祭りの準備 その1 / 2006年09月27日
テニスを愛する皆様、ご機嫌いかがですか?勝村政信です。
久しぶりに時代劇のロケ(屋外での撮影)をやってます。時代劇のロケはまわりに現代的な物があってはいけません。例えば、ビル、電信柱、鉄塔、車、アスファルト、空き缶、タバコ、見物のおじさん。とにかく全部ダメ。
例えば、「水戸黄門」のクライマックス。
最後に格さんが印籠を出して、「この紋所が、、、」なんて言ってる後ろに飛行機が飛んでたらダメでしょ。間違い探しじゃないんだから。
必然的に、時代劇のロケは人里離れた場所っぽい所で行われます。
(たまに、正面はすんごい時代劇っぽい場所なのに、後ろは教習所なんて事もある)
この前は小田原の田んぼの中の一本道。立派な松が道の両側にそびえる、なんだかいかにも時代劇!って感じのロケ場所。
よくもまー、スタッフはこんな場所を見つけるもんだと感心してしまいます。
で、その一本道には、既にたくさんのエキストラの方たちがスタンバっております。ちょっと説明しちゃうと、お百姓さんが壊れかけた荷車引いていて、旅の途中の浪人がいて、商いの途中の庄屋さんみたいなのがいて、村の娘が忙しく働いてて。子供達が走り回ってる。それが全部狭い一本道にいる。
もー、そこだけ異空間。小さな戦国自衛隊状態。(自衛隊は出てないけど)タイムスリップしちゃったみたい。僕も二本差しに編み笠持って、わらじなんか履いちゃっている。もー、おもろい。自分も含めておもろい。
おもろすぎて、何だ?そこだけこの集団?新手の新興宗教か?って感じ
小田原に謎のカルトコスプレ集団現れる。その名も「そこだけお江戸教」
で、もっとおもろいのが普通の人が通りかかった時のリアクション。
ちょっとおびえながら(人数多いし、何せ異空間)「いいんですか?通って?いいんですか?すみません。すみません」ミョウに謝ってる。
もちろん怒っている人もいる「許可とってんのか?邪魔なんだよ!ったく!」
散歩の途中の人「これ何時ながれるの?あたし見れんの?時代?あの人なんての?」取材かよ。
困るのがおじいちゃん。
スタッフが「すみません、そこ写ってしまうのでこちらにきていただけます?」
おじいちゃん「ん?」
「そこだと写ってしまうので、、、」
「ん?」
「こちらに来ていただけますか?」
「写るか?」
「ええ、ですから少しの間だけこちらに来ていただけますか?すぐ終わります」
「はい、え~吉田亀吉(仮名)82歳。趣味は、、、」からくりテレビと間違ってる。
で、本番になると本当に色々起こる。本番の時だけヘリコプターが飛んできて旋回してたり、救急車がきたり、自転車にゴルフクラブ積んでゆっくり、ゆっくり走ってくるおじちゃん、、、
その都度待つ。ただみんな待つ。待つ意外術がない。天気にも左右される。太陽が雲にかくれたりしても、映像が繋がらなくなってしまう。相手に陽が当たってるのにこちら側になると曇ってたらダメなんです。
時代劇じゃないけど、大変なのが女優さんの髪。本番の時だけ風が吹いて、素敵な台詞しゃべっているのに、髪の毛が激しく乱れて、「怒った雪女」みたいになっちゃってNG。全員大爆笑。なんてこともよくある。
時代劇の台詞まわしも、ちょっとおもろい。いつからみんなあーゆー時代劇口調になったのか?
年代、映画会社、監督、作品を調べると時代劇口調の歴史がわかったりする。役者でも、時代劇口調を楽しんでいる人、苦しんでいる人、闘っている人、相手にしていない人様々。そんな角度から時代劇を見てみるのもおもろい。
時代劇専門のスタッフと話をしてたら、芝居も映画もテレビも時代劇の本数が減って、大変なんだそうだ。専門の技術を獲得しているのに、仕事がなくなり全く別の職種にトラバーユ(相変わらず例えが古いね)して行く職人さんが増えているらしい。悲しい現実だ。
って、話が湿っぽくなっているし、長くなってきたので、続きを書かなくっちゃ。
そう、ポークソテーズの続き。書く前から「いや」な予感がするのは何故でせう?
続き。
「なにか」やっていいんじゃん。心がざわついた。ざわわ~、ざわわ~(すみません)
プロデューサーと打ち合わせした。
「僕は基本的に一人芝居はやりません。で、人前で講演みたいな事もできません。でも、『なにか』やっていいんだったら、僕は『バンド』やってまして、ギグだったらやれますけど」
「う~ん」しばらく無言。
「前例がないんですが問題はありませんが、、、」
「あの、総勢8人で、、、、他にも、衣装と、付き人がいて、、、」
「そんなにギャラはありませんけど、、、、」
「いえいえいいんです。ギグらせていただければ」
話は決まった。ブラボー!
問題は曲。手持ちは5曲。しかも2曲はラブソング(ラブソング?)
1時間30分はやらなくっちゃ。今はがんばって約20分。70分足りない。
急いで曲作り。考えてみたら僕とキッチュ以外はミュージシャン。
それぞれに発注した。簡単だ。
と、思った。
しかし、奥野と僕が何となく流れを勝手につくってしまったもんで、出来上がってきた曲の出来はいいんだけど、コンセプトとバランスがよくない。
不思議なもんだ。作った本人が唄うとえらいかっこいい。しかしボーカルが四人。しかも、ど素人が二人も混じっている(曲が難しいとど素人は唄えない)
困ったもんだ。あ、説明はいらないと思うけど、ど素人は僕とキッチュね。
で、結局、奥野と僕とでほとんどの曲をほとんど寝ないでつくった。
何とか曲も出来上がり、リハーサルに入った。
ミュージシャンたちをナメていた。あいつらは、普段だらしない。かなりだらしない。朝まで飲んで、昼まで飲んで、夕方起きて、ボーッとして、煙草すって、コーヒー飲んで、ご飯食べない。んで、女性にもてるし、暴れるし、踊るし、ちんちん出すし、、、、、、やりたい放題。(そーじゃない人もたくさんいるが、僕のまわりは大体そんな人たち)
リハに来てもやる気あんだかないんだか、、、
煙草吸って下らない話して、ダラダラダラダラ、、、
それがあなた、唄い出したら、、、、楽器引き始めたら、、、、、
みんな素敵。
きらきらしちゃって。もー嘘みたい。
で、「ここ、こんな感じでこーしてもいい?」
「じゃあ、○小節目のここでこーしてこーすればいいんじゃん」
「あー、じゃぁ、ここも○○で○○してもいいんだね」
なんてほざいちゃってるのよ。かっちょいいったりゃありゃしない。
ギターの喧太のソロなんて引く度違うし、どれもかっこいい。
で、「喧太ぁ、本番はどれにするの?」って聞いたら「わかんない」だって。
あー、かっこいい!ミュージシャン!
しかし、その奥を見ると、ユータが本番では引かないベースを持ってリハを続けていた。喧太のどんなアドリブにもアドリブで答えていた。笑顔で。
もちろん、ドラムの麿も同じだ。で、リズム隊のユータと麿が演奏しながら相談している。
みんな楽しそう。かなり嫉妬した。舞台の稽古はこんな風にはいかない。
恐るべし!ミュージシャン。
後は、ど素人の僕とキッチュだけである。
しかし僕にはアドバンテージがある。なんせ「コリオグラファー」。振り付けのお師匠様である。7歩先を歩いている。ふっふっふっふ。(何故7歩?)
全員が僕に低姿勢で「振り」を教えて貰いにくる。ふっふっふっふ。
流石のミュージシャンも「振り」を付けられる事に慣れていない。一人天下。
しかし、流石ミュージシャン。頭の中に音楽が流れている人は違う。あっとゆーまに完璧に覚えた。ま、まずい。こーなりゃ、もう一人のど素人を責めて、優位に立たなければ(なんで?)
しかし、もう一人のど素人の事もナメていた。
キッチュは踊りができない。唄だって腹式呼吸でジュリーの「勝手にしやがれ」を唄うくらいだ。
なのにあのど素人は本当に「勝手にしやがった」
誰よりもおもろく踊り倒してしまう。誰よりもおもろく唄い倒してしまう。
恐ろしい男だ。
結局、出遅れたままの僕を残しリハが終わった。
後は本番を待つばかり。
当日。
スタッフと最終の打ち合わせ。ギグの模様を映像で残してくれる手筈も整った。
客入れも終わり。ポークソテーズの「祝!初、2次会意外のギグ」が始まった。
ギグは僕の予想通り、全く問題なく終了した。いや、予想をはるかに超えたものだった。そりゃそうだ、みんなプロなんだもん。
出来上がった映像をみんなで楽しみにしていたら、ビデオカメラが普通の家庭用で、コードが短くて、電源が劇場の端っこにあったらしく、もんのすごい遠くて、端で、しかもライブの最初に録画のスイッチを入れ忘れていて撮れてなかった(頭の10分くらい)、、、、、、、
僕らは全員で大笑いした。
ってな所で、ちょーど時間となりま~した~。あー、やっぱり予感があたった。
なんと!またまたまた、続きになってしまいました。実は、これでもかなり掻い摘んで書いているですが、なかなか終わりません。
まだまだ続く、炎のポークソテーズ。(何が炎だ!)乞うご期待!(だから、無理に盛り上げんなっつーの)
そして、テニスはどーしたんだ!テニスは!
そんな皆様のお声にお答えいたします。
10月のジャパン・オープンに行ってまいります。(おー!)
初めてのテニス観戦!(え?お前!初めてなのか!ちょっと待てよ)
その時には、多分テニスの興奮をお伝え出来るかもしれませんし、出来ないかもしれません。(どっちなんだ!)
そして、今は9月25日。午前10時。今からロケで仙台に行って来ますので、今週はPCを触る事もできません。何かあっても責任は取れませんのであしからず。(取った事ないじゃんか)
では、行ってきます。(なんなの?俺?)
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『祭りの準備』 その1
俳優の原田芳雄さんの家で、毎年12月28日に恒例の「餅つき」がある。
長男が生まれてから始まったらしいので、もう36年を超えている。
すごいものである。36年。もう歴史だ。
毎回参加者は200人を簡単に超えている。
朝から始まり、長い時は次の日の朝まで行われる。
入れ替わりも激しいので正確な人数は誰も把握できない。
300人以上。
多い時は400人を超えているかもしれない。
しかも、誰も知らない人がいて、がんがん飲んでたり、地方から勝手にやって来た芳雄さんのファンの女性が混じって、仕切っていたりしている。
「あれ?あの人誰よ?知ってる?」
なんて僕らは言いながら、働いている。
人が多いから、大きな声を出している人の言う事をついつい聞いてしまう。
グチャグチャだし、面倒くさいし、何が何だかわからないからだ。
36年で延べ人数は、軽く10000人を超えているだろう。
餅つきの日だけで、、、、
しかも、普段からほとんど毎日のように人が入り乱れている。
映画の打ち上げなんかもやっている。
何だそれ?
しかも、芳雄さんの出演していない映画の打ち上げが行われていたりする。
だから何んなんだそれ?
芳雄さんの家に来た人は、へたしたら50000人を超えているんじゃないかしらん?
一体全体何なんだろうそれ? 本当に。
普通、個人の家に50000人とか来るか?
動物園か?
劇場か?
テーマパークか?
村か?
とにかくスケールが違う。
僕は20代の後半くらいから芳雄さんの家に入り浸っている。
ほとんど家族である。
芳雄さんは人を拒まない。
「来る者拒まず、去る者追わず。」
まさにそんな感じ。
でも何故か僕らのまわりの数家族は、入り浸ったままである。
そして数年前から、「餅つき」を息子の喧太と僕らが仕切る事になった。
霜月の声を聞くと、何となく原田家と僕らはそわそわしてくる。
「祭りの準備」が始まるからだ。
じゃあ、買い出しはいつにする?てな感じで始まる。
誰が何を買いに行くか?
料理の材料を何処で買うか?等々。
もちろん参加費なんかとらない。
だから、みんな少しでも安くていいものを探す。
みんな仕事もバラバラだから、スケジュール合わせるのも大変である。
飲む時は簡単にスケジュールがあうのに、、、
料理のメニューは決まっている。
おでんとカレー。
実にシンプル。
しかし、数百人分!
他は、お歳暮で届いた物。
それに「餅つき」の日に届く、たくさんの芳雄さんの友人からの差し入れであったりで、十分に賄える。(届く荷物の数が普通じゃない)
後はもちろん、この日の主役の「つきたてのお餅」。
まず、27日に僕らは集まる。
男子は(何だ?男子って)買い出し、掃除、庭のセッティング。
家の中のセッティング。
女子は(だから、小学生か?)料理の下拵え。
書くのは簡単だが、大変な作業だ。
一軒の家で町内会の「祭り」を準備しているようなものだからね。
芳雄さんの奥さんが全体を完璧に仕切っている。
久しぶりに時代劇のロケ(屋外での撮影)をやってます。時代劇のロケはまわりに現代的な物があってはいけません。例えば、ビル、電信柱、鉄塔、車、アスファルト、空き缶、タバコ、見物のおじさん。とにかく全部ダメ。
例えば、「水戸黄門」のクライマックス。
最後に格さんが印籠を出して、「この紋所が、、、」なんて言ってる後ろに飛行機が飛んでたらダメでしょ。間違い探しじゃないんだから。
必然的に、時代劇のロケは人里離れた場所っぽい所で行われます。
(たまに、正面はすんごい時代劇っぽい場所なのに、後ろは教習所なんて事もある)
この前は小田原の田んぼの中の一本道。立派な松が道の両側にそびえる、なんだかいかにも時代劇!って感じのロケ場所。
よくもまー、スタッフはこんな場所を見つけるもんだと感心してしまいます。
で、その一本道には、既にたくさんのエキストラの方たちがスタンバっております。ちょっと説明しちゃうと、お百姓さんが壊れかけた荷車引いていて、旅の途中の浪人がいて、商いの途中の庄屋さんみたいなのがいて、村の娘が忙しく働いてて。子供達が走り回ってる。それが全部狭い一本道にいる。
もー、そこだけ異空間。小さな戦国自衛隊状態。(自衛隊は出てないけど)タイムスリップしちゃったみたい。僕も二本差しに編み笠持って、わらじなんか履いちゃっている。もー、おもろい。自分も含めておもろい。
おもろすぎて、何だ?そこだけこの集団?新手の新興宗教か?って感じ
小田原に謎のカルトコスプレ集団現れる。その名も「そこだけお江戸教」
で、もっとおもろいのが普通の人が通りかかった時のリアクション。
ちょっとおびえながら(人数多いし、何せ異空間)「いいんですか?通って?いいんですか?すみません。すみません」ミョウに謝ってる。
もちろん怒っている人もいる「許可とってんのか?邪魔なんだよ!ったく!」
散歩の途中の人「これ何時ながれるの?あたし見れんの?時代?あの人なんての?」取材かよ。
困るのがおじいちゃん。
スタッフが「すみません、そこ写ってしまうのでこちらにきていただけます?」
おじいちゃん「ん?」
「そこだと写ってしまうので、、、」
「ん?」
「こちらに来ていただけますか?」
「写るか?」
「ええ、ですから少しの間だけこちらに来ていただけますか?すぐ終わります」
「はい、え~吉田亀吉(仮名)82歳。趣味は、、、」からくりテレビと間違ってる。
で、本番になると本当に色々起こる。本番の時だけヘリコプターが飛んできて旋回してたり、救急車がきたり、自転車にゴルフクラブ積んでゆっくり、ゆっくり走ってくるおじちゃん、、、
その都度待つ。ただみんな待つ。待つ意外術がない。天気にも左右される。太陽が雲にかくれたりしても、映像が繋がらなくなってしまう。相手に陽が当たってるのにこちら側になると曇ってたらダメなんです。
時代劇じゃないけど、大変なのが女優さんの髪。本番の時だけ風が吹いて、素敵な台詞しゃべっているのに、髪の毛が激しく乱れて、「怒った雪女」みたいになっちゃってNG。全員大爆笑。なんてこともよくある。
時代劇の台詞まわしも、ちょっとおもろい。いつからみんなあーゆー時代劇口調になったのか?
年代、映画会社、監督、作品を調べると時代劇口調の歴史がわかったりする。役者でも、時代劇口調を楽しんでいる人、苦しんでいる人、闘っている人、相手にしていない人様々。そんな角度から時代劇を見てみるのもおもろい。
時代劇専門のスタッフと話をしてたら、芝居も映画もテレビも時代劇の本数が減って、大変なんだそうだ。専門の技術を獲得しているのに、仕事がなくなり全く別の職種にトラバーユ(相変わらず例えが古いね)して行く職人さんが増えているらしい。悲しい現実だ。
って、話が湿っぽくなっているし、長くなってきたので、続きを書かなくっちゃ。
そう、ポークソテーズの続き。書く前から「いや」な予感がするのは何故でせう?
続き。
「なにか」やっていいんじゃん。心がざわついた。ざわわ~、ざわわ~(すみません)
プロデューサーと打ち合わせした。
「僕は基本的に一人芝居はやりません。で、人前で講演みたいな事もできません。でも、『なにか』やっていいんだったら、僕は『バンド』やってまして、ギグだったらやれますけど」
「う~ん」しばらく無言。
「前例がないんですが問題はありませんが、、、」
「あの、総勢8人で、、、、他にも、衣装と、付き人がいて、、、」
「そんなにギャラはありませんけど、、、、」
「いえいえいいんです。ギグらせていただければ」
話は決まった。ブラボー!
問題は曲。手持ちは5曲。しかも2曲はラブソング(ラブソング?)
1時間30分はやらなくっちゃ。今はがんばって約20分。70分足りない。
急いで曲作り。考えてみたら僕とキッチュ以外はミュージシャン。
それぞれに発注した。簡単だ。
と、思った。
しかし、奥野と僕が何となく流れを勝手につくってしまったもんで、出来上がってきた曲の出来はいいんだけど、コンセプトとバランスがよくない。
不思議なもんだ。作った本人が唄うとえらいかっこいい。しかしボーカルが四人。しかも、ど素人が二人も混じっている(曲が難しいとど素人は唄えない)
困ったもんだ。あ、説明はいらないと思うけど、ど素人は僕とキッチュね。
で、結局、奥野と僕とでほとんどの曲をほとんど寝ないでつくった。
何とか曲も出来上がり、リハーサルに入った。
ミュージシャンたちをナメていた。あいつらは、普段だらしない。かなりだらしない。朝まで飲んで、昼まで飲んで、夕方起きて、ボーッとして、煙草すって、コーヒー飲んで、ご飯食べない。んで、女性にもてるし、暴れるし、踊るし、ちんちん出すし、、、、、、やりたい放題。(そーじゃない人もたくさんいるが、僕のまわりは大体そんな人たち)
リハに来てもやる気あんだかないんだか、、、
煙草吸って下らない話して、ダラダラダラダラ、、、
それがあなた、唄い出したら、、、、楽器引き始めたら、、、、、
みんな素敵。
きらきらしちゃって。もー嘘みたい。
で、「ここ、こんな感じでこーしてもいい?」
「じゃあ、○小節目のここでこーしてこーすればいいんじゃん」
「あー、じゃぁ、ここも○○で○○してもいいんだね」
なんてほざいちゃってるのよ。かっちょいいったりゃありゃしない。
ギターの喧太のソロなんて引く度違うし、どれもかっこいい。
で、「喧太ぁ、本番はどれにするの?」って聞いたら「わかんない」だって。
あー、かっこいい!ミュージシャン!
しかし、その奥を見ると、ユータが本番では引かないベースを持ってリハを続けていた。喧太のどんなアドリブにもアドリブで答えていた。笑顔で。
もちろん、ドラムの麿も同じだ。で、リズム隊のユータと麿が演奏しながら相談している。
みんな楽しそう。かなり嫉妬した。舞台の稽古はこんな風にはいかない。
恐るべし!ミュージシャン。
後は、ど素人の僕とキッチュだけである。
しかし僕にはアドバンテージがある。なんせ「コリオグラファー」。振り付けのお師匠様である。7歩先を歩いている。ふっふっふっふ。(何故7歩?)
全員が僕に低姿勢で「振り」を教えて貰いにくる。ふっふっふっふ。
流石のミュージシャンも「振り」を付けられる事に慣れていない。一人天下。
しかし、流石ミュージシャン。頭の中に音楽が流れている人は違う。あっとゆーまに完璧に覚えた。ま、まずい。こーなりゃ、もう一人のど素人を責めて、優位に立たなければ(なんで?)
しかし、もう一人のど素人の事もナメていた。
キッチュは踊りができない。唄だって腹式呼吸でジュリーの「勝手にしやがれ」を唄うくらいだ。
なのにあのど素人は本当に「勝手にしやがった」
誰よりもおもろく踊り倒してしまう。誰よりもおもろく唄い倒してしまう。
恐ろしい男だ。
結局、出遅れたままの僕を残しリハが終わった。
後は本番を待つばかり。
当日。
スタッフと最終の打ち合わせ。ギグの模様を映像で残してくれる手筈も整った。
客入れも終わり。ポークソテーズの「祝!初、2次会意外のギグ」が始まった。
ギグは僕の予想通り、全く問題なく終了した。いや、予想をはるかに超えたものだった。そりゃそうだ、みんなプロなんだもん。
出来上がった映像をみんなで楽しみにしていたら、ビデオカメラが普通の家庭用で、コードが短くて、電源が劇場の端っこにあったらしく、もんのすごい遠くて、端で、しかもライブの最初に録画のスイッチを入れ忘れていて撮れてなかった(頭の10分くらい)、、、、、、、
僕らは全員で大笑いした。
ってな所で、ちょーど時間となりま~した~。あー、やっぱり予感があたった。
なんと!またまたまた、続きになってしまいました。実は、これでもかなり掻い摘んで書いているですが、なかなか終わりません。
まだまだ続く、炎のポークソテーズ。(何が炎だ!)乞うご期待!(だから、無理に盛り上げんなっつーの)
そして、テニスはどーしたんだ!テニスは!
そんな皆様のお声にお答えいたします。
10月のジャパン・オープンに行ってまいります。(おー!)
初めてのテニス観戦!(え?お前!初めてなのか!ちょっと待てよ)
その時には、多分テニスの興奮をお伝え出来るかもしれませんし、出来ないかもしれません。(どっちなんだ!)
そして、今は9月25日。午前10時。今からロケで仙台に行って来ますので、今週はPCを触る事もできません。何かあっても責任は取れませんのであしからず。(取った事ないじゃんか)
では、行ってきます。(なんなの?俺?)
そんな訳で、今週もがんばって生きていきまっしょい!
『祭りの準備』 その1
俳優の原田芳雄さんの家で、毎年12月28日に恒例の「餅つき」がある。
長男が生まれてから始まったらしいので、もう36年を超えている。
すごいものである。36年。もう歴史だ。
毎回参加者は200人を簡単に超えている。
朝から始まり、長い時は次の日の朝まで行われる。
入れ替わりも激しいので正確な人数は誰も把握できない。
300人以上。
多い時は400人を超えているかもしれない。
しかも、誰も知らない人がいて、がんがん飲んでたり、地方から勝手にやって来た芳雄さんのファンの女性が混じって、仕切っていたりしている。
「あれ?あの人誰よ?知ってる?」
なんて僕らは言いながら、働いている。
人が多いから、大きな声を出している人の言う事をついつい聞いてしまう。
グチャグチャだし、面倒くさいし、何が何だかわからないからだ。
36年で延べ人数は、軽く10000人を超えているだろう。
餅つきの日だけで、、、、
しかも、普段からほとんど毎日のように人が入り乱れている。
映画の打ち上げなんかもやっている。
何だそれ?
しかも、芳雄さんの出演していない映画の打ち上げが行われていたりする。
だから何んなんだそれ?
芳雄さんの家に来た人は、へたしたら50000人を超えているんじゃないかしらん?
一体全体何なんだろうそれ? 本当に。
普通、個人の家に50000人とか来るか?
動物園か?
劇場か?
テーマパークか?
村か?
とにかくスケールが違う。
僕は20代の後半くらいから芳雄さんの家に入り浸っている。
ほとんど家族である。
芳雄さんは人を拒まない。
「来る者拒まず、去る者追わず。」
まさにそんな感じ。
でも何故か僕らのまわりの数家族は、入り浸ったままである。
そして数年前から、「餅つき」を息子の喧太と僕らが仕切る事になった。
霜月の声を聞くと、何となく原田家と僕らはそわそわしてくる。
「祭りの準備」が始まるからだ。
じゃあ、買い出しはいつにする?てな感じで始まる。
誰が何を買いに行くか?
料理の材料を何処で買うか?等々。
もちろん参加費なんかとらない。
だから、みんな少しでも安くていいものを探す。
みんな仕事もバラバラだから、スケジュール合わせるのも大変である。
飲む時は簡単にスケジュールがあうのに、、、
料理のメニューは決まっている。
おでんとカレー。
実にシンプル。
しかし、数百人分!
他は、お歳暮で届いた物。
それに「餅つき」の日に届く、たくさんの芳雄さんの友人からの差し入れであったりで、十分に賄える。(届く荷物の数が普通じゃない)
後はもちろん、この日の主役の「つきたてのお餅」。
まず、27日に僕らは集まる。
男子は(何だ?男子って)買い出し、掃除、庭のセッティング。
家の中のセッティング。
女子は(だから、小学生か?)料理の下拵え。
書くのは簡単だが、大変な作業だ。
一軒の家で町内会の「祭り」を準備しているようなものだからね。
芳雄さんの奥さんが全体を完璧に仕切っている。
続く。