赤羽トレーニングセンター その3 / 2006年11月01日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
ご要望に答えてみました。
だいぶ伸びましたが、、、、
こんな感じ
先週はほとんど東京にいませんでした。
撮影で京都にいました。
京都は暖かく、紅葉はまだ始まっていなかった。例年より遅れているらしい。
僕は埼玉出身なんだけど、「京都」と言えば「修学旅行」
中学での京都旅行はうれしかった。みんなで泊まったり、自由行動の時間があったり。
しかし、高校の修学旅行でも京都に行かされた、、、、、
そう、行かされた。
絶対、「裏の事情」があるとしか思えなかった。
高校の修学旅行で「京都」
考えられなかった。
他の高校では、「九州」だの「北海道」だの行っていた。
うらやましかった。
中には「海外」なんてアバンギャルドな学校もあった。
楽しかったはずの中学の修学旅行の時に、宿でお茶が出た。
馬鹿でかい薬缶が出てきた。中を覗いたら、茶羽根ゴキブリが浮いていた。
みんなそのお茶を飲み始めていた。
先生に言うと、「京都の有名な茶虫だから、問題ない」とのたまった。
全員がっかり、、、、
いきなり帰りたくなった。
結局、中学でも、高校でも、「新京極」でチンピラにからまれた事が一番の「思い出」になっている。(情けない)
そんな事、行く前からわかっていた。
せめて高校では、違う場所に行きたかった。
今でも思う。「裏で、何か、あった。、、、絶対」
一応、京都の写真
食べる勇気がなかった
僕は、仕事であまり京都に行かないけど、行ってみるとちょっと楽しい。
東京の撮影所では、あんまり「仲間」に会わない。
でも京都の撮影所は「仲間」だらけ。
まず、出発の日。
6時の新幹線に乗り込むと、榎木孝明さんに会った。
10年くらい前に親子だった。(かなり無理があるよね)
「半年も行ったり来たりなんだよ」と笑っていた。
他にも数名の「仲間」がいた。
撮影所に着くと、橋之助がいた。
「久しぶり~」なんて挨拶をして、着替えに行くと、中山忍ちゃんがいた。宅間伸さんが着替えていたり、出掛けようとしたら、松重豊がいて盛り上がる。
帰ってきたら的場浩二くんも帰ってきていて、次の日の朝は、京本政樹さんがメイクしていて、「あ~!かっちゃん!」なんて挨拶して、出掛けようとしたら、竹中さんがやってきて、話していたら出発の時間がきちゃって、行こうと思ったら、仲間由紀恵ちゃんがきて、出掛けるとロケ先に田口浩正から電話がきて、「今、徳井優さんと京都です、会えませんか?」なんて言われて、吹石一恵ちゃんから久しぶりにメールがきて「唐沢さんと京都でお会いしました」だって、、、
で、唐沢と電話で話して、稲森いずみちゃんが来ている事もわかって、連絡をとり、楽屋に戻る途中に同じ劇団だった、筒井真理子ちんに会い、楽屋の前で黒木メイサさん(初めて会った)がしゃがんでいて、照英くんが笑顔で挨拶してくれて、遠くに原田龍二の後姿をみかけ、、、、、、、、、
考えられない。頭グルグルしちゃった。
会えなかったけど、まだまだたくさんの「仲間」がきていた。
ま、今は正月の時代劇がたくさん入っていたから、こんなにすごい事になってたんだけど、、、、
もー、笑うしかない。ちょっと吐きそうにもなったけど。
京都に行く前には、戦争のドラマのセットで(これで坊主になった)府中の撮影所に40時間近くいた。
頭フラフラだった。
ここでもかなり笑えた。
撮影所のまわりには何も無い。
一番近くにあるのが「吉野家」と「ジョナサン」
休憩時間。
軍服にゲートル巻いているから、脱ぐわけにいかない。
みんな泥だらけのメーク。中には、血だらけの人もいる。
落とすわけにもいかない。
店屋物も取れないから、そのままの「状態」で食べに行くしか無い。
半海さんと鈴木浩介くんと飯にでかけた。
「吉野家」の前を通ったら、一般の人たちに混ざって「血だらけで顔色の悪い軍人」が豚丼みたいのを普通に食べていた。
大爆笑。
で、僕らは「ジョナサン」に入った。
すると、軍服を纏った藤竜也さんが魚の煮つけ定食を食べていた。
またまた大爆笑。
で、とりあえず敬礼した。
僕らも仲間に入って昼ご飯を食べた。
まわりのお客さんたちはどーしていいかわからず、入って来るお客さんは「ジョナサン」が軍人に占拠されている事に驚いて、みなさん少しづつ「後ずさって」いた。
撮影所に戻る途中「吉野家」を覗くと、「吉野家」も軍人に占拠されていた。
(クーデターかよ)
夜の休憩時間にも、同じ光景が繰り返されていた。
二日間も同じ光景が続いた。
なんだか、本当に藤竜也さんを「大統領」にするために立ち上がり、クーデターを起こした軍隊みたいだった。
で、日曜日に違う仕事で東京に帰ってきた。
で、次の日また朝一で京都に戻った。しかも日帰り。
何も考えられない状態。
そんな日曜日の夜に、原田芳雄さんから一緒に芝居を観に行こうと誘われた。
久しぶりに「唐組」の芝居を観てきた。
唐さんの事は、同じブログで根津甚八さんが詳しく書いているので「説明」は省きます。
まず、会場になっている雑司ヶ谷の鬼子母神に着いた。
なんとなくざわついている。お客さんを眺めると、結構若い人がいる。
失礼だが、意外な感じがした。(このことは、となりで飲んでた「北の国から」の監督の杉田成道さんも言ってた)
木野花さんがいた。今日で二度目の観劇らしい。
木野さんは去年、シアターコクーンで同じ演目を「Nさん」の演出でやった。
で、今日は唐十郎さんが、普段の「役」ではなく、木野さんが演じた「女教師」
をやるらしいので、「どーしても観たくって」っとすでにかなり興奮しながら教えてくれた。そんな木野さんの笑顔は相変わらず少女みたいで素敵だった。
ざわついているお客さんの中に、メークを済ませ、衣装を着た劇団の方たちが混ざっていた。
「唐組」には「楽屋」がない。テントだから当然なのだ。
余談だが、昔、小林薫さんと一緒に舞台をやった。
薫さんは「状況劇場」を退団して以来、18年ぶりの舞台だった。
そして、これも当然だが、初めての「劇場」での舞台だった。
劇場に入った薫さんが、ちょっと緊張した面持ちで僕に質問した。
「勝村、楽屋話しって何を話したらいいんだ?」だって。
僕ら大爆笑。
テント芝居しかした事のない薫さんは、劇場で芝居をするのは初めて。
だから勿論、劇場の楽屋も初めてだった。
楽屋では、舞台に上がるより緊張していて「ぎこちない」動きの連続だった。
しかし、元々「おしゃべり」なので、夕方には誰よりもしゃべり倒していて、うるさかった。
で、「唐組」の鳥山さんが来てくれて、色々と気を使って下さった。
「勝村さんも後ろの椅子に座りますか?」と言われたので、「いいえ、大丈夫です」と答えた。
久しぶりだったから、テントの臨場感と高揚感と肉体の痛みを味わいたかった。
開幕前から興奮してくる。
こればかりは、「劇場」では味わえない。
なにせ、みんな地面に座っている。一番後ろには、どでかい「石灯籠」が舞台装置のように置いてある。(ま、元々そこにある本物だからね)
「お客様がまだまだ入られます。もー少し詰めていただけますか」
なんて何度も言われて、気が付くと最初に座っていた位置から結構ずれている。
何となく、息苦しい。
超満員。
テントの中は、観客それぞれの「思い」みたいなものが充満しはじめる。
幕が開いた。
テントに入る前から引き込まれている僕らは、始まった瞬間から「数光年先」まで既に連れて行かれている。
十貫寺梅軒さんが登場。
圧倒された。
犬に手を噛まれた「野球少年」の役だった。
本物の「アングラ」の芝居を堪能した。
唐さんが登場した。
圧巻だった。
やはり唐さんは「神」に近い。
唐さんは「衰える」なんて人間の世界の現象とは「無縁」だった。
他のみなさんも素晴らしかった。
「アングラ」と言うカテゴリーをつくった人たちの力は、計り知れない。
もっと長く書こうと「腹」を決めていたけど、僕の筆力で批評するのは、失礼に値する。
僕が書けるのは只一つ、唐さんは「演劇神」だ。
芝居が終わってから、「紅テント」の中で飲んだ。
お客さんも役者も車座になって、、、、
「しあわせ」な空間と時間だった。
いい芝居を観た後は、いい演技を観た後は、何とも言えない「幸福感」に包まれる。
地元に戻り、芳雄さんたちと軽く飲んだ。
みんなの顔も「幸福感」に満ち溢れていた。
こんなの本当に「久しぶり」だった。
なんだか「しあわせ」なまま終わるのは悔しい(なんで?)
天の邪鬼の僕としては、やはり「ぼやき」の一つも入れたい。(アホか)
で、31日の「ハロウィン」
なんだあれ?
関係ないじゃん!
ふざけるな!
我が家の近所は外国の大使館が幾つかある。
だから、必然的に外国の人が多い。
近所の人に地図を貰った。
そこには「お菓子」をくれる「家」の地図が書かれてある。
僕も娘たちを連れて参加した。(参加してんじゃねーか!)
暗い道を「仮装」して歩く子供たちは、とても楽しそうだった。
我が家のまわりでは、こんなことや
こんなことになっていた
でも、おじちゃんはやはり納得できない。
クリスマスもバレンタインもボジョレーヌーヴォーの解禁の日も、、、、
恥を知れ!
関係ねーだろ!
厚顔な日本人め!
自分の頭で考えて生きろ!
自分たちの文化を大切にしろ!倫理を大切にしろ!
何が「ワインみたいな日本酒です」だ!
日本酒に自信持て!
何が「このマグロ、牛肉みた~い」だ!
牛肉食ってりゃいーじゃねーか!
ば~か!うんこ!
恥を知れ!恥を!
でも、楽しいんだよね~。
子供たちがみんな「興奮」してうれしそうなんだよね。
子供の笑顔は地球を救う。
ま、いっか。
「子供は大人の父である」
けだし名言である。
そんな訳で今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その3
とにかく食べた。
で、週4回のトレーニング。
月、火、木、金の午前中にトレーニングして(水曜は、わざと筋肉を休ませる)
水曜の夜にサッカーいって、土、日のどっちかにサッカーの試合。
お仕事は?と聞かれたら、「運動です」と答えていた。
しばらく続けると、筋肉が変わってきた。なんだか身体も大きくなっている。鏡を見ると、軽く「ポーズ」をとったりしている。
「ヤバい」
と思いながらも、満更でもなかった。
だから、「ヤバい」って。
気づくと、ちょっとだけの「蓄え」が底をついてきた。
同じサッカー部の先輩に冷凍食品の運送の仕事を紹介してもらった。
午前中に仕事する事にした。
で、午後トレーニング。
なんだか時間がもったいなくて、暇をみつけちゃぁ冷凍倉庫にこっそり入って、一番重い20キロの「すけそうだら」を担いで鍛えた。(変態。狂ってる)
仕事を始めたので、トレーニングは夕方からになった。
今までは、午前中だったので「赤トレ」はすいていた。
僕一人なんて事もよくあった。
しかし、夕方は仕事を終えた「ボディービルダー」の巣窟だった。
「赤トレ」の壁には、「赤トレ」出身の「ボディービルダー」略して「ボビー」
(長いからね)さらに略して「赤ボビー」の写真がたくさん飾られている。
夕方には、その中の数人と、もーちょっとでその中の人たちが「いっぺー」いた。
なんだか、都会の地図を覚えて田舎から出てきた小僧が、都会でいきなり迷子になったみたいだった。
あたふたした。
呆然として「赤ボビー」のトレーニングにみとれた。
すんごい活気だった。みなさまの熱でガラスや鏡が曇って行く、、、、
若かった僕は身体の芯がアツくなるのを感じた。
(今の僕ならそんなことはない。岸部四郎さんの「後ろ向き 一週間に一日幸福ならいい」って本も読破したくらいだ)
で、目を輝かせてトレーニングに参加した。
この頃の僕のアイドルは「アーノルド・シュワルツェネガー」(おかしいぞ)
ミスター・オリンピアで、5回連続の王者に輝いていた。
ミス・オリとは(勝手に略すな)ボビーの世界一を決める、ミスター・ユニバースで優勝した、「世界一」の人たちだけが出場できる大会なのである。
出場できるだけでも「神」に近い。
シュワちゃんは(もちろん、まだそんな風には呼ばれていなかった)
その大会で、前人未到の5連覇を成し遂げて、ハリウッドデビューした。
「神」の中の「神」なのである。(まぁ、マニヤックな神ではあるが、、、)
もちろんシュワちゃん初主演映画(多分)「鋼鉄の男 パンピング・アイアン」だってみている。(かなり笑える、真面目な実録映画)
この映画をみて、ボディービルダーって子供の頃はみんな「いじめられっこ」だったことがよくわかった。
ちなみに、「パンピング」とはトレーニングでキンキンに張っている筋肉の状態のことである。
僕も毎日「パンピング」の歓びに浸っていた。
だんだん、夜の先輩たちにも(何だ?夜の先輩って)慣れてきた。
レベルが違うから一緒にトレーニングは出来なかったが、ちょっとづつ話してもらえるようになった。
話しを聞くと、ちょっとおもろかった。
「バーベルで『肩』鍛え過ぎて刺激を与え過ぎたのか、肩から毛が生えてきちゃったんだよ。はっはっは」
「え、え~?」
「ほら」
「ほ、ほんとだ!す、すんごい生えてる~」
他にも、腿になんかクリームを塗っている「夜の先輩」をじーっと見ていると、
「あぁ、『腿』鍛え過ぎてでかくなり過ぎちゃって『股擦れ』が痛いんだよ。はっはっは」
「え、え~?」
「ほら」
「ほ、ほんとだ!す、すんごいすれてる~」
こんな会話ばかりだった。
こんな会話しちゃー、おっぱいを「ピクピク」動かしたり、鏡みて「ポーズ」とったりしている。
なんか、危険な匂いのする(違う意味でね)集団だった。
でも、みんな笑顔がきれいだった。
「赤トレ」は目的を持った人の集まりだった。
「身体を鍛える」のを「生き甲斐」にしている人たちの集まりだった。
だから、居心地がよかったのかもしれない。
「赤トレ」のガラスの曇りは、「生き甲斐」を持ってトレーニングに励む人たちをやさしく包む「コクーン」だったのかもしれない。
ご要望に答えてみました。
だいぶ伸びましたが、、、、
こんな感じ
先週はほとんど東京にいませんでした。
撮影で京都にいました。
京都は暖かく、紅葉はまだ始まっていなかった。例年より遅れているらしい。
僕は埼玉出身なんだけど、「京都」と言えば「修学旅行」
中学での京都旅行はうれしかった。みんなで泊まったり、自由行動の時間があったり。
しかし、高校の修学旅行でも京都に行かされた、、、、、
そう、行かされた。
絶対、「裏の事情」があるとしか思えなかった。
高校の修学旅行で「京都」
考えられなかった。
他の高校では、「九州」だの「北海道」だの行っていた。
うらやましかった。
中には「海外」なんてアバンギャルドな学校もあった。
楽しかったはずの中学の修学旅行の時に、宿でお茶が出た。
馬鹿でかい薬缶が出てきた。中を覗いたら、茶羽根ゴキブリが浮いていた。
みんなそのお茶を飲み始めていた。
先生に言うと、「京都の有名な茶虫だから、問題ない」とのたまった。
全員がっかり、、、、
いきなり帰りたくなった。
結局、中学でも、高校でも、「新京極」でチンピラにからまれた事が一番の「思い出」になっている。(情けない)
そんな事、行く前からわかっていた。
せめて高校では、違う場所に行きたかった。
今でも思う。「裏で、何か、あった。、、、絶対」
一応、京都の写真
食べる勇気がなかった
僕は、仕事であまり京都に行かないけど、行ってみるとちょっと楽しい。
東京の撮影所では、あんまり「仲間」に会わない。
でも京都の撮影所は「仲間」だらけ。
まず、出発の日。
6時の新幹線に乗り込むと、榎木孝明さんに会った。
10年くらい前に親子だった。(かなり無理があるよね)
「半年も行ったり来たりなんだよ」と笑っていた。
他にも数名の「仲間」がいた。
撮影所に着くと、橋之助がいた。
「久しぶり~」なんて挨拶をして、着替えに行くと、中山忍ちゃんがいた。宅間伸さんが着替えていたり、出掛けようとしたら、松重豊がいて盛り上がる。
帰ってきたら的場浩二くんも帰ってきていて、次の日の朝は、京本政樹さんがメイクしていて、「あ~!かっちゃん!」なんて挨拶して、出掛けようとしたら、竹中さんがやってきて、話していたら出発の時間がきちゃって、行こうと思ったら、仲間由紀恵ちゃんがきて、出掛けるとロケ先に田口浩正から電話がきて、「今、徳井優さんと京都です、会えませんか?」なんて言われて、吹石一恵ちゃんから久しぶりにメールがきて「唐沢さんと京都でお会いしました」だって、、、
で、唐沢と電話で話して、稲森いずみちゃんが来ている事もわかって、連絡をとり、楽屋に戻る途中に同じ劇団だった、筒井真理子ちんに会い、楽屋の前で黒木メイサさん(初めて会った)がしゃがんでいて、照英くんが笑顔で挨拶してくれて、遠くに原田龍二の後姿をみかけ、、、、、、、、、
考えられない。頭グルグルしちゃった。
会えなかったけど、まだまだたくさんの「仲間」がきていた。
ま、今は正月の時代劇がたくさん入っていたから、こんなにすごい事になってたんだけど、、、、
もー、笑うしかない。ちょっと吐きそうにもなったけど。
京都に行く前には、戦争のドラマのセットで(これで坊主になった)府中の撮影所に40時間近くいた。
頭フラフラだった。
ここでもかなり笑えた。
撮影所のまわりには何も無い。
一番近くにあるのが「吉野家」と「ジョナサン」
休憩時間。
軍服にゲートル巻いているから、脱ぐわけにいかない。
みんな泥だらけのメーク。中には、血だらけの人もいる。
落とすわけにもいかない。
店屋物も取れないから、そのままの「状態」で食べに行くしか無い。
半海さんと鈴木浩介くんと飯にでかけた。
「吉野家」の前を通ったら、一般の人たちに混ざって「血だらけで顔色の悪い軍人」が豚丼みたいのを普通に食べていた。
大爆笑。
で、僕らは「ジョナサン」に入った。
すると、軍服を纏った藤竜也さんが魚の煮つけ定食を食べていた。
またまた大爆笑。
で、とりあえず敬礼した。
僕らも仲間に入って昼ご飯を食べた。
まわりのお客さんたちはどーしていいかわからず、入って来るお客さんは「ジョナサン」が軍人に占拠されている事に驚いて、みなさん少しづつ「後ずさって」いた。
撮影所に戻る途中「吉野家」を覗くと、「吉野家」も軍人に占拠されていた。
(クーデターかよ)
夜の休憩時間にも、同じ光景が繰り返されていた。
二日間も同じ光景が続いた。
なんだか、本当に藤竜也さんを「大統領」にするために立ち上がり、クーデターを起こした軍隊みたいだった。
で、日曜日に違う仕事で東京に帰ってきた。
で、次の日また朝一で京都に戻った。しかも日帰り。
何も考えられない状態。
そんな日曜日の夜に、原田芳雄さんから一緒に芝居を観に行こうと誘われた。
久しぶりに「唐組」の芝居を観てきた。
唐さんの事は、同じブログで根津甚八さんが詳しく書いているので「説明」は省きます。
まず、会場になっている雑司ヶ谷の鬼子母神に着いた。
なんとなくざわついている。お客さんを眺めると、結構若い人がいる。
失礼だが、意外な感じがした。(このことは、となりで飲んでた「北の国から」の監督の杉田成道さんも言ってた)
木野花さんがいた。今日で二度目の観劇らしい。
木野さんは去年、シアターコクーンで同じ演目を「Nさん」の演出でやった。
で、今日は唐十郎さんが、普段の「役」ではなく、木野さんが演じた「女教師」
をやるらしいので、「どーしても観たくって」っとすでにかなり興奮しながら教えてくれた。そんな木野さんの笑顔は相変わらず少女みたいで素敵だった。
ざわついているお客さんの中に、メークを済ませ、衣装を着た劇団の方たちが混ざっていた。
「唐組」には「楽屋」がない。テントだから当然なのだ。
余談だが、昔、小林薫さんと一緒に舞台をやった。
薫さんは「状況劇場」を退団して以来、18年ぶりの舞台だった。
そして、これも当然だが、初めての「劇場」での舞台だった。
劇場に入った薫さんが、ちょっと緊張した面持ちで僕に質問した。
「勝村、楽屋話しって何を話したらいいんだ?」だって。
僕ら大爆笑。
テント芝居しかした事のない薫さんは、劇場で芝居をするのは初めて。
だから勿論、劇場の楽屋も初めてだった。
楽屋では、舞台に上がるより緊張していて「ぎこちない」動きの連続だった。
しかし、元々「おしゃべり」なので、夕方には誰よりもしゃべり倒していて、うるさかった。
で、「唐組」の鳥山さんが来てくれて、色々と気を使って下さった。
「勝村さんも後ろの椅子に座りますか?」と言われたので、「いいえ、大丈夫です」と答えた。
久しぶりだったから、テントの臨場感と高揚感と肉体の痛みを味わいたかった。
開幕前から興奮してくる。
こればかりは、「劇場」では味わえない。
なにせ、みんな地面に座っている。一番後ろには、どでかい「石灯籠」が舞台装置のように置いてある。(ま、元々そこにある本物だからね)
「お客様がまだまだ入られます。もー少し詰めていただけますか」
なんて何度も言われて、気が付くと最初に座っていた位置から結構ずれている。
何となく、息苦しい。
超満員。
テントの中は、観客それぞれの「思い」みたいなものが充満しはじめる。
幕が開いた。
テントに入る前から引き込まれている僕らは、始まった瞬間から「数光年先」まで既に連れて行かれている。
十貫寺梅軒さんが登場。
圧倒された。
犬に手を噛まれた「野球少年」の役だった。
本物の「アングラ」の芝居を堪能した。
唐さんが登場した。
圧巻だった。
やはり唐さんは「神」に近い。
唐さんは「衰える」なんて人間の世界の現象とは「無縁」だった。
他のみなさんも素晴らしかった。
「アングラ」と言うカテゴリーをつくった人たちの力は、計り知れない。
もっと長く書こうと「腹」を決めていたけど、僕の筆力で批評するのは、失礼に値する。
僕が書けるのは只一つ、唐さんは「演劇神」だ。
芝居が終わってから、「紅テント」の中で飲んだ。
お客さんも役者も車座になって、、、、
「しあわせ」な空間と時間だった。
いい芝居を観た後は、いい演技を観た後は、何とも言えない「幸福感」に包まれる。
地元に戻り、芳雄さんたちと軽く飲んだ。
みんなの顔も「幸福感」に満ち溢れていた。
こんなの本当に「久しぶり」だった。
なんだか「しあわせ」なまま終わるのは悔しい(なんで?)
天の邪鬼の僕としては、やはり「ぼやき」の一つも入れたい。(アホか)
で、31日の「ハロウィン」
なんだあれ?
関係ないじゃん!
ふざけるな!
我が家の近所は外国の大使館が幾つかある。
だから、必然的に外国の人が多い。
近所の人に地図を貰った。
そこには「お菓子」をくれる「家」の地図が書かれてある。
僕も娘たちを連れて参加した。(参加してんじゃねーか!)
暗い道を「仮装」して歩く子供たちは、とても楽しそうだった。
我が家のまわりでは、こんなことや
こんなことになっていた
でも、おじちゃんはやはり納得できない。
クリスマスもバレンタインもボジョレーヌーヴォーの解禁の日も、、、、
恥を知れ!
関係ねーだろ!
厚顔な日本人め!
自分の頭で考えて生きろ!
自分たちの文化を大切にしろ!倫理を大切にしろ!
何が「ワインみたいな日本酒です」だ!
日本酒に自信持て!
何が「このマグロ、牛肉みた~い」だ!
牛肉食ってりゃいーじゃねーか!
ば~か!うんこ!
恥を知れ!恥を!
でも、楽しいんだよね~。
子供たちがみんな「興奮」してうれしそうなんだよね。
子供の笑顔は地球を救う。
ま、いっか。
「子供は大人の父である」
けだし名言である。
そんな訳で今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その3
とにかく食べた。
で、週4回のトレーニング。
月、火、木、金の午前中にトレーニングして(水曜は、わざと筋肉を休ませる)
水曜の夜にサッカーいって、土、日のどっちかにサッカーの試合。
お仕事は?と聞かれたら、「運動です」と答えていた。
しばらく続けると、筋肉が変わってきた。なんだか身体も大きくなっている。鏡を見ると、軽く「ポーズ」をとったりしている。
「ヤバい」
と思いながらも、満更でもなかった。
だから、「ヤバい」って。
気づくと、ちょっとだけの「蓄え」が底をついてきた。
同じサッカー部の先輩に冷凍食品の運送の仕事を紹介してもらった。
午前中に仕事する事にした。
で、午後トレーニング。
なんだか時間がもったいなくて、暇をみつけちゃぁ冷凍倉庫にこっそり入って、一番重い20キロの「すけそうだら」を担いで鍛えた。(変態。狂ってる)
仕事を始めたので、トレーニングは夕方からになった。
今までは、午前中だったので「赤トレ」はすいていた。
僕一人なんて事もよくあった。
しかし、夕方は仕事を終えた「ボディービルダー」の巣窟だった。
「赤トレ」の壁には、「赤トレ」出身の「ボディービルダー」略して「ボビー」
(長いからね)さらに略して「赤ボビー」の写真がたくさん飾られている。
夕方には、その中の数人と、もーちょっとでその中の人たちが「いっぺー」いた。
なんだか、都会の地図を覚えて田舎から出てきた小僧が、都会でいきなり迷子になったみたいだった。
あたふたした。
呆然として「赤ボビー」のトレーニングにみとれた。
すんごい活気だった。みなさまの熱でガラスや鏡が曇って行く、、、、
若かった僕は身体の芯がアツくなるのを感じた。
(今の僕ならそんなことはない。岸部四郎さんの「後ろ向き 一週間に一日幸福ならいい」って本も読破したくらいだ)
で、目を輝かせてトレーニングに参加した。
この頃の僕のアイドルは「アーノルド・シュワルツェネガー」(おかしいぞ)
ミスター・オリンピアで、5回連続の王者に輝いていた。
ミス・オリとは(勝手に略すな)ボビーの世界一を決める、ミスター・ユニバースで優勝した、「世界一」の人たちだけが出場できる大会なのである。
出場できるだけでも「神」に近い。
シュワちゃんは(もちろん、まだそんな風には呼ばれていなかった)
その大会で、前人未到の5連覇を成し遂げて、ハリウッドデビューした。
「神」の中の「神」なのである。(まぁ、マニヤックな神ではあるが、、、)
もちろんシュワちゃん初主演映画(多分)「鋼鉄の男 パンピング・アイアン」だってみている。(かなり笑える、真面目な実録映画)
この映画をみて、ボディービルダーって子供の頃はみんな「いじめられっこ」だったことがよくわかった。
ちなみに、「パンピング」とはトレーニングでキンキンに張っている筋肉の状態のことである。
僕も毎日「パンピング」の歓びに浸っていた。
だんだん、夜の先輩たちにも(何だ?夜の先輩って)慣れてきた。
レベルが違うから一緒にトレーニングは出来なかったが、ちょっとづつ話してもらえるようになった。
話しを聞くと、ちょっとおもろかった。
「バーベルで『肩』鍛え過ぎて刺激を与え過ぎたのか、肩から毛が生えてきちゃったんだよ。はっはっは」
「え、え~?」
「ほら」
「ほ、ほんとだ!す、すんごい生えてる~」
他にも、腿になんかクリームを塗っている「夜の先輩」をじーっと見ていると、
「あぁ、『腿』鍛え過ぎてでかくなり過ぎちゃって『股擦れ』が痛いんだよ。はっはっは」
「え、え~?」
「ほら」
「ほ、ほんとだ!す、すんごいすれてる~」
こんな会話ばかりだった。
こんな会話しちゃー、おっぱいを「ピクピク」動かしたり、鏡みて「ポーズ」とったりしている。
なんか、危険な匂いのする(違う意味でね)集団だった。
でも、みんな笑顔がきれいだった。
「赤トレ」は目的を持った人の集まりだった。
「身体を鍛える」のを「生き甲斐」にしている人たちの集まりだった。
だから、居心地がよかったのかもしれない。
「赤トレ」のガラスの曇りは、「生き甲斐」を持ってトレーニングに励む人たちをやさしく包む「コクーン」だったのかもしれない。
続く。
勝村さんのおでこはかわいらしいですね。
これで 今週も頑張れまーす☆
勝村さんのおでこメッチャかわいいですね・・・=^-^=うふっ♪
勝村さんよりちょこっと年上の私ですが、中学の修学旅行は京都、奈良・・・そして高校は東北でした・・・(年上のふりは関係ないですね)
30年以上前のことですが、修学旅行の事はけっこう覚えています・・・
修学旅行の印象が強かったのか、京都の大学に行きたくて何校か受験しました・・・
結果は・・・``r(^^;)ポリポリ まあそんなに世の中甘くないですよね・・・
でも京都は大好きな街のひとつで、その後も数え切れないほど(チョイ大げさ・・・)
訪れています・・・
坊主の訳もよーくわかりました・・・ドラマ楽しみにしています!!
しかし「赤トレ」は凄いですね・・・
勝村さんがいい体していらっしゃることは、『世界ウルルン』で拝見してますからわかっておりましたが、そこにいたる要因が「赤トレ」だったのかと、ひとり頷いてます・・・ウン(・_・)
すごく、迫力があるんでしょうね。
尖っていないおばさんが、一人で足を踏み入れるには、
ちょっとハードルが高い気もします。
それとも、どんな人でも、心を無にして観ればいいんでしょうか?
若い人が多いと、意外なんですか?
私は、若ければ観に行くのに…
あ、 「れば」「たら」 って言っちゃった。
良くないですね。
こんなしり込みは、失礼ですね。 きっと…
行きたきゃ観に行きなさいって話ですよね。
木野花さんの 『女教師』 のこと、あるブログで
『いかれた哲学的で孤独な女教師』 と書いてありました。
これだけで、ぞくっとしますね。
唐さんの 『女教師』 は、どんな人なのでしょう?
行きたきゃ観に行きなさいって話ですよね。
20年以上昔、浅草で「ビニールの城」を観ました。
前の方にギュウギュウ詰めに座らされて、体操座りだった気もする。
水よけの薄いシートを持って観ました。
観た後、街を歩いていても頭がぐわんぐわんしました。
懐かしい衝撃。
仕舞ったことも忘れていた想い出が、箱の隅から出てきた感じです。
私も京都は大好き!高校の修学旅行…京都です。
勝村さんのお仲間の方がすごくたくさんで、いっぱい仲良しサンがいるのだなぁ…と
これは、きっと勝村さんの人柄が良いからですね☆間違いない!!
筋肉を鍛えると毛が生える?
大事な部分になった証でしょうか?
昔、「大事な部分に毛が生える」と聞きましたが…f^_^;。
赤トレは、自分の経験と重なり懐かしく思い出しながら、うんうん、そうそう、なんて相づちをうちながら読んでいました。もう、勝村さんとお酒を飲みながら語りたいくらい!(すいません)その頃の名残か、からだを動かした日の疲労感は今でも心地良くて好きです。昔は筋肉痛がない日は不安になったくらいでしたから(苦笑)
それにしても、今回はそうそうたる勝村さんのお仲間の名前が出てきましたねぇ。ミーハーな私は、おぉ!おぉー!と興奮してしまいました。もう、芸能人みんな勝村さんの友達なんじゃないの?と思ってしまう程。
観劇のお話は、言葉では説明しきれない感性のものなんだろうなぁ、と思いました。私はまだまだ観劇の経験が少なく、お芝居の奥深さなどは正直わかりません。でも、難しく考えて構えるより、素直にお芝居を観て、自分なりに感じるものがあればいいのかな、なんて勝手に思ってます。勝村さん達と同じ幸福感は感じられないかもしれませんが、毎回自分なりの満足感があり、その度、観る人の心に何かを残す役者さんに尊敬の気持ちが生まれます。役者さんに限らず、人の心を動かす人って素晴らしくて素敵ですよね。勝村さんのお芝居やブログでも私はたくさん心を動かされています。(バラエティ番組等では心をくすぐられています!(恥))本当にありがとうございます。そして、これからも心の動きを感じられますように!
これからも頑張ってください!!
今後とも頑張ってください。
頑張ってください。
また1週間頑張りましょうね。
気持ちの良い朝ですね。
今日も一日頑張りましょうね。
今日も一日頑張りましょう!
また更新してください。