赤羽トレーニングセンター その2 / 2006年10月25日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
晴れの日が続いていたと気を緩めていたら、雨の日が続いたりしております。
Tシャツになったり、上着を着たり、、、、、
天気に振り回されています。
日本中が。
ざまーみろってな感じです。
自然に振り回されています。
かなり素敵です。
この程度なら。
「北風と太陽」の話じゃないけど、自然に振り回されると、自分がどーしよーもなく「無力」だとゆー事がわかります。
ありがたや。ありがたや。
もう、なされるがまま。全く抵抗できない気持ちよさに酔いしれています。
雨で葉っぱがガンガン散りやがって、落ち葉の掃除が大変だし、公園を散歩すれば、イチョウの木の下は「ぎんなん」が潰れていてうんこ臭いし、、、
注意して見ていると、「ぎんなん」を拾っている人って意外と多いんだと気づきます。
ぎんなんって美味しいもんな~。
ついでに落ちてるうんこも拾ってくれたらな~。なんて思ってしまいます。
犬の飼い主!しっかりしろ!
パリの街なんてうんこだらけだし、セントラルパークの回りもうんこだらけだし、富士山もうんこだらけだし、地球はうんこだらけだよ。ったく!
この文章もうんこだらけになってきたので、水に流しましょう。(うまくない)
とにかく、自然は偉大だとゆー事です。(何だ?そのまとめは)
え~、話は変わりますが、久々に「坊主」になりました。
バリカンの13ミリカット!
かなり髪の毛を伸ばしていたので、別人の様になりました。
20センチ以上切りました。(写真撮り忘れた)
髪の毛をずーっと伸ばしていたので、冬になったら「パーマあてましょうね」って(いつの言葉だよ)パーマ屋さんと(美容師さんでいいでしょ)約束してたのに、、、、
ごめんね。赤松ぅ~。
でもなんだか「うきうき」して顔が綻んでしまった。
「坊主」にしてみると、色々な人に、色々なことを言われる。
「あれ?どーしたの?何か悪さしたんでしょ」とか、
「煙草吸ったのが見つかったんだ」とか、(これは同年代のおじちゃんね)
「あ、今度は囚人の役ですか?」とか、(どーゆーこと?)
「ハンカチでも出すのか?このハンカチ王子!」(なんか、悲しい)等等
考えてみたら、日本では「坊主頭」の印象がすこぶるいくないのだ。
「坊主」=「囚人」は、なんか納得いかない。
さらに考えてみたら(どーでもいいような気がするけど、、、)
「ハゲ」の印象もすこぶるいくない。
海外では、「坊主」も「ハゲ」も印象がすこぶるよい。
子供の頃、ユル・ブリンナーが大好きだった。素敵な「王様」だった。
「鬼警部アイアンサイド」のテリー・サバラスも大好きだった。
スポーツなんて「ハゲ」だらけ。
マイケル・ジョーダンなんて「神様」だ。(そー言えば、七福神にもハゲが多い。ま、いっか)
サッカーなんてチームに2、3人「ハゲ」がうよっている。
引退したけど、イタリアのレフェリーだったコリーナさんなんか、血が出るくらい「ハゲ」だった。
でも、みんな本当にかっこいい!
日本でも、そろそろ「坊主」や「ハゲ」が、かっこいいと思われるような大人の社会になったら、(昔はかっこいいハゲが結構いたんだけどな)この国も捨てたもんじゃないよ。
ま、いっか。
僕が初めて「坊主」になったのは、中学三年の時。
たいした動機なんかなかったんだけど、一度は「坊主」になってみたかった。
「坊主」になってみると、考えられないくらい「楽」だった。
まず、頭が軽くなる(脳みそ関係ない)。びっくりするくらい。
なんか、アドバルーンの気持ちが少しわかった様な気がした。(ウソつけ)
で、顔を洗った勢いで、頭も洗える。
で、顔拭いた勢いで、頭も拭ける。
大変な勢いだ。
髪型考える必要ないし、ドライヤーも整髪料もいらない。
ま、欠点をあげるとすれば、冬に「弱い」。
初めて「坊主」にした時は、時期を誤ってしまい、中学の卒業アルバムに「坊主」のまま載る羽目になった。(野球部でさえ、既に坊主はいなかった、、、)
で、初めて「ハゲ」にした時は、まだ、銀座セゾン劇場の頃にやった、「ポップコーン」というウエストエンドで人気があった芝居をやった時。
別に頼まれた訳でもなかったんだけど、剃った。
なんか、「剃り」たかった。
でも、髪の毛を剃るのがあんなに大変だなんて知らなかった。
安全カミソリで「スー」っと剃れると思ってた。
風呂場に新聞紙を敷いて、カミソリで剃ってみた。
「ずずずずー」って中途半端に剃れたと同時に「ギャー」って悲鳴をあげた。
痛いなんてもんじゃなかった。
髪の毛を濡らしてもう一度試した。
「ぞぞぞぞー」って中途半端に剃れたと同時に「ウギャー」って悲鳴をあげた。
痛いなんてもんじゃなかった。
しばらく考えて、はさみで出来る限り切る事にした。
「シャギー、シャギー」って音がして、「バッサバッサ」新聞に髪の毛が落ちた。
で、石けんで泡を物凄くたててから、カミソリで剃った。何度も剃った。
その都度軽く「ヒッ」って小声で叫んだ。
頭が血まみれになっていた。
「白い泡」と、いたる所から流れ出る鮮やかな「血の紅」が混ざりあって、パティシエがつくる美味しそうなスイーツみたいだった。
とりあえず、「ハゲ」完成。
でもよく見ると、初めてだったし、一人で剃ったので、いろんな所に剃り残しがあって、長い毛も結構残っていて、血は止まってないし、泡も残っているし、なんだか排水溝みたいだった。(どーなの?)
二年くらい前にも、突然「坊主」にしてみた。
その時にも、いろんな人にいろんな事を言われた。
「役づくりですか?」ってのが多かった。
「役づくりですか?」って聞かれると、答えに困ってしまう。(役のつくりかたなんか知らないしね、、、)
「坊主」になる事は、やっぱり特殊な事みたいだ。
でも、おじちゃんになってから「坊主」になるのはちょっと「愉快」。
鏡を見ると、ハッキリと自分の顔が見える。
髪の毛がないから、ストレートに「顔」。
びっくりする。
こんな顔だったんだと、しげしげと眺めてしまう。
「あれ?」って思いながら、、、、
でも、その「あれ?」がなんなんだか思い出せない。
朝起きて、寝ぼけながら顔を洗っていると「悲鳴」をあげそうになった。
「マイ・ダディー!」僕のお父さん!(いらないね、訳は)
「あれ?」の意味がわかった。
僕の「父親」にそっくりだった。
鏡を覗くと、そこには僕の「父親」がいた。
思わず「うっわー、親父そっくり!」と声に出してしまっていた。
知らない間に、顔がどんどん自分の父親に似てきていた事がわかった。
可笑しかった。笑ってしまった。「愉快」だった。
なんだかスッキリした。
そして、歳をとるって「遺伝子」に逆らえなくなる事なんだって気づいた。
いつの間にか、ちゃんと「設計図」通りに出来上がっているのがわかった。
「愉快」で「愉快」で仕方が無い。
勝村家の「お父さん」が、また出来上がろうとしている。
逆らえない。
非常に心地いい。
若い頃にどれだけ格好つけても、いい服着て調子に乗っても、かっちょいい車に乗っても、どんなに身体鍛えても、頭が腫れるくらい本読んでも、偉そうに語っていても、最終的には勝村家のお父さんになっていく。
圧倒的な力ではなく、知らないうちに、緩やかに、、、、
北風の寒さに負けまいと、コートの襟を強く握りしめていたおじちゃんが、太陽の暖かさに、ゆっくりとコートのボタンを外す様に、、、、、
大変に「愉快!」
ざまーみろ!俺!
我が家には、「息子」がいないので、兄貴の「息子」が今ゆっくりと「太陽の暖かい日差し」を浴びている。
成長して、勝村家のお父さんになる。
笑える。ざまーみろだ。
逆らえない。
地球人全員が逆らえない。
死ぬ程最高に「愉快」。
でも、それって悪いことではない。
とても「しあわせ」なことだ。
僕の身体の中には、親父がいて、お袋がいて、会ったことのないじいちゃんがいて、ばあちゃんがいて、ひいじいちゃんがいて、ひいばあちゃんがいて、ひいひいじいちゃんがいて、ひいひいばあちゃんがいて、、、、、、、
逆らえない。
見えない「設計図」通りに、「正確」に出来上がっていくからこそ、僕は全てを受け入れて、勝村家のお父さんが完成するまで、「逆らえない」からこそ、死ぬ程逆らってやる。(ま、今まで通りね)
「愉快」に楽しみながら、逆らいながら、死ぬまで生きてやるのだ。
そう、死ぬまで生きていくのだ。
堂々と、「死ぬまで生きてやる宣言!」を発表してみちゃおうかな。
明確な意志を持って。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その2
その日から、トレーニングは始まった。
まず、コースを選ぶ。
毎日時間が有り余っている僕は、「毎日来れます」と緊張しながら言ってしまった。
コーチは「ヘェ~、そうなんだ。じゃぁ、ちゃんとやろーか」と素敵な笑顔で答えてくれた。
純情で?力が有り余っている僕は、その「笑顔」に答えなければ!
なんて思ってしまった。
最初は、ベンチプレスからだった。
いきなり、50キロのバーベルを持たされた。
うんこ漏らすかと思った。
コーチは、「わかった。じゃぁ、35キロからいこーか」と言って、メニューを組んでくれた。
50キロは身体能力を見るために持たされただけだったようだ。
よかった。うんこ漏らさなくて、、、、、
でも、50キロのバーベル持たされた時は、顔面に身体中の「血」が集まったんじゃないかと思った。
目からも鼻からも、押せば「血」が出て来そうだった。
トレーニングは実に論理的で合理的だった。
当時は運動が出来る奴は頭が悪い。みたいに言われていた。
でもコーチは、頭が良くなければ、運動も出来ないし、良い筋肉は作れない。と豪語していた。(今考えれば、当たり前の事である)
コーチのトレーニングを見ていると、すべて計算されていて圧巻だった。
「重さ」と闘っている人を初めてみた。
コーチの言葉の説得力は「身体」だった。
筋肉という名の「鎧」を纏った、まさに戦士だった。
後でわかった事だが、コーチは大会前で身体も心も「切れて」いた。
か細い僕も毎日、毎日、筋肉の張りとの闘いだった。
階段もまともに上がれない。
しかし、ハマった。まんまとハマった。完璧にハマった。
身体を「いじめる」事が楽しくて仕方が無い。
コーチは「身体を作るには、まず食べる事だ。ただ食べるんじゃなくて、筋肉をつけるために必要なものを食べろ」と言って、「必要な食べもの」を教えてくれた。
ちなみにコーチは、毎日「バナナ」、「レバー」、「プロテイン」なんかを時間を決めて「もさもさ」摂取していた。
そう。「摂取」
コーチは、「一番安くて筋肉が付きやすいには、『たまご』だ。勝村は若いんだから、コレステロールは運動で燃えるから心配しなくていい、一日20個くらい食べるんだぞ」とアドバイスしてくれた。
「、、、、、、、、は、はい?」
そーいえば、コーチが大量の生卵を飲んでいるのを見た事があった、、、(トカゲかよ)
生卵を産まれて初めて飲んでみた。
「ブォワァー」ってそのまま吐いた。
あんなにつるつるしてるのに、喉を通らない。
もう一回試した。
「ブォワァー」ってまた吐いた。
無理。
で、調理して食べる事にした。
朝、目玉焼を2つ。昼、オムレツで3つ。夜、もー食べたくない。
どんなにがんばっても一日5個が限界だった。
でもなるべくがんばって食べた。
「バナナ」はかかさなかったし、屋台の焼き鳥やを見つけると必ず「レバー」を頼んだ。ラーメン屋では「レバニラ炒め」もー、修行に近い。
晴れの日が続いていたと気を緩めていたら、雨の日が続いたりしております。
Tシャツになったり、上着を着たり、、、、、
天気に振り回されています。
日本中が。
ざまーみろってな感じです。
自然に振り回されています。
かなり素敵です。
この程度なら。
「北風と太陽」の話じゃないけど、自然に振り回されると、自分がどーしよーもなく「無力」だとゆー事がわかります。
ありがたや。ありがたや。
もう、なされるがまま。全く抵抗できない気持ちよさに酔いしれています。
雨で葉っぱがガンガン散りやがって、落ち葉の掃除が大変だし、公園を散歩すれば、イチョウの木の下は「ぎんなん」が潰れていてうんこ臭いし、、、
注意して見ていると、「ぎんなん」を拾っている人って意外と多いんだと気づきます。
ぎんなんって美味しいもんな~。
ついでに落ちてるうんこも拾ってくれたらな~。なんて思ってしまいます。
犬の飼い主!しっかりしろ!
パリの街なんてうんこだらけだし、セントラルパークの回りもうんこだらけだし、富士山もうんこだらけだし、地球はうんこだらけだよ。ったく!
この文章もうんこだらけになってきたので、水に流しましょう。(うまくない)
とにかく、自然は偉大だとゆー事です。(何だ?そのまとめは)
え~、話は変わりますが、久々に「坊主」になりました。
バリカンの13ミリカット!
かなり髪の毛を伸ばしていたので、別人の様になりました。
20センチ以上切りました。(写真撮り忘れた)
髪の毛をずーっと伸ばしていたので、冬になったら「パーマあてましょうね」って(いつの言葉だよ)パーマ屋さんと(美容師さんでいいでしょ)約束してたのに、、、、
ごめんね。赤松ぅ~。
でもなんだか「うきうき」して顔が綻んでしまった。
「坊主」にしてみると、色々な人に、色々なことを言われる。
「あれ?どーしたの?何か悪さしたんでしょ」とか、
「煙草吸ったのが見つかったんだ」とか、(これは同年代のおじちゃんね)
「あ、今度は囚人の役ですか?」とか、(どーゆーこと?)
「ハンカチでも出すのか?このハンカチ王子!」(なんか、悲しい)等等
考えてみたら、日本では「坊主頭」の印象がすこぶるいくないのだ。
「坊主」=「囚人」は、なんか納得いかない。
さらに考えてみたら(どーでもいいような気がするけど、、、)
「ハゲ」の印象もすこぶるいくない。
海外では、「坊主」も「ハゲ」も印象がすこぶるよい。
子供の頃、ユル・ブリンナーが大好きだった。素敵な「王様」だった。
「鬼警部アイアンサイド」のテリー・サバラスも大好きだった。
スポーツなんて「ハゲ」だらけ。
マイケル・ジョーダンなんて「神様」だ。(そー言えば、七福神にもハゲが多い。ま、いっか)
サッカーなんてチームに2、3人「ハゲ」がうよっている。
引退したけど、イタリアのレフェリーだったコリーナさんなんか、血が出るくらい「ハゲ」だった。
でも、みんな本当にかっこいい!
日本でも、そろそろ「坊主」や「ハゲ」が、かっこいいと思われるような大人の社会になったら、(昔はかっこいいハゲが結構いたんだけどな)この国も捨てたもんじゃないよ。
ま、いっか。
僕が初めて「坊主」になったのは、中学三年の時。
たいした動機なんかなかったんだけど、一度は「坊主」になってみたかった。
「坊主」になってみると、考えられないくらい「楽」だった。
まず、頭が軽くなる(脳みそ関係ない)。びっくりするくらい。
なんか、アドバルーンの気持ちが少しわかった様な気がした。(ウソつけ)
で、顔を洗った勢いで、頭も洗える。
で、顔拭いた勢いで、頭も拭ける。
大変な勢いだ。
髪型考える必要ないし、ドライヤーも整髪料もいらない。
ま、欠点をあげるとすれば、冬に「弱い」。
初めて「坊主」にした時は、時期を誤ってしまい、中学の卒業アルバムに「坊主」のまま載る羽目になった。(野球部でさえ、既に坊主はいなかった、、、)
で、初めて「ハゲ」にした時は、まだ、銀座セゾン劇場の頃にやった、「ポップコーン」というウエストエンドで人気があった芝居をやった時。
別に頼まれた訳でもなかったんだけど、剃った。
なんか、「剃り」たかった。
でも、髪の毛を剃るのがあんなに大変だなんて知らなかった。
安全カミソリで「スー」っと剃れると思ってた。
風呂場に新聞紙を敷いて、カミソリで剃ってみた。
「ずずずずー」って中途半端に剃れたと同時に「ギャー」って悲鳴をあげた。
痛いなんてもんじゃなかった。
髪の毛を濡らしてもう一度試した。
「ぞぞぞぞー」って中途半端に剃れたと同時に「ウギャー」って悲鳴をあげた。
痛いなんてもんじゃなかった。
しばらく考えて、はさみで出来る限り切る事にした。
「シャギー、シャギー」って音がして、「バッサバッサ」新聞に髪の毛が落ちた。
で、石けんで泡を物凄くたててから、カミソリで剃った。何度も剃った。
その都度軽く「ヒッ」って小声で叫んだ。
頭が血まみれになっていた。
「白い泡」と、いたる所から流れ出る鮮やかな「血の紅」が混ざりあって、パティシエがつくる美味しそうなスイーツみたいだった。
とりあえず、「ハゲ」完成。
でもよく見ると、初めてだったし、一人で剃ったので、いろんな所に剃り残しがあって、長い毛も結構残っていて、血は止まってないし、泡も残っているし、なんだか排水溝みたいだった。(どーなの?)
二年くらい前にも、突然「坊主」にしてみた。
その時にも、いろんな人にいろんな事を言われた。
「役づくりですか?」ってのが多かった。
「役づくりですか?」って聞かれると、答えに困ってしまう。(役のつくりかたなんか知らないしね、、、)
「坊主」になる事は、やっぱり特殊な事みたいだ。
でも、おじちゃんになってから「坊主」になるのはちょっと「愉快」。
鏡を見ると、ハッキリと自分の顔が見える。
髪の毛がないから、ストレートに「顔」。
びっくりする。
こんな顔だったんだと、しげしげと眺めてしまう。
「あれ?」って思いながら、、、、
でも、その「あれ?」がなんなんだか思い出せない。
朝起きて、寝ぼけながら顔を洗っていると「悲鳴」をあげそうになった。
「マイ・ダディー!」僕のお父さん!(いらないね、訳は)
「あれ?」の意味がわかった。
僕の「父親」にそっくりだった。
鏡を覗くと、そこには僕の「父親」がいた。
思わず「うっわー、親父そっくり!」と声に出してしまっていた。
知らない間に、顔がどんどん自分の父親に似てきていた事がわかった。
可笑しかった。笑ってしまった。「愉快」だった。
なんだかスッキリした。
そして、歳をとるって「遺伝子」に逆らえなくなる事なんだって気づいた。
いつの間にか、ちゃんと「設計図」通りに出来上がっているのがわかった。
「愉快」で「愉快」で仕方が無い。
勝村家の「お父さん」が、また出来上がろうとしている。
逆らえない。
非常に心地いい。
若い頃にどれだけ格好つけても、いい服着て調子に乗っても、かっちょいい車に乗っても、どんなに身体鍛えても、頭が腫れるくらい本読んでも、偉そうに語っていても、最終的には勝村家のお父さんになっていく。
圧倒的な力ではなく、知らないうちに、緩やかに、、、、
北風の寒さに負けまいと、コートの襟を強く握りしめていたおじちゃんが、太陽の暖かさに、ゆっくりとコートのボタンを外す様に、、、、、
大変に「愉快!」
ざまーみろ!俺!
我が家には、「息子」がいないので、兄貴の「息子」が今ゆっくりと「太陽の暖かい日差し」を浴びている。
成長して、勝村家のお父さんになる。
笑える。ざまーみろだ。
逆らえない。
地球人全員が逆らえない。
死ぬ程最高に「愉快」。
でも、それって悪いことではない。
とても「しあわせ」なことだ。
僕の身体の中には、親父がいて、お袋がいて、会ったことのないじいちゃんがいて、ばあちゃんがいて、ひいじいちゃんがいて、ひいばあちゃんがいて、ひいひいじいちゃんがいて、ひいひいばあちゃんがいて、、、、、、、
逆らえない。
見えない「設計図」通りに、「正確」に出来上がっていくからこそ、僕は全てを受け入れて、勝村家のお父さんが完成するまで、「逆らえない」からこそ、死ぬ程逆らってやる。(ま、今まで通りね)
「愉快」に楽しみながら、逆らいながら、死ぬまで生きてやるのだ。
そう、死ぬまで生きていくのだ。
堂々と、「死ぬまで生きてやる宣言!」を発表してみちゃおうかな。
明確な意志を持って。
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『赤羽トレーニングセンター』 その2
その日から、トレーニングは始まった。
まず、コースを選ぶ。
毎日時間が有り余っている僕は、「毎日来れます」と緊張しながら言ってしまった。
コーチは「ヘェ~、そうなんだ。じゃぁ、ちゃんとやろーか」と素敵な笑顔で答えてくれた。
純情で?力が有り余っている僕は、その「笑顔」に答えなければ!
なんて思ってしまった。
最初は、ベンチプレスからだった。
いきなり、50キロのバーベルを持たされた。
うんこ漏らすかと思った。
コーチは、「わかった。じゃぁ、35キロからいこーか」と言って、メニューを組んでくれた。
50キロは身体能力を見るために持たされただけだったようだ。
よかった。うんこ漏らさなくて、、、、、
でも、50キロのバーベル持たされた時は、顔面に身体中の「血」が集まったんじゃないかと思った。
目からも鼻からも、押せば「血」が出て来そうだった。
トレーニングは実に論理的で合理的だった。
当時は運動が出来る奴は頭が悪い。みたいに言われていた。
でもコーチは、頭が良くなければ、運動も出来ないし、良い筋肉は作れない。と豪語していた。(今考えれば、当たり前の事である)
コーチのトレーニングを見ていると、すべて計算されていて圧巻だった。
「重さ」と闘っている人を初めてみた。
コーチの言葉の説得力は「身体」だった。
筋肉という名の「鎧」を纏った、まさに戦士だった。
後でわかった事だが、コーチは大会前で身体も心も「切れて」いた。
か細い僕も毎日、毎日、筋肉の張りとの闘いだった。
階段もまともに上がれない。
しかし、ハマった。まんまとハマった。完璧にハマった。
身体を「いじめる」事が楽しくて仕方が無い。
コーチは「身体を作るには、まず食べる事だ。ただ食べるんじゃなくて、筋肉をつけるために必要なものを食べろ」と言って、「必要な食べもの」を教えてくれた。
ちなみにコーチは、毎日「バナナ」、「レバー」、「プロテイン」なんかを時間を決めて「もさもさ」摂取していた。
そう。「摂取」
コーチは、「一番安くて筋肉が付きやすいには、『たまご』だ。勝村は若いんだから、コレステロールは運動で燃えるから心配しなくていい、一日20個くらい食べるんだぞ」とアドバイスしてくれた。
「、、、、、、、、は、はい?」
そーいえば、コーチが大量の生卵を飲んでいるのを見た事があった、、、(トカゲかよ)
生卵を産まれて初めて飲んでみた。
「ブォワァー」ってそのまま吐いた。
あんなにつるつるしてるのに、喉を通らない。
もう一回試した。
「ブォワァー」ってまた吐いた。
無理。
で、調理して食べる事にした。
朝、目玉焼を2つ。昼、オムレツで3つ。夜、もー食べたくない。
どんなにがんばっても一日5個が限界だった。
でもなるべくがんばって食べた。
「バナナ」はかかさなかったし、屋台の焼き鳥やを見つけると必ず「レバー」を頼んだ。ラーメン屋では「レバニラ炒め」もー、修行に近い。
続く。