ハル その2 / 2006年12月20日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
突然ですが、今の僕には季節感がまったくありません宣言!
本来ならば、冒頭にちょこっと肌や目や鼻や耳、五感などで感じた季節や天気の感想なんかを書いて来ましたが、さっき、沖縄の「鳩間島」から帰ってきました。
富士の裾野は昼あったかくて、夕方から死ぬ程寒かったし、オランダがすんごい寒くて、ニューヨークがすんごいあったかくて、沖縄は中途半端に寒くて、東京なんてあったかいんだか、寒いんだかわかんないし。
時差ボケひどかったり、なおったり。
本当はしんどいから休んじゃおうかなって、正直「一瞬」思いました。
すみません。わたくし「うそ」をつきました。
一瞬じゃありません。ほとんど、全瞬でした。(なんだ?全瞬って?)
あんまりにもしんどかったんです。鳩間島から帰ってくるのに、9時間かかるんです。
説明します。
風が強いと、石垣島までの高速船の直行便が出動しません。
まず、鳩間島からボートで30分くらいで西表の西の上原港に着きます。
で、車に50分くらい乗って、東の大原港に行きます。
で、大原港から高速船で、30分くらいで石垣港に着きます。
で、タクシーで10分弱で石垣空港に行きます。
で、石垣空港から1時間ちょいで那覇空港に着きます。
で、那覇空港から2時間前後(羽田からは、2時間30分)で羽田空港に着きます。
で、タクシー、電車、バスなどの交通手段でそれぞれ帰ります。
まあ、1時間を見ましょうか。
もちろん、待ち時間を全て除いてあります。
ま、運が悪ければ10時間以上はかかります。
休みたいって思うでしょ。全瞬。
しかし、鳩間島を昼過ぎに出て、夜の11時くらいに帰って来て、みなさまの書き込みに「愛と勇気」といただき、(アンパンマンかよ)筆を、いや、指を振るっておりやす。
オランダの続きの前に鳩間島の事をちょっと書きやす。
2年ぶりくらいに帰ったんですが、(そう、帰ったって表現がぴたりとくる)寒さと風の強さで、正直参りました。
初めてみんなで「鳩間島」に行った時は、楽しみな気持ちと同時に、ちょっぴりの「恐怖」が入り交じった不思議な気持ちも、ボストンバッグに入れて行きました。
だって、小さな、何も無い、まったく知らない日本の最南端に近い島に撮影に行くのだ。
情報は入ってくるけど、マイナスのイメージしかわかないものばかりだった。
「今は寒いです」「タオル、洗面用具がない」「バスタブがない」「お店はひとつありますが、島の人のための店です。あまりものを買わないで」等々。
で、島に出発した。
島に着いた。
9時間近くかかって、、、、、
なんて言うんだろう。本当に「島」だった。
っておかしな表現だけど。
「でいごの花」が咲き乱れていた、、、、、
「でいご」がどんなんだかまったく知らなかったが、大木だった。
ごっつい大木に、真っ赤な細い花が「うそ」のようにちりばめられていた。
想像と全然違った。
自然は僕の様なちっぽけな、貧困なイメージしか抱けないバカちんを簡単に風速100メートルで吹き飛ばす。
海に色は、バカちんには表現出来ない。
時間、風、太陽等で同じ色の時がない。
綺麗過ぎて言葉も出て来ない。
みんなが「うわー、きれい、、、」って言ってる。
のみ。
こればっかりは、実際に見てもらうしかない。
そして、僕らを襲ったのは「寒さ」
沖縄だって寒いのだ。
そして、鳩間島には暖房がない、、、、、、
冷房オンリー、、、、、、
バスタブがない、、、、、
そうなのだ。基本的に「寒さ」に対応する事をあんまり考えてはいないんだね。
日が経つうちに、島のみなさまとも打ち解け始めた。
僕は西表に泊まっていた。
鳩間島にはもちろん民宿はあるが、数には限りがある。
撮影隊のように、大量に人がきてずーっと泊まり続けるなんてありえないから、当然島の民宿は悲鳴をあげ、僕ら数人の役者を吐き出した。
おかげで幸運な事に、数人の役者は「鳩間島」と「西表島」を楽しむ事ができた。
さらに幸運な僕は、西表で「由五郎さん」に出会えたわけだ。
今回、2年経って少しだけ鳩間は変わっていた。民宿がちょっぴり増えて、島の唯一のお店が少し引っ越していて(50メートルくらい横にずれていた。クレーンで持ち上げて引っ越ししたらしい)
ちょっぴり海岸沿いが整備されていた。
のみ。
引越しした鳩間島で一軒のお店。
米盛商店
あ、忘れるところだった。
僕はとてもショックだったのは、島の唯一の学校の(僕はこの学校が世界一素敵だと思っている)校舎の前に聳えていた「でいご」の大木たちが、虫に喰われて切り倒されていたことだ。
春には「でいご」の大木たちに「ゴッホ」が絵の具をたっぷり使って花を書いたみたいに、真っ赤な花が豪快に咲き誇っていたのに、、、、、
その真っ赤な花の「蜜」を食べに、からすくらいのサイズのフルーツバット(こもりね)が何匹も集まって、僕らを恐怖に陥れていたのに、、、、
胸が痛んだ。
本当に残念だった。
でも島の人たちとは、親戚みたいになっているし、なんだか「里帰り」みたいだった。
島の子供たちもちょっとの間にでっかくなって、頼もしくなっていた。
後は「瑠璃の島」を見て楽しんでくださいなっと。
島のコミュニティーセンター
倍賞美津子さんが飾り付けた。
倍賞さんとは、実は遠い親戚。
お互いに親戚と呼び合っている。
あと、リース
で、オランダ。やばいな、ニューヨークもあんのに、、、、、
ちなみに、ニューヨークは24日に放送される「世界の絶景」の番組です。
石原さとみちゃんと行ってきやした。
「ウルルン」は1、14オンエア。(おい、なんかはしょろうとしてないか?)
はいはい、オランダね。
で、オンエア前だから詳しく書けないけど、風車関係とだけ言っておきやす。
あのさ、風車ってすごいよ。
アイデアと遊び心と恐怖と生活と危機感とか、いろんな要素が詰まっていて、かわいくてばかばかしくて、思わず愛してしまった。
風車に入る「扉」は、少年の心の「扉」でもあった。
夢がたくさん詰まっていて、風車は生きていて、船みたいで、飛行機みたいで、風車は「夢の世界」に連れて行ってくれる乗り物であり、生き物だった。
まさに、宮崎駿の世界であり、宇宙であり、素敵な「化け物」だった。
まあ、オンエアで使われないものがたくさんあるから、おいおい紹介できたらうれしいな。
オランダで僕は、2度新聞に載り、夕方のニュースに3日連続で出た。
これはオンエアされないから、これを読んだ人だけしか知らない情報ね。
なんか得した気分でしょ。(そーでもないんじゃない)
これが新聞
他に取材も受けてきやした
ニューヨークは、ま、みなさまご存知だとは思いますから書きません。
別に疲れ始めて手を抜いている訳ではない。
二つ三っつ、僕の貴重な体験を書きやしょう。
まず、僕の親戚のおねーちゃん(親戚だらけだね)みたいな、兵藤ゆきちゃんに会ってきました。(親戚じゃねーだろ)
いえいえ、ゆきちゃん家族はもー親戚です。(自分で自分に答えんなっつーの)
で、ロケの合間に来てくれて、ゆきちゃんのお子様の学校に行く事になりました。
その日は「パスタナイト」スパゲティーの夜とでも訳しましょうか?
いいんですかね、戸田奈津子さん?
これはですね、学校の食堂で、パスタが食べられるという、、、
違うな、、、
え~、上手く説明できませんが、その日は食堂で夕食にパスタが格安で食べられて、そのお金を何処かに「寄付」する。ってな感じですね。
これでいい?ゆきちゃん?(聞くな!)
実は、ゆきちゃんは毎週このブログをニューヨークで読んでくれているのだ。
上級生の女の子が給仕をしてくれて(給仕ってなんだよ)ま、ウエートレスですね。
生徒や、生徒の家族や、先生たちが食べに来ていてとてもいい雰囲気でした。
校長先生なんて、GパンにTシャツで全然「校長」してなくて、ニューヨークって感じ。(アバウトだね)
みんなで同じ物(トマトソースのパスタにミートボールがついていて、デザートは揚げパンみたいなの)を食べて、コーラを飲んで、、、、、、
マンハッタンでおいしいイタリアンとか食べるよりも、僕はしあわせで、美味しかった。
で、その日はバスケの対外試合。
これがまた、あなた、さすがニューヨーク。
まず、体育館が狭い。(おい!)
バスケのコートに客席用のひな壇のみ。ってな感じ。
で、体育館に入る前から、大音量の音楽が流れている。
外人の(当たり前だろ)中学生が試合前のアップをしている。
ガム噛んだりしている。
僕はこの辺りで気を失いかけている。
だって、体育館に大音量のロックがかかっていて、試合前の子供がガム噛んでて、応援の外人の(だからよ、、、)金髪の女の子がキャーキャー黄色い声援を送っている、、、、(なんだろ?黄色い声援って?いいから話進めろっつーの!)
さらに、気を失うどころか、生命まで失いそうだったのが、ちゃんとしたレフェリーがいて(すんごいちゃんとしてるのよ。まるで、NBAのレフェリーみたいなの)しかも3人。
さらに、大音量の発信元には、2人のDJまでいて、休憩の度に大音量で音楽がかかる。
もちろん、試合は中学生だからたいしたレベルじゃないのよ。
さすが、国技だね。
で、ゆきちゃんの家に行くと、だんなさまのヒロスケさんがやさしい笑顔で出迎えてくれた。
何故、ゆきちゃんがニューヨークに住んでるかといえば、ヒロスケさんのせいである。(せいってなんだよ)
ヒロスケさんはミュージシャンである。それが何故か急にニューヨークの学校に生徒として通い出す。
で、気が付いたら学校の講師になっている。
なんざんしょ?ヒロスケさん?訳わかんない、、、、、
なんて、生き様なんでしょう?
人にはいろんな人生があるのはわかるが、ヒロスケさんの人生も本当に波瀾万丈である。
本人はひょうひょうとしているが、、、、、
奥さんが、ひょうひょうゆき、、、、、、
すみません、、、、、、、、
なんだか、ゆきちゃんのだんなさんはヒロスケさんしかありえないって気がするし、ヒロスケさんの奥さんはゆきちゃんしかありえないって気がする。
なんとも、素敵な家族である。
で、もひとつ。
僕はシニアの(40歳以上ね)サッカーチームに入っている。
そのチームメイトがニューヨークに住んでいて、会う約束をしていた。
チームメイトの宮崎さんは、スペースシャトルを運んだりする仕事をしているらしい。
サッカーも上手くて頼もしい兄貴みたいな人だ。
で、せっかくニューヨークに来たんだから、飲む前に芝居でも観よーかと「ブルーマン」のチケットを取ってくれていた。
(本当はここに、偶然撮影で来ていた、嵐の松本も合流するはずだったが、撮影が深夜までかかり、松本とは会えなかったが、3ブロックくらい横のホテルにいたらしい)
で、僕の撮影も時間がかかり、芝居は見る事が出来なかったのは本当に残念だった。
芝居を諦め、おじちゃん二人でグリニッチヴィレッジに繰り出した。
まず、ブルーノートに行ってみたが、ライブが面白くなさそーだったので、食事の出来る店に入った。
久々だったので、なんとなく気恥ずかしかったのが、ビールで乾杯した瞬間に打ち解けた。
ちょっと飲んで、店を変える事にした。
僕が「ビール一杯飲んだだけで、街も受け入れてますね」と言ったら、「住んでいる人間にはそーゆー感覚がなくなってしまうから、とてもおもしろい感想だ」と言ってくれた。
おじちゃん二人が何軒もの飲み屋をはしごして、楽しくて楽しくて、ずーっと笑っていた。
後日メールが届いて、自分はニューヨークに住んでいるのに、飲みに行くのは日本人だらけの店で、結局接待したり、されたりで、こんな飲み方をしたことがなかった。
これからは、奥さんを誘って、入ったことのない外人だらけの店に行ってみようと思ったよ。
と書いて来てくれた。
なんかいいね。
なんか、いいね。
宮崎さん、今度は芝居を観て、タイムズスクエアーのあたりで軽く飲んで芝居の話をしてから、今度はSOHOにでも繰り出して、おじちゃん二人で朝までやりましょうー。
みなさん、気を失ってませんか?
折角だからもっとたくさん書きたいんだけど、もーちょっとだけにするからね(まだ書くのか!)
最後に最近の偶然?必然?の話で終わりにします。(手短にな)
先日、硫黄島のスペシャルドラマをやらせてもらった。
実は、元佃煮やの彼女こと、蕨のジェームス・ブラウンこと、ピグモンこと(長いよ)あたいのママは、硫黄島に住んでいた。
元々は鳥越の江戸っ子なんだけど、ある理由で一時期「硫黄島」に家族で住んでいた。
で、数年前、硫黄島に住んでいた人のために、硫黄島を観光できる機会があって、あたいの両親は「硫黄島」に行っている。
もちろん今は、一般人が「硫黄島」に行く事はできない。
ドラマの話をいただいた時に、何があろうとやると決めていた。
話は変わるが、ちょっと前に「義経」で、平重盛をやらせていただいた。
実は、プロデューサーには一年間やってくれと言われていたが、僕は1年のうち必ず1回舞台をやることにしている。
スケジュールで迷惑をかけるわけにいかず、役を変えてもらった。
で、平重盛。
「小松の殿様」と呼ばれていた。
僕の奥さんのお母さんの旧姓は「小松」と言う。
岩手県の出身。
そう。重盛の家来の末裔だったのだ。
話を「硫黄島」もどす。
僕の部下の通信兵の役で柳野くんという役者がいた。
彼は、キャスティングされていなかった。
ある日、同じ事務所の仲間が(硫黄島に出演が決まっていた)監督の田島さんと飲んでいた。
そこに誘われる。
飲んだ勢いで口約束で出演することになった。
最後の藤竜也さん演じる市丸閣下との別れの場面。
ドラマでは「手紙」が重要な小道具だった。
ランダムに並ばされて、ランダムに手紙をスタッフから受け取った。
柳野くんはその手紙の住所を見て、言葉を失う。
大阪府堺市、、、、、と書かれてあった。
柳野くんの実家の住所だった。
その他にも僕はニューヨークの帰り、チケットが取れず、サンフランシスコ経由で帰った。
夜に着いて、朝の便だったから街を見る事が出来なかった。
おいしい魚は食べたけど、、、、
サンフランシスコの街は是非見てみたかった。
帰りの便は12月だったので、映画のメニューが変わっていた。
なつかしの映画みたいな感じで「硫黄島」の監督クリント・イーストウッドの代表作の「ダーティー・ハリー」がやっていた。
久々に見て見ると、サンフランシスコの街が舞台だった。
やはり、何年か前、「9、11」のドラマもやらせていただいた。
その時はニューヨークに行く事が出来なかったので、今回「グラウンド・ゼロ」に行って来た。
色々なおもいが僕の胸を駆け巡った。
やはり、帰りの便の12月の映画のメニューを見ると、ニコラス・ケイジの「ワールド・トレードセンター」がやっていた。
神様のいたずらとは思えない「何か」がある。と思う。
今回、沖縄にいくために羽田空港に着いた。
目の前に、「年末ジャンボ宝くじ」売り場があった。
僕は、生まれて初めて「宝くじ」を30枚買った、、、、、、
人生で初めて買った宝くじ
僕の煩悩の証
こんな自分をそんなに嫌いじゃない自分がいる。
そんな訳で今週もがんばって生きていきまっしょい!
『ハル』 その2
「ハル」は一心不乱に息子や孫達のために働いていた。
人生で、二度目の主婦を始めた。
ただでさえ主婦は大変だ。しかも年齢の事を考えると過激な程の重労働だ。
「ハル」と夕飯を食べている時に、友人が「ハル」に、「ハル」は外人みたいな顔してるから、「キャサリン」って読んでもいい?と言った。
みんな笑った。
「ハル」の顔のしわしわが動いた。
僕らは少し緊張した。
よく見ると、身体が少し震えていた。
笑っていたのだ。 多分。
何故かこのあだ名を「ハル」は気に入っていたらしい。
「キャサリン」と呼ばれる様になってから「ハル」は少し丸まった背中が伸びた様な気がした。
僕らは成長する。どんどん成長する。
反比例する様に「ハル」がどんどん小さくなって行く。
小さく小さくなって行く。
僕らが成長しなければ、「ハル」も小さくならないんじゃないかと思った。だけど僕らは成長し、「ハル」はさらに小さくなった。
僕らに髭やすね毛が生え始めると、「ハル」のゼンマイは止まってしまいそうになってきた。
座布団で眠る「ハル」の身体を探してもゼンマイは見つからなかった。
ゼンマイを巻いてあげたかった。
きつくきつく巻いてあげたかった。
だけど、「ハル」のゼンマイはゆっくりと静かに止まった。
「ハル」は多感な成長期の僕らに、何も言わなかった。
他の大人達には、たくさん怒られたり説教もされた。
「ハル」は何も言わなかった。
そのかわり、現実を受け入れた人間の強さを見せてくれていた。
身の丈で生きる人間の強さを見せてくれた。
43歳になった僕は、未だにたくさんの悩みを抱えている。
泣きたい時もあるし、死にたい時だってある。
現実を受け入れたくない事などしょっちゅうだ。
苦しい時、悩んでいる時に、遠くからゼンマイの音が聞こえて来る様な気がする時がある。
そんな時は苦しみの中に「ほっ」とする瞬間がある。
「春」みたいだと思う。
そんな時は、遠くから「ハル」が僕に、
「春」を運んで来てくれているんだなと思う。
突然ですが、今の僕には季節感がまったくありません宣言!
本来ならば、冒頭にちょこっと肌や目や鼻や耳、五感などで感じた季節や天気の感想なんかを書いて来ましたが、さっき、沖縄の「鳩間島」から帰ってきました。
富士の裾野は昼あったかくて、夕方から死ぬ程寒かったし、オランダがすんごい寒くて、ニューヨークがすんごいあったかくて、沖縄は中途半端に寒くて、東京なんてあったかいんだか、寒いんだかわかんないし。
時差ボケひどかったり、なおったり。
本当はしんどいから休んじゃおうかなって、正直「一瞬」思いました。
すみません。わたくし「うそ」をつきました。
一瞬じゃありません。ほとんど、全瞬でした。(なんだ?全瞬って?)
あんまりにもしんどかったんです。鳩間島から帰ってくるのに、9時間かかるんです。
説明します。
風が強いと、石垣島までの高速船の直行便が出動しません。
まず、鳩間島からボートで30分くらいで西表の西の上原港に着きます。
で、車に50分くらい乗って、東の大原港に行きます。
で、大原港から高速船で、30分くらいで石垣港に着きます。
で、タクシーで10分弱で石垣空港に行きます。
で、石垣空港から1時間ちょいで那覇空港に着きます。
で、那覇空港から2時間前後(羽田からは、2時間30分)で羽田空港に着きます。
で、タクシー、電車、バスなどの交通手段でそれぞれ帰ります。
まあ、1時間を見ましょうか。
もちろん、待ち時間を全て除いてあります。
ま、運が悪ければ10時間以上はかかります。
休みたいって思うでしょ。全瞬。
しかし、鳩間島を昼過ぎに出て、夜の11時くらいに帰って来て、みなさまの書き込みに「愛と勇気」といただき、(アンパンマンかよ)筆を、いや、指を振るっておりやす。
オランダの続きの前に鳩間島の事をちょっと書きやす。
2年ぶりくらいに帰ったんですが、(そう、帰ったって表現がぴたりとくる)寒さと風の強さで、正直参りました。
初めてみんなで「鳩間島」に行った時は、楽しみな気持ちと同時に、ちょっぴりの「恐怖」が入り交じった不思議な気持ちも、ボストンバッグに入れて行きました。
だって、小さな、何も無い、まったく知らない日本の最南端に近い島に撮影に行くのだ。
情報は入ってくるけど、マイナスのイメージしかわかないものばかりだった。
「今は寒いです」「タオル、洗面用具がない」「バスタブがない」「お店はひとつありますが、島の人のための店です。あまりものを買わないで」等々。
で、島に出発した。
島に着いた。
9時間近くかかって、、、、、
なんて言うんだろう。本当に「島」だった。
っておかしな表現だけど。
「でいごの花」が咲き乱れていた、、、、、
「でいご」がどんなんだかまったく知らなかったが、大木だった。
ごっつい大木に、真っ赤な細い花が「うそ」のようにちりばめられていた。
想像と全然違った。
自然は僕の様なちっぽけな、貧困なイメージしか抱けないバカちんを簡単に風速100メートルで吹き飛ばす。
海に色は、バカちんには表現出来ない。
時間、風、太陽等で同じ色の時がない。
綺麗過ぎて言葉も出て来ない。
みんなが「うわー、きれい、、、」って言ってる。
のみ。
こればっかりは、実際に見てもらうしかない。
そして、僕らを襲ったのは「寒さ」
沖縄だって寒いのだ。
そして、鳩間島には暖房がない、、、、、、
冷房オンリー、、、、、、
バスタブがない、、、、、
そうなのだ。基本的に「寒さ」に対応する事をあんまり考えてはいないんだね。
日が経つうちに、島のみなさまとも打ち解け始めた。
僕は西表に泊まっていた。
鳩間島にはもちろん民宿はあるが、数には限りがある。
撮影隊のように、大量に人がきてずーっと泊まり続けるなんてありえないから、当然島の民宿は悲鳴をあげ、僕ら数人の役者を吐き出した。
おかげで幸運な事に、数人の役者は「鳩間島」と「西表島」を楽しむ事ができた。
さらに幸運な僕は、西表で「由五郎さん」に出会えたわけだ。
今回、2年経って少しだけ鳩間は変わっていた。民宿がちょっぴり増えて、島の唯一のお店が少し引っ越していて(50メートルくらい横にずれていた。クレーンで持ち上げて引っ越ししたらしい)
ちょっぴり海岸沿いが整備されていた。
のみ。
引越しした鳩間島で一軒のお店。
米盛商店
あ、忘れるところだった。
僕はとてもショックだったのは、島の唯一の学校の(僕はこの学校が世界一素敵だと思っている)校舎の前に聳えていた「でいご」の大木たちが、虫に喰われて切り倒されていたことだ。
春には「でいご」の大木たちに「ゴッホ」が絵の具をたっぷり使って花を書いたみたいに、真っ赤な花が豪快に咲き誇っていたのに、、、、、
その真っ赤な花の「蜜」を食べに、からすくらいのサイズのフルーツバット(こもりね)が何匹も集まって、僕らを恐怖に陥れていたのに、、、、
胸が痛んだ。
本当に残念だった。
でも島の人たちとは、親戚みたいになっているし、なんだか「里帰り」みたいだった。
島の子供たちもちょっとの間にでっかくなって、頼もしくなっていた。
後は「瑠璃の島」を見て楽しんでくださいなっと。
島のコミュニティーセンター
倍賞美津子さんが飾り付けた。
倍賞さんとは、実は遠い親戚。
お互いに親戚と呼び合っている。
あと、リース
で、オランダ。やばいな、ニューヨークもあんのに、、、、、
ちなみに、ニューヨークは24日に放送される「世界の絶景」の番組です。
石原さとみちゃんと行ってきやした。
「ウルルン」は1、14オンエア。(おい、なんかはしょろうとしてないか?)
はいはい、オランダね。
で、オンエア前だから詳しく書けないけど、風車関係とだけ言っておきやす。
あのさ、風車ってすごいよ。
アイデアと遊び心と恐怖と生活と危機感とか、いろんな要素が詰まっていて、かわいくてばかばかしくて、思わず愛してしまった。
風車に入る「扉」は、少年の心の「扉」でもあった。
夢がたくさん詰まっていて、風車は生きていて、船みたいで、飛行機みたいで、風車は「夢の世界」に連れて行ってくれる乗り物であり、生き物だった。
まさに、宮崎駿の世界であり、宇宙であり、素敵な「化け物」だった。
まあ、オンエアで使われないものがたくさんあるから、おいおい紹介できたらうれしいな。
オランダで僕は、2度新聞に載り、夕方のニュースに3日連続で出た。
これはオンエアされないから、これを読んだ人だけしか知らない情報ね。
なんか得した気分でしょ。(そーでもないんじゃない)
これが新聞
他に取材も受けてきやした
ニューヨークは、ま、みなさまご存知だとは思いますから書きません。
別に疲れ始めて手を抜いている訳ではない。
二つ三っつ、僕の貴重な体験を書きやしょう。
まず、僕の親戚のおねーちゃん(親戚だらけだね)みたいな、兵藤ゆきちゃんに会ってきました。(親戚じゃねーだろ)
いえいえ、ゆきちゃん家族はもー親戚です。(自分で自分に答えんなっつーの)
で、ロケの合間に来てくれて、ゆきちゃんのお子様の学校に行く事になりました。
その日は「パスタナイト」スパゲティーの夜とでも訳しましょうか?
いいんですかね、戸田奈津子さん?
これはですね、学校の食堂で、パスタが食べられるという、、、
違うな、、、
え~、上手く説明できませんが、その日は食堂で夕食にパスタが格安で食べられて、そのお金を何処かに「寄付」する。ってな感じですね。
これでいい?ゆきちゃん?(聞くな!)
実は、ゆきちゃんは毎週このブログをニューヨークで読んでくれているのだ。
上級生の女の子が給仕をしてくれて(給仕ってなんだよ)ま、ウエートレスですね。
生徒や、生徒の家族や、先生たちが食べに来ていてとてもいい雰囲気でした。
校長先生なんて、GパンにTシャツで全然「校長」してなくて、ニューヨークって感じ。(アバウトだね)
みんなで同じ物(トマトソースのパスタにミートボールがついていて、デザートは揚げパンみたいなの)を食べて、コーラを飲んで、、、、、、
マンハッタンでおいしいイタリアンとか食べるよりも、僕はしあわせで、美味しかった。
で、その日はバスケの対外試合。
これがまた、あなた、さすがニューヨーク。
まず、体育館が狭い。(おい!)
バスケのコートに客席用のひな壇のみ。ってな感じ。
で、体育館に入る前から、大音量の音楽が流れている。
外人の(当たり前だろ)中学生が試合前のアップをしている。
ガム噛んだりしている。
僕はこの辺りで気を失いかけている。
だって、体育館に大音量のロックがかかっていて、試合前の子供がガム噛んでて、応援の外人の(だからよ、、、)金髪の女の子がキャーキャー黄色い声援を送っている、、、、(なんだろ?黄色い声援って?いいから話進めろっつーの!)
さらに、気を失うどころか、生命まで失いそうだったのが、ちゃんとしたレフェリーがいて(すんごいちゃんとしてるのよ。まるで、NBAのレフェリーみたいなの)しかも3人。
さらに、大音量の発信元には、2人のDJまでいて、休憩の度に大音量で音楽がかかる。
もちろん、試合は中学生だからたいしたレベルじゃないのよ。
さすが、国技だね。
で、ゆきちゃんの家に行くと、だんなさまのヒロスケさんがやさしい笑顔で出迎えてくれた。
何故、ゆきちゃんがニューヨークに住んでるかといえば、ヒロスケさんのせいである。(せいってなんだよ)
ヒロスケさんはミュージシャンである。それが何故か急にニューヨークの学校に生徒として通い出す。
で、気が付いたら学校の講師になっている。
なんざんしょ?ヒロスケさん?訳わかんない、、、、、
なんて、生き様なんでしょう?
人にはいろんな人生があるのはわかるが、ヒロスケさんの人生も本当に波瀾万丈である。
本人はひょうひょうとしているが、、、、、
奥さんが、ひょうひょうゆき、、、、、、
すみません、、、、、、、、
なんだか、ゆきちゃんのだんなさんはヒロスケさんしかありえないって気がするし、ヒロスケさんの奥さんはゆきちゃんしかありえないって気がする。
なんとも、素敵な家族である。
で、もひとつ。
僕はシニアの(40歳以上ね)サッカーチームに入っている。
そのチームメイトがニューヨークに住んでいて、会う約束をしていた。
チームメイトの宮崎さんは、スペースシャトルを運んだりする仕事をしているらしい。
サッカーも上手くて頼もしい兄貴みたいな人だ。
で、せっかくニューヨークに来たんだから、飲む前に芝居でも観よーかと「ブルーマン」のチケットを取ってくれていた。
(本当はここに、偶然撮影で来ていた、嵐の松本も合流するはずだったが、撮影が深夜までかかり、松本とは会えなかったが、3ブロックくらい横のホテルにいたらしい)
で、僕の撮影も時間がかかり、芝居は見る事が出来なかったのは本当に残念だった。
芝居を諦め、おじちゃん二人でグリニッチヴィレッジに繰り出した。
まず、ブルーノートに行ってみたが、ライブが面白くなさそーだったので、食事の出来る店に入った。
久々だったので、なんとなく気恥ずかしかったのが、ビールで乾杯した瞬間に打ち解けた。
ちょっと飲んで、店を変える事にした。
僕が「ビール一杯飲んだだけで、街も受け入れてますね」と言ったら、「住んでいる人間にはそーゆー感覚がなくなってしまうから、とてもおもしろい感想だ」と言ってくれた。
おじちゃん二人が何軒もの飲み屋をはしごして、楽しくて楽しくて、ずーっと笑っていた。
後日メールが届いて、自分はニューヨークに住んでいるのに、飲みに行くのは日本人だらけの店で、結局接待したり、されたりで、こんな飲み方をしたことがなかった。
これからは、奥さんを誘って、入ったことのない外人だらけの店に行ってみようと思ったよ。
と書いて来てくれた。
なんかいいね。
なんか、いいね。
宮崎さん、今度は芝居を観て、タイムズスクエアーのあたりで軽く飲んで芝居の話をしてから、今度はSOHOにでも繰り出して、おじちゃん二人で朝までやりましょうー。
みなさん、気を失ってませんか?
折角だからもっとたくさん書きたいんだけど、もーちょっとだけにするからね(まだ書くのか!)
最後に最近の偶然?必然?の話で終わりにします。(手短にな)
先日、硫黄島のスペシャルドラマをやらせてもらった。
実は、元佃煮やの彼女こと、蕨のジェームス・ブラウンこと、ピグモンこと(長いよ)あたいのママは、硫黄島に住んでいた。
元々は鳥越の江戸っ子なんだけど、ある理由で一時期「硫黄島」に家族で住んでいた。
で、数年前、硫黄島に住んでいた人のために、硫黄島を観光できる機会があって、あたいの両親は「硫黄島」に行っている。
もちろん今は、一般人が「硫黄島」に行く事はできない。
ドラマの話をいただいた時に、何があろうとやると決めていた。
話は変わるが、ちょっと前に「義経」で、平重盛をやらせていただいた。
実は、プロデューサーには一年間やってくれと言われていたが、僕は1年のうち必ず1回舞台をやることにしている。
スケジュールで迷惑をかけるわけにいかず、役を変えてもらった。
で、平重盛。
「小松の殿様」と呼ばれていた。
僕の奥さんのお母さんの旧姓は「小松」と言う。
岩手県の出身。
そう。重盛の家来の末裔だったのだ。
話を「硫黄島」もどす。
僕の部下の通信兵の役で柳野くんという役者がいた。
彼は、キャスティングされていなかった。
ある日、同じ事務所の仲間が(硫黄島に出演が決まっていた)監督の田島さんと飲んでいた。
そこに誘われる。
飲んだ勢いで口約束で出演することになった。
最後の藤竜也さん演じる市丸閣下との別れの場面。
ドラマでは「手紙」が重要な小道具だった。
ランダムに並ばされて、ランダムに手紙をスタッフから受け取った。
柳野くんはその手紙の住所を見て、言葉を失う。
大阪府堺市、、、、、と書かれてあった。
柳野くんの実家の住所だった。
その他にも僕はニューヨークの帰り、チケットが取れず、サンフランシスコ経由で帰った。
夜に着いて、朝の便だったから街を見る事が出来なかった。
おいしい魚は食べたけど、、、、
サンフランシスコの街は是非見てみたかった。
帰りの便は12月だったので、映画のメニューが変わっていた。
なつかしの映画みたいな感じで「硫黄島」の監督クリント・イーストウッドの代表作の「ダーティー・ハリー」がやっていた。
久々に見て見ると、サンフランシスコの街が舞台だった。
やはり、何年か前、「9、11」のドラマもやらせていただいた。
その時はニューヨークに行く事が出来なかったので、今回「グラウンド・ゼロ」に行って来た。
色々なおもいが僕の胸を駆け巡った。
やはり、帰りの便の12月の映画のメニューを見ると、ニコラス・ケイジの「ワールド・トレードセンター」がやっていた。
神様のいたずらとは思えない「何か」がある。と思う。
今回、沖縄にいくために羽田空港に着いた。
目の前に、「年末ジャンボ宝くじ」売り場があった。
僕は、生まれて初めて「宝くじ」を30枚買った、、、、、、
人生で初めて買った宝くじ
僕の煩悩の証
こんな自分をそんなに嫌いじゃない自分がいる。
そんな訳で今週もがんばって生きていきまっしょい!
『ハル』 その2
「ハル」は一心不乱に息子や孫達のために働いていた。
人生で、二度目の主婦を始めた。
ただでさえ主婦は大変だ。しかも年齢の事を考えると過激な程の重労働だ。
「ハル」と夕飯を食べている時に、友人が「ハル」に、「ハル」は外人みたいな顔してるから、「キャサリン」って読んでもいい?と言った。
みんな笑った。
「ハル」の顔のしわしわが動いた。
僕らは少し緊張した。
よく見ると、身体が少し震えていた。
笑っていたのだ。 多分。
何故かこのあだ名を「ハル」は気に入っていたらしい。
「キャサリン」と呼ばれる様になってから「ハル」は少し丸まった背中が伸びた様な気がした。
僕らは成長する。どんどん成長する。
反比例する様に「ハル」がどんどん小さくなって行く。
小さく小さくなって行く。
僕らが成長しなければ、「ハル」も小さくならないんじゃないかと思った。だけど僕らは成長し、「ハル」はさらに小さくなった。
僕らに髭やすね毛が生え始めると、「ハル」のゼンマイは止まってしまいそうになってきた。
座布団で眠る「ハル」の身体を探してもゼンマイは見つからなかった。
ゼンマイを巻いてあげたかった。
きつくきつく巻いてあげたかった。
だけど、「ハル」のゼンマイはゆっくりと静かに止まった。
「ハル」は多感な成長期の僕らに、何も言わなかった。
他の大人達には、たくさん怒られたり説教もされた。
「ハル」は何も言わなかった。
そのかわり、現実を受け入れた人間の強さを見せてくれていた。
身の丈で生きる人間の強さを見せてくれた。
43歳になった僕は、未だにたくさんの悩みを抱えている。
泣きたい時もあるし、死にたい時だってある。
現実を受け入れたくない事などしょっちゅうだ。
苦しい時、悩んでいる時に、遠くからゼンマイの音が聞こえて来る様な気がする時がある。
そんな時は苦しみの中に「ほっ」とする瞬間がある。
「春」みたいだと思う。
そんな時は、遠くから「ハル」が僕に、
「春」を運んで来てくれているんだなと思う。
了。