フェデラー観戦記 / 2006年10月05日
テニスを愛する皆様。番外編です。勝村政信です。
正確には、番外編はいつものブログでせう。
テニスのブログですもの。
観て参りました。テニス。実は初めてなんです。
考えてみたら、スポーツ観戦ってそんなにしていない事に気づいた。
多分、最初が「野球」。だったと思う。
僕の小さい頃には、野球を観ることが当たり前みたいな時代だった。
スポーツ=野球
そんな時代だった。
ちょっと大きくなってからは、「サッカー」。国立競技場には4、5百人くらいしか客がいなかった。次が「プロレス」。昔の蔵前国技館に兄貴と観に行って、前の客と喧嘩になった。(バカ兄弟)次が「相撲」。枡席で観たので狭かったけど、なんだか飲み物でたり、食べ物でたり、お土産くれたりで楽しかった。
プロフェッショナルなスポーツ観戦は、その程度だ。
最近では、海外で「サッカー」を観ている。これはそのうち改めてブログに書こうと思っている。
で、さっき観て来た「テニス」
場所は「有明コロシアム」
細かい説明は長くなるから省く。(潔いぞ!)
センターコートにフェデラーが登場した。(簡単すぎないか?)
記念すべき対戦表
片仮名でフェデラーってのもちょっとね…
ま、いっか。
ちょっと鳥肌がたった。
ちょっと見、長身のヘアーバンドしたタランティーノ。(失礼でしょ)
テレビで見るよりも、かなり細身である。手足も随分と細い。
とても世界で活躍する様には思えない。そんな第一印象だった。
練習が始まった。随分と静かに始まるもんだと思った。
なんだかさっきより、いや、前の試合も含めて、センターコートが狭く見える。
軽く、本当に軽く相手のコートに球を打った。
その瞬間から、僕はフェデラーから目が離せなくなった。何かが違う。よくわからないけど、「何かが違う」
まず、美しい。
試合中もそうだが、コートの何処にいてもフェデラーだとわかる。
これはふざけて書いているんじゃなくて、本当にそう思った。
無駄な動きがまったくない。
何処にいても、速く動いていても、ゆっくり動いていても、身体がぶれていない。だから正確に確認できるし印象的なのだ。
決まった振りを完璧に踊っているようだ。
クラシックバレエのダンサーのように。
約20年前、パリオペラ座のバレーを観に行った時に、パトリック・デュポンがスカートをはいてソロで華麗に踊っていた。優雅で、力強く、実に美しかった。
踊りが終わっても、ちょっと席が立てなかった。
そんな経験はこの20数年で2、3回しかない。
フェデラーを観ていたらその時のパトリック・デュポンと重なった。
とにかく、観ていて美しい。それ意外の形容が思いつかない。
試合が始まると、驚いた事にさらに美しさが増した、、、、、
まず、基本的な事なんだろうけど、常にラケットのスイートスポットを簡単に正確に捉えている事に驚いた。
ゴルフのようにボールが止まっているわけではない。
ご存知のように止まっているボールでさえ打つのは難しい。
僕も球技を長く経験しているが、毎回同じ場所を正確に捉えるのは至難の技だ。
プロだから出来るというものでもない。
余談だが、サッカーの川淵キャプテンが日本代表の時、ドイツからデッドマール・クラマンというコーチがやってきた。彼が日本の代表選手にやらせた最初の練習が、サッカーを始めたばかりの子供たちが初めに練習するのと同じ、「サイドキック」だったそうだ。
今のサッカーの日本代表選手を見ても、試合中正確に基本の「サイドキック」の出来る選手はほとんどいない。
今日の他のテニスの試合を見ても、毎回正確に捉えていた人はいなかった。
試合が進んでも、一挙手一投足に無駄がなく全て流れるようだ。(ブルース・リーの太極拳みたいだ)停滞する事がない。血液だってサラサラに違いない。
(いらないでしょ。ギャグは)もー、開いた口が塞がらない。
しかも疲れていない。コートチェンジの束の間の休みに、対戦相手は流れる汗をタオルで何度も拭い、ペットボトルの水を何度も飲んでいた。
しかし、フェデラーは普通に座っていた。朝起きて今から新聞読みそうな感じで、、、、
桁違い。
しかし、試合は接戦だった。
僕のまわりのバカどもは(失礼)アホどもは「フェデラー調子悪いんじゃない?」だの「本気だしてねんだよ」だのとのたまっていた。
アホか!おまいらはー!黙って100年に一人の天才をみてぃおきぃー!
ってな感じだ。
フェデラーは、試合中アジャスティングしているのだ。アホは気づかない。
世界の超一流選手が「この大会」に照準を合わせてくる訳が無い。参加しているメンバーを見れば一目瞭然だ。日本に来るのも、季節に合わせるのも、食事も何もかも大変なのだ。だから、試合中に自然に調節機能が働くのだ。
働いちゃうのだ。生きるってそーゆーこと。
これも余談だが、(だんだん長くなってきたね)僕は20歳の時、トレーニングセンターに通っていた。ボディービルダーがうようよしてた。でも驚いたのが、ボディービルダーは普段「ブクブク」なのだ。食っちゃー鍛えて食っちゃー鍛えての繰り返し。バンバン食べる。口から出そうなくらい食べる。拷問に近い。食べないと筋肉が付かないから、我慢してとにかく食べる。食べないで鍛えると、せっかくの筋肉が痩せて行ってしまうから。
で、大会前に死ぬ程減量する。ここが勝負。きれいに減量しないと、筋肉の形や、張りがなくなってしまう。ボクサーと同じだ。
(この話もブログに書こうっと。ラッキー)
だから、フェデラーくらいの選手になると、この程度の大会など、試合中に「鍛えながら減量する」くらいの調整が出来てしまうのだ。
しかも、相手のいい状態を引き出しながら、、、、
ここも、普通の選手との違いであろう。
相手をトップコンディションに連れ込んでしまう。連れ込んでしまうのよ。
で、最高の状態の相手と対戦する。お互いのいい所だけで勝負が出来るようにフェデラーがディレクションしてしまっている。
これには参った。
相手はこの大会に「照準」を合わせて来ている。
しかも相手は、絶対に敵わない事がわかっている。でも、フェデラーが最高の状態をわざわざ作ってくれている。気持ち良く最高の試合が出来る。相手はフェデラー。負けて当然。負けて悔いなし。拍手バチバチ。
まるで魔法使いだ。
日本最強の横綱に「双葉山」がいた。双葉山は自分からは相手を攻めなかった。
必ず、相手の攻撃を受けてから闘った。最高最強の横綱だ。
横綱の「プライド」を唯一体現した力士だ。
そんな王者の「プライド」をもフェデラーは獲得している。
今日の試合中、フェデラーは2回だけ軽く叫んだ。
線審に対してと自分に対して。
このスコアのちょっと前にフェデラー軽く吠えた
テレビだと気づかなかった事があった。それは、審判員の数の多さだ。主審を入れて10人もいた。ボールボーイ&ガールは6人。プレーヤーは2人。
なんてスポーツだ。やれやれだ。
貴族のスポーツだった事がよくわかった。
しかし、線審もボーイズ&ガールズのレベルが低いのは仕方ないが、残念だった。集中して流れていた動きを何度か壊してしまっていた。
ま、それもフェデラーのような選手が何回も来てくれれば解消できるでしょ。どんなスポーツでも超一流選手は、まわりをも育ててしまうかんね。
今日は練習5分くらい。第一セットは51分。第二セット終了時間1時間41分。すごいでしょ。時間でみても、僕の言う試合中での「調整」が証明されるし、決まった振りを踊っているってのも理解してもらえると思う。
後、不思議なのは、フェデラーの試合はずーっと観ていたいと思ってしまった。
他の試合には、「ここで決める」みたいなポイントがあった。だから観ている僕は疲れた。選手に感情移入してしまうから。当然の事だけど。
でも、フェデラーの試合は疲れなかった。しかも終わって欲しくなかった。
不思議な感情が芽生えた。何故だかわからない。
このブログは水曜の試合を観て帰って来てからすぐに書いた。
このブロックだけは次の日の朝書いている。
今朝の「毎日新聞」を朝の6時過ぎに読んでみたら、「フェデラー思わぬ苦戦。
グランドスラムにもっとも近い男も人の子だった」と書いてあった。
(2時間ドラマのサブタイトルかよ)
これが日本のスポーツ記事を書く記者の限界なのかしらん?「仕留めるのに1時間41分も費やした」とも書いてあった。
スコアは7-6、7-6
考えてみて下さい。第一セット、第二セット全く同じスコア。
かかった時間。第一セット51分(写真撮っといていかった)
第二セット50分。
第一セット
第二セット
終わったばかりで、みんな興奮してサインを求めに走っていた
「知らない相手」リズムつかめず。とも書いてあった。
まー、これはフェデラーの試合後の言葉だけど、何故、鵜呑みにできるのか?第一セット、第二セットで1分しか違わない!
この結果を見て、リズムがつかめていないと受け取っていいんだろうか?
僕には、完全に試合を自分の「リズム」で「調整」しながらコントロールしていたとしか思えない。
自己批評が全く出来ていない。
10月3日の夕刊の「ドイツ1部好調ブレーメン」というサッカーの記事に対しても同じ思いで読んだ。
書いた人は僕なんかより頭もいいだろうし、文章を書く力もあるし、観戦経験も豊富なはずであろうに、、、、、ちょっと残念。
(まぁ、毎月ちゃんと新聞代金払ってるからちゃんと批評できる権利がある!)
もちろん僕の文章の方が優れているとも思っていない。
初めてのテニスのブログらしいことを書いたので、力を入れてみました。
で、最後に思った事は、初めて「テニス」を観た事が今日の一番の収穫だったかもしれない。とゆーこと。
勘違いしないで頂きたいが、初めてテニスを「観た」というのは、初めてテニスを「見に」行った事ではない。
「テニス」という「スポーツ」を初めて観る事が出来たということだ。
今日はフェデラーの他にも何試合か観る事が出来た。しかし、そのほとんどが、僕が今まで見て来た「テニス」っぽいスポーツだった。
肉眼でフェデラーを観て、「テニス」がみえた。
僕は30年くらい「サッカー」をやっているが、それは「サッカー」っぽいスポーツだ。たまに「サッカー」になる時がある。からやめられないのだが、、、
昔、サッカー小僧だった僕に「DONNEY」のラケットを買わせてしまうほど魅力的で美しかった、孤高の天才、ビヨン・ボルグを超えつつあるフェデラー。
強さと美しさを兼ね備えた「天才」を目の当たりにして、久々に「今日、死んでもいい」と思わせてくれたフェデラーに、心の底から敬意を払い、最後に一言いわせていただきたい。
「明日から俺もがんばっちゃおー!」
んで、「ウインブルドンの決勝が観てー!」
二言じゃん。
そんな訳で、今週二度目の、がんばって生きていきまっしょい!
正確には、番外編はいつものブログでせう。
テニスのブログですもの。
観て参りました。テニス。実は初めてなんです。
考えてみたら、スポーツ観戦ってそんなにしていない事に気づいた。
多分、最初が「野球」。だったと思う。
僕の小さい頃には、野球を観ることが当たり前みたいな時代だった。
スポーツ=野球
そんな時代だった。
ちょっと大きくなってからは、「サッカー」。国立競技場には4、5百人くらいしか客がいなかった。次が「プロレス」。昔の蔵前国技館に兄貴と観に行って、前の客と喧嘩になった。(バカ兄弟)次が「相撲」。枡席で観たので狭かったけど、なんだか飲み物でたり、食べ物でたり、お土産くれたりで楽しかった。
プロフェッショナルなスポーツ観戦は、その程度だ。
最近では、海外で「サッカー」を観ている。これはそのうち改めてブログに書こうと思っている。
で、さっき観て来た「テニス」
場所は「有明コロシアム」
細かい説明は長くなるから省く。(潔いぞ!)
センターコートにフェデラーが登場した。(簡単すぎないか?)
記念すべき対戦表
片仮名でフェデラーってのもちょっとね…
ま、いっか。
ちょっと鳥肌がたった。
ちょっと見、長身のヘアーバンドしたタランティーノ。(失礼でしょ)
テレビで見るよりも、かなり細身である。手足も随分と細い。
とても世界で活躍する様には思えない。そんな第一印象だった。
練習が始まった。随分と静かに始まるもんだと思った。
なんだかさっきより、いや、前の試合も含めて、センターコートが狭く見える。
軽く、本当に軽く相手のコートに球を打った。
その瞬間から、僕はフェデラーから目が離せなくなった。何かが違う。よくわからないけど、「何かが違う」
まず、美しい。
試合中もそうだが、コートの何処にいてもフェデラーだとわかる。
これはふざけて書いているんじゃなくて、本当にそう思った。
無駄な動きがまったくない。
何処にいても、速く動いていても、ゆっくり動いていても、身体がぶれていない。だから正確に確認できるし印象的なのだ。
決まった振りを完璧に踊っているようだ。
クラシックバレエのダンサーのように。
約20年前、パリオペラ座のバレーを観に行った時に、パトリック・デュポンがスカートをはいてソロで華麗に踊っていた。優雅で、力強く、実に美しかった。
踊りが終わっても、ちょっと席が立てなかった。
そんな経験はこの20数年で2、3回しかない。
フェデラーを観ていたらその時のパトリック・デュポンと重なった。
とにかく、観ていて美しい。それ意外の形容が思いつかない。
試合が始まると、驚いた事にさらに美しさが増した、、、、、
まず、基本的な事なんだろうけど、常にラケットのスイートスポットを簡単に正確に捉えている事に驚いた。
ゴルフのようにボールが止まっているわけではない。
ご存知のように止まっているボールでさえ打つのは難しい。
僕も球技を長く経験しているが、毎回同じ場所を正確に捉えるのは至難の技だ。
プロだから出来るというものでもない。
余談だが、サッカーの川淵キャプテンが日本代表の時、ドイツからデッドマール・クラマンというコーチがやってきた。彼が日本の代表選手にやらせた最初の練習が、サッカーを始めたばかりの子供たちが初めに練習するのと同じ、「サイドキック」だったそうだ。
今のサッカーの日本代表選手を見ても、試合中正確に基本の「サイドキック」の出来る選手はほとんどいない。
今日の他のテニスの試合を見ても、毎回正確に捉えていた人はいなかった。
試合が進んでも、一挙手一投足に無駄がなく全て流れるようだ。(ブルース・リーの太極拳みたいだ)停滞する事がない。血液だってサラサラに違いない。
(いらないでしょ。ギャグは)もー、開いた口が塞がらない。
しかも疲れていない。コートチェンジの束の間の休みに、対戦相手は流れる汗をタオルで何度も拭い、ペットボトルの水を何度も飲んでいた。
しかし、フェデラーは普通に座っていた。朝起きて今から新聞読みそうな感じで、、、、
桁違い。
しかし、試合は接戦だった。
僕のまわりのバカどもは(失礼)アホどもは「フェデラー調子悪いんじゃない?」だの「本気だしてねんだよ」だのとのたまっていた。
アホか!おまいらはー!黙って100年に一人の天才をみてぃおきぃー!
ってな感じだ。
フェデラーは、試合中アジャスティングしているのだ。アホは気づかない。
世界の超一流選手が「この大会」に照準を合わせてくる訳が無い。参加しているメンバーを見れば一目瞭然だ。日本に来るのも、季節に合わせるのも、食事も何もかも大変なのだ。だから、試合中に自然に調節機能が働くのだ。
働いちゃうのだ。生きるってそーゆーこと。
これも余談だが、(だんだん長くなってきたね)僕は20歳の時、トレーニングセンターに通っていた。ボディービルダーがうようよしてた。でも驚いたのが、ボディービルダーは普段「ブクブク」なのだ。食っちゃー鍛えて食っちゃー鍛えての繰り返し。バンバン食べる。口から出そうなくらい食べる。拷問に近い。食べないと筋肉が付かないから、我慢してとにかく食べる。食べないで鍛えると、せっかくの筋肉が痩せて行ってしまうから。
で、大会前に死ぬ程減量する。ここが勝負。きれいに減量しないと、筋肉の形や、張りがなくなってしまう。ボクサーと同じだ。
(この話もブログに書こうっと。ラッキー)
だから、フェデラーくらいの選手になると、この程度の大会など、試合中に「鍛えながら減量する」くらいの調整が出来てしまうのだ。
しかも、相手のいい状態を引き出しながら、、、、
ここも、普通の選手との違いであろう。
相手をトップコンディションに連れ込んでしまう。連れ込んでしまうのよ。
で、最高の状態の相手と対戦する。お互いのいい所だけで勝負が出来るようにフェデラーがディレクションしてしまっている。
これには参った。
相手はこの大会に「照準」を合わせて来ている。
しかも相手は、絶対に敵わない事がわかっている。でも、フェデラーが最高の状態をわざわざ作ってくれている。気持ち良く最高の試合が出来る。相手はフェデラー。負けて当然。負けて悔いなし。拍手バチバチ。
まるで魔法使いだ。
日本最強の横綱に「双葉山」がいた。双葉山は自分からは相手を攻めなかった。
必ず、相手の攻撃を受けてから闘った。最高最強の横綱だ。
横綱の「プライド」を唯一体現した力士だ。
そんな王者の「プライド」をもフェデラーは獲得している。
今日の試合中、フェデラーは2回だけ軽く叫んだ。
線審に対してと自分に対して。
このスコアのちょっと前にフェデラー軽く吠えた
テレビだと気づかなかった事があった。それは、審判員の数の多さだ。主審を入れて10人もいた。ボールボーイ&ガールは6人。プレーヤーは2人。
なんてスポーツだ。やれやれだ。
貴族のスポーツだった事がよくわかった。
しかし、線審もボーイズ&ガールズのレベルが低いのは仕方ないが、残念だった。集中して流れていた動きを何度か壊してしまっていた。
ま、それもフェデラーのような選手が何回も来てくれれば解消できるでしょ。どんなスポーツでも超一流選手は、まわりをも育ててしまうかんね。
今日は練習5分くらい。第一セットは51分。第二セット終了時間1時間41分。すごいでしょ。時間でみても、僕の言う試合中での「調整」が証明されるし、決まった振りを踊っているってのも理解してもらえると思う。
後、不思議なのは、フェデラーの試合はずーっと観ていたいと思ってしまった。
他の試合には、「ここで決める」みたいなポイントがあった。だから観ている僕は疲れた。選手に感情移入してしまうから。当然の事だけど。
でも、フェデラーの試合は疲れなかった。しかも終わって欲しくなかった。
不思議な感情が芽生えた。何故だかわからない。
このブログは水曜の試合を観て帰って来てからすぐに書いた。
このブロックだけは次の日の朝書いている。
今朝の「毎日新聞」を朝の6時過ぎに読んでみたら、「フェデラー思わぬ苦戦。
グランドスラムにもっとも近い男も人の子だった」と書いてあった。
(2時間ドラマのサブタイトルかよ)
これが日本のスポーツ記事を書く記者の限界なのかしらん?「仕留めるのに1時間41分も費やした」とも書いてあった。
スコアは7-6、7-6
考えてみて下さい。第一セット、第二セット全く同じスコア。
かかった時間。第一セット51分(写真撮っといていかった)
第二セット50分。
第一セット
第二セット
終わったばかりで、みんな興奮してサインを求めに走っていた
「知らない相手」リズムつかめず。とも書いてあった。
まー、これはフェデラーの試合後の言葉だけど、何故、鵜呑みにできるのか?第一セット、第二セットで1分しか違わない!
この結果を見て、リズムがつかめていないと受け取っていいんだろうか?
僕には、完全に試合を自分の「リズム」で「調整」しながらコントロールしていたとしか思えない。
自己批評が全く出来ていない。
10月3日の夕刊の「ドイツ1部好調ブレーメン」というサッカーの記事に対しても同じ思いで読んだ。
書いた人は僕なんかより頭もいいだろうし、文章を書く力もあるし、観戦経験も豊富なはずであろうに、、、、、ちょっと残念。
(まぁ、毎月ちゃんと新聞代金払ってるからちゃんと批評できる権利がある!)
もちろん僕の文章の方が優れているとも思っていない。
初めてのテニスのブログらしいことを書いたので、力を入れてみました。
今朝の「ぼやき」は以上。
で、最後に思った事は、初めて「テニス」を観た事が今日の一番の収穫だったかもしれない。とゆーこと。
勘違いしないで頂きたいが、初めてテニスを「観た」というのは、初めてテニスを「見に」行った事ではない。
「テニス」という「スポーツ」を初めて観る事が出来たということだ。
今日はフェデラーの他にも何試合か観る事が出来た。しかし、そのほとんどが、僕が今まで見て来た「テニス」っぽいスポーツだった。
肉眼でフェデラーを観て、「テニス」がみえた。
僕は30年くらい「サッカー」をやっているが、それは「サッカー」っぽいスポーツだ。たまに「サッカー」になる時がある。からやめられないのだが、、、
昔、サッカー小僧だった僕に「DONNEY」のラケットを買わせてしまうほど魅力的で美しかった、孤高の天才、ビヨン・ボルグを超えつつあるフェデラー。
強さと美しさを兼ね備えた「天才」を目の当たりにして、久々に「今日、死んでもいい」と思わせてくれたフェデラーに、心の底から敬意を払い、最後に一言いわせていただきたい。
「明日から俺もがんばっちゃおー!」
んで、「ウインブルドンの決勝が観てー!」
二言じゃん。
そんな訳で、今週二度目の、がんばって生きていきまっしょい!