思う。
あの無表情の中に。
現実は受け入れるか、受け入れないかの二者択一だ。
先週の更新の後、石廊崎のオートキャンプ場でロケをやってきまして、到着するのに3時間30分かかりまして、、、、、、
途中で嫌になっちゃいまして、、、、
走っても走っても、着かない、あの恐怖、、、、、
まるで、アメージング・ストーリー。
新幹線なら神戸を楽に超えます、、、、、
飛行機なら沖縄に行けます、、、、、、
ロケが終わったのが、夜中の2時を回っていまして、、、、
東京に着いたのが、5時を回っていまして、、、、、
徹夜じゃん、、、、、
ざっけんなよ!
遠過ぎるよ!石廊崎オートキャンプ場~よ~!あ?こらぁ~!
朝、2時間の仮眠をとって、久々にサッカーに行ってきました。
あー、気持ちのいいこと。
冬の寒い午前中に汗をかき、時差ボケもすっかりなおってしまいやした。
ありがとうございました。石廊崎オートキャンプ場。
で、先週の海外修行をポツリポツリと思い出していきやしょう。
まずはオランダに行ってきました。
知ってた?オランダの事って?
考えてみたら、オランダについては何も知らないに等しかった。
(ま、他の国もそんなに知らないけど)
行く前にオランダについて知っている事は、海抜0m,チューリップ、木靴、風車、飾り窓、ドラッグやれる喫茶店とか、、、、のみ。
もちろん、僕らサッカー小僧には、あれ?、、、、、小僧?
おじちゃんでしょ。おれ、、、、、、
小僧がおじちゃんになったらなんてゆうんだろ?、、、、、、、
おじぞう?、、、、、、
こじさん?、、、、、、
サッカーおじぞう、、、、
ま、いっか。
74年のワールドカップで、近代サッカー、トータルフットボールをつくった、ヨハン・クライフ率いる、オレンジ軍団である。
(書きたい事が山程あるが、テニスのサイトだかんね。このくらいに)
これくらいかな。
ま、勘違いもあるのはわかっている。
僕らもそうだけど、観光客は、ほとんど「国」というものを勘違いしている場合が多い。
っていうか、外国に対する「願望」に近いのかな。
日本に来る外国の方は、いまだに「時代劇風」なたたずまいを期待してるでしょ。
日本人が全員「空手」が出来ると思っているでしょ。
前にイギリスに行った時には、「歌舞伎町には、裸の女が出てくる販売機があるって本当か?」と聞かれた。
面倒くさいから、「男のはあるけど女のは未だだ」と言っといた。
で、行ってみた。(17日に成田を発った)
スキポール空港に着いた。
今はどの国の空港も、カチンと来るくらい警備がうるさい。
仕方ないけど、、、
しかし、スキポール空港は「羽田空港かよ!」と、つっこみたくなるくらいあっさり通れた。
おどろいた。
しかし、おどろいたのはそれだけでねぇ。
スキポール空港には、空港内に「カジノ」があった、、、、
何故か、流石だ!と思った。(何故だ?)
空港の中のお土産物の店を覗いた。
昔から、僕は海外に着くとすぐにその国の「お金」が使いたくなる。
それぞれの国には、それぞれの見た事のない「お金」があって、それぞれの国の「言葉」がある。
その国で一人で買い物をすると(もちろん、コーヒーとか、チョコとか、水とかその程度よ)その国に近づける気がするからだ。
今は、ユーロのおかげで、買い物もつまらなくなった。
そのお土産物の店の一押しは、「チューリップの球根」と「木靴」だった、、、、
「あれ?」っと思いながらもちょっと笑ってしまっていた。
「そのままじゃん」、、、、
考えてみれば、成田でも「浴衣」や「団扇」「一番」ってかいてある「鉢巻き」とか、浅草に近い「日本」を代表?する物がいっぱい売ってるもんね。
空港を出ると、かなり寒い。
「アムステルダムで、なんかイベントがあったらしくて、市内のホテルが取れなかったので、ハーレムに行きます」とスタッフに言われた。
僕は、基本的にこーゆースタッフの言葉を信じない。
必ず、何か「裏」があるからだ。
しかし、何も追求することなく素直に従った。
何故かというと、それは、「ハーレム」という「甘美」な響きのせいさ。
(なんだ、せいさ。って)
「ハーレム」
この「毒と蜜」を同時に内包した、この「独特」の響き。
興奮せずにはいられない。(あほか?)
車で30分弱走ると、ハーレムって街の「ホテルハーレム」ってとこに着いた。
なんでもない街の、なんでもない普通のホテルだった。
「ハーレム」って、「街」の名前だった。
なんだよ!
(お前が余分な期待するからでしょ)
真っ暗で、ホテルのまわりがよくわからない。
チェックインして、アムスの街に戻って晩ご飯。
アムスの街は素敵だった。
建物の一つ一つが素敵過ぎる。
素敵すぎて「嘘臭かった」
ディズニーランドに紛れ込んだみたいだった。
書き割りみたいだった。
中央駅は東京駅の「モデル」になっている駅だった。(知らなかった)
街には、ミョウに自転車が多い。(理由は後でわかった)
道路の両側にパーキングスペース。
車だらけ。(ヨーロッパっぽい)
コーディネーターのペペちゃんが、「おいしいレストランを予約しときましたよ」と笑顔で言った。
川の横にある、混んでいて、とても感じのいいレストランに着いた。
お客さんが店から溢れていて、活気があって、テーブルにある料理もおいしそうだ。
ぺぺちゃんとお店の人が話している。
「今、まだ前のお客さんの食事が終わってないから、もー少し待って下さい」と言われた。
僕らは少し興奮して、期待に胸が膨らみ始めた。
しばらく待った。(次々に運ばれてくる料理を見て、さらに期待が膨らむ)
随分待った。
ぺぺちゃんが店の人と笑顔で話している。
その笑顔のまま、僕らに近づいてきて言った。
「すみません、店が違いました」
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
もーどーでもよかった、、、、、、、、、、
裏の通りのイタリアンレストランに連れて行かれた、、、、、、、
そこはがらがらで、ちょっと暗く、アベックが多かった。
メニューを説明してもらったが、「ちょっと、にっほんごで、せつめいむずかしのありますね」と笑顔で言ってくれた。(もちろん、ちゃんと説明してくれてもいるよ)
せっかくだから、普段食べた事ないのにしよーと思い、カカオのパスタなんかを頼んだ。
魅力的でしょ。
運ばれた料理は、まずくない。
うん、まずくはない。
けど、パスタを食べるにつれて少しづつ「へこんでくる」のは何故かしらん?
食後に街を見学した。飾り窓も見学した。
びっくりした。
43歳の経験豊富なおじちゃんである。
かわいこぶっているのではない。
街の中に、普通にあるのだ。
日本でも、色々な土地で見た事があったけど(なにせ、出身が西川口の近所だ)観光客が集まる街中に普通にあることに驚いた。
飲み屋があって、洋服屋があって、その間に飾り窓があって、、、、
想像もしてなかった。
観光客の女性も子供も普通に歩いている。
もちろん、スケベなおじちゃんたちも歩いている。(僕らも含む)
特殊な場所に集まっているんだとおもっていた。
流石だ!と思った。(流石だ!と、オランダ!は韻を踏んでいる。どーでもいい)
で、次の日の昼過ぎから仕事。
早寝早起きが習慣のあたしは、やはり朝早く目覚めた。
外国の街に行くと、とにかく歩く事にしている。
ホテルを出て、寒風吹き荒む表に立った。何も無い、、、、、、
適当に歩いたが本当に何にもない。
部屋に戻ろうかと一瞬考えた。
やっぱ、もったいないから勘を頼りに歩く事にした。
10分くらい歩くと遠くに教会らしき建物発見!
さらに20分近く歩き、街を発見!
かなり歩いている。
迷わないように、デジカメで曲がり角を撮影するという方法を思いつく。
我ながらクレバーな我である。
早朝の街は未だ眠っている、、、、、、
でも、この街もディズニーランドである。
店が全部閉まっているのに、床屋さんだけ何故か開いている。
しかも、お客さんが髪を切ってもらっている。
見た事のない景色だが、近所にある床屋も開いていて、やはりお客さんが髪を切ってもらっている。意味不明、理解不能である。
その近くにも床屋さんがあって、やはりお客さんが髪を切ってもらっているる、、、、、
教会に着いた。
隣の広場で、朝市の準備が始まっていた。
教会の中に入りたかったが、何度もグルグルしたけど入り口がわからなかった。
もう少しで街が起きる気配があったが、戻る時間になってしまった。
非常に残念だったけど、ホテルに向かった。
タクシーなど一台も無い。
行きに撮っておいたデジカメの映像が、帰り道にどれほど役に立ったか。
これは、ウルトラお勧め出来る技であった。
ホテルに戻り、今日からホームステイするお宅に向かった。
そう、これは久々に出演する事になった「世界ウルルン滞在記」である。
しまった!番組にたどり着くまでこんなに長くかかってしまった。
みなさま、もーお分かりですね。そう、来週に続くみたいです。
ニューヨークには何時になったらたどり着くのかしらん?
ま、いっか。(いくない)
さあ!(いきおいづけだね)
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『ハル』 その1
僕の中学の時の友人の家に「ハル」と言うおばあちゃんがいた。
ゼンマイで動いている様なおばあちゃんだ。
顔はしわしわで、表情が今ひとつわからない。
背中は丸まり、痩せて、小さい人だった。
どちらかと言うと、チンパンジーに近い顔立ちだった。
「ハル」はあまりしゃべらなかった。
たまに「ハル」は独り言を言っていた。
友人の家に遊びに行っても、気配が無い時が多かった。
でも、「ハル」はいつもいた。
そしていつも何故か立っていた。
庭の木の間で、ずーっと立っている時もあった。
ずーっと立っているかと思うと、座布団にペタンと座りストレッチしてるみたいに座布団に胸をつけ、見事に座布団一枚の中で眠っていた。
座布団一枚で眠る「ハル」の部屋の陽の当たる壁には、少し色褪せた「ジミーコナーズ」のポスターが貼ってあった。
ある時、「ハル」の家の軒下に大きな蜂の巣が見つかった。
みんなが怖がっていると、「ハル」は素手で黒いビニールのゴミ袋を掴み、蜂の巣に被せ、たき火をしていた一斗缶に蜂の巣の入った黒いビニールのゴミ袋を投げ込み、蜂の巣を退治した。
まわりの人達は驚愕し、言葉を無くした。
しかし、みんなの脳裏に何かが引っかかっていた。
思った通り、黒いビニールのゴミ袋はすぐに溶け、たくさんの蜂が中から出て来た。
みんなが恐怖のあまりその場から逃げ出した。
まさに、蜘蛛の子を散らすみたいだった。
蜂が出て来たのに。
しかし、「ハル」は微動だにしなかった。
その友人の母が病気で亡くなった。
「ハル」の義理の娘にあたる。
僕の母と名前が一緒だった。
「福子」
友人も僕も悲しみに包まれた。
「ハル」は無表情だった。
県民の日だった。
「県民の日」から、「ハル」は全ての家事をするようになった。
「ハル」は一つも愚痴を言わない。
「ハル」は一つも文句を言わない。
「ハル」は毎日懸命に働いていた。
そして「ハル」は座布団一枚で寝ていた。
「ハル」は現実をちゃんと受け入れる覚悟をしていたんだ思う。
あの無表情の中に。
現実は受け入れるか、受け入れないかの二者択一だ。
つづく。
ただいま! / 2006年12月06日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
ただいまぁ~。
声が小さいな~、、、
た・だ・い・ま~
あぁ、ありがとありがとぉ~。
帰って参りました。
やっと帰って参りました。
長い長い海外修行の旅でした。
オランダに住み、ちょっぴり帰国して(毎日働かされた、、、)すぐにニューヨークに行き、帰りのチケットの関係で、サンフランシスコまで行き、無事帰国しやした。
マイルたまるたまる、、、、、、
いやーーーーーー、地球は広い!
地球規模で移動したもんで、僕の嫌いなスーパーマンになった気になってしまいました。(ちょうど機内でスーパーマンやってたし、、、嫌いっていいながら見てるし、、、)
あ、考えたら、オランダ行って、日本に帰って来て、ニューヨーク行って、サンフランシスコ行って、日本に帰って来て、、、、、
すんごい移動距離だよね。
なんだか人体実験でもされているみたいだね、、、、、
おかげさまで時差ボケひどいし、、、、、
帰った次の日から毎日働かされてるし、、、、
そんな訳で、今から沼津の先の方までロケに行ってきやす。
今週はとりあえず、帰国の報告で勘弁してちょ。
来週から普通の営業に戻りやす。多分。(営業かよ)
海外修行の細かい報告も来週できる限りします(テレビのオンエア前だから、完全には報告できませんが、、、、)
では、皆様、長い長い海外修行で、ひとまわりもふたまわりも小さくなって帰って来た(小さくなってどーする)勝村くんのブログ、復活でありんす。
あぁ、ありがとありがとぉ。(誰も何も言ってないでしょ)
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
ただいまぁ~。
声が小さいな~、、、
た・だ・い・ま~
あぁ、ありがとありがとぉ~。
帰って参りました。
やっと帰って参りました。
長い長い海外修行の旅でした。
オランダに住み、ちょっぴり帰国して(毎日働かされた、、、)すぐにニューヨークに行き、帰りのチケットの関係で、サンフランシスコまで行き、無事帰国しやした。
マイルたまるたまる、、、、、、
いやーーーーーー、地球は広い!
地球規模で移動したもんで、僕の嫌いなスーパーマンになった気になってしまいました。(ちょうど機内でスーパーマンやってたし、、、嫌いっていいながら見てるし、、、)
あ、考えたら、オランダ行って、日本に帰って来て、ニューヨーク行って、サンフランシスコ行って、日本に帰って来て、、、、、
すんごい移動距離だよね。
なんだか人体実験でもされているみたいだね、、、、、
おかげさまで時差ボケひどいし、、、、、
帰った次の日から毎日働かされてるし、、、、
そんな訳で、今から沼津の先の方までロケに行ってきやす。
今週はとりあえず、帰国の報告で勘弁してちょ。
来週から普通の営業に戻りやす。多分。(営業かよ)
海外修行の細かい報告も来週できる限りします(テレビのオンエア前だから、完全には報告できませんが、、、、)
では、皆様、長い長い海外修行で、ひとまわりもふたまわりも小さくなって帰って来た(小さくなってどーする)勝村くんのブログ、復活でありんす。
あぁ、ありがとありがとぉ。(誰も何も言ってないでしょ)
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!