冬の行水 その1 / 2007年04月25日
僕の実家には風呂が無い。
と言っても、小学三年生の時に市の区画整理で家を立て直す前まで。
別に酷い貧乏で風呂がなかった訳ではない。そーいう家だった。
風呂の無い家はそんなにたくさんではなかったが、ちょこちょこあった。
昔は銭湯がたくさんあったし、風呂のある家の人もよく銭湯に行っていた。
銭湯はとにかく広くて大きくて、お湯がたっぷりあって、泳げた。
普通の温度の大きめの浴槽の底から、ちょっと熱めの、隣の狭い浴槽に泳いで移ることができた。ちょっと恐いんだけど、、、、
シャワーがあって、自由に使えた。
銭湯には銭湯で楽しみがたくさんあった。
友達にあったり、(同級生の女の子と入り口で会ったりしたら、ドキドキしちゃって頭がぽーっとして、何が何だかわからなくなった。アホか?)
出た後にコーヒー牛乳かエルビー、どちらにするか迷うのも楽しみの一つだった。
たまに飲む、フルーツ牛乳もたまらない。
素直にコーヒー牛乳が飲みたいんだけど、エルビーには「ふたの裏」にエルビーの「キャラクターのマーク」がついている時がある。
「当たり」だ。
何度か経験した「当たり」の「あの興奮」をまた味わいたい。
しかし、エルビーは飲み終わった後にちょっと喉に引っかかりが残る。
風呂上がりのさっぱりした身体には、ちょっと違和感がある。
だけど、飲み始めるとたまらなく美味しい。
しかも当たると、もう一本飲める。
エルビーは瓶が小さいから、二本飲めるのはそーとーな贅沢だ。
迷い過ぎて湯冷めしたこともあった。(子供にとっては真剣勝負だからだ)
銭湯は本当に楽しかった。
実家は小さな家だったが、勝手口があり、階段の下にある何も無い空間と勝手口をあわせると、そこは1畳ちょっとの、斜めの複雑な天井を持つ(階段の下だからね)「不思議なスペース」があった。
僕の父は、佃煮をつくる職人だった。
会社(佃煮やさん)には、佃煮にするこんぶを入れる大きなプラスチックの入れ物が山のように積まれていた。(昔は木の樽だったんだろうね)
簡単な例えだと、時代劇に出てくる「棺桶」みたいな感じの物だ。
そのプラスチック製の「棺桶」が我が家にも何個かあった。
そのうちの一つが、勝手口の階段の下「不思議なスペース」に常に置いてあった。
何故こんな説明をしているかというと、この「不思議なスペース」と「棺桶」は合体するのだ。
「不思議なスペース」が我が家の風呂場で、「棺桶」が我が家の風呂(バスタブ)だった。
僕はこの「棺桶」が、いや、風呂が大好きだった。
何も疑問を抱かなかった。
我が家の風呂だと思っていた。
もちろん勝手口には、水道などは無い。
入る前には、いちいち台所で、薬缶やら、家で一番大きな鍋やらでお湯を何度も沸かし、「棺桶」に溜めていた。
入る前には、いちいち台所で、薬缶やら、家で一番大きな鍋やらでお水を何度も運び、「棺桶」のお湯をうめた。
今考えたら、不思議で面倒くさくて面白い作業だ。
そんな作業が、週に何回も繰り返し行われていた。
なにしろ「棺桶」はお湯を湧かす事ができない。
だから「棺桶」の外でサンダルを履き、頭と身体をまず洗う。
お湯を汚さないように。(家族みんなが入るからね)
しかも風呂場ではないから、静かに、やさしく。
夏は問題ないけど、冬は寒くて大変だ。
冷静に考えたら、これは風呂とは言わない。
行水である。
今、書いてて気づいた。
最近は聞かなくなってしまったが、行水とは、「夏」の暑い日に、たらいにお湯とか水を入れて、汗を流す行為だ。
辞書で調べても、「冬」という字は出て来ない。
なんだ我が家は?
何故行水を「冬」になっても続けなければならないのだ?
修行か?
何かの実験か?
虐待か?
ご褒美か?(なんの?)
今考えると疑問符で頭がはち切れそうになるが、子供の僕には、普通に風呂に入っている感覚だから、何とも思わない。
当たり前。
オオカミに育てられた少年がオオカミを母親だと思う事と同じだ。(違う)
と言っても、小学三年生の時に市の区画整理で家を立て直す前まで。
別に酷い貧乏で風呂がなかった訳ではない。そーいう家だった。
風呂の無い家はそんなにたくさんではなかったが、ちょこちょこあった。
昔は銭湯がたくさんあったし、風呂のある家の人もよく銭湯に行っていた。
銭湯はとにかく広くて大きくて、お湯がたっぷりあって、泳げた。
普通の温度の大きめの浴槽の底から、ちょっと熱めの、隣の狭い浴槽に泳いで移ることができた。ちょっと恐いんだけど、、、、
シャワーがあって、自由に使えた。
銭湯には銭湯で楽しみがたくさんあった。
友達にあったり、(同級生の女の子と入り口で会ったりしたら、ドキドキしちゃって頭がぽーっとして、何が何だかわからなくなった。アホか?)
出た後にコーヒー牛乳かエルビー、どちらにするか迷うのも楽しみの一つだった。
たまに飲む、フルーツ牛乳もたまらない。
素直にコーヒー牛乳が飲みたいんだけど、エルビーには「ふたの裏」にエルビーの「キャラクターのマーク」がついている時がある。
「当たり」だ。
何度か経験した「当たり」の「あの興奮」をまた味わいたい。
しかし、エルビーは飲み終わった後にちょっと喉に引っかかりが残る。
風呂上がりのさっぱりした身体には、ちょっと違和感がある。
だけど、飲み始めるとたまらなく美味しい。
しかも当たると、もう一本飲める。
エルビーは瓶が小さいから、二本飲めるのはそーとーな贅沢だ。
迷い過ぎて湯冷めしたこともあった。(子供にとっては真剣勝負だからだ)
銭湯は本当に楽しかった。
実家は小さな家だったが、勝手口があり、階段の下にある何も無い空間と勝手口をあわせると、そこは1畳ちょっとの、斜めの複雑な天井を持つ(階段の下だからね)「不思議なスペース」があった。
僕の父は、佃煮をつくる職人だった。
会社(佃煮やさん)には、佃煮にするこんぶを入れる大きなプラスチックの入れ物が山のように積まれていた。(昔は木の樽だったんだろうね)
簡単な例えだと、時代劇に出てくる「棺桶」みたいな感じの物だ。
そのプラスチック製の「棺桶」が我が家にも何個かあった。
そのうちの一つが、勝手口の階段の下「不思議なスペース」に常に置いてあった。
何故こんな説明をしているかというと、この「不思議なスペース」と「棺桶」は合体するのだ。
「不思議なスペース」が我が家の風呂場で、「棺桶」が我が家の風呂(バスタブ)だった。
僕はこの「棺桶」が、いや、風呂が大好きだった。
何も疑問を抱かなかった。
我が家の風呂だと思っていた。
もちろん勝手口には、水道などは無い。
入る前には、いちいち台所で、薬缶やら、家で一番大きな鍋やらでお湯を何度も沸かし、「棺桶」に溜めていた。
入る前には、いちいち台所で、薬缶やら、家で一番大きな鍋やらでお水を何度も運び、「棺桶」のお湯をうめた。
今考えたら、不思議で面倒くさくて面白い作業だ。
そんな作業が、週に何回も繰り返し行われていた。
なにしろ「棺桶」はお湯を湧かす事ができない。
だから「棺桶」の外でサンダルを履き、頭と身体をまず洗う。
お湯を汚さないように。(家族みんなが入るからね)
しかも風呂場ではないから、静かに、やさしく。
夏は問題ないけど、冬は寒くて大変だ。
冷静に考えたら、これは風呂とは言わない。
行水である。
今、書いてて気づいた。
最近は聞かなくなってしまったが、行水とは、「夏」の暑い日に、たらいにお湯とか水を入れて、汗を流す行為だ。
辞書で調べても、「冬」という字は出て来ない。
なんだ我が家は?
何故行水を「冬」になっても続けなければならないのだ?
修行か?
何かの実験か?
虐待か?
ご褒美か?(なんの?)
今考えると疑問符で頭がはち切れそうになるが、子供の僕には、普通に風呂に入っている感覚だから、何とも思わない。
当たり前。
オオカミに育てられた少年がオオカミを母親だと思う事と同じだ。(違う)